おおかみのくに④
裏路地を抜けた先には、小さな森のようなものがあった。相変わらず青い霧のようなものは立ち込めていたが、森を進んで行くにつれて、薄まって行くような気がした。ねじれたビル群からでも次第に離れていく。森を抜けると小高い丘があり、そこに一軒の家が建っていた。
家は茜色の煉瓦造りで、屋根は紅赤色の瓦で出来ていた。
「ここだ」
白狼はそう言うと、
「俺だ。入るぞ」
と、しわがれた声で宣言してからドアを開いた。
古いが雰囲気のある椅子と机、棚。その中に敷き詰められた様々な言語の本たち。リビングと思しき机の奥の机には、本が積み重なっており、隅には青紫色の小さな座布団のようなものの上には、大きな白藍色の水晶が置いてあった。
そんな部屋の中に、その人物はいた。
「ようこそ、いらっしゃい。どうぞ、そこにおかけになってください」
そう言葉を発したのは、まさに『赤犬』と呼ばれるに相応しい毛色の犬だった。身体はローブに覆われているものの、そこから見える腕や顔の色は、山羊の瞳のような真紅と緋色が混じって美しく、その瞳は優しげに見えた。
「よぉ、久しぶりだな」
白狼がそう言う。
「叔父さんが連れてきたからには、ちゃんと私に目的があってやってきたのでしょうね」
赤犬がふむふむと顎に手をやって考える。
「おい、能書きはいい。お前は『本当の魔女』の居場所を知ってるのか」
青犬が、堪えきれなくなって赤犬を問い詰めようとする。
「まぁまぁ、落ち着いてください」
赤犬が、それを手で制する。
「なるほど『本物の魔女』ですか。くつくつ。面白い。では、なんのために?」
それを受けて、少女が元気いっぱいに答えた。
「『本物の魔女』さんに、私が魔女じゃないって証明してもらうの!」
その言葉に、赤犬は少し目を丸くした。
「まァ、そんなとこだ。三日以内……明日の六時までにそこの嬢ちゃんが魔女じゃないって証明されなきゃ、その子は火あぶりになっちまうってワケさ」
ふむ、と赤犬は再び顎に手を当てる。
「赤犬ゥ……俺ァ、その嬢ちゃんに『雫』をもらったんだ。だからここに案内した。これがどういうことかわかるだろう?」
それを言われて赤犬は「なるほど」と小さく呟いた。
「確かに、彼女は魔女じゃありませんし……ここで魔女として断罪されていい存在でもないようですね」
「くだらないようなことを聞くようですが」と赤犬は前置きをして、赤犬は少女に向き直って、そして、問うた。
「その『本当の魔女』に身代わりになってくれと頼もうとは思わなかったんですか?魔女であれば、身代わりになっても生き残る術はいくらでも持っているはずです。貴女は『自分が魔女でないと証明してもらう』と言いましたが、そのような提案を『本物の魔女』にした方が効率的だったのでは?」
少女はきょとんとして赤犬を見つめ、答える。
「なんでそんなことをする必要があるの?」
それ以上の言葉はなかった。だが、赤犬は
「えぇ、えぇ、その言葉だけで十分です。私にはあなたが何を考えているかよくよくわかりました。あなたに『本物の魔女』を紹介しましょう。明日の朝までお待ちいただけますか?期限が明日までということであれば間に合うでしょう?それまでに私が『本物の魔女』をここにお連れしましょう。今日はもう日も暮れています。我が家に泊まってはいかがですか?」
それに対して異を唱えたのは青犬だった。目には当惑と懐疑の念が宿っている。
「おい、待てよ、嬢ちゃんに残された時間は少ないんだぜ。アンタが『本当の魔女』とやらを連れて来られずにトンズラこいたらどうするんだ?それに、赤犬であるアンタが俺みたいな青犬を家に泊めるなんておかしな話だぜ」
赤犬はふぅ、と息をひとつ吐いて、
「あなたは青犬なのに優しいのですね。本来ならあなた側では、その少女が魔女として裁かれるのは既定路線のはずです。それに、私がその少女を貶めるなら、もっと上手い手がありますよ。そこはあなたの想像には及ばないかもしれませんが。本当に、変わった方だ。生憎、変わり者のそしりを受ける私としては、そのような方に逗留していただくのになんの異論もありませんよ」
そう告げた。青犬はフンと鼻を鳴らして
「一緒にすんな。俺は、自分の納得のいかないことに、そのまんま納得したくねェだけだ」
と答えたが、どこか照れ臭そうだった。恐らく彼の立場からして、自分のことを褒められるなど、慣れてはいないのだろう。だから、少女が
「青犬さん、ありがとう。赤犬さんの言った通り、優しいのね」
などと言い出した時には、さっきの自分の行動も忘れて
「お前のためじゃなくて仕事のためだっての!」
と思いっ切りそっぽを向いていた。赤犬はくつくつと笑う。
「わかったわ、私、赤犬さんを信じる。明日の朝まで待つわ」
そう宣言した少女の意志の下、明日の朝まで、待機することになった。
赤犬は、魔女を連れてくる、と言って食事の準備を済ませてから出かけて行った。
夕飯はシチューと干し肉だった。何の乳から作られたかわからないが、この国ではシチューは一般的に食することのできる食べ物であるらしい。青犬は警戒してくんくんと臭いを嗅いでいたが、なにも怪しいものが入っていないらしいことがわかると、がっつくように食べ始め、それを見て少女は可笑しそうにしていた。白狼も、にこやかにそれを眺めていた。
その後は、各々がそれぞれに用意されたベッドで眠りについた。