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天主堂は日曜礼拝の人々で賑わい、そのなかにまぎれ、彼は初めて教会内で祈りを捧げた。マリアやイエス、神といったものではなく、ただ何かに救いを求めたい心境から、無心で祈った。自分の人生が万事巧く運ぶようにと。

 見知らぬ信者達にまぎれ、彼は聖堂内の、正面扉口に近い後ろの席から、主祭壇に立つ神父の頭上に飾られてある、ガルニエ神父の姪が描いたという『受胎告知』の絵を遠目に見ていた。右の、両手を胸に当てている女性がマリアで、左の、羽を生やし、人差し指を顔の前に置き、腰を屈めマリアに話しかけているのが天使ガブリエルであることは、前もって調べておいたから、彼はその絵が何を表しているのかを知っていた。そして絵が飾られている天主堂を建てた人物の名も調べ上げていた。

 長崎県出身の、当時教会堂建築の第一人者であった鉄川与助(てつかわよすけ)の手がけた天主堂は、それまでのロマネスク建築よりも光を多く取り入れた明るめの内装で、側面の半円アーチの窓には、三色の色ガラスがそれぞれはめてあり、その上部にある丸窓も同色で揃えられ、天井は明るめのパステルカラーでまとめられ、陽ざしがほどよく室内に射し込む窓際で聖書も持たず、朗読もせずに、聖堂内を物珍しそうに観察するだけの誠志を、隣の、彼よりも背の高い外国人の男が、訝しげに何度も横目で見ていることにようやく気がつくと、彼は急に居たたまれなくなり、ミサが終わるよりも早く、扉を静かに開き、そっと聖堂を出た。

 一息つき、白亜の天主堂のてっぺんにある十字架を見上げていると、久美の不可解な言葉が思い出されてくるばかりで、それを振り払うよう視線を降ろし周りを見回せば、教会から出てくる信者達のなかに、田舎では珍しい外国人の姿も、ここでは特別な人種ではないことに思いがけず気づかされた。この土地に、いままでこんなに大勢の外国人が住んでいることを、今もって彼は知った。

 ロザリオ館の展示品をじっくり見学するつもりでいたから、誠志は開館に合わせ、本渡から一時間半もあれば着くだろうと予測をたて、ドライブコースとしても最適な田舎道は混雑もなく、時折スピードメーターが100を指すこともあるほど快適な道程だった。

 大江天主堂からサンセットラインを進むと、海中公園付近に西平(にしびら)椿公園がある。山はもうそろそろ椿の季節になろうとしていた。天主堂からロザリオ館に下る歩道の、高い樹木の隙間からでも垣間見えるくらい、広範囲にわたり椿林が群生していた。

 田舎道の、足場の悪い歩道を慎重に歩いていた彼に、同じく礼拝に訪れていた久美の父親が、後から声をかけてきた。

「先生もついにキリスト教に入信なさったのですね。教会内でお見かけしましたよ」

「いえ、わたしはまだその手続きというものをしていませんで」

「まあ」

 母親が口に手を当て、おおげさに驚いた。

「日曜礼拝のときは、一般の見学は禁止されているのをご存知なかったのですか?」

「どうやって礼拝堂に入り込んだんです?」

 久美が含み笑いして訊いた。それには答えず、誠志は、母親の問いかけだけに答えるのだといわんばかりに久美から目線をそらし、母親の整った綺麗な顔立ちの、彼女と同様に、一番印象的な奥二重の黒目から視線を外さずに、

「わたしはただ正面の扉から入って来ただけで、それにわたしを止める係りの人もいませんでしたので、てっきり自由に見学ができるものだとばかり思っていました」

 久美が強引に彼の視界に飛び込み、

「でも、これで先生もキリスト教徒の仲間入りを果たしましたね。だって礼拝までしたのだから、もう入信するしかないですよ」

 久美の両親も執拗にそう誘ってくる。誠志は考えておくとだけで、後は言葉を濁し、それよりも、自分は天主堂について語り合いたいのだと、天主堂を訪れた感動を早く誰かに話したくって、むりに話をその方向に持っていこうと、勝手に感想を述べはじめた。

「教会内もそうですが、建物自体もまだ綺麗ですね。明るめの、灰色の屋根に、真っ白なコンクリート造りの外壁。あれを白亜というんですね。一応予習はしてきたのですが、実際見ると、写真とは違った、なんていうんでしょうか、線の自由な造りの建物に、特別な感慨を持ってしまいました」

 彼が、上等な言葉も浮かばずに、国語教師として恥ずかしく、はかんでいるのを受け、両親も微笑み、予習という言葉がいかにも教師らしいと、お互いを見合い、そこに和やかな場をつくる相槌をうってみせた。三人の笑い声が共鳴するのを遮るように、久美が、

「そうだ、お父さん。ルルドの聖母像も見せてあげたら?」

 誠志は思い出したように、「ああ、フランスに本元があるっていう……」

「先生。本物もなにも、ここにあるのもルルドですよ」

 形に囚われるのはいけません。父親が、確かにあれは模したものではあるが、その御霊は本物と幾分相違ないことを誠志に説いた。

 岩場の高い位置にある洞窟に、影を落とす緑葉の茂りに、藤の花が点々と咲いていた。マリア像の足元には苔が生え、そこからわずかに湧き出ているのがルルドの泉と呼ばれるもので、両手を胸のところで重ね合せ、正面を見据えるマリア像の下方には、ひざまずき祈りを捧げる少女、ベルナデット・スビルーの像があった。離れた位置からマリア像を仰ぎ見る少女の像は、正面ではなく、斜め下に置かれているのにも、なにか特別なわけでもあるのだろうかと、彼は憶測を巡らせた。

 一礼し、父親にルルドの、奇跡の泉の伝説を話してもらいながら、誠志達は狭い遊歩道を、ロザリオ館を目指し、二列に並んで歩いていった。先頭でしゃべる彼と父親の後を女ふたりが着いてくる。それでも時々久美だけは、男同士の会話に割り入ってきた。それをうっとうしくおもいながらも、彼は、彼女と視線が重ならないよう努めた。

 ロザリオ館の入り口には貼り紙がしてあり、内容は殉教祭の告知で、そこには白いヴェールを被った幼い子らが、両手で大切そうに、ギザギザの、厚手の色紙に包まれたキャンドルの炎が、風に消えないよう、大切そうに前傾姿勢で歩いている写真が載っていた。

 十月の第四日曜日に、夕方四時からまず、千人塚にて仏式法典が執り行われ、その後同じ場所でカトリックミサが行われ、それも済むと、ようやくメインのキャンドル行列が始められる。天草・島原の乱で犠牲になった人たちの霊を、神式・仏式・カトリックの宗派を超え慰霊し、同時に平和への祈りを捧げる名目で行われる、殉教祭の行列が、千人塚から祗園(ぎおん)橋に辿り着いたところで、幼い子達が、花びらを橋から川へ振りまき、そのまま到着地の本渡カトリック教会へ進み、ミサ終了後、花まきの少女たちが、マリア像に花びらの雨をふらせると、殉教祭は終わりを迎えることになる。今年はミサの後にゴスペルのライブも行われる、と書かれてあった。

 キリスト教の教えにある戒めに、現在の自分に降りかかる問題を解決してくれそうな文句があった。聖書を読むのは初めてだった。昨晩で三分の一ほど読み進んでいた。キリスト教に信心すれば、自分の中の誓いとは違う、もっと強力な誓約を、自分と久美の間に築けそうな気がした。

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