深層のスフィンクス
ラズちゃんに何て言葉をかけようか、そんな事を考えていた時だった。
氷の地面が鳴動し始め、濃密な魔力が周囲を包み始める。
赤い二つの光が、明らかな敵意を持って僕達を睨んでいた。
「何これ⋯⋯私、こんなの知らない⋯⋯」
「⋯⋯」
ラズちゃんが動揺するのも無理ないかな。際限など無いと言うように、溢れ出す魔力の上昇が止まらない。
──グゴゴゴゴゴ⋯⋯
氷の地面がヒビ割れて、巨大な何かの腕が生えてきた。
あれはなに⋯⋯もしかしてスフィンクス?
目を赤く光らせて、バキバキと氷を砕きながら這い出て来る。その様子はまるで、墓場から這い出てくるゾンビのようだった。
見た目は仮面をつけた巨大な獅子。間違いない⋯⋯あれは黄金のスフィンクスだ。
轟音と共に裂けた氷は、スフィンクスが表に出ると再生を始めた。
僕はあれを絵本で見た事がある⋯⋯確かどこかの勇者様が攻略した? っていう迷宮の冒険物語と一緒だよ。
過去に勇者様が攻略した迷宮に、僕とビビは挑んでいたんだね。
伝説に挑戦する事になるんだ⋯⋯少しワクワクするかも⋯⋯ヨコチンさんが危ないって時に、ちょっと不謹慎かな。
どの勇者様かは覚えてはいない。でも、その勇者様と同じ事が出来るなんてまたとないチャンスだよ。
僕にあれが倒せる? イフリンかノーム様の力を借りないと難しいかな⋯⋯
「あ、あれとは戦っちゃ駄目⋯⋯わかるでしょう? 恐ろしいくらいの力を感じる⋯⋯」
顔を青くするラズちゃんに背を向けて、“朧の夜桜”を抜き放つ。
魔力はたっぷりある。気力も充実している。きっと大丈夫!
「僕もね、最初は痛いのも怖いのも苦手だったんだ。でも震えて縮こまっていたら、追いつきたい目標には届かないんだよ。覚悟なんて呼べるものじゃないかもしれないけど、僕はどんな時だって前に進む⋯⋯いつだって僕は、そうしてきたんだ」
「⋯⋯目標⋯⋯」
「僕にはね、見たい景色があるんだよ。父様と母様が話す道の先へ、僕は行ってみたいんだ。そのために、迷ってる時間なんて無い」
父様と母様は何度も世界を救った。だから僕も、身近な人の一人や二人救えなきゃ駄目なんだよ。
ラズちゃんをどうするかは戦いの後かな。ビビも遠くで頑張ってるのを感じる⋯⋯僕も頑張らなくちゃ!
「もう少し離れててね」
「アークちゃん⋯⋯」
ラズちゃんは何かに悩んでるように見える。外の世界を知らないから当たり前だよね。
ラズちゃんにとって、外は楽しい事ばかりじゃないと思う。魔物だというだけで、ビビがどれだけ寂しい思いをしてきたことか⋯⋯それを思うと簡単には誘えないかな。
けど、僕はドラグスを出てから沢山の人に出会えた。色々な人に出会えて世界が大きく広がっていく⋯⋯町にいたままじゃわからなかったよね。本当に良かったと思うんだ。
頭を戦いに切り替えながら、眼前のスフィンクスを見下ろした。
スフィンクス⋯⋯本当に大きいな。
ラズちゃんから離れ、スフィンクスの巨大な体を一望する。いったい何十メートルあるんだろう⋯⋯
その真っ赤な瞳は、絶えず僕を射抜いていた。
ここはボスの部屋じゃないのに、今まで戦ったどのボスよりも強そうだな。
「Sスタンダード」
髪の毛が銀色へと変わり、紫電が全身を包み込んだ。
まずは⋯⋯っ!!
危険感知スキルがけたたましく警鐘を鳴らす。
何かをする気だ! でも動きは⋯⋯
「いぐぅ!」
最初は何をされたのかわからなかった。突然頭上に現れたそれに、急いで刀を合わせる。
重い! それに硬い!
完全に力負けした僕は、弾かれた玉のように地面へ激突する。
背中と頭が痛い⋯⋯朧の夜桜でも打撃のダメージは防げないみたいだ。
クラクラする頭を振って上半身を無理矢理起こす。
あれは尻尾の攻撃だった。先端は見えるけど、その殆どが不可視化されているみたい。
スキルや魔法じゃなくて、スフィンクスの生まれ持った能力かな⋯⋯単純で気配が掴めないとか、本当に狡い!
揺れる足で立ち上がった瞬間、横薙ぎされた尻尾に弾き飛ばされる。
僕は地面から突き出た氷山に体を叩きつけられ、開幕早々に深手を負った。
「げほっ⋯⋯」
頭から頬へと血が垂れてくる。呼吸がしずらい⋯⋯
尻尾は速くてとことん重い。それだけで十分に必殺技だ⋯⋯人間と魔物の体格差って、ベスちゃんとティーナくらいの差があると思う。どこがとは言わないけど⋯⋯
次は尻尾の突き攻撃だった。上にジャンプして躱すと、氷山が跡形も無く消し飛んでしまう。
Sスタンダードレベル3。
銀の奔流を纏わせた朧の夜桜を、“パワースラッシュ”で振り切った。
刀の軌跡が空を駆け、地面を斬り裂きながら直進する。
──パアァン⋯⋯
「⋯⋯」
僕の放った斬撃は、また見えない物にかき消される。
今のは何? わからない⋯⋯敵の情報が欲しい。
「ごほ⋯⋯はぁぁあ!」
右手を握り込み、魔力を全力で集めていく。頭上から振り下ろされた尻尾を横に飛び避けて、輝き始めた右手を空へと掲げた。
「範囲超拡大、“エリアレイン”」
僕が呪文を唱えると、雲一つない空から雨が降り始めた。
エリアレインは水魔法のレベル5。初級魔法だから魔力消費は少ない方なんだけど、ただ雨を降らす魔法になる。攻撃力がある訳じゃないから、普段は使えない魔法だよね。
雨はスフィンクスにも降り注ぐ。これでさっきの見えなかった物が見える筈⋯⋯
光がキラリと反射して、スフィンクスを覆う何かが顔を出した。
「⋯⋯狡いよ⋯⋯もう」
スフィンクスは二重の結界? に護られていた。まず体が隅々まで何かの膜に覆われている。
それと、攻撃とは別に盾のような尻尾もあるみたい。
きっとあれがさっきの斬撃を止めたんだね。鉄を抵抗も無く斬る僕の技を、あっさりと止めるだけの強度があるんだ。
これがダンジョン深層の化け物⋯⋯いきなりレベルが上がり過ぎだよ⋯⋯
「あの盾⋯⋯邪魔だね」
頬を伝う血を拭い、テンペストウィングを唱える。でも僕は地面へ降りて、体を下へ押し付けるように気流を操作した。
氷の大地を踏み割る程に力を込めて、弾かれたようなスピードで走り出す。
目指すは不可視の強力な盾⋯⋯あれをどうにかしなきゃ勝ち目が無い。
足に銀の奔流を纏わせた事で、爆発的な速度を生んだ。体を下に押さえつければ、浮かび上がらずに何度も地面を蹴れるんだよ。
右手で朧の夜桜の柄頭を握り、切っ先を捻り込むようにスフィンクスの盾へと繰り出す。
「“オーラスティンガー”!!」
──ガオォォン!!
激しい衝撃が盾を吹き飛ばした。
やったかな?
ビシリと音が手元から聞こえ、見てみると刀身にヒビが入っている。
「嘘⋯⋯朧の夜桜が⋯⋯」
さっきのは僕の全力の突きだった⋯⋯それなのに⋯⋯
「盾は無傷⋯⋯」
どうやらこのままじゃ勝てないらしいね
僕は無限収納から、完全回復ポーションを取り出す。




