39潜入成功
車に揺られること十分弱。
ブノワ商会のお屋敷にたどり着いた。
三階建ての大きな建物の玄関前に車は止められ、レナルさんと運転手さんが後部座席のドアをそれぞれ開けてくれた。
私が住んでいた屋敷よりも大きいんじゃないだろうか? いったい何に使っているんだろうか。
車の中で聞いたところ、レナルさんはブノワ商会の社長、ガストン=ブノワさんの秘書のひとりらしい。
だからマティアスさんとも面識があるそうだ。
車から降りた私たちに向かい、レナルさんは険しい顔をして言った。
「ひとつ、お願いがございます。中で見たことは、決して口外なさらないようお願いいたします」
「わかりました」
神妙に頷く私とは対照的に、デュクロ司祭は屋敷を見上げて、感嘆の声を上げた。
「おっきーねー。中庭もあるの?」
「え? あぁ、はい。庭を囲むように屋敷は建てられております」
「そうなんだー」
と言い、デュクロ司祭は杖をつき、私を振り向いて言った。
「じゃあ、行こうか」
「はい」
ドキドキしながら、私はレナルさんに案内されて中に入って行った。
車の中でも屋敷の中でも、彼は私たちに患者に関する情報を教えてはくれなかった。
階段を上り、最上階にある部屋に案内される。
屋敷の中は想像よりも装飾が少なかった。
いや、それでも絵画や硝子細工の工芸品がいくつか飾られてはいるけれど、そういう美術品や工芸品にお金をかけていないのだろうな。
私はマティアスさんが言っていた事を思い出す。
珍しい動物を集める趣味があると。
それって、この屋敷の主であるガストンさんが集めてるって事だよねぇ?
「中庭で動物を飼育しているんですか?」
デュクロ司祭の言葉を聞き、私は内心びくついた。
デュクロ司祭は立ち止まり、窓の外に視線を向けている。
表しか見たことなかったお屋敷だけれど、中は相当に広いようで、中庭もだいぶ大きいみたいだ。
「あぁ、はい。その通りでございます。ブノワ様は動物がお好きで、特に珍しい動物を大陸中から集めていらっしゃいます」
「大陸中から? すごいね」
「えぇ、ブノワ様は他にも海外の動物にまつわる本や芸術品を集めるのもお好きです」
そういえば、絵画や細工物は皆、動物の形をしていた。
随分とお好きなのね、動物が。
だから広いのか。
このお屋敷、絶対うちより広いもの。
でも、珍しい動物ってなんだろう?
ユリアンのお母さんみたいに、色素の薄い動物もいるのかな?
「中には肉食獣もおりますので、くれぐれも勝手に歩き回らないようお願いいたします」
「わかりました」
私は返事をするけれど、デュクロ司祭は返事をせず、なにがいるんだろう?とか呟いて中庭を見つめている。
そんな司祭を引っ張り、私たちはレナルさんにつれられて、大きな焦げ茶色の扉のある部家に案内された。
レナルさんは扉を叩き、
「レナルでございます。デュクロ司祭様をお連れいたしました」
と言った。
そして、レナルさんは重そうな扉をゆっくりと開き、頭を下げた。
「失礼致します」
私たちが中に入ると、レナルさんは出ていってしまった。
中にいたのは、短い金髪に鋭い青い瞳をした中年の男性だった。
部屋着だろうか、紺色のズボンに白いシャツ、それに灰色と紺色の格子柄の上着を羽織っている。
部屋は思ったほど広くない。書斎だろうか。机と、椅子と、背の低い本棚が二つあるだけの部屋だった。
本棚の上には、頭が二つある胴体の長い動物の標本が飾られている。
何あれ、あんな動物いるの?
「珍しいねー、あれ。双頭の蛇の標本だ」
楽しそうに呟くデュクロ司祭。
双頭の蛇って初めて聞きました。
ブノワさんは不思議そうな顔をして私を見たあと、デュクロ司祭のほうを向いて言った。
「私はガストン=ブノワと申します。デュクロ司祭様、ご足労有難うございます。ところで、デュクロ司祭様……そちらは?」
「私は神官見習いのエステルと申します。デュクロ司祭の付き添いで参りました」
「付き添い?」
「ブノワ殿、僕は見ての通りの有り様でして、体調が余りよくないんですよ」
と、デュクロ司祭が答える。
ブノワさんはデュクロ司祭を見つめ、
「デュクロ司祭様はまだ三十代と伺っておりましたが……確かに、身体が……」
と言い淀んでしまう。
「ははは。自分でよくわかってますから気にしませんよ。それより、患者はどちらですか?」
「それは……別の部屋で寝ているのですが……」
言いにくそうな顔をして、彼は私の方を見る。
「私はデュクロ司祭の弟子です。この意味、お分かりいただけますよね?」
と私が言うと、ブノワさんは動揺の色を浮かべた。
「デュクロ司祭様には弟子がいないと……」
「昔、この力を巡り争いがあったことはご存じでしょう? 後継者の存在が世に知られたら争いを生む可能性がありますので伏せております」
私の言葉を聞いて、ブノワさんは何度も頷いた。
「確かに、その癒しの力を巡り争いが起きたため、秘術となってしまい、今では使える者が少なくなってしまったと聞いておりますが」
「その通りです。デュクロ司祭様は体調がすぐれませんので、今回の治療は私が行います」
きっぱりと私が言うと、ブノワさんはしばらく悩んだあと、わかりました、と言って頷いた。
やった。うまくいった。
「では、こちらに」
と言い、ブノワさんは部屋の右手にある扉へと歩き始めた。
そこに鍵をさし、扉を開くと廊下が現れた。
歩数にして五歩くらい先に、また茶色い扉がある。
ブノワさんはその扉の前に立つと、こちらを振り返って言った。
「流行りの、外国の風邪のようなのですが、訳あって医者を呼べません。早急に治さねばならない事情があり、デュクロ司祭様をお呼び致しました」
だからその事情ってなに?
と言いたいのをぐっとこらえ、私は扉が開かれるのを待った。
ブノワさんが鍵をさし、扉を開く。
そして、私たちが中に入るとすぐに扉を閉めて鍵をかけた。
通された部屋はかなり広かった。
大きな寝台に、机に長椅子。
揺りかごに赤ちゃん用と思われる木の玩具。
大きな寝台に横たわる人物が、息を切らせてゆっくりと起き上がった。
肩口まである真っ白な髪に、真っ赤な瞳。
髪から覗く三角の二つの耳も白い。
着ている服も、肌も、何もかもが白い。
彼女はこちらを見て、一瞬大きく目を見開いた。
あぁ、やっぱりそうだったのね。医者に見せられない理由がよくわかった。
中にいたのは白い毛色の獣人の女性――ユリアンのお母さんであるニコラさんだった。




