黒い魔物
目が覚めると、いつの間にか腕の中に入っているビビを抱き締める。
可愛い可愛い毎朝の恒例行事だね。そうするとビビが嬉しそうに笑うんだ。
「おはよう」
「お、おはよう。アーク⋯⋯」
今日も良い日になりそう。ふわ〜⋯⋯
その後は血を吸われ、朝の訓練を開始した。
最近はビビと空中戦の練習をしている。
激しくぶつかり合いながら、急旋回や急落下や急上昇。魔法やスキルを使ってるんだけど、どうせならもっと緊張感のある訓練がしたい。
「ねえビビ。何か一つお願いを聞いてあげるって言ったらどうする?」
「願い⋯⋯か⋯⋯」
ビビと高速で剣を交えながら、そんな話をする。
普段から何かをお願いされればするんだけど、こうすれば少し違うよね。
「僕が勝ったら僕のお願いを聞いてもらおうかなぁ。お願いって言うか命令みたいな?」
「ふふ⋯⋯面白い。受けて立つ」
ビビが怪しく笑う。これならいつもより緊張感を持って訓練出来そうだよね。
下では鳥さん達が、口を半開きで僕達を見つめていた。
僕、鳥さん達が飛んでるところ殆ど見た事無いな⋯⋯もうずっと食っちゃ寝してるよね?
それから約三十分が経過した。ビビの大人気ない攻撃に敗北した僕は、冷たいオレンジジュースを飲み干した。
勿論僕が使うのはSスタンダードレベル1までだけど、それでも結構激しい訓練になるよね。
ビビが血を吸って魔力を回復するように、僕もオレンジジュースを飲むと魔力が回復するようになったんだ。
僕ってすっごく変な体になっちゃったよ。まあ今更だけど⋯⋯
「アーク。膝枕だ」
ホクホク顔のビビに言われて、直ぐにソファーで準備をした。でもされる方じゃなくてする方だったみたい。
これから迷宮だから長い時間は出来ないけどね。朝食の時間までは大丈夫。
ビビが僕の両手を取ってバンザイをさせてくる。僕はしばらくビビがしたいようにさせた。
*
今日はホロホロには遠慮してもらった。流石にもう危ないからね⋯⋯
迷宮の入口の兵士さんにお酒とおつまみを渡した。
「いつもありがとう! 今日も楽しくなりそうだ」
「頑張ってくださいね」
「ああ、する事は殆ど無いんだがな」
いやー⋯⋯本当にここは暇だと思うよ。僕がこの仕事を任されたら、ずっと剣を振ってそうだもん。
迷宮の中へ入ると、随分と慌ただしい声が聞こえて来る。
いつもと町の雰囲気が違う⋯⋯何があったんだろう?
「アーク⋯⋯血の匂いだ」
「え?」
ビビが小さな声でそう呟くと、転位所の方向を見て目を鋭くした。
「行くぞ!」
「うん!」
急いでピラミッドを駆け下りる。血の匂いを嗅げば、ビビなら普通の人よりも多くの情報がわかる筈。
そんなビビが余裕も無く走る姿を見て、僕も胸がザワザワとした。
転位所の前に到着すると、神父様とシスターが神聖魔法を使っている。
「なんだこれは」
「⋯⋯」
そこには十数人の怪我人が横たわっていた。いったい何が⋯⋯
あ、あれは!
「アウグシィスさん!」
「アーク⋯⋯」
アウグシィスさんが苦悶の表情を浮かべ、僕の名前を小さく呟いた。
「“リジェネーション”、“ヒール”」
「すまない⋯⋯」
「これは何があったのですか?」
アウグシィスさんを治療しながら周りを見てみると、最前線に挑む冒険者さん達ばかりが倒れているみたいだ。
そこには“獣の集い”のメンバーや、ルルエラさんも倒れている。
「おい! お前!」
「⋯⋯君は」
後ろから声をかけられて、振り返った直後に胸ぐらを掴まれた。
そしてそのまま転位所の壁に叩き付けられて、僕は襟首を締められる。
「アークを離せ!」
「五月蝿い!」
あまりの事にギョッとする。乱暴にされる僕を見て、ビビがその人に怒鳴った。
この人は初日にマイ滑車自慢をしてきた人だ⋯⋯冒険者見習いで荷物持ちをしている人だったと思う。
なんでかわからないけど、凄く怒っているのだけはわかる。ビビも怒っているけど、僕はそっと手で止めた。
「あんな⋯⋯黒い化け物がいるなんて聞いてない⋯⋯」
「え?」
今度はいきなり涙を流し始める。ちょっと待って! 僕にはなにがなにやら⋯⋯
「あの化け物のせいで皆が⋯⋯クソ! お前のせいだ! お前が全ての情報を話さないから!」
「どういう事?」
黒い化け物? 僕はそんなの知らない⋯⋯三十六階層から四十階層までの魔物の情報は、ちゃんとガジモンさんに報告をしてある。
他の人が危なくないようにちゃんと資料を作ったんだ⋯⋯それじゃ、僕が見落とした魔物がいたって事?
「四十階層で黒い魔物が暴れ回ってんだよ! それに皆一撃で殴り飛ばされちまった! ゼファルさんが俺を庇って⋯⋯」
ゼファルさんとは、“獣の集い”のメンバーかな?
「勝手に⋯⋯殺すな⋯⋯ロイ」
「ぜ、ゼファルさん!」
──ゴツン!
「痛ってー!」
ゼファルと呼ばれた角の生えた獣人さんが、ロイさんにゲンコツを振り下ろす。
僕の胸ぐらが解放されたので、怒っていたビビの所まで移動した。
ゼファルさんは満身創痍といった状態だね⋯⋯防具はボロボロで、服に血がベッタリと染み付いている。
「だってこいつらがいけないんだろ!? ちゃんと四十階層の情報を渡さなかったから!」
「⋯⋯馬鹿を言うな⋯⋯情報は任意だ。強制じゃない⋯⋯」
「でも──」
「“リジェネーション”、“ヒール”」
ゼファルさんが苦しそうだったから、とりあえず回復魔法をかける。
「アーク君⋯⋯君は神聖魔法まで使えるのか!」
「はい。神父様のようにはいきませんが、楽になれましたか?」
「良い腕だ。一気に痛みが引いていくよ。ありがとう」
ゼファルさんに頭を下げられた。柔らかい表情を見て、僕はホッと胸を撫で下ろす。
「僕は、四十階層で黒い魔物を見てません」
「その事だが、多分あれは特殊な何かだ。到底四十階層に出て来るような魔物には見えないな。多分もっともっと深層に出て来るような⋯⋯そんな怪物に会った気分だ。攻略もアーク君が来てから明らかに進んだだろう。もしかしたら迷宮の主が焦っているのかもしれない⋯⋯」
「迷宮の主が焦る?」
「他の迷宮でも、そういった事例が報告されている。そして今回も多分それに当てはまる⋯⋯だとすればあの魔物は⋯⋯」
ゼファルさんが言葉を濁した。その魔物に何か心当たりでもあるのかな?
「アーク!」
「ティーナ! それにガジモンさんも」
ティーナは完全武装をしていた。ガジモンさんまで大きな斧を持っている。
「これから黒い魔物を討伐する。力を貸してくれアーク」
「わかりました」
「⋯⋯アークのせいではない。あの黒い魔物は、迷宮の悪足掻きのようなもんだ」
「⋯⋯はい」
それでも、こんな沢山の人が大怪我をしている。僕は胸の奥が締め付けられるような気がした。
「これから動ける者を集める! 黒い魔物は階層の扉にも近寄れるんだ。転移陣が利用されるかもしれねぇ!」
ガジモンさんのその言葉を聞いて、怪我をした冒険者さん達までが起き上がる。
そんな事になれば、この町まで攻められてしまうからだ。




