1親が決めた許嫁
昔々、といっても十数年前のことだけれど。
カスカード公国の大公セドリックとフラムテール王国国王ノエルが賭けをした。
「俺が勝ったら俺の娘をお前の息子の婚約者にしろ」
と、父セドリックは言ったらしい。
あとから思えばばかげた賭けなんだけれど、ふたりともそうとう酔っぱらっていたそうだ。
そして父は賭けに勝ち、みごと娘をフラムテール王国の第二王子マティアス殿下の婚約者にすることに成功した。
本人の意思など無視して。
そんなことがあったのは私が三つくらいの時らしい。
なんとなーく私が覚えているのは、ある日両親に連れられて訪れたお屋敷で、綺麗な金髪の男の子と引合されたことだけだ。
それから一年に一度は必ず彼に会わされていたわけだけれど。
じつはその少年が私の将来の結婚相手だと知ったのは、結婚適齢期である十八を迎えるころだった。
「と言うわけでエステルよ。
お前の結婚の件だが」
「私まだ結婚する気ないんで」
読んでいる雑誌から目を離さず答えると、父は私に近づいてきて言った。
「なぜ」
「だって、したいことあるから」
「したいことって何!」
声をあげるお父様。
私は顔を上げず、淡々と答えた。
「国境近くの町に家買ったの。
学校卒業したらそこでひとり暮らしするわ」
「え、いや、ちょっと待て。
何でそんな話に」
「もう決めたの。
お母様の許可は取ってあるし」
「え、嘘」
正直言って、父は母に弱い。めちゃくちゃ弱い。
期限付きだけれど母親からひとり暮らしの許可を得た私は、あーだこーだとうるさい父を放っておいて家を出ることにした。
でもその前に片付けなくちゃいけない問題がある。
そう、婚約者の存在だ。
どうも私が学校卒業したら婚約発表してとか父は考えていたらしいのだが、でも私はそんな気はないわけだから、きちんときっぱりお断りしないと。
父親がぐだぐだうるさいので、私は自分の口から伝えることにした。
そんなわけで一年に一度王子と会う日がやってきた。
私よりずっと背の高い王子様。
最初会ったときはなんか頼りなくって、お兄様の陰に隠れていたけれど。
整った顔立ちに少し癖のある白金の髪。薄い緑色の瞳をした王子様は私を見ると微笑んだ。
まあ、かっこいいんですけどね、マティアス様は。
紺色のスーツを纏ってまっすぐに立つ姿はとても様になっている。
この立ち姿見ただけで、惚れる女性がいそうだなあ。
でも私、あんまり興味ないけど。
「お久しぶりですね、エステルさん」
彼は私を決して呼び捨てにしない。
私は頭を下げ、
「マティアス様、お久しぶりでございます」
と答える。
いつも王子に会うのは王国の国境近くにある、王家の別荘だ。
近くに湖があって、穏やかで静かな場所だった。
反面、何にもないんだけれど。
その別荘の中庭で、私はマティアス様と顔を合わせていた。
時折鳥がさえずるだけの静かなお庭。
使用人たちも誰もおらず、時おり穏やかな風が吹く。
赤い花や橙色の花なども咲いていて、目を楽しませてくれる。
「そんな言葉遣いしなくてもいいのに」
とマティアス様はおっしゃるけれど、私は小さな公国の公女。
そっちは王国の第二王子。
身分差くらいわきまえている。
「その服、着てくださったんですね」
「はい。
ドレス、ありがとうございます」
私が今日着ている淡い青色のドレスは、マティアス様から贈られたものだ。
もちろん衣装を選んだのは私ではなく侍女なんだけれど。
「とてもお似合いですよ」
とか微笑んで言われると正直気恥ずかしい。
私は大きく息を吸って気を取り直し、かけている眼鏡に触れてから彼を見つめて言った。
「殿下は父たちの目論見をご存じですか?」
そう問いかけると、彼は小首をかしげた。
「それは、エステルさんと私が実は許嫁だと言う話ですか?」
「はい、先日父から話がありました」
「私も、知ったのはごく最近です」
殿下も知らなかったのか。それもどうかと思うけれど。
私は背筋を伸ばし、真っ直ぐにマティアス様を見つめた。
「私、そんな気はないのでその話はお忘れになってほしいです」
きっぱりと言うと、マティアス様は声をあげて笑った。
「ははは、言いにくいことをはっきりとおっしゃいますね」
だって、飾り立てた回りくどい言葉で言ってもこちらの真意は伝わりにくいだろうから、直球で言うのがいいかなと思ったんだけれど。
おかしいかな、これ。
「私、したいことがあって、結婚とか考えられないんです」
「したいことって、何?」
なぜか目に涙まで浮かべて笑うマティアス様。
何がそんなにおかしいんだ?
と思いつつ、私は答えた。
「国境の町に家を買ったのでひとり暮らしします」
「ひとり暮らしして何するの?」
「神官」
すると、殿下は指で涙をぬぐい笑顔で言った。
「やはり君は面白いね。
昔から突拍子もなくて、俺を楽しませてくれる」
あれ、なんかおかしいな、この展開。
私の予定ではこれで話はなかったことにってなる予定だったのに。
マティアス様は言葉通り楽しそうだ。
「ひとり暮らし、楽しそうだね。
友達にもいるよ、ひとり暮らししている子たち」
「学生がひとり暮らしするのは流行りですからね。
そんなわけでマティアス様、私のことなど忘れて下さい」
「忘れるのは難しいかなあ」
そう言って、彼は首を横に振った。
「俺としては、簡単にあきらめたくはないかなあ。
だって、俺にとって君はとても興味深いもの」
あれ、なんだかいつもと口調が違う。
こんな砕けた話し方をする方だったっけ?
まあいいや。
なんと言われようと、私は結婚なんて今興味ないから。
「正式に婚約をしているわけではないですし、そもそも許嫁の件も父たちの口約束ですよね。
ですから私のことはきれいさっぱり忘れてぜひ他の方と縁談をすすめていただけたらと」
私だってうわさ位は聞いている。
マティアス様には複数の縁談があるってこと。
うちみたいな田舎の小国じゃなくって、もっと大きな国の貴族だとかお姫様とかから話があるらしい。
だからまあ、何も酔った勢いの約束なんてわざわざ果たす必要なんかないと思うんだよね。
「今日はこれで失礼します」
私はマティアス様との会話を強引に終わらせて、その場をあとにした。
公女がひとり暮らしとか、他の国じゃあちょっとした騒ぎが起きそうだけれど、うちの国、カスカード公国は山あいにある小さな国だ。
公女である私が家を出てひとり暮らしをしたって何の問題も起きないと思う、たぶんきっと。
「本当にひとり暮らしなんて大丈夫なんですか?」
くっついてきた侍女のリュシーの表情は複雑なものだった。
いや、心配はたいしてしてないんだろうけれど、なんていうか……困惑に近いかな。
私は首を横に振り、
「大丈夫に決まってるじゃない。
リュシーだってこの町に住むんだし、何かあったら頼るから」
「いや、まあ……私の実家がすぐそこにあるから奥様もこの無謀な計画をお認めになったわけですけれど」
そうなんだ。
私が国境近くの街でひとり暮らしするにあたり説得材料に利用させてもらったのが、彼女の実家の存在だった。
リュシーの実家はこの町にあり父親は今の町長だ。
若い娘のひとり暮らしなんて親がいい顔するわけがない。
そこで私の人脈を大いに活用し、リュシーの実家を利用させてもらった。
もちろん謝礼はきちんとしている。
「まあ……二年の期限付きですからねえ……
最近では進学時にひとり暮らしする人、増えていると言いますからエステル様がひとり暮らしをしたところで大して目立たないとは思いますが」
そう、最近高校や大学に進学したときひとり暮らしするのが流行っている。
高校進学時私はひとり暮らしを認めてもらえなかったので、それなら成人の十八をすぎたら家を一度でいいから出たいと思っていた。
高校は卒業したし、二年間、私はここで働きながらひとり暮らしをするんだ。
「仕事先は見つけたし、楽しみだなあ」
「お仕事って結局何をされるんですか?」
「神官」
「え?」
驚きのあまり固まるリュシーに私はにっこりと笑いかけた。
この大陸にはいろんな神様がいるんだけれど、そのなかに名前を忘れられてしまった女神様と言うのがいる。
私は親にも内緒でひっそりとその女神の神官になるべく教会に通っていて、今回女神の教会の見習い神官になることに成功した。
「最近神官になりたがる人なかなかいなくて……助かるわ」
そう言って喜ぶのは、神官のアンヌ様だ。
結婚や葬儀の時くらいしか神官の出番はないんだけれど、でも重要な仕事なわけで。
職業の多様化が進み、大学への進学率も年々上がっている昨今では神官になりたがる人は少ない。
だからこそなりやすい、って言うのがあるんだけれど。
私は魔力がとても強くて、名もなき女神様の神官だけに伝わる傷を癒す魔法が使える。
なので天職だと思ってる。
まあ、大っぴらに癒し魔法使えます、とは言わないんだけど。
その力を巡って昔は争いが起きたこともあるそうで、私に術を教えてくれた司祭様は口外しないよう言っていた。
だから私の力についてアンヌ様には話してない。
ちょっとした病気だって治せちゃうからね。
問題は起こしたくない。
「教会に住む場所なくてごめんなさいね。
ひとり暮らしするときいたけれど大丈夫?」
心配そうな表情を浮かべるアンヌ様。
私は胸を張り、
「大丈夫です。
だって、今時私の年齢でひとり暮らしは普通ですよ普通!」
と答えた。
「ならいいけど。
何かあったら言ってね」
かくして、私のひとり暮らしは始まった。