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六時前にはキャンドル行列の最後尾が切支丹館を後にしていた。人だかりも列を追うように丘を下りていってしまい、狭苦しく感じられた切支丹館前の庭も、本来の人気の少ない空間を取り戻していた。
館内から出て来た佐々木教授と出くわし、「沢口君のような熱心な若者にこれからの地方を支えてほしい」とまた頭を下げられると、さすがに今度は無言ではいけないと彼が、「ですが、わたしは余所者ですよ」
「あんたが、しょっちゅう切支丹館に来とることは、ここの係りの連中がよう見とる。最近は日曜礼拝にもいきよるって聞いとるけんね。若かもんでここまでしとるのは、ほかにおらん。あんたがその気ならわたしんとこで働いてもろうてもよか」
さすが田舎は情報がよく通る。田舎のアナログなネットワークも捨てたものじゃない、と誠志は、まだ近隣の付き合いの濃く残るこの土地にも、再生の可能性がないわけではないという希望も捨て切れないでいた。
佐々木教授の背後に井上先生が立ち、白髪をニット帽で隠し、館内と公園の温度差に曇ったレンズの表面をそのまま、金ぶちの眼鏡の奥から、誠志だと分からないのか、瞼を細めて見極めようとしていた。彼の挨拶する声で気がついた様子で、お礼の言葉にどう答えようか考えていた誠志に、あなたはどうして佐々木さんを手助けしようとしないのか、と突き放す一声が投げつけられた。
国語の授業を自分に押しつけておいて、と腹が立つのを、教授の前だから、老齢の女教師が放つ一言、また一言に彼はじっと怒りをこらえ、一念に憑かれた人特有の、決して他の意見を受けつけない強固な精神に、信者、という言葉が悪い印象に塗り替えられていくのを、脳内で感じていた。
辛らつな井上先生の罵りを見かねた教授が、「せんせい。そがんいっぺんに言わんでもよかでしょが。沢口君も彼なりの考えがあるとだけん」
教授の穏やかで、しっかりとした発音で、しわくちゃな唇をさらにすぼませ、井上先生はまだ納得がいかない様子だったが、教授には弱いらしく、それからは、丘を下りながら談笑する教授と誠志を、後から恨めしそうに、ついて来るだけになった。
中央銀天街のアーケードをくぐる前に二人と別れ、急いでキャンドル行列の最後尾を追いかけたが、もう行列は祗園橋を渡りきった後で、これからカトリック教会に向かうところだった。
祗園橋の下には、遠ざかっていく燈籠の火がぼんやりと確かめられる程度に揺れていた。燈籠和紙の側面にはそれぞれの願いごとがしたためられてあるそうだが、そこからでは読みとれはしなかった。ぼんぼりの形をしたものがひとつ流れに負け沈みかけていて、激しくゆらめき、和紙の内側から蝋燭の火がつき、いっそう勢いを増し燃え出していた。
「なんや、今頃来たんか。どこ行っとたん。こん人込みじゃ面倒だけん、探すの止めて先行っとったぞ」
松田が興奮した様子で近づき、声も一段上がって高調しているのが、息づかいの荒さで判断できた。
橋に散らばっている花びらやこまかなゴミなどを、先程の、作業着の男二人が掃除し始めていた。松田はまた彼の視界から消え、行列の向かう先には、教授達が待ち構えていることを考えると、アーケードを引き返し、また井上先生の眼鏡越しの自説を延々と聴かされるくらいなら、彼はここに留まり、寒さに耐えながら、祭りの後片づけでも見ていたほうがましな気がしてきた。
橋を掃除している男二人がやけに活気づいているのが、殉教祭が終わってしまう寂しさとはあまりにも正反対なので、誰もが皆同じ意見ではないのがむしろ正常なような気がしてくる。好意的に殉教祭を町興しの要にするため働く者もいれば、この男達のように内心不信感を持ちつつ、狭い人間関係に妥協し、仕方なく参加する者があるのは、簡単に分かり合えない、両極に立つ者同士が、互いを尊重できない、人間の結末を見たようで、誠志は益々この土地で生きることの困難さが肌にしみるようだった。
山口川に沿った道路を二人連れの男女が、誠志の立っている反対側を、こちらに向かって歩いてくるのが、暗がりのなか視界に入ってきた。
久美が、同じクラスの男子を連れて歩いて来た。誠志の方には目をやらず、後を歩く新田に話しかけるでもなく、久美がたった一人で夜の通りを徘徊しているような雰囲気を受けた。
またか、と誠志は眉をしかめた。神経が小刻みに刺激されるのを確かめながら、彼も歩く前方だけを見て、久美とは逆の方向へ歩き出した。空き缶を蹴っ飛ばしたようなけたたましい音に、思わず振り返りそうになったが、寸前で、久美の底意が脳裏をかすめ、どうにかそれを押しとどめることができた。
誠志は、久美の悔しがる顔が目に浮かび、同時になぜ、久美が悔しがることに、勝ち誇った自分がいるのかということが、思考にはさまり取れなくなった。
冷静に、客観的に考えれば、高校生の女子に、同じクラスの男子が好意を寄せ、交際を始めたというのが自然な考え方で、どうして久美が、同じクラスの新田を好きではなく、自分の気を惹くための手段に利用しているなどと決めつけてしまったのかということに、彼自身不逞な感情を無意識のうちに抱いていたことが実感され、急に自分自身を殴りつけてやりたい衝動に駆られた。
歩くうちにうろおぼえの聖歌を小さく呟いている自分をみつけ、誠志はより一層力強く声を張り上げ、むきになり聖歌の文句をできるだけ思い出そうと意識した。