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中央新町の廃れた商店街の駐車場は空きだらけで、そこに車を停め、祗園橋のある山口川に沿って歩いていった。四十五本の桁脚で支えられた石造りの橋は、自然の石を切り出したもので、所々に隙間があり、見た目ぶさいくな造りに見えるのだが、石板に足を踏み出せば、石柱は頑丈で、めったな川の氾濫では崩れそうにない力強さが、足元に安心感をもたらしてくれる。実際、今日まで崩壊もせず失われずにあるのだから、橋の造りは確かなものなのだろう。
祗園橋を渡りきり、祇園神社とは反対側の川沿いを歩き、時々後からついてくる久美を見返りながら、彼は、車を降りてから一言もない彼女の大人しい態度が、気がかりでしょうがなかった。
神社の石段を腰かけ代わりに、小学生らしき男の子達が、食べ終えた菓子の容器を神社の溝に投げ捨てていた。それで、もう昼飯時だということが、彼の頭のなかに浮かび、空腹感を覚え、続いて腹が鳴った。
「悲しみの入り――」
誠志は振り返った。
「灰の水曜日って意味なんですよ。隠れキリシタンはね、キリスト教の行事がばれないように、そうやって言葉を変えて自分達だけの信仰を守っていたんですって。さかさ観音とか、潮隠しクルス、仏像の蓮台をはずすと十字架が現れるからくり、うちにあるマリア観音だってそのひとつ――、ちなみにクリスマスはご誕生、イヴはご産待ち――」
「それで、灰の水曜日ってのはどういうことをするんだ?」
「さあ、そこまでは知りません。わたし、そういうのに興味はないですから」
久美は山口川の水流を眺め、「この川の流れが止まってしまうくらいの死者が出たんだって。想像できます、先生」
誠志は答えず、橋の向こうに見える神社でたむろしている男の子達を眺めていた。川の水位は最近の、突発的に降る大雨で上がり、濁流は未だ止むことをしらなかった。
『天草の乱激戦之跡』と刻まれた石碑は、今でもはっきりと文字が読みとれ、風化せずにある。
久美が、なにか呟き、橋の下へ祈る、その姿勢の良い姿には、普段の彼女から漂う邪気の欠片も見られなかった。
誠志が、日曜日はいつもこんなふうに家族で過ごしているのか、友達と遊びに行ったりはしないのか、と訊いた。久美は、そんなに親しい友達はいない、と言い放った。
「佐藤がいるだろう? 稲生はいつも佐藤と一緒にいるじゃないか」
久美が、ああ、あれ。尚子ちゃんは都合がいいから傍に置いているだけ。友達というんじゃないです。わたしに告白しようとする男子どもを寸前で食い止めてくれる壁の役割なだけ。尚子ちゃんだって、わたしのこと利用して、男友達を増やしていってんだから、お互い様。
誠志は、久美の今までとは違ったふてくされた物言いに、不覚にも久美を自分と同じ立場にまで引き上げていた、自分の浅はかさに今気がついた。そして引き上げたのではなく、自らが久美のところまで降りていったというのが正しい見方だとも思い直した。
そうして見ると、久美の今までの生活態度は極端に素行の良すぎるよう思われてきた。子供が大人の顔をしている時は、まず背後にある原因を疑わなければならないことを学生時代に学んだはずなのに、いざ実際の現場に入ってしまうと、教育以外の忙しさに、児童心理学などに書かれてあった、金言のような文句も簡単に、思考の隅に追いやられてしまっていた。
「友達をそんなふうに言うなよ」
だから、友達じゃないんだって、と久美は苦笑し、彼の青臭い感情を嘲笑した。
「先生、気がついてますか? わたしがこんなふうに言葉を汚くして話すのは、先生とふたりきりの時だけだってこと?」
「お父さん達に厳しくしつけられているから息抜きしたいんだろう?」
先生はやっぱり日の浅い人ね。そういって久美が、先生は半分わたしのことを好きになっているから、目が曇っているんだわ。それはわたしにとっては喜ばしいことだけど、先生には屈辱でしょうね。
久美が、小さく、それでも昼時の車や人の築く雑音に負けないくらい透る声で、低くせせら笑うのが、また彼の心を撹乱させた。
この間と違い、好き、という言葉を彼女が選んだことが気にかかり、そのことばかりがいつまでも彼の思考にこびりついていた。