44その代償
ニコラさんと、マティアスさん。
一日のうちにふたり、癒しの魔法をかけたのは初めてだった。
この魔法の代償は自分の命なわけだけれど、一気に使えば消耗も激しくなる。
しかも極度の緊張もあったせいか、気が抜けたのだろうな。
気が付いたら、私はマティアスさんの部屋の寝台で眠っていた。
見慣れているような、見慣れないような、不思議な感覚を覚えるマティアスさんの部屋。
「あ、姉ちゃん、目が覚めた?」
嬉しそうなユリアンの声が聞こえてくる。
「ユリアン……?」
彼の名前を呼びながら、私はゆっくりと起き上がった。
正直まだ身体は怠い。
眼鏡がないので視界がぼやけてしまう。
きょろきょろとしていると、ユリアンが私の眼鏡をさしだしてくれた。
「これ、捜してるんでしょ?」
「あ、うん。ありがとう、ユリアン」
私は眼鏡を受けとりそれをかけた。
「ねえねえ、聞いて! お母さん見つかったんだよ! それと、妹まで生まれてた! すごくない? すごいよね!」
喜びにあふれた声でユリアンは言い、尻尾を勢い良く振った。
確かにすごい。
一年以上行方不明になっていたお母さんが妹生んで帰ってきたら、すごいを通り越して驚くと思う。
「なんかすごい騒ぎだったみたいだよ。
首都の捜査官が来て、ブノワ商会に踏み込んだりとか、警察が汚職してたとかなんとか。俺には難しくてよくわかんないけど、何人も逮捕者が出てるとかなんとか聞いたよ!」
たしかにユリアンには難しそうな話だ。
国をまたいで行われる犯罪に対応できるような組織ができたとかなんとかデュクロ司祭が言っていたっけ。
なんでデュクロ司祭がそんなことを知っていて、しかも関わっていたのだろうか?
謎だ。謎すぎる。
「ところでユリアン。私、どれくらい寝ていたか知ってる?」
「え? えーと、一日かなあ。騒ぎが起きたのは昨日で、その日からずっと。俺は詳しく知らないけど、俺が帰ってきたときにはもうここで寝てたし。マティアスさんが二階の部屋には上がれないからってここで寝かせて」
「マティアスさんはどこで寝たの?」
「居間の長椅子だよ」
にこやかに笑い、ユリアンは言った。
居間……確かに二階には上がらないという約束をしているけれど……ユリアンがいるから、一緒にも寝なかったのね。
律儀というかなんというか。
申し訳なさすぎる。
「マティアスさん、居間にいるから呼んでくるね!」
と言い、ユリアンは文字通り部屋を飛び出していった。
ひとりきりになり、私は部屋を見回して時計を探した。
時刻は三時すぎ。ということは、昼間かな。
窓から日の光が差し込んでいるし。
一日以上、寝ていたのね。
ここ数日いろんなことがあったし。一気に疲れが来たのだろうな。
「ほら、早くしてよマティアスさん」
「わかってるよ、ユリアン」
ユリアンの嬉しそうな声に続いて、ちょっと眠そうなマティアスさんの声が聞こえてくる。
ばたばたという足音と共に、ユリアンとマティアスさんが入って来た。
「マティアス……さん」
彼は寝台の横に立つと、優しく微笑んで言った。
「よかった、このまま目が覚めないかと思った」
「マティアスさん、すっげー心配してたんだよ? っていうか、姉ちゃん何があったの?」
不思議そうに目を瞬かせてユリアンが言う。
私はちょっと考えて、
「魔法を使い過ぎちゃったの」
とだけ答えた。
ブノワさんの屋敷であったことを短くまとめる自信はないし、話したらきっとユリアンの質問攻めが待っていることだろう。
正直その相手をするのは今は怠すぎるので、私は適当に誤魔化すことに決めた。
「そっかー。姉ちゃんがそんなに魔法使うなんて珍しいね!」
まあ、普通に生活していたら、そんなに魔法使うことなんてないしね。
それよりも私は気になることがある。
私はマティアスさんの方を向いて言った。
「あの……マティアスさん、腕は……」
気を失う前に私が治した彼の左腕。
私をかばってできた傷は、ちゃんと塞がっていたっけ?
その辺の記憶は曖昧だった。
マティアスさんは左腕を上げて見せて、
「怪我なら大丈夫だよ。痕も残っていなかったし」
と言って服の上から怪我をした部分を撫でた。
ならよかった。
「あの……手を動かすのに違和感とかないですか?」
「え? あぁ、しばらくはあったけれど今は大丈夫だよ」
正直、ちゃんと治せているかどうか不安だったのだけれど……よかった。
使うの久しぶりだったし、怪我を治した経験は数えるほどしかない。
「なんか難しい話?」
ユリアンがマティアスさんの顔を覗き込んで言う。
マティアスさんは頷きながら、
「うん」
とだけ答える。
するとユリアンは不満げな表情になった。
耳は後ろに倒れ、口を尖らせる。
「えー? 俺だけ仲間外れとか嫌なんだけど」
「そう言うわけじゃないよ。
それで、ユリアンは荷物片づけるんじゃなかったっけ? お母様が戻られたから、家に帰る準備するって」
「うん、まあ……そうだけど……」
あぁ、そうか。
ユリアンのお母さんが戻って来たなら、彼がここにいる理由はなくなる。
ユリアンの尻尾も耳も垂れ下がってしまっていて、なんだか嬉しくなさそうな感じだった。
「嬉しいよ? 嬉しいけどさ……ここ、出て行くってなると寂しいっていうか……なんて言うか……」
消え入りそうな声でユリアンは言い、そのまま俯いてしまった。
ユリアンと一緒に暮らし始めたのは一年以上前だ。
お母さんが姿を消してしまい、途方にくれるユリアンに一緒に暮らそうと声をかけた。
一緒にご飯作ったり、出掛けたり、喧嘩したり。
そういえばリーズちゃんとはどうしたんだろうか?
その後話を聞いていないけれど。
ユリアンと過ごした間に起きたたくさんのことが脳内を駆け巡っていく。
「ユリアンはまだ子供なんだし、お母さんと一緒に暮らすほうがいいよ。それに、妹も生まれたんだし、お母さんを手伝わないと」
「そうだけど……」
と言って、ユリアンはマティアスさんの服の袖を掴んだ。
お母さんが帰ってきたら喜びいさんで帰ると思っていたけれど、そうでもないのね。
「ねーねー、ふたりは、この後どーするの? 俺が出てったら、どっか行ったりしない?」
泣きそうな顔をして、ユリアンは私とマティアスさんの顔を見た。
思わず私たちは顔を見合わせる。
家を出て暮らすのは二年の約束だったけれど、私はそもそも帰る気はない。
それはマティアスさんも同じだろう。
そんなこと言っていたし。
私はちゃんと神官になったら帰るとか言って、誤魔化す予定ではいる。
聞いてくれるかはわかんないけれど、家もあるし。
強制的に連れ帰るようなことはしない……と思う、多分。
「私は神官になりたいし、神官になるにはまだ年数が必要だから、後数年は確実にここにいるわよ」
「俺は……そうだなあ。あっちの学校をやめてこっちの学校に通おうかな」
今何て言いました?
「マティアスさんて学生なの? 働いてるのに?」
「うん。休学して一年だけ働きに来て、あと少しで戻らなくちゃいけないんだけれど……ここにも大学はあるからこっちに移ってもいいかなって考えてて」
「まじで? じゃあ、エステル姉ちゃんと暮らす? ずっと一緒?」
ずっと一緒ってそれは結婚するの? と同義語だと思うんだけれど、ユリアンはわかって言っているのだろうか?
ドキドキしながら私はマティアスさんを見る。
彼はとても幸せそうな顔をして、ユリアンに言った。
「俺はそのつもりだよ」
「ほんと? じゃあ、エステル姉ちゃんは?」
無邪気な顔をして何を言うのだろうかこの子は。
やだ、顔が熱くなっていく。
私は恥ずかしくなり思わず俯いた。
手近にあった毛布を握りしめ、なんて答えようかとぐるぐると考える。
「あれ、どうしたの? エステル姉ちゃん」
「わ、私はほら、家買っているわけだし、ここを出て行く理由はまだないし、えーと、その……」
あぁ、もう、私何を言っているんだろうか?
私は毛布を握りしめたまま顔を上げ、
「それより私、お腹すいたの。喉乾いたの!」
と言い、この状況から脱っすることにした。
お腹すいたと言ったら、本当にお腹が音を立てる。
それはそうよね、一日以上寝ていたんだもの。
あぁ、すごくお腹すいてきた。
お腹が鳴る音が聞こえたのか、マティアスさんが笑いながら言った。
「だいぶお腹が空いているみたいだね。
動けるなら、外に食べ行った方が早いと思うけれど、どうする?」
「がっつり食べたいので、外に行きます」
と答え、私は寝台から下り立ち上がった。




