愚者の一刺し
続きです。
◇◆◇
「っ!!!・・・ガハッ、ゴホッ!!!」
「セレスティアッ!!!???」
侍女から受け取った飲み物に口をつけたセレスティアは、それを一気に煽っていた。
暗殺未遂の緊張感もあって、やはり喉が渇いていたのであろう。
しかし、それがいけなかった。
飲み終わると同時に、彼女はコップを落としながら激しく咳き込んでしまったからである。
バルドは当初、それを、飲み物が変なところに入ってしまったからか、と思って、心配しつつもどこか楽観的に考えていた。
だが、すぐにそんな話ではない事に気が付く。
何故なら、セレスティアの口から、真っ赤な鮮血が飛び散っていたからである。
「な、何っ・・・!!!???」
「ゴホッ、ゴホッ!!!」
バルドは驚愕する。
そして、咄嗟に侍女の姿をかえりみていた。
そこには、先程までの穏やかでありながらも、確かにセレスティアを心配する侍女の姿、ではなく、能面の様な表情に薄く冷笑を浮かべた不気味な女の姿があったのである。
「ハハハッ、やったわっ!この私の手でっ!“魔女”を葬ってやったのよっ!!!」
狂った様に笑う侍女に、バルドは呆気に取られながらも、現在進行系で弱っていくセレスティアの苦しむ声にハッとする。
「だ、誰か、水をっ!!!」
「ヒュー、ヒュー・・・」
バルドの絶叫に、一度はその場を離れていたアルフォンスやカドック、ノリスらも駆け付けていた。
「ど、どうしたっ!?」
「セ、セレスティアッ!!??」
「い、一体何がっ!?」
現場の状況を目の当たりにした三名は、いまいち状況が掴めなかったが、セレスティアが危ない状態である事はすぐに理解出来ていた。
「くっ、遅かったかっ!!!」
「ハーロックッ!?一体何がっ・・・!?」
そこに、アルフォンスの部下であるエルフ族の青年の一人、先程賊を連行して屋敷の奥に引っ込んでいった者の一人も駆け付けていた。
「“毒”ですっ!例の下手人も、先程自ら毒を服用し死んでいますっ!それでピンと来たのですっ!奴は囮だったのだ、とっ!」
「ええそうよっ!彼は、同志は本当に上手くやってくれましたわっ!!」
「「「「「!?」」」」」
ハーロックと呼ばれたエルフ族の青年の言葉に、先程まで狂った様に笑っていた侍女が、まるで誇るかの様に饒舌に語り始める。
「“魔女”のガードが思ったより固かったのでね。一芝居打たせて貰いましたわ。」
「そうかっ!それで一度わざと、派手に事件を起こさせたのだなっ!?仲間が捕まる事も想定した上でっ!」
「そう。あなた方は見事にハマってくれましたわっ!」
事件が解決して一安心。
その後、その場のゴタゴタを収める為にアルフォンス達の思考はそちらに向かう事となる。
まさか、第二の刺客がすぐそばに存在する、などとは思いもせずに。
(それに、アルフォンス達の擁護をするのであれば、先程の下手人も素人に毛が生えた程度ではあったが、それでもそれなりの訓練をしていたらしき雰囲気があったのとは違い、この侍女は所謂“戦闘能力”を一切持っていない素人中の素人であったから、スルーしてしまったのも致し方ない事であったのである。)
彼らは忘れていたのである。
“戦う力”などなくても、人を殺す事が出来てしまう事に。
その間も、懸命にセレスティアの処置を施すアルフォンス達だったが、おそろく即効性の毒では、薬草や魔法ではどうにも出来なかったのである。
「ヒュー、ヒュー・・・」
「セレスティアッ!」
すでにセレスティアの目は、焦点が合っていなかった。
誰の目から見ても、もはや手遅れの状態である。
「さあ、お逝きなさい、“魔女”めっ!それが人間族の為なのよっ!!」
「貴様っ!!!黙っていろっ!」
「ガッ!!!???」
セレスティアがそんな状態だと言うのに、吐き捨てる様な侍女の言葉に激昂したハーロックは、当て身一発で侍女を昏倒させる。
殺さなかっただけ、まだ冷静さが残っていたのであろう。
事件の背景を調べる為にも、まだこの侍女には色々と吐いてもらわないといけないからである。
「ヒュー、ヒュー、あ、アナタ・・・」
「しゃべるな、セレスティアッ!」
血反吐塗れの手を握り、バルドは涙声でそう言った。
だが、セレスティアは己の死を悟っていたのか、その言葉には従わなかった。
「ご、こめんなさいね、アナタ。こ、こんな事に、なってしまって・・・。ヒュー、ヒュー・・・」
「・・・君のせいじゃない。」
「・・・愛しているわ、バルド。」
「・・・僕もだ、セレスティア。」
状況が状況でなかったのなら、深い愛で結ばれた若い二人の感動的なシーンであったかもしれないが、これは誰がどう見ても、最後のシーンに映っていた事だろう。
バルドの言葉に満足そうに頷くと、セレスティアの手から力が抜けていき、その目は静かに閉じられていった。
「ダメだ、逝くなセレスティアッ!」
「セレスティアッ!返事をしなさい、セレスティアッ!」
すでに物言わぬ骸となっていたセレスティアにすがりつき、バルドとノリスは必死にそう叫んでいた。
その様子を、カドックはへたり込んで呆然として見ており、アルフォンスは己の無力さを痛感しながら拳を握りしめていた。
当然、そんな事態が起こっているのならば、先程の一件も含めて、招待客達も徐々に事情を察し始める。
ザワザワとざわめきが大きくなると、ようやくカドックやアルフォンスは、ハッとするのであった。
((・・・とりあえず、この場をどうにか収めなければ・・・))
考えるのもひどく億劫な状態になりながらも、二人は何とかそれだけは頭に浮かんでいた。
ーーーだが、それよりも早く、この場に更なる変化が訪れるのだった。
・・・
アオォーーーーーンッ!!!
「「「「「っ!!!???」」」」」
突如として、獣の遠吠えが木霊したのである。
当然ながら、ここは“パクス・マグヌス”の市街地にあるバートン家所有の建物、および庭園である。
それ故に、獣など存在する筈がないのであるが(もちろん、それも絶対ではないが)、確かにその場にいた者達全員が全く同じ“声”を聞いていたのである。
・・・幻聴ではない。
その場にいた者達は、先程とはまた別の理由でざわついていた。
「な、何の声だ、これはっ!?」
「い、一体何がっ・・・!?」
この場に集まっている者達は、こんな世界に生きていながらそのほとんどが所謂“魔物”(魔獣やモンスター)に遭遇した経験がなかった。
つまり、国の“外の世界”については、伝え聞いた事しかないのである。
それ故に、その“声”が何なのか分からず、ただただ驚き戸惑う事しか出来なかったのである。
「そんなっ・・・!これは魔獣の声、かっ・・・!?」
しかし、その“声”を聞いた事のある者達、この場においては、大森林地帯で暮らすエルフ族達だけが、正確にその“声”の正体に気が付いていたのである。
もっとも、アルフォンス達はアルフォンス達で、招待客達とはまた別の意味で驚き戸惑っていた訳であるが。
すなわち、“何故この様な場所で、魔獣の遠吠えが聞こえてくるのか?”、という率直な疑問である。
が、すぐにその答えは向こうからやって来る。
スッーーー。
「「「「「っ!!!???」」」」」
庭園をぐるりと囲う石堀の上に、それはいつの間にか立っていたのである。
「ひ、光輝く、『白狼』っ・・・!?」
そのアルフォンスの言葉の通り、その正体は『白狼』。
すなわち、魔獣だったのである。
当然ながら、こんな場所に魔獣、つまり魔物が突然現れたら、阿鼻叫喚のパニックになるーーー、筈なのであるが、何故かこの場にいた全員が何の言葉も発する事はなかった。
いや、むしろそのあまりの“神々しさ”に、恐怖感より先に神聖さを感じ取っていたのか、身動ぎ一つせず、その動向を見つめていたのである。
ザッーーー。
一方、件の『白狼』は、周囲の視線も全く意に介さずに、悠々とその歩を進めていった。
その目的地は、その方向からセレスティアのもとであると思われた。
「「・・・・・・・・・」」
あまりに色々な事があって、もはや茫然自失の体になっていたバルドとノリスは、3mは優に超えるかという巨体の『白狼』が目の前に迫って来ても、それをぼうっと眺める事しか出来なかったのである。
その中で、比較的冷静を保っていたアルフォンスとエルフ族も、金縛りにあったかの様に、身体が一切動かせなかった。
ただの『白狼』程度なら、彼らなら十分に撃退出来たのであるが、何故かそんな気が起こらなかったのである。
ー・・・乗せなさい。ー
「・・・えっ?」
突然、頭の中に声が鳴り響いた。
それに、バルドは驚いていると、再びその声が聞こえてきた。
ー・・・彼女を私の背に乗せなさい。このまま人の目に晒しておくのは、あまりに不憫です。ー
「あっ・・・」
ようやくそれで、バルドは自分がしっかり抱きしめていたセレスティアの事であると理解していた。
本来であれば、そんな事をする意味はない。
少なくとも、セレスティアが亡くなったのは事実であるが、それでも彼女の亡骸を魔物に預けるなど考えられない事であろう。
しかし、『白狼』の言葉は有無を言わさぬものがあった。
バルドはセレスティアを抱きかかえると、そっと『白狼』の背に乗せたのである。
何故かそれを、彼女の父親であるノリスも手伝う。
その間、『白狼』は全く身動ぎしなかったのである。
他の者達も、何も言わずにそれを眺めていた。
やっとの思いで『白狼』の背に上手くセレスティアを乗せ終えると、『白狼』は、まるで慈しむかの様に彼女の方を振り返る。
彼女がしっかりと乗っている事を確認したのだろうか?
満足げに頷いた『白狼』は、スッと立ち上がった。
「「あっ・・・」」
ー心配しないで下さい。彼女の事は丁重に扱います。ー
思わず漏れ出たバルドとノリスの吐息に、『白狼』は優しげな声でそう返した。
アオォーーーーーンッ!!!
「「「「「っ!!!???」」」」」
まるで彼女に向けた弔いの様にそう遠吠えを響き渡らせると、軽やかな足取りで、『白狼』はあっという間ににその場から消え去っていったのであったーーー。
・・・
その一連の出来事は、まるで神話の一節の様な神聖で非現実的な出来事であった。
すでに『白狼』は消え去り、証拠となる画像なども現時点でのこの世界には存在しないので、それらの出来事は全て、夢か幻かの様な感覚を持つ者達が大半であろう。
しかし、それらは全て現実に起きた事であった。
ほとんどの者達は、この場で起こった悲劇と神秘的な出来事を、ある種肯定的に捉えていた。
セレスティアが亡くなった事は悲しい事ではあるが、彼の『白狼』は所謂“神の使い”であり、彼女は“神”のもとに旅立ったのだ、と本能的に察していたからである。
だが、見方が変われば、その内容も変わってくる。
当然ながら、この場に潜んでいた過激派の連中が、件の自ら自死した男と、セレスティアに毒を盛った侍女だけの筈もない。
彼らのバックアップ要員として他にも数名潜入を果たしており、なおかつエルフ族の警戒網にも引っかからなかったのである。
ここら辺は、“テロリストとの戦い”と同様で、“敵”を特定するのが非常に困難だからであった。
向こうの世界でも、テロだけではなく、犯罪を未然に防ぐ事は困難を極める。
何故ならば、誰が“テロリスト”だったり“犯罪者”か分からないからである。
もちろん、それなりのデータが存在すれば過激な思想に傾倒している人物、犯罪歴のある人物をピックアップする事は出来るが、それ以外の、所謂“普通の人々”が行動を起こしてしまった場合、それに対処する手段は実質的にないも同然なのである。
向こうの世界ですらそれであるのだから、まだ明確な治安維持機構(警察組織や軍隊など)の存在しないこの世界では、その武力はともかく、データや情報が存在する筈もない。
それ故に、作戦が成功した以上、そのバックアップ要員達は事を起こさず、普通の招待客やスタッフとしてやり過ごしてしまったのである。
いくらエルフ族の能力が優れているとは言っても、心の中まで見透かす事が出来る訳ではないので、それらを見過ごす事となってしまった、という訳であった。
まぁ、それはともかく。
で、問題となるのは、この一連の出来事が、彼らの主張を更に補強してしまう、という事なのである。
彼らは、セレスティアという危険人物の排除には成功したものの、突然『白狼』、すなわち“魔獣(魔物)”が現れて彼女を連れ去ってしまったのだ。
もちろん、件の『白狼』が暴れ回った、という事実は存在しないのであるが、“魔獣(魔物)”が彼女に付き従っていた様な感じに見えた事が問題であった。
彼らの頭の中では、セレスティアなる魔女、すなわち“魔王の再来”が現れ、再び人間族に対して攻撃を仕掛けてくる、という妄想が出来上がっていた。
それを阻止する為、トップと目されるセレスティアを排除する事に成功した訳であるが、逆にトップを殺られた組織というものが、その後どの様な行動を起こす事が予測させるだろうか、という事である。
当然ながら、報復である。
頭を潰せば組織が瓦解する、というのは、ある意味間違った考え方ではないが、実際にはもっと状況が複雑になる事も往々にしている。
以前の魔王軍との戦いにおいても、魔王・マルムスを討ち取っただけでは戦争は終わらなかった。
もちろん、魔王軍としての組織力が低下した事は否定しないものの、むしろ“魔王”という楔を失った事で秩序を失い、魔王軍残党が無秩序に暴れ回る、という結果になっている。
まぁ、その事に関しては“英雄”たるカエサル達が存在した事で、徐々に鎮圧する事に成功した訳であるが、この様に、一気に話を締めようとすると、どこかでその歪みが発生する事も往々にしてあるのである。
今回の件もそうである。
彼らは、“セレスティア”という楔を失った事で、魔物達が無秩序に暴走する可能性を考えたのである。
その時になってようやく、彼らは自分達の計画の失敗を悟っていた。
本当に魔物達をどうにかするのならば、まず、“セレスティア”を説得、あるいは交渉するのが、もっともベストな選択肢だったからである。
(もちろん勘違いではあるが)もし、“新生魔王軍”なる組織が存在し、“魔王の再来”である“セレスティア”にその全権があるならば、彼女を殺すのは愚策中の愚策である。
むしろ、“新生魔王軍”の脅威を退ける為には、彼女を生かし、彼女を最大限活用するべきだったのである。
しかし、気付いた時にはもう遅かった。
すでに“セレスティア”は亡くなり、魔物達はそれをキッカケとして、人間族側に報復に来るだろう、という予測が成り立ってしまったからである。
しかも、件の『白狼』の様に、明らかに他とは一線を画す魔獣が存在する事が、彼らの焦りを加速させてしまったのである。
あれほど圧倒的で強力、なおかつある種の知性すら感じさせる魔獣が存在する以上、“新生魔王軍”の脅威は以前の比ではない。
しかも、“セレスティア”はエルフ族や『新人類』達とも親しかった事を考慮すれば、今回の件が再び人間族側と『新人類』側の分断を加速させる要因ともなる。
もちろん、それは彼らがある意味望んだ事ではあるのだが、実際にその予兆を目の当たりにすると、ようやく彼らは冷静になったのである。
“自分達は、何て事をしてしまったのだろうかーーー”
と。
だが、後悔先に立たず。
すでに賽は投げられた訳である。
故に、彼らには引き返す、という選択肢がなくなってしまったのである。
彼らは、このまま突き進むしかない。
たとえそれが、間違った事だと気付いていても、様々な者達の人生を狂わせた事だとしても、“自分達は正しい事をしたのだ”、というある種の正当化、いや、むしろ自分達の心すら誤魔化しながら。
以前にも述べた通り、世の中には、一定数“愚か者”、という者達が存在している。
彼らが“愚か者”である所以は、容易に他者の意見に流されるくせに、それをあたかも“自分”の意見であるかの様に誤認してしまうからである。
そして彼らは、時として世の中を(悪い方向へと)導くキッカケとなる事もしばしばあるのである。
何故ならば彼らは、自分の行動の果てにどの様な未来が待っているかを想像する事が出来ないからである。
だからこそ、“愚か者”、“愚者”なのである。
(もちろん、物事の善悪は主観の相違でしかないので、何が正しくて何が間違っているのか。
“正義”か“悪”か。
“賢者”か“愚者”かは誰にも分からない事ではある。
だが、安易な結果を求める事は、大抵は良い方向に向かわないのが世の常であり、そして彼らは深く考えずに行動を起こし、様々な者達が色々と苦労を重ねてきた事を全て台無しにしてしまったのである。
少なくともそうした意味では、“愚か者”や“愚者”とは断じる事は出来ないまでも、“賢者”とは対極の位置に存在している者達である事はまず間違いない。)
ある意味では、彼らは非常に素直、いや言葉を選ばずに言うのであれば、非常に幼稚なのである。
それ故に、“詐欺師”からしたら非常に扱いやすく、それ故に、何かに利用させる事がしばしばあったのである。
そう、ちょうど今回の件の様にーーー、である。
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