精霊界の危機(9)
*
三人称視点
強く目を閉じたライオとダキアだったが、いつまでも訪れない終わりに目を開く。
蜘蛛は? 雷は? と、何が起こったのか理解出来ない。
「な、にが?」
「⋯⋯」
いつの間にか、黒いジャガーが目の前にいた。ライオとダキアをじっと見つめると、直ぐに空へと駆け上がる。
「今のは⋯⋯? まさか⋯⋯」
「ええ。また会えたわね⋯⋯」
鎧で隠されて見えなかったが、確かにの向こう側に感じたんだ。
ライオとダキアは涙を流す。トラも鎧の内側では、涙が止まらなくなっていた。
「許さないにゃ。オイラが父ちゃんと母ちゃんを守るんだにゃ!」
ゆっくりと再会を喜んでいる時間は無かった。ただ、生きていてくれた事が、これ以上無く嬉しかったのだ。
「見てて欲しいにゃ。父ちゃん母ちゃん。オイラ、勇気を出して頑張るんだにゃ!」
それだけに許せなかった。このヘイズスパイダーを差し向けた人物に、どうしようも無い怒りが押し寄せる。
「はぁああ! 貫けにゃ!」
無数の氷柱が現れ、次々とヘイズスパイダーを刺し貫いていく。それを見届けたあと、トラは湖の方へ顔を向けた。
この世のものとは思えない禍々しい何かがそこにいる。本能が危険だと告げていた。
*
レバンテスは異変を感じ、左右をキョロキョロと見渡している。ここはレバンテスが創り出した特殊な世界の中だが、レバンテスだけは外の状況を知る事が出来ている。
「遂に来ちまったか⋯⋯おい、女吸血鬼」
レバンテスがビビに声をかけた。ビビは地面に這いつくばり、荒い呼吸を繰り返している。
(化け物め⋯⋯)
そう心の中で呟き、シャムシェルを支えにして立ち上がった。
『まだやれるな? アイセア』
『勿論よ! ただ⋯⋯』
『わかってる』
レバンテスを倒すのに、どうやっても火力が足りないのだ。必死に努力したつもりだった。ビビもアイセアも、精神圧縮訓練で強くなったと確信していたのだ。
それなのに、レバンテスには手が届かなかった。全てが真紅に染まったこの世界で、ビビは必死に倒す糸口を考えている。
「なあ、もう満足したろ? その剣も精霊も一緒で構わない。あの子供も一緒に連れて行く。だから俺の女になれよ。酷い事にはならねーからよ」
「断る⋯⋯」
「どうしてそう頑ななん──」
レバンテスの首が刎ね上がった。それと同時に、極大の雷がレバンテスの体を消滅させる。
激しい爆風が辺りを包み、地面には大きなクレーターが作られた。
ビビは地面に片膝を着くと、レバンテスが消滅した場所を見る。
期待はしていなかったが、さっきと同じ場所にレバンテスが現れた。
「こっちへ来い。人間の側にいてどうするんだ。俺もお前も魔物なんだよ」
「五月蝿い⋯⋯」
「わかるだろう? 俺達は生きているだけで迫害を受ける。蔑んだ目で見られるし、恐れられる。何処にも居場所なんて無いんだよ」
「⋯⋯」
「何故わからない」
「⋯⋯わからなくはない。お前の言う事は理解出来る」
「なら──」
「それでも!」
ビビはレバンテスを睨みながら、シャムシェルをきつく握りしめた。
「私は⋯⋯私はお前と行くつもりは無い。私は人間が好きだ」
「好きだからなんだ? 人間は裏切る生き物だ」
「⋯⋯」
「人間は俺達魔物が恐ろしいんだよ。いくら大事に想っていても、結局は裏切られるんだ」
「アークは違う」
「同じだ。人間傍に置きたいなら、更なる恐怖で支配するしかない」
「⋯⋯」
ビビはレバンテスの胴体を両断した。更に激しい雷が落ち、レバンテスを跡形もなく消滅させる。
(徐々にだが、斬る度にレバンテスの魔力が小さくなっている。だが消耗戦ではこちらの分が悪い⋯⋯どうする⋯⋯)
再度現れたレバンテスが、少し悲しげな表情になった。レバンテスからしてみれば、自分の気持ちを理解してくれる数少ない仲間だ。見つけた時は凄く嬉しかったし、分かり合えると今も思っている。
だが、時期尚早だったかと思い始めた。目の前の同胞には、まだ絶望が足りないと。
「今直ぐ理解しろとはもう言わない⋯⋯だが、強引にでも連れて行くぞ」
「⋯⋯私にとって、アークは太陽のような存在だ。アークが好きだ。愛している」
「⋯⋯」
「私は人間になりたかった。短い時の中でも、人間は満足そうに死んでいく。大切な家族に囲まれて、緩やかな死を迎える⋯⋯それは、魔物の世界では体験出来ない事だろう。それに、アークはとても温かい。私の体はこんなに冷たいのに、アークは嫌な顔一つする事は無いんだ。何度も何度も、アークは私に沢山のものをくれた。ずっと一緒にいてくれると約束してくれた。一緒にいると楽しいんだ。心がとても暖かくなるんだ。私に住む場所を与えてくれた。私は私だと言ってくれた。吸血鬼だとわかっていながら、無防備に隣で眠るんだ⋯⋯ふわふわした髪の毛が好きだ。私に何度も好きだと言ってくれる。あの笑顔が好きだ。家を建ててくれた。友を紹介してくれた。家族同然に扱ってくれた」
「⋯⋯」
「アークに会う前ならば、私はお前に着いて行ったかもしれない。でも、今の私は違う。お前の気持ちもわかる⋯⋯どんな事があったのかも想像が出来る。だから、お前がこちら側へ来い」
「⋯⋯なんだと?」
「アークならば、お前にも居場所を与えてくれるだろう」
「信じられるかよ」
そんな時、アイセアがビビから弾き出される。
「なっ! アイセア!」
「⋯⋯嘘⋯⋯強制解除? ち、から、が⋯⋯」
アイセアがその場にへたり込んだ。
ビビとアイセアは、今まで一つに合体していた。アークは自分の器に精霊を宿す事が出来る。しかし、常人に同じ事は出来ないのだ。
ビビはアイセアを器の外側に纏う事で、爆発的に力を高めていた。それもなかなか出来る事ではないが、精神圧縮訓練で遂に会得していたのだ。
「⋯⋯なんだ? 俺も聞いてないぞ?」
レバンテスが右手を振ると、外の世界が映し出される。
沢山の精霊が地に付していた。かろうじて動ける者がいるが、殆どが身動きすらとれない状況になっている。
「そうか⋯⋯コアを操作したんだな。ユシウス」
暫くその様子を眺め、レバンテスは外の映像を消した。
『レバンテス』
『ん? どうしたユシウス』
ユシウスから魔術で声が送られ、直ぐにそれに応える。
『君の取り逃した魚がねぇ⋯⋯こっちで暴れてるんだけど』
『ああ、あの子供は元気か?』
『⋯⋯元気過ぎて困ってる──ッ!! ガハッ!!』
『お、おい! ユシウス!!』
レバンテスは困惑する。ユシウスから余裕が無い声が聞こえてくるからだ。
こんな事は今まで無かった。どんなのを相手にしても、余裕の溢れるあの男が⋯⋯
『まずいねぇ⋯⋯』




