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4. ガラスの向こう側

 

 アルトリウスを見られるかもしれない。私の胸はどきどきといつもより速く鼓動を刻んでいた。王宮に向かう馬車の中も、王宮の回廊を歩いているときも、シャンデリアの煌めくホールに入ったときも、どこか夢の中にいるような心地がしていた。そして、ふとグラスの葡萄酒に映る自分と目が合った時に、クリスティーナとして生きていたことが夢だったのではないかと不安になる。アルトリウスを一目見るだけ。それで十分だと思っていたのに、もっとという気持ちがあふれてくる。


 そんなこと、できるわけないのに。


 目を伏せそうになった時、国王陛下の入場を告げる声がした。慌ててグラスをテーブルに置き、周囲にあわせて拍手をする。そして、国王陛下が皆の方を向かれたときに、一斉に臣下の礼をするのだ。ざっという衣擦れの音が幾重にも重なり、会場は一瞬で厳かな雰囲気に包まれた。



「本日は、我がリュスタニア王国の建国がなされためでたき日である。皆が私に寄り添い、ともに国を支えてくれていることに感謝する。これからのリュスタニア王国のさらなる繁栄を願い、皆でこのめでたき日を祝おう。……さあ、仰々しいのは終わりだ。存分に楽しんでくれ!」



 私は顔を伏せながら、心のなかで特大のため息を吐いていた。代替わりを数年前に済ませ、現在のリュスタニア国王はクリスティーナの実の兄上だ。お兄様、途中までは良かったのに……。まあ、こういうところがお兄様の魅力なのかしら。ざわりと楽し気な喧騒が戻ってきた会場を見まわして、私は笑ってしまうのだった。


 私は両親と別れ、見知った顔を探してホールをゆっくりと歩いていた。見知ったと言っても、この一ヵ月にお茶会で知り合った令嬢たちのことだ。



「お姉さま!」

「エリザベス様、ごきげんよう。良かった、お友達を探していたのです」

「ごきげんよう、お姉さまを慕う者たちでしたら、あちらに集まっておりますわ」

「え、ええ……ありがとう、行きましょうか」

「はい!」



 ナチュラルに慕うと直球な言葉をかけられ、幾分面を食らうが、早めに彼女たちと合流できそうなのは良かった。エリザベスと一緒に窓際へ移動することにした。



「ふふ、今日のお姉さまは一段とお綺麗ですわ。皆さんも、お姉さまを見ていらっしゃいます」

「わたくしを?」

「ええ、どこのご令嬢か気になっているようですね」



 耳を澄ましてみると、確かに私の噂をしているようだった。私を見たことがない人がほとんどだから、誰だとなるのは当たり前といえばそうだ。伯爵令嬢であるエリザベスにお姉さまと呼ばれる娘が、男爵令嬢だなんて誰も思わないだろうな。私はしばらく私の生家について混乱が続くことを悟った。



「あら、ティターニア様、エリザベス様」

「お姉さま、お待ちしておりましたわ」

「ごきげんよう、皆さま。良い夜ですね」

「ごきげんよう、お姉さま。とても素敵です」

「ありがとう、あなたも可愛らしいわ」



 挨拶と一緒に褒めていけば、きゃあ、と黄色い声があがる。こういう時、私は自分が男性にでもなったかのような錯覚に陥る。まあ、可愛い子たちが嬉しそうにしてくれるので構わないのだが。



「あ、お姉さま、クリスティアノス伯爵がいらっしゃいますわ」

「本当にいらっしゃるなんて。お姿を見るのはいつぶりかしら」



 エリザベスに促されて視線を動かすと、時が止まったようにそこに目が釘付けになる。国王と親しげに言葉を交わす姿。やわらかな黒髪を揺らし、澄んだ空のような瞳を細めて微笑んでいる。その端正な顔立ちは―――


 ちっとも変わってないじゃない!!!!


 不老の薬でも飲んだかと思うほど、私の記憶そのままだった。つまり、十七歳のときからなんら変わらないのだ。十五歳くらいから急に成長して、周りよりは大人っぽい十七歳であったことは否定しないが、あれではどんなに多く見積もったって二十代前半だ。逆に恐ろしい。


 え、うそ。アルトリウスって人間だったよね?おかしいなあ息子かなあ。いやいやいや、そんな話聞かないし。やっぱり本人?え、化け物か??私のいたいけな想像を返せよ!十六年前から全く変わらない外行きの笑顔しやがって、あれは絶対本人だわ!!


 こんな罵詈雑言が飛び交っているとは思いもしない令嬢が、心配そうに声をかけているのがようやく耳に入ってきた。それに返事をしようとした瞬間、アルトリウスと目が合う。反射的に逸らし、扇で顔を隠した。



「お姉さま、大丈夫ですか?」

「伯爵さまもこちらを見ていたみたいですわ。きっとお姉さまに目を奪われたのです!」

「お顔を隠されて、恥ずかしがっておられるのですか?」

「ええ、ちょっと。目が合ってびっくりしてしまって」



 違う。断じて違う。

 私が隠れたのは、目が合ったことに驚いたからでも、恥ずかしかったからでも、まして前世のアルトリウスを思い出したからでもない。単純に、殺られると思ったからだ。


 やっばい、絶対に悪口並べているのがバレた。そういう顔してた。ああ、わかる、わかるわ。クリスティーナのときによく見ていた顔だもの。あれは獲物をどう料理してやろうか考えている目だ。どうしよう、初対面なら逃げられる?まさかクリスティーナだとは思わないだろうし、わざわざこっち来ないかも?



 ぐるぐると逃げる算段を整えながら、表向きはおだやかに令嬢たちと歓談する。驚いたわ、と困ったように笑って見せながら、内心戦々恐々なのだった。いや、大丈夫よ、ティターニア。あの男は極度の面倒くさがり。わざわざ初対面の男爵令嬢に喧嘩を売るわけないわ。うん、そうよ、よほど機嫌が悪くなければ。



「あら、クリスティアノス伯爵が……」



 いなくなった?それはいい、夜会からさっさと帰ってくれれば私も楽しめるわ!

 先ほどまでどれだけ会いたいと思っていたかも忘れて、私は神に祈っていた。



「退席してしまわれたのですか?それは残念で……」

「こんばんは、花のように美しい皆さん。そちらの方をダンスにお誘いしても?」



 ぞわり。私の言葉を遮った声に、自分の死を悟った。これは無理だわ。ここまで来られたら逃げられない。逃がす気のないアルトリウスから逃げられたことは一度もないからだ。よし、ここはティターニアとして当たり障りなくお叱りを受け、お引き取り願おう。



「ええ、もちろんですわ!」

「お姉さま、良かったですわね」



 この男の怖さを何も知らない令嬢たちは、私の意思など関係なく了承の返事をした。私はさながら売られる子牛のよう。自分が蒔いた種によって、人は破滅していくのだわ。



「アルトリウス・ティルナノーグと申します。お名前をお伺いしても?」

「ティターニア・レッセルと申します」

「一曲、お相手願えますか?」

「ええ、よろこんで」



 ひぃっと漏れ出てしまいそうな悲鳴を飲み込んで、差し出された手にそっと指先をのせ、一礼する。手を引かれるがままにホールの中央に進み出る。特に何も言われず、すぐにホールドの姿勢になる。静かに踊り始めた。クリスティーナとアルトリウスは練習を含め何度も踊ったことがある。お互いの癖も、踊りやすい重心も、身体の預け方も熟知していた。今もそう、十六年経っても変わってない。


 無言のままのアルトリウスに、さすがに気まずくなって私は話しかけた。



「あの、ロード・クリスティアノス?どうしてわたくしを?」

「先ほど目が合った瞬間に、貴女の美しさに心を奪われたのです」

「え、そ、そうですか……」



 絶対嘘だとわかる答えを返されて、私はどうすればいいのかわからなくなった。



「その髪飾り、とてもお似合いですね。あなたの髪色にもよく映える」

「……ありがとうございます。わたくしも気に入っているのです」



 アルトリウスの真意がわからなすぎて笑えてきた私は、もう普通に話すことにした。髪飾りを褒められたことは素直に嬉しい。色違いの髪飾りをクリスティーナに贈ったことは、たぶん覚えていないんだ。結婚してから一度もつけなかったし。私は安心してアルトリウスのネクタイを眺めながら笑った。




「……ふっ……あはは」



 なにやら急に笑い出したので、私は彼の顔を見上げた。あれ?作った笑顔じゃない。何が面白かったのか、アルトリウスは本気で笑っていた。



「あははっ……もう無理。ああ笑った」

「何がおかしいのでしょうか?」

「いやだってさ、クリスティーナでしょ」

「は?」



 訳も分からず笑われて、わからないままクリスティーナとか言われて、私はもう唖然とするしかなかった。否定も誤魔化しも、何の言葉も出てこない。



「きみ、まるごとクリスティーナだよ」



 ここで、何のことですか、とでも言えればよかったかもしれない。いや、言ったとしても笑われて終わりだっただろうか。とにかく、私は淑女の意地としてなんとか口を閉じたこと以外、アルトリウスに反撃することもできず、ただ見つめることしかできなかった。


 いつの間にか一曲が終わり、周囲の人が入れ替わる。足を止めたまま、私はまだ言葉も発せずにいる。そんな私を見てふっと笑い、アルトリウスはまた私の手を引いた。



「姫様、こっちおいで」



 いつもと同じ、声と言葉と仕草で。




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