第二話 恋と夢の始まり。斎藤涼花編②
『今から入部テストを行うのじゃが、水野大雅君、マウスピースは持って来ておるか?』
「はい! 念の為、買ってきました」
放課後。17時くらい。
世界高等学校ボクシング部へ。
正式に入部を決めた俺は、涼花さんとの練習を終えた後。
部室中央に設置されたリングのそばで。
入部テストであるスパーリングを行う準備をしていた。
《マウスピース》と呼ばれる。
口に入れるグミの化け物みたいな装具をはめると。
続いて《ヘッドギア》という。
目と鼻以外をすっぽりと覆ってくれるヘルメットの様な防具を、これは部室の物を借り、頭に装着。
準備完了だ♪
壁にあった大きな姿鏡を見ると。
青いヘッドギアに、青いグローブをはめる自分と目があった。
するとこれから行われるスパーリングへのワクワク感で、俺の鼓動はドキドキと高鳴り、同時にちょうどいい緊張感も与えてくれる。
『じゃあ鬼塚! 水野君の相手をしてやれ』
『うっす!』
そして俺の体重や身長を確認した顧問は、周囲に集まっていた部員達の中から、俺と似たような体格の選手を呼び、紹介してくれる。
『この子は鬼塚君と言ってな、3年生で学年は君の一つ上じゃが、君と同じバンタム級の選手じゃ。春の選抜や全国大会で、何度も優勝経験がある、うちのホープじゃの』
顧問に呼ばれたのは、精悍な顔つき。
恵まれた体格が印象的な、鋭い眼光を浮かべる青年。
『入部テストのスパーリングじゃが、高校ボクシングのルールに則り、1ラウンド2分のスパーリングを、計3ラウンド行い。その内容で合否を判断する』
ボクシングは、1ラウンド終えるごとに1分間の休憩。
《インターバル》を挟みながら行う。
今回はアマチュア、しかも高校ボクシングのルールなので。
2分間の《ラウンド》を3回。
つまり、合計で6分間戦い抜く間に、目覚ましい結果を残せば、俺も晴れてこの超強豪と呼ばれるボクシング部に入部できる……かもね。
『じゃが鬼塚よ、相手は素人じゃ。大きなケガだけはさせんようにの』
『う、うっす!』
『『『顧問は寝てたから知らないんだよ、あの新入部員の恐ろしさを、鬼塚の方がケガさせられないか心配だぜ』』』
そしてそんな顧問の注意を最後に。
俺とその鬼塚さんの二人は、リングへと上がり。
いよいよ行われるスパーリングに。
ステップを踏みながら息を整えるのだが。
最早練習の手を止めて、俺達のスパーリングを見物する他の部員達に、どうしたものかと困惑する。
いくら元世界チャンピオンとはいえ。
全国大会を何度も制覇する対戦者に、そう簡単に勝てるはずもなく。
おまけに相手は、一つ年上の先輩だ。
だけど、ここで負けたら全てが終わる。
チラッとリング下に目をやると。
先程まで俺の練習を見てくれていた、涼花さんと目が合う為。
俺は覚悟を決めて、相手選手と対峙する。
テストとか、細かい事はどうでも良い。
絶対に、勝つ――!!
☆☆☆
《カーンッ!》
「よろしくお願いします!」
俺が迷いを消し去り、目の前で赤いグローブを構える相手に集中していると、リングの下で顧問がゴングを打ち鳴らし、運命の入部テストが始まる。
ゴングが鳴った瞬間。
リング中央で、グローブを合わせながら先輩に挨拶すると。
相手は無言でうなずき、左手を前、右手をアゴに添えた。
俺と同じ、オーソドックススタイルで構える。
なので俺も、同じ様に構えて距離を取った。
『シュッシュ! シッ!』
するとスパーリングが始まった途端。
烈火の如く打ち込んでくる相手選手の攻撃に、俺は左右に頭を振り、腕を使い、足を使って次々に攻撃を防いでいく。
だが、全国大会を制覇した実績は伊達ではなく。
相手の攻撃を防いでいるばかりでいると。
すぐにリングの角へ追い詰められてしまった。
『シュッシュシュッ!』
『ほれ、逃げていてばかりではやられてしまうぞ』
「……大丈夫ですよ、顧問」
『何が大丈夫なのじゃ、涼花君』
「……あんな打たれてるのに、まだ一発ももらってない」
そう、涼花さんの言う通りだった。
リングの角に追い詰められ、怒涛のラッシュを受けながらも。
的確に相手のパンチを避け。
更にステップを踏んで、相手のラッシュから抜け出し。
相手との距離を取る俺には、確認したい事があった。
それは、徹底したディフェンス技術だ。
ボクシングは外から見れば、ただ殴り合ってるようにしか見えないだろうが、そこには遥か昔から受け継がれる。
高度な技術や、知恵が詰め込まれている。
『シュッシュ!』
素早いジャブで顔を狙われれば、頭を左右に沈め。
時に相手のパンチを手で払いながら撃ち落とす。
これを《ダッキング》や《パーリング》と呼ぶ。
『フッ! せいっ!』
フックで頭を狙われれば、足を使って相手の攻撃をくぐり、ボディーを狙われれば、肘で完璧に受け止める。
これを《ウィービング》や《ブロッキング》と呼ぶんだ。
どれもこれも、素人目に見れば。
何をしているか分からない程細かく、素早い動作。
だけどリングの上ではそんな一瞬の出来事も。
大きなチャンスに変わる。
『『『鬼塚! 打つな!』』』
『え……?』
防御の確認を終え、相手のパンチや距離も見極めた俺は。
相手が放ってきた、少し大振りの右フックを。
頭一個分ほど後ろに避けながら。
相手のこめかみへ向け。
曲線を描く、素早い左フックを打ち返した。
すると、スパーリングを開始して30秒。
相手選手は、リングに膝をついて倒れこむ。
『『『おいおい、全国レベルの鬼塚を、こんな簡単に……、おい鬼塚! 大丈夫か!』』』
『……ああ、ダイジョブ。大丈夫だ』
倒れこんだ相手選手を見て、静まり返っていた部室がざわざわと騒がしくなると、相手選手は大丈夫と言って立ち上がろうとするが、あまりにタイミングが良かったのだろう。
リングのロープを持って、フラフラとその場を立ち上がる相手選手に、俺も慌てて手を差し伸べる。
『こりゃあ、凄い逸材が来たもんじゃのお、もう入部テストは終わりじゃ、水野大雅君、きみは合か……』
「……待ってください」
目の焦点が定まらない相手選手に。
これ以上は危険と判断したのだろう。
顧問がスパーリングを止め。
俺へのテスト結果を言い渡そうとしたその時。
今まで静かに俺を見守ってくれていた涼花さんが。
力強い眼差しを浮かべながら声をあげるので。
皆の視線が彼女に注がれる。
「……入部テストは、3ラウンド行われるはずです。それなら少なくとも、あと2ラウンドはある」
『じゃが涼花君、あと2ラウンドも鬼塚に相手をさせれば、死んでしまうぞ』
「……だから、私が相手をします」
「えっ!?」
涼花さんの提案に、その場にいた誰もが驚いたが。
一番驚いたのは俺だった。
リングの下から、真剣な表情で見つめてくる黒髪の彼女に。
俺は視線を外す事も出来ず、ただジッと見つめ返す。
『そうじゃの、じゃあ物は試しじゃ、行ってこい。涼花よ』
すると彼女の強い思いを感じたのか、顧問が頷くと。
あれよあれよという間に、鬼塚選手はリングを降ろされ。
代わりに俺の前には、男の俺と比べてもさして体格差を感じない、ヘッドギアをして、赤いグローブをはめる涼花さんの姿が。
「ご、ごめん俺、女の人とスパーリングするの初めてでさ、失礼かもしれないけど、階級は?」
「……私の階級は、君の一つ下のフライ級、身長163㎝。体重は減量前だから内緒。でも結構、ちゃんとした体してるかも」
目の前でトントンとステップを踏む彼女を前に。
俺が戸惑いながら声をかけると。
涼花さんは綺麗な黒髪ショートカットを揺らしながらも。
鋭く、力強い眼光を浮かべながら俺に口を開く。
だけど俺は今。減量もしてないから、60㎏以上あるんだぞ。
アマチュアの女子フライ級は、48㎏程で出場する。
だから減量前と言えど、5㎏は体重差があるだろうし。
いくら涼花さんが天才と言われる程強いからって。
危なくないか?
それに俺、女の子を殴るなんて……。
「……私は普段から男の人相手に練習してるから、遠慮しなくて良い。それより心配するべきは、私よりもあなた」
「え?」
「……女だと思って舐めてたら、死んじゃうよ?」
「っつ!? ああ。分かったよ」
だが、彼女は生粋のボクサーだった。
俺が、彼女を相手に戸惑っているのが分かったのだろう。
無邪気で可愛らしい顔つきのまま。
ギラギラとした肉食獣の様な目を浮かべる彼女に。
俺は女の子を相手にするなんてと抱いていた。
失礼な不安を心から消し去り。
目の前で黒髪を揺らす涼花さんと、真剣に戦う事に。
『それじゃあ、準備は良いかの?』
「「はい!」」
顧問から確認される様に声をかけられると。
俺と涼花さんの二人は、ヘッドギアから覗く、鋭く研ぎ澄まされる目でお互いを見ながら。
覚悟を決めて、返事をかえす。
《カーン!》
そしてゴングが鳴ると、俺達はリング中央でグローブを合わせながら挨拶をし、距離を取る。
彼女は左利きなのか、右腕を前、左手をアゴにつけた。
《サウスポースタイル》だった。
「「シッ!」」
お互い大きく踏み込みながら、素早いジャブを打ち合うと。
互いに距離が似ているのか、鼻の頭にクリーンヒットし。
物凄い衝撃に血がたぎる。
それは涼花さんも同じなのか。
それを合図に、俺達は物凄い勢いで打ち合う。
「「シッ! ハッ!」」
《バンバンバンッ! バァァァンッ!!》
加速度的に速くなっていく、パンチの応酬。
だがその攻撃全てを、俺達二人は正確に受け。
時に撃ち落とし、的確にさばいていく。
途中、絶対に当たると思ったタイミングの攻撃にも、的確に反応し、フライ級という軽量級でありながら、まるでヘビー級ボクサーの如きパンチを打ち返してくる彼女に。
天才と呼ばれる、彼女の強さを感じた。
《ボクサー》言ってみれば世界で戦う様なチャンピオンには。
皆、他の人とは違う特殊な能力がある。
驚異的な動体視力、反射神経。
無尽蔵のスタミナ。
相手にパンチをクリーンヒットさせる、当て勘。
彼女にはそれら全て備わっていたが、俺が一番目を見張ったのは、そんな驚異的な体を使いこなす。
圧倒的な《基礎技術》だ。
涼花さんは、どんな体制からパンチを打っても体が全くぶれず。
俺が放ったパンチを、一つ一つ確実に防御する光景を目の当たりにすると、まるで世界チャンピオンと試合を行っているようだった。
強いボクサーを評価する時。
多くの方は目が良いとか。
パンチが強いという評価をする事が多々ある。
だがそれは、半分当たりだが、半分間違いだ。
どんなに反射神経が優れていても。
どんなに強いパンチを打つ事が出来ても。
それを使いこなす基礎や技術がなければ。
全く、意味がないのだ。
「「シッ!!」」
だが目の前の彼女は、17歳という若さでありながら。
それら全てを実現していた。
そしてそんな彼女に応える様に。
俺もパンチを打たれれば的確に防御し。
また打ち返す。
「……ふふふ♪」
するとお互い、バッチバチ顔や腹を殴り合い。
額に汗をにじませながらも、心底楽し気に笑みをこぼす。
外から見れば、殴り合いながら笑う俺達の事を。
ヤベー奴だと思う奴もいるかもしれない。
だが、久しく見ない強い相手と出会えた事が。
心から嬉しかったのだ。
ここまでの相手に、早々出会えるもんじゃない。
だって、考えても見てくれ。
生まれ変わったとはいえ、アメリカで世界三階級制覇を成し遂げた、世界チャンピオンだった俺のパンチを食らって。
全く倒れないどころか、ひるみもしない。
どんだけ強いんだよ、この涼花って子は。
こういう子をきっと。
人は、天才と呼ぶのだろう――。
☆☆☆
《カンカンカーン!》
『そこまでじゃ! 二人共、リングを降りてきなさい』
「「はあ、はあ、はい!」」
そして涼花さんがリングに上がって来てから、2ラウンドのスパーリングを終えると、ゴングと共に顧問に呼ばれるので、俺達は笑顔で挨拶しながら、リングを降りる。
『水野大雅よ、君はあれか? どこか、ボクシングジムへ所属しているのか?』
「昔は所属していましたが、今はわけあって、所属出来てません……」
リングのそばで俺達を見ていた顧問の前へ。
涼花さんと二人でヘッドギアを外しながら並ぶと。
カッと目を見開きながら顧問に聞かれるので。
俺は素直に本当の事を話す。
『そうなのか。この涼花と互角に渡り合う選手を目にしたのは、初めての事で驚いたぞ。きっと名のある選手かと思ったが、まあ良い』
『ではそんな水野君に、一つお願いがあるのじゃ』
するとおじいさん顧問は、白いひげが蓄えられた口元を優しくほころばせ、嬉しそうに頷いたかと思うと。
俺の左隣に立っていた涼花の肩を持ち。こう呟く。
『この涼花君は、あまりに強すぎて練習相手に困っておるんじゃ。だからこれからは二人、共に同じ部活仲間として、高め合いなさい』
「え、という事は……」
『入部テスト、合格おめでとう。これからよろしくのう』
そんな嬉しく、楽し気な未来を。
「やったーっ! 涼花さ……」
『『『お前凄いじゃねえか! どうやってあんな強くなったんだよ! 俺達にも教えてくれ!』』』
だが、俺が顧問からの合格通知に、隣にいた涼花さんと共に喜び合おうとしていると、今の今まで静まり返っていた、むさ苦しい男共がやって来て、ワーワーと騒がれる。
「……ふふ、あっはっは♪」
だけど、そんな男にはモテる俺の事を、隣にいた涼花さんは心底楽し気に笑ってくれるので、これはこれで良かったのかもしれない。
☆☆☆
「あの、その、これからよろしく。涼花さん」
「……うん。こちらこそよろしくね。水野君」
男共に囲まれて暫く。
やっとこさ騒ぎが収まると。
俺は未だリングの近くで待ってくれていた。
涼花さんの元へ向った。
そしてまた勇気を振り絞り。
彼女によろしくと頭を下げる。
すると可愛らしい笑みを浮かべた涼花さんは。優しくうなずいて。
俺の前に、そっと拳を突き出して来る。
なので俺は、彼女の拳に自らの拳をチョコンと合わせ。
自然な笑みをこぼした。
互いに笑顔で視線を交わした瞬間。
今までにない充実感を感じて、彼女に少しは認められた気がした。
「……じゃあ、一緒に練習する?」
「おう!」
なのでその後は、顧問に言われた通り。
二人で競い合うように練習したのであった――。
さあ、これで俺も。
晴れてボクシング部に所属出来たわけだし。
涼花さんと仲良くなれる様に。
頑張ろう!
恋に部活に♪ 大忙しだ♪
気になる涼花さんに、少しは認められた主人公♪
二人はどうやって仲を深めて行くのか~♪ 続く♪
あと、いつも見てくれて、どうもセンキュー♡