黄金のピラミッド
ビビの心臓の鼓動が聞こえてくる。ちゅーした時は凄く早くなるけど、今は静かでゆっくりとリズムを刻んでいるのがわかった。
まだ頭がふわふわするなぁ。今はビビの魔力に包まれていて暖かい。
魅了で相殺とか言ってたけど、僕は何かされてたのかな?
低空で浮かんでいた状態から、僕達は一旦地面へ降りる。警戒をしながら、サキュバスと安全だと思われる距離を置いた。
危険は無いと思うけど、一応用心はする必要がある。
それにしても、やっぱりいつものビビとは違う気がするよ。いくら話が出来るとは言え、ビビがこんな行動をするとは思わなかった。
「外の世界を知らないのだな」
「知らないわ⋯⋯この目で見てみたいけど、私達は自由に動けないの」
「迷宮の扉には近寄れないのか?」
「そうよ⋯⋯」
⋯⋯やっぱりそうなんだ。四十五階層のワイバーンは、比較的ボス部屋の近くにいた気はする。
でもそれは扉へ行かせないためであって、あの階層でだけの特別なパターンだったと思うんだ。
理由はわからないけど、他の階層は扉付近に魔物はいないしね。
ビビはサキュバスから情報収集をしているのかな? 確かに迷宮の魔物から話を聞けるって凄い事だけど⋯⋯
「話し相手はいたのか?」
「そんなのいないわよ」
「じゃあ⋯⋯ずっと一人だったんだな⋯⋯」
「⋯⋯」
サキュバスは口を噤んでビビの顔を見つめた。
そうか⋯⋯ビビはサキュバスに昔の自分を重ねていたんだね。その時の気持ちを思い出して、直ぐ倒そうとは思えなかったんだ。
情報収集なんかじゃないよね⋯⋯いつヨコチンさんが来るかもわからない状況で、大事な時間を使う訳が無いじゃんか。
あの時のビビはボロボロに弱っていた。人の入り込まない森の奥深くで、青い花畑を日陰から眺めていたんだよね。
「アーク⋯⋯どうする?」
ビビの声が聞こえ、その顔を見る。
サキュバスをどうにかしてやりたいって顔に書いてあるよ。
「そうだね⋯⋯ビビがしたいようにするよ」
ビビがこのサキュバスを放っておける訳がない。一人ぼっちの辛さは、ビビが一番よくわかってるもんね。
このサキュバスを外に出すにはどうしたらいいかな?
時間を止めて収納? いや、精霊の力は出来れば使いたくない⋯⋯ダンジョンマスターを倒した場合、迷宮ってどうなるんだろう?
中身が圧縮されてぺちゃんことか? やだ、それは怖い⋯⋯
「君の名前を教えてくれる?」
「⋯⋯無いのよ⋯⋯ごめんなさい」
うーん、悪い事を聞いちゃったかも⋯⋯誰とも話した事が無いのなら、名前が無い事も考えなきゃいけなかった。
「じゃあ僕が名前考えてもいい?」
「私に名前をくれるの?」
「うん」
僕達の距離が自然に近づいていく。もう目を合わせても大丈夫みたい。
名前、名前かぁ〜⋯⋯サキュバス⋯⋯んー、キュバス? ピンク色の長い髪⋯⋯ピンク色の大きな瞳⋯⋯
サキュバスは僕の前でしゃがみ込むと、僕の体を触り始めた。気にせず名前を考える⋯⋯どうしたらいいかなー⋯⋯
花や宝石から名前を取る? 安易過ぎるかなー? こういうのは直感で決めよう。
「じゃあ⋯⋯ラズちゃんでどう?」
「それが私の名前?」
キョトンとした顔になり、直ぐに顔をうつむける。
「い、嫌だった?」
「んーん。ただ⋯⋯ちょっと、思ってた以上に嬉しくて⋯⋯」
びっくりしたぁ⋯⋯でも喜んでくれたのなら良かった。今日から君はラズちゃんさ。
「本当にありがとう。貴方達のお名前は?」
「僕はアーク」
「ビビ」
「そう。皆素敵なお名前なのね。私はラズ、うふふ。初めてで嬉しい⋯⋯この名前、大切にするわ」
考えた甲斐があったね。喜んでくれて僕も嬉しいよ。
ラズちゃんは俯いていた顔を上げて、笑顔になって手を差し出してくる。
「アークちゃん。体の付き合いからよろしくね」
「? よくわからないけど、わかっ──」
「駄目に決まってるだろ!」
ビビが顔を真っ赤にして割り込んでくる。服も瞳も真っ赤だから、髪の毛以外真っ赤っか。
体の付き合いって握手の事でしょ?? 握手ならいくらでもしてあげる。
「三人でしないの?」
「えーと、僕に出来る事な──」
「駄目! まだアークに変な事を教えるな!!」
「⋯⋯? わかったわ」
「本当にわかってるのか?」
色々噛み合ってないっぽい。後はラズちゃんをどうするかなんだけど⋯⋯うーん⋯⋯
──ウガアアァァァアア!!
「「「!!」」」
強烈な叫び声が聞こえてくる。
あ〜⋯⋯遂に来ちゃったかぁ。ちょっとのんびりし過ぎたかも⋯⋯
「何⋯⋯? 私、今の声は聞いた事がないわ」
まあラズちゃんは聞いた事無くても仕方ない。
「今の雄叫びはヨコチンさんだ」
「ヨコチン? 可哀想な名前ね」
「⋯⋯早過ぎだろう⋯⋯あいつ、もう四十五階層のボスを倒したのか⋯⋯」
僕達が倒すのに一時間かかった相手を⋯⋯やばいね、それを二十分もかからずに倒したんだ。
ヨコチンさんがどんどん人間離れしていく⋯⋯グズグズしてはいられない。
「早く逃げないと! ラズちゃん、次の階層はどっちだかわかる?」
「⋯⋯こっちよ⋯⋯私は近寄れないんだけど、途中まで案内するね」
ラズちゃんが背中から翼を生やした。少し寂しそうな顔をしているみたい。
高速で飛んで行くラズちゃんを追いかけて、右へ左へ上へ下へ⋯⋯
この階層は縦穴まであるみたいだよ。凄く複雑で、血管の中を移動しているみたいな気分になる。
──ぐるおぉおあぁああ!!
爆発音と雄叫びが響いてきた。僕達の場所がバレているんだ。
ビビが少し思案する顔になり、赤いブローチのような物を作る。
「これは?」
「私が少し時間を稼いで来る。ラズの事は⋯⋯アークが決めて良い」
「⋯⋯わかった。気をつけてね」
「ふっ。問題無い」
ビビが僕の胸にブローチを取り付けると、体を反転させて飛んで行く。
「大丈夫なの?」
「うん。ビビは頼りになるんだ。僕の大切な仲間なんだよ」
「人間と魔物が⋯⋯ね⋯⋯」
ラズちゃんはラズちゃんで、何かを考えているみたい。
気持ち悪い赤い柱が立つ大広間を抜けると、少し雰囲気の違う景色に変わった。
人工物のような螺旋階段が続く縦穴が現れて、それが先が見えない程深くずっと下まで続いているみたい。
ラズちゃんは羽を畳むと、矢のような勢いで頭から落ちて行った。
僕はその後を着いて行きながら、風に揺れる尻尾から目が離せない⋯⋯
触ってみたいな。尻尾、すべすべしてるのかな? 柔らかいのか硬いのか気になるなぁ。
「ねえ、アークちゃん」
「ん?」
「ビビいないね」
「今ヨコチンさんを足止めしてるからね」
「そういう事じゃないのよ」
「?」
ビビの魔力が解放されたのを感じた。きっと戦闘が始まったんだ⋯⋯
物凄いプレッシャーと爆発音が聞こえてくる。迷宮全体もビリビリと振動しているみたい。
「ねえアークちゃん」
「なーにラズちゃん?」
ラズちゃんが舌を出して、自分の唇をペロリと舐める。
不敵に微笑みながら、僕の体を引き寄せた。
「食べちゃダメ?」
「ええー! 駄目駄目! 美味しくないよ?」
「絶対美味しいわよ。ん〜⋯⋯欲しいなぁ⋯⋯」
ラズちゃんの胸にムギュっと顔が埋まる。大事な物を包み込むように、そっと背中が撫でられた。
良い匂いがするよ⋯⋯滑らかな肌が温かい。
ピンク色の瞳に見つめられると、やっぱりまた頭の中がふわふわしてくる。でもこの気持ちの正体がわからないよ。ビビと同じで、ラズちゃんにも人とは違う魅力を感じる。
「もう迷宮の中には居たくないよね?」
「そうね⋯⋯でも⋯⋯」
「でも? 大丈夫。僕が連れ出してあげるよ」
「⋯⋯」
気がつけば螺旋階段が無くなり、どこまでも続く縦穴になっていた。
でも、その縦穴も唐突に終わる。
重力がいきなり反転したかと思えば、夕焼け空と星空のグラデーションが綺麗な世界が広がっていた。
地面は見渡す限りの氷の大地で、夕焼けと星の光を反射して綺麗だった。
宙にも氷塊が浮かんでいて、それがぶつかり合って小さく弾ける。
ガラス同士が鳴らすような、涼やかな音色が心地良い。
「凄い⋯⋯ここは本当に綺麗だなぁ」
「もう。私以外に目移りしないでよね⋯⋯私もお気に入りの場所なのよ」
ラズちゃんが少し不満な顔になっちゃった⋯⋯不機嫌って訳じゃないけど、僕は何故かおデコを舐められる。
「私の本能が言ってるのよ。アークちゃんは絶対美味しいってね」
「そ、そうなのかなぁ」
ごめんなさい、食べられたくないですぅ。絶対に痛いもんね⋯⋯それにしても四十六階層は広い。いきなりこんなに広くなるなんておかしいよね?
もしかして、ここが最深部とか? だから四十五階層はワイバーンに守られていたのかな?
「あっちに大きな扉があるの見える?」
ラズちゃんの指す方角を見ると、高さ何百メートルもある黄金色に輝くピラミッドがあった。
そのちょうどてっぺんに、大きな銀色の迷宮の門が見える。
外にあるピラミッドと同じだ。もしかしたら、本当に最後の扉かもしれない。
「私はここまでよ⋯⋯バイバイ。生まれてきて、一番楽しい時間だった。私は今日の日のために生きてきたんだと思う」
「ラズちゃん⋯⋯」
「早く行って⋯⋯忘れないから⋯⋯」
ラズちゃんのその瞳には、零れそうな程に涙が溜まっていた。
ラズちゃん(「・ω・)「




