34ふたりだけの家で
お風呂に入ってお風呂を出て、髪をタオルで乾かして。
いつものように私は台所へと向かう。
そこには紺色の部屋着姿のマティアス様がいた。
彼は私を振り返ると微笑んで、
「ちょうど、お茶を淹れ終えたところなんだ」
と言い、私にカップを差し出した。
「ありがとうございます」
私はそれを受け取り、食卓の椅子に腰かけた。
毎晩私たちはお茶を共にしている。
今夜はユリアンがいない。
ふたりきりの夜、と言うのはとても久しぶりだ。
ユリアンがいない、と言うことをのぞけばいつもと変わらない夜のはずなんだけれど……
ユリアンがいない事実は私を緊張させるには充分だった。
今日の昼間のことを思い出し、私は顔が紅くなるのを感じてカップに口をつけた。
口づけられた。
そして、それを嫌じゃない、と思った自分がいた。
付き合ってもいないのに。泣いていたから……かな?
触れるだけとはいえ、付き合っていないのに口づけはしちゃいけないと思うの。
……同居している時点で、いろいろすっ飛ばしているけれど。
もう私、賭けに負けていると思う。惹かれないはずだったのになあ。
一緒に暮らせば絶対悪い所が目に付くはずなのに、悪い所が思いつかない。
私なんてかなりだらしない姿を見せているはずなのに……なんでこの方は私を嫌にならないんだろう?
しかも重大な秘密を抱えていることなんてわかっているだろうに。
カップからあがる湯気で眼鏡が曇っていく。
マティアス様の顔を、私はまともに見られなかった。
「明日も仕事?」
問いかけられ、私は小さく頷く。
「はい。司祭様がいらっしゃいますし」
デュクロ司祭は私にとってとても大事な人だ。
あの方がいらっしゃるなら休んでなんていられない。
きっとあの方に残されている時間はとても少ない。
だから……私は、少しでもデュクロ司祭と一緒にいたかった。
「デュクロ司祭……噂には聞いていたけれど、あんな身体なのに魔法を使って大丈夫なの?」
「……大丈夫ではないと思いますが、言って聞く方ではないですし。先は長くないからと、好きな風に生き最期は笑って死にたいとおっしゃっています」
それができる立場と力があるから、そう言うことが言えるのだろうなと思う。
今日はいろんなことがあったな。
デュクロ司祭がいらっしゃったこともそうだけれど、マティアス様に口づけられたり、ユリアンのお母さんのことが分かったり。
濃い一日だった。
「デュクロ司祭はなぜあんなに身体が弱っているのか、エステルさんは知っているの?」
「え?」
私はカップから顔を上げてマティアス様を見る。
私を見つめるまっすぐな瞳は、すべてを見透しているような気がして私は思わず俯いてしまう。
即答しなかった時点で理由を知っていると言っているようなものだけれど。
私は何も言うことができなかった。
「魔法の代償は魔力と呼ばれるもので、休憩したり寝れば回復するものだけれど。癒しの魔法は別のものを代償にするのかな? たとえば、自分の命とか?」
まあ、デュクロ司祭を見ればそれは予想できる答えよね。
私は小さく頷く。
「その通りです。自分の命を使って、癒しの魔法を使います。それも秘術化された理由のひとつと言われています」
「なのに司祭は魔法を使い続けるんだね」
「事情を知る教会の皆さんはデュクロ司祭の行為を止めますが、どうにもならないですよね。今日も黙って出て来たようですし」
「好きな風に生きて、最期は笑って死にたい、か。その気持ちはわかるけれど、デュクロ司祭のその代償が大きすぎるね」
「自分は長く生きることはできないからと、結婚もしなかったし子供をつくらなかったとおっしゃっていました」
「彼の継承者はいないの?」
「それは……わからないです」
嘘をつくと心が痛い。
けれど、命を削って魔法を使うってわかったら絶対に止められるよね。
私が唯一の後継者だとわかったら。
いくら私が決めたことに反対はしないと言われても……
でも、どうだろう?
マティアス様は私を止めるだろうか?
マティアス様は、私がお願いしたユリアンのお母さんの居所について調べてくれていた。
でも私は?
彼に何かしているだろうか? 家に住まわせている以外に何にもしていないと思う。
マティアス様は私が面白いとか変人とか言ってそこが魅力的とか言っていたけれど、今でもそうなんだろうか?
「エステルさん?」
「え、あ、はい?」
顔をあげたら、すぐ目の前にマティアス様の顔があった。
心配そうな表情を浮かべて私をじっと見ている。
「マ、マティアス、さん?」
「深刻そうな顔をしているけれど、大丈夫?」
「だ、大丈夫です。大丈夫です。
今日いろいろありすぎて疲れているだけですよ」
「……そう」
すっとマティアス様は椅子に戻っていく。
やばい、心臓がバクバク言っている。
この音、マティアス様に聞こえているんじゃないだろうか? いや、聞こえるわけない……よね?
そんなことわかっているけれど落ち着かない。
私はまだ熱いお茶を少しずつ飲み、気持ちを落ち着かせようとした。
「確かに色々あったね」
「覚悟はしていますが、デュクロ司祭がいなくなったら私……」
また気持ちが涙となって溢れてくる。
一度溢れてしまったら、制御なんてできなくて。
私はカップを置き、口を押さえて俯いた。
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