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2. 追憶、輝いた夜

 


「お嬢さま!」

「ティアさま、お目覚めになられたのですね!」



 ゆっくりと目を開けると、自分が泣いていることに気づいた。そして、私をのぞき込む侍女たちも涙目で、必死に私の名前を呼んでいた。



「私……」



 握り締めていた手には、銀細工の髪飾りがあった。蔦は深紅で、花びらは碧い、アルトリウスから貰ったものとは少しだけ違う髪飾り。



「お嬢さまは街からお戻りになった後、眠ってしまったまま丸二日目覚めなかったのです」

「揺すってもちっともお返事がなく、ただ眠っているとは思えないほどで」

「二日……そうなの、ごめんなさい、心配をかけたわ」

「いいえ、ご無事で何よりです。もうすぐ旦那様と奥様が―――」



 あわただしい足音で現れたのは、私の両親だった。二人は私をぎゅっと抱きしめ、安堵したように大きく息を吐いた。



「目覚めてよかったよ、ティア」

「ええ、本当に」

「お父様、お母様、心配かけてごめんなさい。私もまさか、お昼寝程度の睡眠が丸二日続くとは……」

「体調は?」

「問題ないわ、どこもおかしくない」

「念のため、診てもらいましょうね」



 両親が私の言葉で納得しないことを悟り、私はおとなしくうなずいた。


 そんなこんなで、私は思い出したのである。

 私がクリスティーナ・スコット・リュスタニアであり。

 アルトリウス・ティルナノーグに恋をしていたことを。






 とはいえ。

 前世とは逆の意味で身分差の激しい私が、アルトリウス・ティルナノーグに会いに行けるはずもない。そもそも今の彼について、こんな田舎まで届く噂はそう多くない。知っていることは優秀な騎士で大人気だということ。そういえば結婚はまだしてないらしく、それについての憶測も飛び交っているのだとか。


 クリスティーナが亡くなった年に私が生まれたことを考えると、アルトリウスは三十二歳になったところだ。どんなふうになっているだろうか。私が知るアルトリウスは、十七歳で止まっている。少年のあどけなさを残したまま、いつの間にか青年に成長していたアルトリウス。クリスティーナの刻も止まったまま、あの日から一歩も動けていないのだ。


 ティターニアとしての私も、アルトリウスへの想いについては決めかねているところがあった。淡い恋とでも言うのだろうか。恋にも満たない憧れというべきか。前世の記憶のなかのアルトリウスは、クリスティーナに屈託のない感情を向けて、お互いの間には何よりも深い信頼があった。それは昔のアルバムを開いて写真を眺めているような懐かしさで、私は会いたいと思わずにはいられなかった。私がクリスティーナであったことを伝えることなどできないとわかっていても。いいや、有り体に言えば、私は今もアルトリウスに恋をしたままであった。






 そう思いつつも、自ら行動を起こすことはなく半年が経ち、私は十六歳になろうとしていた。もちろん偶然アルトリウスと出会うなんてこともなく、私は王都から離れたこの田舎、レッセル領で変わらない日々を過ごしている。私が目を丸くしたのは、そんな何気ない日の夕食の時であった。



「お父様、今なんて?」

「近々、王都で行われる議会に参加することになった。建国祭と日取りも近いし、ティアも一緒に行かないか、と」

「私も行って、大丈夫なの?」

「ティアは王都には興味がないって言っていたけれど、一度くらい見ておいた方がいいでしょう?夜会なんかにも出られるし、良いご縁があるかもしれないし。今まで上の子たちを優先してしまって、ティアには我慢をさせることも多かったでしょう。領地のことはあの子たちに任せて、私たちと旅行するつもりで、どうかしら?」

「そうそう、気楽に。建国祭も盛大なお祭りで、見ごたえもあるし」



 確かに、両親は兄や姉の方についていることが多かったかもしれない。でもそれは、次代のレッセル領を担っていくものへ当たり前の対応だった。両親に手を焼かせる兄を見て、私はきちんと育たないとなと思ったこともしばしばだ。今は兄も立派に成長し、領主代理を任せてもいいくらいにはなったのだろう。姉も有力貴族へ嫁ぎ、恙なく幸せそうに暮らしている。


 少なからず両親への遠慮があったという面では、我慢をしていたのかも、しれない。ただ、私は家族のことが好きだし、不満はない。むしろ幸せに育ててもらったと思っている。家庭内がギスギスした貴族はいくらでもいるということを知っているから。



「ありがとう、お父様、お母様。ぜひ行きたいです」

「本当!?やったわ!」

「ああ、よかった」



 父と母は嬉しそうに手を取りあった。そんなに喜んでもらえるとは思わず、私は首をかしげながらスープを口に運ぶ。



「ティアと遠出なんて久しぶりでしょう?楽しみね!」

「ああ、うんと楽しい旅行にしようね」

「お父様はお仕事では……?」

「旅行のついでに、仕事もちゃんとするよ。ついでにね。どうせ田舎貴族の役割なんて座っているだけさ」

「そうそう、夜会だってお食事目当てに行けばいいのよ」

「……ふふ、そうね。私も楽しみだわ」



 子どものようにはしゃぐ母と父を見て、思わず笑ってしまう。夕食の続きは王都の観光の話で盛り上がり、いつも以上に楽しい時間となった。その数日後、からりと晴れた初秋のある日、私たちは王都に向けて三か月ほどの旅程でレッセル領を発った。








「アルトリウス、あと何分!?」

「二分ですよ、姫様。お急ぎを」

「精いっぱい急いでいるでしょう!ああ、もう。王宮の西棟から東棟まで十分で移動しろというのが無茶なのよ。いつものことだけど、やはり企画段階で無理やりにでも時間をずらしてもらうべきだったわ。わたくしはこの時程の決定者を鬼畜と呼ぶことにするわ!」

「姫様、口ではなく足を動かしてください。本当に間に合いませんよ」

「動かしているわよ!いつもは走ったら怒るくせに」



 クリスティーナがヴァイセル王国に嫁ぐ前、まだリュスタニア王国の第二王女であったとき。一年に一度行われる建国祭では、護衛をたくさん引き連れて王宮をあわただしく移動する王族たちの姿があった。もちろん、関係者以外には見せられない舞台裏だ。


 王宮には東西南北に一つずつ、広いバルコニーがあり、専ら王族の顔見せに用いられている。建国祭では国王や王妃をはじめとした王族たちが、代わる代わる四方のバルコニーに立つ。王族の姿を見ようと、王宮の周囲にはたくさんの国民が集まり、歓声を上げる。それに応えて優雅に手を振る王女たちの裏側では、歩いているのだと目を逸らして答えているものの、どこからどう見たって全力疾走の耐久レースが繰り広げられているのだった。


 バルコニーに出る一歩手前、私は大きく深呼吸し、ゆっくりと息を吐きだす。呼吸を整えたら、一度目を閉じる。目を開けたら、私はもうたおやかな微笑みを携えた完璧な王女だ。



「姫様、お手を」

「ええ、ありがとう、アルトリウス。……出るわ」



 差し出されたアルトリウスに右手を預けて、境界を踏み越える。私を迎えるのは、ぶわりと包み込むような歓声と熱気だ。



「クリスティーナ様だ!」

「お綺麗だなあ」

「あんなに小さかったのに、ご立派に成長なされて」

「ええ、本当に。女神のような微笑みだわ。お美しい」

「クリスティーナ殿下、万歳!」

「見て、筆頭騎士のアルトリウス様もいらっしゃるわ」

「きゃあ、かっこいい。絵になるお二人だわ」

「あ、王太子殿下と並ばれたわ」

「仲の良さそうなご兄妹だよな」

「ええ、未来も安泰ね」



 バルコニーをゆっくりと歩きながら、微笑みを絶やさず手を振り続ける。この顔見せには数年前からアルトリウスに同行を頼んでいるから、彼の顔や名前も知れ渡ってきたみたいだ。


 バルコニーの中央には、次期国王となるだろう王太子がいる。私の七つ年上の兄だ。顔見せの際には、王族同士が並ぶようにうまく組み合わせて時間を調製してある。身内関係は良好ですよというパフォーマンスでもある。まあ、実際仲は良いので問題はないが。


 クリスティーナ、と名前を呼んで手を差し出す兄の手を取り、所作に細心の注意を払い、腰を落として一礼する。その後に一度視線を交わして微笑みあい、同時に手を振る。ここまでワンセット。


 それだけでまたわあっと歓声が響く。耳が割れそうだといつも思うのだが、国民たちの想いが感じられて嫌いではない。たまにキーンとする耳鳴りに顔をしかめないように頑張るのが大変なだけだ。



「クリスティーナ、そろそろ」



 兄が目配せをするので、頷く。兄はこれから私が先ほどまでいた西棟に向けて十分間の全力疾走だ。頑張ってね、お兄様。私は心の中で敬礼をして、もう一度淑女の礼をして手を離した。これからは私一人で歓声を受け止めなければいけない。次はお父様と一緒になるんだっけ、そのあとは北棟で、いやその前にお化粧を直さないと、などとこれからの予定を思い出しながら、私は変わらない笑顔で手を振るのだった。






「はあ、つっかれた~……」



 私室のソファに身体を預けて目を閉じる。いつもはだらしないだの、王女とは思えないだの軽口をたたくアルトリウスも、今日ばかりは何も言わない。多分彼も相当疲れている。侍女に普段着に着替えさせてもらい、下がらせて一息ついているとき、私は薄目を開けてアルトリウスを窺った。



「ねえ、アルトリウス。今年も……」

「ん?ああ、祭りに行きたいって?」

「だめ?」

「姫様のお願いとあらば、叶えるのが騎士というものですよ」

「あはは、似合わないわね」

「知ってるよ。夜会は明日だし、予定のない今夜の内に行った方がいいね。夜まで休んでしっかり体力戻してよ」

「はあい。いつもありがとう、アルトリウス」



 満面の笑みで礼を言った私を見て、アルトリウスは目線を逸らした。照れているんだな、とすぐにわかったが、怒らせるので指摘しない。少し休むか、とソファにもたれたまま目を閉じると、やわらかなブランケットがかけられる感触がする。泣きそうなのはあたたかいブランケットのせいだ。私がまだ恋を諦めきれなかったときの思考回路は、案外ぶっ飛んでいた。






「今年も盛況ね。いいことだわ」

「クリス、はぐれるから手を」

「ええ、アルトリウス。あ、あれ見たい!」

「はいはい」



 アルトリウスが私を建国祭の夜に連れ出してくれるのは、毎年のことであった。夜ならば周囲も暗いうえに騒がしくて気づかれにくいし、貴族のお忍びも増えるから紛れやすい。少しいいところのお嬢さま、という感じの出で立ちの私が王女だと気づかれたことはない。アルトリウスが幼いころのように私をクリスと呼び、私は王女であることを一時忘れてただお祭りを楽しむ。建国祭の夜は、私への数少ないご褒美であった。



「おじさん、これちょうだい!」

「おや、可愛らしい二人だね。若い恋人の未来を祝して、おまけだ」

「ふふ、ありがとう!おじさんも、良い夜を!」

「ああ、良い夜を」

「アルトリウス、私たち恋人ですって。毎年言われるわよね。あなたが私の手を離してくれないからかしら。ふふ、ほら、半分あげるわ」

「君が迷子にならないように繋いでるんだよ」

「わかってるわよ、ほら、食べるでしょ?」

「はいはい、ありがと」


 この夜

 だけは、王女だとバレないようにという建前で、アルトリウスに全力で恋をするクリスでいられたのだ。








「……あはは、懐かし」



 王都までの道すがら、馬車に揺られているうちに転寝してしまったらしい。かたん、ごとん、からから、車輪がすれる音と馬の蹄が地面を叩く音が鼓膜に響く。目を開けると、もう王都のすぐそばまで来ていた。ティターニアとしては初めて訪れる王都ではあるし、クリスティーナもヴァイセル王国に嫁いで以来なので、本当に久しぶりだ。王宮から眺めた街並みや、内緒で抜け出して訪れた景色がすぐそばに迫る。



「私たちも久しぶりだね、王都まで来るのは」

「ええ、そうね。建国祭が近いだけあって、いつも以上の活気ね。ティア、見える?あれが王都の入り口よ」

「ええ、お母様。……本当に大きな街だわ」



 私のつぶやきは聞かれていなかったようで、ほっとしながら母が指さす窓の外を見つめた。王都に入ると、タイルの道になり、馬車の揺れ方が少し変わる。それすらも懐かしくて、知らず笑みがこぼれる。今はただ、もう一度ここに来られたことが、嬉しかった。



「嬉しそうね、ティア」

「え?……うん、とっても嬉しい。楽しみだわ。連れてきてくれて、本当にありがとう」



 よほど浮足立っていたのか、母が楽しそうに私を見た。素直にうなずいて、やはりアルトリウスのことを考えてしまう。王都なら彼についてもっと詳しくわかるだろうか。夜会で姿を見ることくらいはできるだろうか。迷った末に着けてきたあの髪飾りに触れて、私はもうしばらく続く馬車の揺れに身を任せた。




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