29それは突然やってくる
夕暮れに染まるプレリーの町。知らない町に行った後だと、知っている町も何か違うものに見える気がする。
ユリアンは私とマティアス様の間に挟まって私たちの腕を掴み、機嫌よさそうに歩いている。
「まるで親子ねー」
なんて、顔見知りの商店の奥さんが笑顔で言ってくる。
「えへへー。今日は楽しかったから!」
と、ご機嫌な声でユリアンが答える。
「楽しかったならよかった。正直大丈夫かな、と思っていたから」
とマティアス様が言う。
「楽しかったよー! お母さんが戻ったらいっぱい話すんだ!」
と、無邪気に言う姿が何だかけなげに見える。
普段、お母さんのことを口にしないけれど、やっぱりお母さんがいいよね。
私より年上でも、中身は十二、三歳の子供なんだもの。
お父さんがいないし。
早く見つけていあげたいのに、お母さんの手がかりはない。
「お母さんなら本気出せば逃げられると思うんだけどなあ。なんで戻ってこないのかなあ」
寂しげにぼそりとユリアンが呟く。
「お母さん、超怖いんだから。っていうか大人って怒るとむちゃくちゃ怖いんだよね。やっぱり半分獣だからなのかな。気性が荒いし。お母さんなら、家の壁位壊せると思うんだけどなあ」
「そんなに怖いんだ、お母さん」
ユリアンのお母さん、ニコラさんの顔を思い出すが、とても怖そうには見えない。けれど、ユリアンの言うとおり獣人て気性が荒い人が多いのは確かだ。
大人の獣人とは喧嘩をするな、と言われている。
激高すると加減ができず、怪我どころでは済まなくなるからだ。
まあ、獣人も喧嘩になりそうなときはその場をすぐに離れるらしいけれど。
「ねえ、マティアスさん」
「うん、何?」
「本当の夫婦になっちゃえばいいのに」
「ちょっと、何言ってるの、ユリアン」
「ははは。そうだねー」
当たり前だけれど、マティアス様は同意するよね。なんだか気恥ずかしく感じ私は俯いて歩く。
「だって姉ちゃん好きな人とかいないんでしょ? ならいいじゃん!」
「わ、私は夢があるからまだそう言うの考えられないの!」
そう答えた私はきっと顔が真っ赤だったことだろう。
言ってから、気まずさを感じて私はマティアス様の様子をうかがうこともできなかった。
あと半年もしないうちに、約束の一年が来る。私はその時何を選択するだろうか?
私はまだ、何の覚悟もできていない。
それから一週間以上が過ぎた。
あと一か月もすれば冬がやってくる。
この辺りは冬が長い。雪も降る。
「雪かあ。俺のいた町は滅多に降らないから楽しみだな」
いつもの夕食の時間、マティアス様が言うとユリアンが驚いた顔をした。
「雪が楽しみって理解できないけどなあ。冷たいし」
「何言ってるのよ。雪が降ったら雪だるまつくったり、ミカ君たちと雪合戦したりして遊んでいるじゃないの、毎年」
「雪合戦なんて子供の遊びだよ!」
「子供なんでしょ、ユリアン」
お年頃のせいか、都合よくユリアンは子供と大人を使い分ける。
子供じゃないし、と文句を言うユリアンを無視して、私は食べ終わった食器を片づけた。
いつものように教会までマティアス様が送ってくれたわけだけれど、教会の外になぜかアンヌ様がいて、私を見つけた途端走ってきた。
アンヌ様が外にいるなんて珍しい。
「神官のアンヌ様だよね、彼女」
アンヌ様から視線を外さず、マティアス様が言った。
「そうですけど……どうしたのかな」
アンヌ様はものすごい勢いで走ってきて、私の腕をがしっと掴んで言った。
「大変なの!」
と、とても真剣な顔をして、アンヌ様は言った。
「な、な、なにがですか、アンヌ様」
「いらっしゃるの!」
「どなたがですか?」
「司祭様よ!」
その言葉で、私はなんとなく事情を察した。
「司祭様が……デュクロ司祭様がやってくるの!」
「癒しの聖人が?」
そう言ったのは、マティアス様だった。
デュクロ司祭様は変わった人だ。
妻帯せず、自分よりも他人を優先し自らの命を削りながら人々を救うことを自分に与えられた使命だと言う。
大昔にその力を巡り戦争まで起きたという癒しの魔法を一切隠さず、惜し気もなく力を使う。
最期は人生最高だった、と笑って死にたいと言ってはばからない。
まだ三十代だけれど、かなり身体が弱っているらしい。
けれどそれを押し隠しながら望まれれば癒しの魔法を使うし、死の淵に立ち病気に苦しむ人の痛みを和らげ、安らかに天に召されるよう祈りを捧げる。
私はきっとあんな風にはなれない。
デュクロ司祭の足元にも及ばないだろうなと思う。
けれどあの方の意志を守りたいと心の中で思ってはいる。
「でもなぜデュクロ司祭様がこちらにいらっしゃるんですか?」
教会の応接室に、アンヌ司祭様のほか事務員や私などの従業員が集まった。
そこに仕事が休みだと言うマティアス様までいる。
まあ、私に報告した後卒倒してしまったアンヌ様を教会内まで運んでくれた結果、なんとなくまだ一緒にいるってだけなんだけれど。
応接室に集まった十人ほどの従業員は、皆神妙な面持ちで長椅子に座り水を飲むアンヌ様を見つめている。
「けさ早く報せが来て……今日の昼ごろこちらにいらっしゃって、一泊されると」
「……急すぎませんか、それ?」
癒しの聖人と呼ばれる有名人がそんな急にくるとか相手の迷惑考えていないとしか思えないけれど。
でもデュクロ司祭は思いついたらそれを行動に起こさないと気が済まない人だしなあ……
「もう、心臓が止まるかと思ったわ。ワトーさん、すみませんお忙しいでしょうに。お恥ずかしい姿をお見せしました」
ワトーさん、というのはマティアス様のことだ。彼は首を横に振り、笑顔で、
「大丈夫ですよ」
と答える。
倒れた女性を無視するわけはないよね。
「ただね、一部屋寝る部屋を用意しておいてくれればいいとおっしゃって。もてなしなどはいらないと。普段通りでいいと言われたのだけれど……」
戸惑った表情でアンヌ様は言う。
「いや、それはきっと本気ですよ」
私が言うと、アンヌ様は私のほうを見て目を瞬かせた。
「あ、そうよね、エステルさんはデュクロ司祭のことをご存じだったわね。私もお会いしたことはもちろんあるのだけれど……もう遠い存在すぎてどうしたらいいかわからなくて」
「そんなに身構えなくてもよいかと思いますが……食べ物の好き嫌いもないはずですし」
大仰な出迎えなんていらないし、準備とかいらない、と言われてもこちらとしてはそうはいかないよね。
まあ、冬も近くて閑散期に入るので暇と言えば暇な私たちは、動転しているアンヌ様を落ち着かせつつ、部屋のお掃除やお布団の準備などをした。




