子供達を守るための単純な方法
「どうしたのかな?いっかちょーさん。恐い顔してるよ」
人の心を読むことができるはずのサトリちゃんは、顔を合わせるなり自分にそう言った。
分かっていて訊いているのだーー自分が何故そんな顔をしているのかを。
自分は怒っているつもりはないが、そんな表情になってしまう、その理由を分かっていて、彼女はそんなことを言うのだ。楽しそうに、無邪気な笑みを浮かべながら。
サトリちゃんに絶対服従。
そう誓ったはずの自分が、そんな怒りのような感情を彼女に見せてしまった原因は、ニ日前に起きた殺人事件が原因だ。
自分は今、彼女に従いその殺人事件を迷宮入りに向かわせている。
もちろん、捜査一課長一人にそこまでの力などあるはずもなく、自分と同じようにサトリちゃんに従う様々な人間達の手によってそれは成されている。
捜査員。報道機関。更には、国を動かせる程の権力者達。サトリちゃんが心を読む力によって作り出した傀儡の力は計り知れない。
殺人事件の隠蔽。私刑。法に背くその行為は、違法を悪事とするならば悪ではある。しかし、その法も所詮は人が作り上げたものであり、万人の意見を反映しているなどという事はありえ無い。
ならば、行為によっては違法であっても、それを正義と感じる者もいるだろう。
少なくとも、自分はサトリちゃんの行う『犯罪者狩り』を正義であると判断した。
刑事として生きて、様々な事件を見て、聞いて、捜査して、数多の理不尽を知って、そう判断した。
しかし、今回の『狩り』は、犯罪者を対象としていなかったのだ。
サトリちゃんの指示によって無残に殺され、その事件の真相を闇に葬られようとしているその被害者は、犯罪者ではない。
「けれど、無能ではあったんだよ」
サトリちゃんは笑顔を消し、冷たい瞳を自分にむけそう言った。その突然の変貌に、声に含まれる静かな怒気に、自分が浮かべていたらしい怒りの表情は簡単に砕かれた。
無能。
確かにそれは、擁護のしようもない事実だろう。
サトリちゃんによって殺された彼は、犯罪者ではなかったが罪が無いわけでもなかった。
彼は児童相談所の職員だった。そして、両親に虐待される一人の少女を救えなかった。
それも、よくある虐待が発覚しなかったとか、隠されてしまったという類の話ではない。少女は自ら助けを求め、理不尽な暴力から逃れようと、必死に足掻いたのだ。
それを、彼は救えなかった。
「いっかちょーさん。ねぇ、いっかちょーさん。力の無い人間が、力の必要な責を負うのは間違っている事だとは思わない?
分かりやすく例を挙げようか。医術の心得の無いものが、医者をしていたらそれは悪でしょう?
出来ないなら、やってはいけないんだよ。手に余るなら、他者に譲らなければならないんだよ。
その人間が出来もしない立場に立ったから、その人間に頼るしかない人が亡くなってしまったんだよ。その人間さえいなければ、あの娘の助けを求める声は、別の誰かに届いたはずなんだよ。
そうは思わない?いっかちょーさん」
出会ってからのこの半年で、サトリちゃんが自分に怒りを見せたのは初めてのことだった。
今回の事件に、彼女はそれ程強い衝撃を受けたということだろう。
「それでも……自分は殺すのはやり過ぎだと思う。彼だって、反省していたし、後悔していたはずだ。罰とは、制裁ではなく、未来のために執行されるべきものじゃあないか」
「未来には繋がるよ。犯罪者を無残に殺して犯罪の抑止と再犯の防止にしているのと一緒だよ。ただ何となくお金を得るためにやっていい仕事じゃないって、気づいてくれるはずだよ。
いっかちょーさん、私だって、あの人を哀れには思っているんだよ?けれど、その命を有効に使えるなら私は躊躇しないよ。だって、彼がしてしまったことはそれほど非道いことだと思っているからね」
真っ直ぐに自分の目を見るサトリちゃんの強い瞳に耐えきれず、自分は視線を外した。
もとよりサトリちゃんに自分は逆らえないし、逆らう気もない。
ただ自分の意思を自分の声で伝えたかっただけだ。それでサトリちゃんの考えが変わらなくても、サトリちゃんを裏切るつもりはない。
ただ、足掻きたかったのだ。何とか納得したいと、足掻いたのだ。
少女を救えなかった彼も、少女を虐待した鬼畜達がいなければ、平和に穏やかに生きていけたのだ。弱く、無能ではあっても、悪ではなかった彼もまた、被害者であると自分は思う。彼は悪くはあっても、悪ではないと思うから、このやるせない気持ちをどうにかしたかったのだ、
俯く自分の頭を、サトリちゃんは優しく撫でてくれた。
「安心してよ、いっかちょーさん。あの娘を虐め殺した奴等は、それはそれは酷い殺し方をしてあげるから」
そう言ったサトリちゃんの凄惨な笑顔に、自分の心は少しだけ、癒されてしまった。