閑話 キジャと領主
執務室で茶を飲み休憩していると、ミラが領主の来訪を告げる。
今日来るなんて言ってなかったがな⋯⋯何か事件でも起こったのか?
ま、考えたって仕方ねーか⋯⋯
「応接室に通してくれ」
「はい。わかりました!」
ミラが足早に去っていく。
女盛りだってのに、彼氏の一人でも作りゃいーのによ⋯⋯まあアークと比べちまったら、普通の男は木偶人形に見えちまうか。
だが年の差が⋯⋯う、今何か寒気を感じたぜ。
応接室に移動すると、直ぐに領主も案内されてくる。
「やあこんにちは」
「こんにちは。どうぞお掛け下さい。今日はどうかしました?」
領主がいつもと違って見える。貧乏臭い平民の服から、中クラスの貴族服になっているんだな。
珍しい事もあるもんだ。最近はドラグスも潤ってきてっからな。良い服がやっと買えるようになってきたのだらろう。
「早速本題かい? 君は相変わらずだね」
ニヤニヤしている領主を見ると、窓から放り捨てたくなるな。
「酒を持ってきたんだ」
領主が懐の収納袋を漁り、テーブルの上に並べられた。
ちょっと待て、有名な酒ばかりじゃねーか! どれも手に入りにくい酒だぞ?
「これは爺様の服なんだけどね。まさかポケットに酒が隠れてるとは気が付かなかったさ。中身を見てびっくりしたよ! はっはっはっは」
「今わかった。この領主友達がいねーんだな⋯⋯」
「キジャ君⋯⋯口に出てるよ」
「こりゃ失礼しました」
領主がニコニコしながら酒瓶の封を開けた。ロマン四十五年物⋯⋯芳醇な香りが溢れ出し、思わず喉が鳴ってしまう。
「キジャ君、グラスと氷を頼むよ。それと、何か良いツマミはあるかい」
「ふっ、そういう事なら⋯⋯」
仕方ねーな⋯⋯俺もとっておきを出すとしよう。
グラスと氷を職員に持って来させ、収納袋に手をかける。
取り出したのは黒い箱と白い箱だ。どちらも劣化防止の魔術が施されていて、最良の状態を維持してくれている。
「それは?」
「待ってて下さいね」
白い箱を開けると、茶色いスティック状の物が現れる。嫌味の無い海の香りに、領主の目が釘付けになっていた。
「これはコラーゲンシャークのフカヒレを、じっくり煮込んでから乾燥させた一品です」
「とても良い匂いだ⋯⋯黒い方は?」
待ちきれないといった顔の領主。黒い箱を開けると、真っ赤な肉塊が現れた。
キラキラと輝くプラチナのようなサシに、ルビーを想わせる宝石のような赤。プルプルと柔らかそうに見えるが、しっかりとした噛みごたえがある。
「そ、それは?」
「ふふ。発見難易度SSランクの魔獣、その名も“プレミアムファザートゥム”。牛型の魔獣何ですが、そいつの一番上手い部分ですよ」
「何と美しい肉だ⋯⋯」
「これは生のまま薄くスライスして、粉チーズと黒胡椒で食べるんです。これ以上のツマミは無いと思います」
皿とフォーク、ナイフと黒胡椒を取り出して、肉を薄くスライスする。
領主が生唾を飲み込む音が聞こえたが、これを見たら仕方ないだろう。
なかなか王族でも食えねえもんだからな。
切った肉に、粗挽き黒胡椒をかけてサッと巻く。これに塩気の強い黄金粉チーズをふりかければ、
「食って見て下さい」
「で、ではいただくよ」
小皿に取り分け、一口サイズにした肉を、ゆっくりと口に入れて噛み締める。
黒胡椒の爽やかな刺激と香り、滑らかな舌触りの肉と、常温で溶けだす極上の脂⋯⋯その脂と溶け合うように、粉チーズが旨味を何倍にも引き上げる。
「こんなの食べた事無いよ⋯⋯キジャ君⋯⋯」
「⋯⋯泣く程の事ですかい?」
領主の目頭に、薄ら光るものがある。まあ、感動する美味さだからな⋯⋯
「本当に困るよね。半端な貴族よりも、よっぽど冒険者の方が贅沢しているんだから」
「はっはっは。それは間違い無いでしょうな」
俺がフカヒレに手を伸ばすと、領主もつられて一本拾い上げる。
これはこれでびっくりする美味さなんだ。噛み締める度に、海の香りと繊細な旨味が口の中に溢れ出す。
コンソメスープなんて目じゃねぇ⋯⋯まるで、そうだな⋯⋯砂漠を旅した後でやっと辿り着いた冷たい水。体が欲してやまない命のようなものなんだ。
「これはこれでまた⋯⋯」
いつまでも噛んでいたいと思える。だが、口の中で解けたフカヒレは、溶けるように無くなってしまうんだ。
用意されたグラスと氷に、黄金色の液体が注ぎ込まれる。
「今日はね、報告したい事があってね」
「その服装を見れば何となくわかります」
「はっはっは。キジャ君は本当に察しが良い。今度男爵になる事が決まったんだ。旧友の君には直ぐに教えようと思ってね」
やっぱりなと思いながら、領主とグラスを響かせる。
良い香りだ⋯⋯口の中で空気と混ぜ、そのコクと味を楽しんだ。喉を焼くような強い酒精でありながら、まろやかでとても飲みやすい。
「おめでとうございます。そろそろじゃないかと思ってました」
「これもアーク君のお陰だね。うちの娘は、もうアーク様アーク様って良く口にしているよ。絵本も大好きでね」
「そうですか。アークはSランクになれる逸材です。冒険者ギルドの期待も厚いですね」
暗にアークはこの町を去るだろうと伝えた。領主も貴族だ。その意味は直ぐにわかるだろう。
暫し無言で酒を傾ける。氷の滑り落ちる音が、小さく部屋の中に木霊した。
「娘の幸せには、なかなか難しいよね」
「そうでしょうな⋯⋯ですが、アークの気持ちはわかりません。もう少し大きくなるまで、見守ってやるべきでしょうな」
「ふむ。それもそうか」
まあ、めでたい日だ。こうやってゆっくり飲むのも悪くない。
今日は仕事をする気にはならんな。
ああ、こんな時間がいつまでも続けば良いんだがな⋯⋯
この時の俺は知らなかったんだ。“ハイパーメタルグラディエーター”が窓を割って飛び込んで来て、渡された手紙の内容に驚愕するなんて⋯⋯しかもその直ぐ後に、アルフラでアークが失踪したと報告が届いた。




