表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/15

14

 引継ぎに追われ、切支丹館が取り壊されるのに立ち会えず、夕方誠志が来た時はすでに館は崩れ、その後日、砂利も、石畳も掘り返され、今では小型のショベルカーだけが、でこぼこの地面に、斜めに立っているだけとなっていた。

取り壊された切支丹館は、もともと本渡城本丸跡を取り壊して切支丹館が建てられた場所だった。四十年ほど前にも同じような反発が住民から起こった歴史をまた繰り返すような、今回の切支丹館取り壊しは、遺跡を二重に蹂躙することになる、と反対派は最後まで抵抗し続けたが、活動空しい結果となったいまでは人気もなく、展示品は歴史民族資料館内へ移され、そこはもう展望台の役目を果たすのみとなっていた。

 椿の開花を楽しみにしていた誠志は、来年の開催時に、天主堂やこの土地を来訪しないことを決めていた。去っていく土地の将来を悩むのはよそうとも一応の、彼なりの結論をだしてもいた。

 市民に報告もなく水面下で取り決められた改築事業は、もはや市の財政難を少しでも解消したいだけの思惑がありありと見て取れた。千八億円もの借金には、二十三億円の交付金では焼け石に水も同然に思われるが、アスファルトを無駄に掘り返し、人通りの少ない場所に道を築くことに比べれば、それなりに有用な方法だとも考えられ、それでも文化をないがしろにした政策など、土地に思い入れのない者のやり方だという考えも捨てきれない。そこに住む人々が市のためにあるような市政は、本来の目的を忘れ、手段が逸脱した行為でしかない。一部の人間の思惑のために文化や歴史、現在に生きる人達を犠牲にすることがあってはならない。

 そういって、佐々木教授は今後も補助金交付決定の取り消しを国へ要望し、市へ補助金返還を求める活動を続けていくことを彼に告げた。彼はそれを他人事にしか聴くことができないでいた。

 でも、この土地を去る彼を最後まで信じてくれた佐々木教授には、いくら感謝しても足りないほどだった。教授を裏切る結果となったことを、その時彼は心底詫びた。教授は、残念だと言いながらも、彼を引きとめようとはしなかった。彼も教授のそっけない態度がありがたかった。

 この土地に居残ることが、誠志にとってどれだけの苦痛をもたらすことになるのかを、教授は知っていた。田舎の狭い土地では、彼はいつまでも蔑み者でしかいられない。一度身についてしまった悪名を払拭するのがいかに困難なことか、彼も教授もよくわきまえていた。

 この間の大規模なデモがうそのように、丘の上は静かだった。展示品は別の場所に移され、寂しかった。寒さに身震いが時々起こる。

 新しく建てられた切支丹館はどのような造りになるのだろうか、それを考えると、寂しさは悲しみもまとい、さらに肌寒い心地にさせる。

 先程から坂を上ってくる人影に気づいてはいたが、彼はそれが誰であるかを分かりすぎているだけに、意識的にその存在を認めようとはしなかった。私服の久美が手ぶらで歩いている。もうすぐ殉教公園に到達するところだった。軽快な歩き方から、心持ち嬉しそうに微笑んでいるようにも見えた。

 教職から退かせたのだから、彼女にしてみれば喜ばしい限りだろう、と彼は久美の笑顔に辱めを受けているような敗北感を感じていた。

 長い上り坂を苦もなく、むしろ急な坂を楽しむような軽い足どりで、まだこちらへは視線を送らず、それでも向かう先は彼のところだと、互いに承知しているかのように、誠志もそこを動かず身構えていた。

 殉教公園跡地の石段から、少しずつ久美の全身が姿を見せつつあった。最後の段に足をかけ、同学年の女子と比べ背の高い、彼女の華奢な全身が、誠志にお披露目でもするように、しばらくその場に立ったまま、久美は近づこうとはしなかった。

 肩にかかる程度だった髪が、襟足が風に舞うくらいには伸びていた。幼顔だったのが、眉から目元にかけ若干大人びてきたようにも見える。細い体が着実に丸みをおびた肉付きから、女らしさが漂ってくるようだった。

 久美がうなじの辺りに両手をまわし、首にかけていたロザリオの紐を解き、誠志に手渡した。まだ久美の体温が感じられるそれを掌で確かめながら、久美の言葉を聴いていた。

「それを爪繰ってロザリオを唱えてください、ポケットにでも入れて、肌身はなさずに」

 久美は、ロザリオを首にかけるのは本来のやり方ではないと彼に教えた。紐の部分が数珠状になっていて、銀色は錆で濁り、そうとうな年季の入った品だということが推測できた。

「家から持ち出してきたのか? 大切なものじゃないのか?」

 久美が穏やかな笑みで、いいえと首をふる。

「教頭先生が持っていたのを頂いただけ」

「それを何でおれに渡すんだ」

「聖職者になりたいんでしょ? だから」

 手のなかのロザリオを、久美の腕をつかみ、強引に彼女の掌に握らせた。

「こんなもんいらん。お前のやることはいちいち意味が分からん――」

 久美はうつろな眼差しで、なくなってしまった公園の噴水があった場所に立ち、ここにマリア像があったんだ……、と呟き、地面に向け声に出さず祈りを捧げた。顔をあげ久美が彼に、これは教会にあったものを、わたしの指示で教頭に盗ませたものだ、と言ってのけた。あの青い目の外人は今頃きっと困っているでしょうね、とつけ加えた。

彼は怒る気にもなれず、いまだに理解できない彼女の行動を探ろうという気持ちも失せていたので、そうか、とだけ返した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ