6そして朝が来た
朝、目が覚めてぼんやりと顔を洗いに洗面所へと向かう。
けれどそこには先客がいた。
私よりだいぶ背の高い、白金の髪の男……あれ、うちにこんな人いたっけ?
寝ぼけた頭で考えて、振り返った男の顔をみて私はハッとした。
綺麗な宝石のような緑色の瞳と視線が合う。
男はにこっと微笑むと、
「おはようございます、エステルさん」
と優しい声で言った。
「お、お、おはようございます」
そして、私は慌てて頭をさげた。
そうだった。
王子が……マティアス様が住んでるんだった。
寝ぼけて忘れていた。
彼は手を振ると、
「先に行くね」
と言って去っていく。
私は呆然とその背中を見送った。
……明日からはもう少し早く起きよう。
朝食の準備はユリアンの仕事だ。
顔を洗って着替えて、軽く化粧をしてから食堂に行くと、顔を見たユリアンが不思議そうな表情を浮かべた。
「あれ、なんかエステル姉ちゃん変じゃない?」
朝食の席で化粧してくることはないから、ユリアンは変だと言いたいのだろうけれど、変は言いすぎではないだろうか?
「ふつーよ、ふつー。
お湯、沸かしてある?」
「うん」
「じゃあお茶を淹れるね」
そして、私はカップやポットを用意する。
猫の柄がユリアン用で、青いカップが私。そして、緑色のカップがマティアス様用だ。
一人増えたから茶葉増やしていれないと。
茶葉をポットにいれていると、マティアス様が覗きこんできた。
「俺、お茶もいれたことないな」
とぼそりと言う。
まあ、王子がお茶を淹れることなんてないでしょうね。
「ほんとに?
料理もしたことないし、お皿も並べたことないって言ってたけど、マティアスさんちどんな家だよ」
驚きの声をあげるユリアン。
侍従も侍女もたくさんいるよね、王家だもん。
うちもそこそこいるけど、お茶は自分で淹れていた。
だからお茶だけは淹れられる。
ご飯の作り方も家事も最初はわからないことがおおくて、結局リュシーにみんな教えてもらったんだよね。
「ははは。
使用人がたくさんいるからね。
俺がそんなことしたら、彼らのすることがなくなってしまうから」
「そんな考え方あるんだ」
ユリアンには、マティアス様の身分について話してない。
私の家のことだって話していなかったりする。
「エステル姉ちゃんも使用人がいるって言ってたけど、ふたりともすごい家に住んでんだね。
なんで家でてんの?
実家の方が楽じゃないの?」
それを言われたらそうなんだけれど。
「家を出てみたかったから」
全く同じ言葉を同時に発し、私とマティアス様は顔を見合わせた。
私は首を振り、お湯をポットに注ぎながら言った。
「ほら、私は神官見習いとしてここの教会に採用が決まったから」
「俺は、ブノア商会で働くからね」
「ふーん。
なんか、働かなくても生きていけそうな感じなのに、俺には不思議だよ」
そして、ユリアンは焼き上がったパンをかごにいれた。
スープに生野菜、それに腸詰めを炒めたものが皿に盛り付けられている。
「料理は誰に教わったの?」
「母さんとリュシーさんから」
なんて話を横で聞きながら、私はお茶をカップに注いだ。
人数多いから、一度ではいれきれなくって、私はもう一度お茶を淹れる。
大きいポット買おうかなあ。
でもずっといる訳じゃないしな。
お茶でいっぱいになったカップを見たマティアス様は、
「どれが誰のとかあるの?」
と聞いてきた。
私は緑色のカップをさして、
「これがマティアス……さんのです」
と答えた。
するとなぜか嬉しそうな顔になる。
「へえ、わざわざ用意してくれたの?」
いや、うちにあった何かの景品でもらったカップです、とはいえず、私は曖昧に笑った。
「飲み物飲むときはこれを使ってください。
この青が私ので、猫の柄がユリアンのです」
「他の食器で誰専用とかあるの?」
目を輝かせて言うマティアス様。
私は首を振り、
「いいえ、食器ではそういうのないです。
タオルは専用のものがあるので、自分の好みがあれば買ってきてください」
「え、いいの?」
なにかそんなに喜ぶところがあるだろうか?
「じゃあさ、マティアスさん今日俺と買い物行こうよ。
色々案内するし」
そう言ったユリアンの尻尾は大きく揺れていた。
私は仕事があるので、朝食のあと準備をして家を出た。
大丈夫かな?
ユリアンがいるから大丈夫か。
ユリアンは見た目子供だけど、中身はそうでもないし。
通りを行くと、私と同じように通勤通学と思われる老若男女の姿が多く見てとれた。
そういうお客様むけの飲み物の露店から、呼び込みの声が聞こえてくる。
こんな朝早くから働いている人がいる。
まあ、私のいた家にも早い時間から働いている人たちがたくさんいるわけだけれど。
その事に気がついたときはなんだか不思議な気分だった。
家を出なければ、私のために朝早くから夜遅く働く人がいることなんて気にしなかっただろうな。
まあ、それが彼ら彼女らの仕事なんだけれど。
「エステルさん、おはようございます」
背後から声がかかり振り返ると、若草色のジャンパースカートをまとった、茶髪の女の子が立っていた。
女の子と言ったけれど、私より二つ上なはず。
教会の事務員のひとり、ナタリーさんだった。
私より幾分背が低く、顔付きが童顔なため実年齢より幼く見える。
実際一緒にいると私よりナタリーさんの方が下に見られることが多かった。
「おはようございます、ナタリーさん」
「だいぶ暖かくなりましたね」
ナタリーさんは言いながら私の隣に並んだ。
たしかに、最近暖炉がいらない日が多い。
「新しい季節で、初々しい学生さんたちも多いですね」
「そう、ですねえ」
たしかに、通りを歩く私より少し下と思われる学生風の男女は皆顔付きが他の人とは違う。
表情が輝いているけれど、わずかに緊張も垣間見える。
「エステルさんもいらっしゃったときはあんな感じでしたね。
やる気がみなぎっていて」
「今だってやる気ありますよー」
なんだか今はやる気ないみたいに聞こえ、私が否定するとナタリーさんは笑って首を振った。
「ごめんなさい、そういう意味じゃなくって、なんていうのかな、馴れてきて余裕がでてきたって言えばいいのかな。
この人ならまかせられるなって感じるようになったなって」
なんだかすごく誉められた気がする。
気恥ずかしくなり、私は、ナタリーさんから視線を反らした。
「そ、そんなことないですよー。
私はまだまだ見習いですし」
恥ずかしくてナタリーさんを正視できない。
「最初は神官服もなんか着させられている感じだったけれど、最近ではとても馴染んできてるじゃない。
数年先が楽しみね」
「あ、ありがとうございます」
数年後か。
私なにしてるだろう?
神官見習いの期間に定めはなく、おおむね三年以上と言われている。
上司の神官の推薦で、神官になれるんだけれどなれるかなあ。
なれるといいな。
結婚式で幸せな人たちを見るのも嬉しいし。
葬儀はやはり悲しくてなかなかなれないけれど、魂が迷わず天界にいけるよう送りだすのが神官の仕事なので、やりがいはとてもある。
信徒さんの相談にのることもあるんだけれど、若い私にはまだそこまではできない。
いろんな人と接して、たくさんの人を救える神官になれたらなあ、とは思うものの、私みたいな若者がそんなことを思うのはおこがましいかなとも思ったりする。
まず、身近なユリアンのお母さんすら探せないんだもの。
それを考えると、自分の無力さを実感する。