30そしてあの方はやってきた
司祭様が住む首都ニュアージュからここ国境の町プレリ―は馬車で五時間ほどかかる。
しかも山道だ。整備しているとはいえ、そこまでいい道とは言えない。
そんな道を馬車に揺られてくるとか、司祭様は大丈夫だろうか?
身体はだいぶ弱っているのに。
金色だった髪は徐々に白くなっていっているし。
私がニュアージュから引っ越す時だって、寝てる方が楽だとか言っていた。
神官のアンヌ様以下、十人ほどの従業員が集まり小さな教会の掃除を念入りに行い、お部屋の用意をした。
デュクロ司祭がやってくる。
心配だけれど、嬉しいのも事実で。
お会いするのは一年半ぶりだろうか?
あと何回、あの方に会えるだろうか? そう思うと心が痛む。
実家に戻って、司祭様に会っておいた方がいいのだろうか?
でもニュアージュは遠いしな……
そう思って結局私は実家に全然帰っていなかった。
私は、庭掃除をしつつ、デュクロ司祭を迎えに行ったアンヌ様が戻るのを待っていた。
てっきり専用の馬車で来るのかと思ったら、辻馬車を使ってくるらしい。
浮足立つアンヌ様に比べて他の従業員は割と落ち着いていた。
「アンヌ様、おひとりでお迎えに行きましたけど大丈夫でしょうか?」
「そうねえ、アンヌ様があんな風になるの初めて見たわ」
準備を終えたあと、事務の女性たちがお茶を飲みつつそんな話をしていた。
アンヌ様が卒倒したのは驚いたけれど、それだけデュクロ司祭が特別な存在、ってことよね。
それは私にとっても同じことだった。
で、内心落ち着かないから私は庭で掃除をしているわけだけれど。
「デュクロ司祭、俺も一度会いたかったんだよね」
なぜか私と一緒にほうきを持って庭掃除をしているマティアス様が言った。
マティアス様は一度家に帰ったけれど、少し前にここに戻ってきた。
「今会えなかったら一生会えないかもしれませんからね」
ぼそりと呟くと、マティアス様は手を止めて、
「え?」
と言った。
「正直心配なんですよね。お身体が悪いのに、ここまで馬車を使ってくるっていうのが」
「身体が悪いってどういうこと?」
「お会いすればわかりますよ」
言いながら、私はほうきをぎゅうっと握りしめた。
この教会に来るには坂を上らなくちゃいけないんだけれど大丈夫だろうか?
階段を上るだけでも息が切れると言っていたのに。
「出迎えなどいらないのに」
「そういうわけにもいかないですよ」
そんな会話が聞こえてきて、私は坂の下へと視線を向けた。
アンヌ様の後ろをついて坂を上ってくる司祭様の姿を見て、私は息をのんだ。
金色だった司祭様の髪色は、真っ白になっていた。
最後に会ったときは、あんな髪色じゃなかったのに。
「髪が……」
と呟くマティアス様の声が聞こえてくる。
デュクロ司祭はまだ三十代だ。髪色が白くなるにはまだ早い。
それだけ身体が弱っているということだろう。
衝撃だった。
あんな風になってしまうんだ。
心配になった私は、ほうきを放り出して走り出した。
「エステルさん?」
マティアス様の声が背後で聞こえる。
灰色の防寒着を纏った司祭様は、私に気が付くと笑顔で手を振った。
「エステル君」
懐かしい、司祭様の優しい声。
私は司祭様の前で立ち止まり、抱きつきたい衝動をぐっと抑えぎゅうっと拳を握りしめた。
「デュクロ司祭様、お久しぶりです」
出た声は、心なしか震えていた。
「会わない間にずいぶんと大人になったね」
大人になった。
それはそうだ。私だって二十才になるんだもの。
デュクロ司祭を前にした私は、社交辞令でもお元気そうで何よりです、という言葉が出てこない。
何を言えばいいのかわからないでいると、アンヌ様が言った。
「あら、ワトーさんもいらしているの?」
「あ、はい。あの、司祭様にお会いしたいと言って」
「あぁ、彼が噂の。君のお母様から聞いたよ」
驚きの言葉がデュクロ司祭の言葉から漏れる。嘘でしょ? お母様がマティアス様のこと、デュクロ司祭に話したの?
どうしよう。なんて話してるんだろう? まさか婚約者とか言っていないよね。
「エステル君の大切な人なんでしょう?」
「違います!」
とっさに否定の言葉が出てくる。
大切な人。いや、そこまではいってないと思う。
私の否定に驚いたのか、デュクロ司祭は目を瞬かせて私を見た。
そして、にこっと笑い、
「今は、そうなんだね」
と言う。
今は、と言うところをやたらと強調された気がするけれど、私はそれに対して何も言えなかった。
「エステル君、この辺りで外国の病気が流行っているでしょう? それで僕は来たんだけれど」
それは私もかかった風邪の事だろう。
一時は収まったらしいけれど、寒くなると増えるとかで、また徐々に患者は増えているとか。
その風邪が原因で死亡者も出ているらしい。
「よく効く薬があるそうだけれど、外国の薬で高価なんだってね。こちらの孤児院で患者が発生したと聞いて、さっきそこに寄ってきたんだ」
「じゃあ、その孤児院の患者さんを治すためにプレリーへ?」
すると、デュクロ司祭は頷いた。
「うん、ほら、放っておけないでしょう? 孤児院てどこも資金不足だから」
そう言われると心が痛む。
すべての孤児院に潤沢に予算をつけられるわけじゃない。
公国は大きな国ではないし、孤児院もそんなにあるわけじゃないけれどどこも苦労しているらしい。
それは私が教会に関わるようになってから知ったことだけれど。
だからと言って、私にできることは子供と遊んだり、ちょっとしたものを寄付するくらいなんだけれど。
「薬を東から輸入しているので、どうしても運送費用が上乗せされてしまうんですよね」
そう言いながら坂を下りてきたのはマティアス様だった。
「初めまして、デュクロ司祭様。マティアス=ワトーと申します」
「これはご丁寧に。ユルリッシュ=デュクロです。様はいらないですよ。そんな大したものではないし」
いや、十分大したものだと思うけれど。
だって癒しの魔法を使える人って大陸中探してもとても少ないはずだ。
その力を惜し気もなく使うデュクロ司祭を神と呼ぶ人もいる。
「あの、デュクロ司祭。孤児院では何人の子供が病気に?」
「十人ほどの子供のうち、三人が発症していて、他の子供も感染の兆しがあったから治してきた」
あっけらかんと言い、デュクロ司祭は私の肩を掴んだ。
驚いてデュクロ司祭の顔を見る。
青白い顔をしているのを見て、私は何と声をかけていいかわからなくなった。
魔法を使わないでください、なんて言えないし。無理をしないでください、と言っても否定されるだろう。
悩んでいると彼は笑顔で、
「疲れたから、まず休ませてほしいな」
と、とても明るい声で言った。




