古代人がもたらしたもの
続きです。
惑星アクエラの衛星の一つである、衛星ルトナークに幽閉されたアスタルテ・キャンベルは、そこで静かに眠りにつき続けていたーーー、筈であった。
しかし、何かのキッカケによって彼女の意識は覚醒してしまったのである。
もっとも、彼女にはセレウスやハイドラスの様な“能力”はないし、ソラテスらの様な“超越者”でもなかったので、意識が戻ったとしても、あいかわらず身体の自由は奪われているし、何かしらの機械のサポートがない限り、“外”の様子を知る事は出来なかったのであるが。
だが、こちらも不思議な事に、彼女の意識の覚醒と同時に、彼女の目の前には惑星アクエラの様子を伝える様に、無数のモニターが現れたのであったーーー。
仮にこの施設に、所謂“警備員”の様な存在が常駐していたら、それらの異変はすぐに察知され、彼女は再び強制的に眠りにつかされた事であろう。
しかし、セレウスとハイドラスは例外ではあったが、他のセルース人類達は、惑星アクエラから彼らの記憶が薄れるまで彼女と同じく“コールドスリープ”についていたので、この施設には彼女以外誰も存在しなかったのである。
この施設の管理・運用は、『エストレヤの船』と同じく人工知能による完全オートメーション化が施されていたので、その異変は、セレウスやハイドラスはもちろん、他の誰にも知られずにひっそりと起こった事だったのであった。
さて、当然ながら彼女は困惑する。
何故ならば、一応は“幽閉”という建前を使ってはいたが、彼女が受けているのは、これは彼女自身が求めた結果でもあったが、実質的には所謂“終身刑”だったからである。
それ故に、本来であれば彼女の精神は徐々に失われていく筈だったので、再び“アスタルテ・キャンベル”として意識を取り戻すなどとは思ってもみなかったのだ。
しかも、意識だけが覚醒してしまっているが、先程も述べた通り、身体はあいかわらず自由の利かない身であるから、彼女に出来る事と言えば、目の前のモニターを観察する事だけだったのである。
ー・・・まぁっ!ー
しかし、その彼女に唯一許された自由に、彼女はすぐに夢中になった。
そこに映し出された映像は、実質的に彼女の子供達である、『新人類』達が生き生きと活動する様子だったからである。
もはや叶う事はない、と覚悟もしていたし、諦めてもいた子供達の成長を見る事が出来るのだ。
特に女性であれば、これを無視する事は出来ないであろう。
もちろん、疑問もあった。
何故、自分にこんなものを見せるのだろうか?、とか、誰がこの様な事をしているのだろうか?、とか、色々と頭に浮かぶ訳であるが、それに答えてくれる者は誰もおらず、やがて彼女は考える事を止めた。
答えの出ない事をいくら考えても無意味である、と悟ったからかもしれない。
こうして人知れず女神・アスタルテは、モニターを通じて『新人類』達の、ハレシオン大陸の歴史を目の当たりにする事となったのであったーーー。
・・・それは、彼女にとってはツラい事だったかもしれない。
再三述べている通り、『新人類』達を取り巻く状況は二転三転しており、彼らは平穏とはほど遠い世界で生きていたからである。
マグヌスやセシリアが存命中の時はまだ良かった。
彼らの尽力により、様々な子供らしいトラブルこそあったまでも、『新人類』達は順調に成長していったからである。
・・・思えばこの頃が、『新人類』達にとっては一番平穏な時だったのかもしれない。
その後、ラテス族と連合との間に諍いが起こった事をキッカケとして、『新人類』達はまだ充分に成熟する前に庇護を失い、厳しい自然や環境に放り出される事となる。
それだけでなく、戦争の巻き添えを食らって、少なくない被害を受ける事すらあったのである。
ーっ・・・!!!ー
アスタルテは、声にならない悲鳴を上げていた。
自身の子供達が、世の不条理に翻弄される姿を目撃させられていたのだから、それも致し方ない事であろう。
もっとも、先程も述べた通り、あくまで彼女の意識だけが覚醒している状況であるから、どれほど願っても彼女には子供達を助ける事すら叶わない状況だったのであるが。
それは、過分なストレスだった事であろう。
いつしか彼女の中には、人間族に対する嫌悪感や憎悪が広がっていく事となったのである。
それでも『新人類』達は、懸命に生きようとしていた。
互いに身を寄せ合い、助け合って、それらを乗り越えていったのである。
それは、アスタルテにとっても一種の救いだったかもしれない。
思い通りの人生とはいかないまでも、全力で生き抜いている子供達の事を、どこか誇らしく、またどこかで寂しくも思っていた。
だが、『新人類』達の困難はまだまだ続く。
ヴァニタスの関与によって、魔王軍の台頭が起こったからである。
ーそんなっ・・・!!!ー
アスタルテの何度目かの悲痛な叫びは、誰にも聞こえる事はなかった。
しかし、子供達はそれすら懸命に乗り越えていた。
魔王軍が『新人類』達に比較的好意的だった事もあり、魔王軍と人間族の戦争には巻き込まれずに済んだのである。
(もっとも、その事が後に人間族と『新人類』達の間に溝を生んでしまったのであるが。)
それどころか、子供達の中から、かつてのセレウスやハイドラスを彷彿とさせる“英雄”も生まれた。
“英雄”達、つまりアベル達はカエサル達と協力して魔王軍を打ち倒し、元々争っていたラテス族と連合も、戦後復興の為に協力。(というか、カエサル達が再び争わない様に尽力した訳であるが。)
アベル達の活躍もあって、『新人類』達が魔王軍に協力した罪を、“追放”という体で実質無罪放免とし、ようやく、本当にようやく、『新人類』達に平穏が訪れたのであった。
ー・・・人間族とは、なんて愚かなんでしょう・・・ー
もっとも、アスタルテの中では、どんどん“人間族”に対する不信感や憎悪が高まっていた。
まぁ、本人達が納得しているとは言えど、彼女の子供達を冷遇していたのだから、それも無理からぬ事であるが。
だが、それで話が終わっていたら、この後の流れも、今とは違う事となっていたかもしれない。
こうして、人間族と『新人類』達は別れて暮らす様になり、戦乱の連続だったハレシオン大陸、“大地の裂け目”周辺では、一時的に平和が訪れた訳であった。
『新人類』達はアベル達が率いる事となり、あいかわらず自然の脅威や魔物達の脅威は存在するまでも、子供達は知恵を出し合い、力を合わせてそれらを乗り越えていった。
いつしか種族ごとに別れて集落を形成し、小さいながらも一つの“国”としてそれぞれが栄えていったのである。
この頃になると、『新人類』達の中では、一つの信仰が生まれ始めていた。
もちろん、きっちりとした“宗教”という形態ではなかったのだが、自然や魔物の脅威に常にさらされていた彼らには、心のよりどころ、の様なものが必要だったのである。
それが、所謂“地母神信仰”だったのである。
多くの場合、この“地母神信仰”というのは、生命の源、生殖や豊穣の象徴として捉えられ、農耕文化に深い結ぶつきがあるのであるが、『新人類』達の生活の主体は狩りや採取が主であり(つまり、狩猟採集文化)、農作もやるが、それはメインではなかったのである。
では何故、『新人類』達の中で、“地母神信仰”なるものが根ざしたのか?
それは、セシリアの影響が強かったのである。
“幽閉”されたアスタルテに成り代わり、『新人類』達の幼少時代の面倒を見てくれたのは、セシリアや孤児院の職員達であった。
子供が母親に抱く、父親とはまた別の特別な感情が、自然崇拝と大地の豊穣と結びついて、セシリアに対する信仰、から転じて、地母神、すなわち地母神に対する信仰に発展していったのであろう。
つまり何が言いたいかと言うと、そうした“信仰のエネルギー”がセシリアを通じてアスタルテにも流れ込んだ事によって、彼女はいつしか、“神”としての側面を持つに至ったのである。
もちろん、先程も述べた通り、元々彼女はセレウスやハイドラスの様な“能力者”ではなかったし、限界突破を果たす事もなかった。
逆にソラテスらの様に、人工“神化”によって“超越者”になった訳でもないのであるが、セルース人類である事と『新人類』達の生みの親であった事もあいまって、ある意味全く意図しない形での、天然の“神化”を果たしてしまったのであった。
“神”に成ったという事は、当然彼女には人間には出来ない事が出来る様になってしまったのである。
それこそ、セレウスやハイドラスの様な“能力”を扱う事も出来るし、『霊魂』、すなわち“魂の力”を扱う事も、彼女は一足飛びでマスターしてしまった訳なのである。(もっとも、本来の意味での“神格化”という意味ならば、彼女の方がある意味自然な形でのそれなのかもしれないが。)
ただ、それでも彼女の中には、『新人類』達を人工的に生み出してしまった、という罪の意識があったので、その力を使って何かをしよう、というつもりは当初はなかった。
それ故に、衛星・ルトナークに存在する彼女の幽閉施設を、無理矢理飛び出す事もなかったのである。
それに、“英雄”を経て、『新人類』達を導く立場となったアベル達の存在、更には、人間族の身でありながら、魔物達と意思疎通を交わす事の出来る特殊な才能を持ったセレスティアの存在が、彼女の心理的な“くさび”ともなっていたのであった。
どれほど困難な状況でも諦めず、自分達の力で運命を、人生を切り開いていく子供達に、今更自分のエゴやわがままで介入する事を良しとはしなかったのかもしれない。
それに、セレスティアの存在は、彼女にとっても希望だったのかもしれない。
人の身でありながら、本来は心を通わせる事が不可能な魔物達とも分かり合い、『新人類』達とも分け隔てなく接する、愛される彼女の存在が、ハレシオン大陸を取り巻く、差別意識や負の連鎖を払拭してくれるかもしれないーーー、という淡い期待があったのだろう。
・・・だが、そんな彼女の期待や希望すら、人間族達は踏みにじる事となる。
様々な事情によってカエサル達が不在になった事で、彼らがかろうじて食い止めていた人間族達の暴走が、ここに来て顕在化してしまったのである。
表向きの理由は、やはり『新人類』達が魔王軍に協力していた、という事実である。
もちろん、再三述べている通り、確かに魔王軍に協力したのは事実ではあるが、それもあくまで『新人類』達にとっての生存戦略に過ぎず、『新人類』達が直接的に人間族と敵対した、という訳ではない。
それに、それについては、アベル達がカエサル達と協力して魔王軍を打ち倒した事や、『新人類』達が人間族と別れた事で、すでに話はついていた事でもあったのである。
(ここら辺は、魔王軍討伐の功績を理由に、アベル達が強い権力を持つ事を人間族が嫌ったからであり、それを察していたアベル達もまた、別に権力には興味がなかった事もあり、魔王軍が壊滅したとは言えど、魔物達はあいかわらず健在だったこともあり、それらの権利を放棄して出ていく事によって、『新人類』達の行動、魔王軍についた事を実質的に無罪放免とした訳であった。)
ただ、一度形作られた不信感はそう簡単には無くす事は出来ず、お互いに納得の上で別れたにも関わらず、人間族はいつしか、“『新人類』達がいつか自分達に復讐しに来るのではないか?”、という、一方的な疑念を抱く様になってしまったのである。
ここら辺は、逆に言えば、人間族側には後ろめたい事があった、という事でもある。
後ろめたい事があるからこそ、ありもしない“復讐”が怖くなってしまったのである。
こうした心理もあって、また、“人間(族)至上主義”というものが台頭して来た結果、“殺られる前に殺れ”、“『新人類』達は劣った種族なので、自分達(人間族)が管理するべきである”=“相手を屈服させて首輪をつけておけば、こちらが襲われる事もない”、という考え方が蔓延してしまったのであった。
(もっとも、これらは自然発生的に生まれた考え方ではなく、誰かが意図的に流布した事でもある。
それが自分達の権力をもっと増大させたかったタヌキ親父達であったり、政治的な人心掌握の一環として利用する事を考えたプトレマイオスだったりイアードだったりした訳であるが。)
こうした思惑もあり、一度は別れた筈の人間族側と『新人類』側が再び国交を結ぶ運びとなった訳であるが、それらの思惑はアベル達に看破されていた訳である。
人間族側が自分達を支配するつもりで、国交を回復した事を読んでいた彼らは、そうはさせまいと対抗手段を講じたのである。
それが、これまで述べてきた『魔石』を使った外交である。
客観的に見て、『新人類』達の総人口は、人間族のそれとは比較にならないほど少ない。
それ故に、直接的な衝突、戦争では、スペック的には『新人類』達の方が上でも、数の上では圧倒的に不利であり、まず間違いなく負ける事が目に見えていた訳である。
だからこそ、直接戦わない戦い。
すなわち、一種の外交戦略によって、人間族に対する牽制としたのであった。
この戦略は大当たりする事となった。
何故ならば以前にも言及した通り、この頃の人間族にとっては、『魔導具』は人々の生活に必要不可欠な物となっており、ある種の社会インフラになっていたからである。
そして、その『魔導具』を生産する上で必要不可欠なのが『魔石』であり、言うなれば人間族は、自分達の生活に欠かせない物のキモを、『新人類』達に握られる格好となったのだ。
(もっとも、人間族側は人間族側で独自に『魔石』の発掘に取り組んでいたが、そもそも発見が非常に難しく、なおかつこれらの鉱脈はかなり危険な場所に存在する傾向にあったので、三国の生活を支えるだけの『魔石』はあっという間に枯渇する事となってしまったのである。)
それだけの重要物資であるならば、逆に争奪戦が起こっても不思議な話ではなかったのだが、ここで『新人類』達、特にエルフ族の特性が重要な意味を持ってくる事となる。
以前にも解説した通り、エルフ族の“目”はかなり特殊であり、“魔素”、正確には“精霊”であるが、を、一種の可視光として捉える事が出来るのである。
もちろん、一定レベル以上の『魔法技術』を修めた者達であれば、そこまではいかないまでも、“魔素”を感知する事は可能だ。
だが、エルフ族はそれがデフォルトで備わっている上に、大森林地帯で暮らしている関係で、戦う力や生存能力が備わっているのである。
仮に人間族がエルフ族の持つ採掘場を奪ったとしても、それで一時的には『魔石』をゲット出来るかもしれないが、それが枯渇した場合、また新たなる鉱脈を探さなければならないし、しかも魔物達や自然の脅威だけでなく、エルフ族達からの妨害も加わる事となる。
ハッキリ言って無理ゲーである。
少なくとも、それだけの困難が存在するとなると、所謂“コスト”が非常に重くのしかかってくるので、つまり『魔導具』の価格ももはや一般人が手を出せないほど高価な物となってしまうのである。
先程も述べた通り、『魔導具』がもはや社会インフラとなっているという事は、逆にその供給が滞る事で、人々の不満が募る大きな要因となってしまうのである。
不満も持った民衆というのは、当然ながら為政者にとっては脅威以外の何ものでもない。
こうした諸々の事情もあって、人間族は『新人類』達を単純に支配する戦略は立てられず、ある意味正規の手段である貿易、交易という手段を余儀なくされた訳である。
人間族側は、交易によって『魔石』が手に入る。
『新人類』側は、『魔石』を人間族側に供給する事で、人間族側がそう簡単に自分達に手を出せない状況、つまり一種の安全保障が手に入る、と、ある種Win-Winの状況に持ち込む事に成功したのである。
この世界においても、取引、だけでなく全ての基本は“等価交換”である。
欲しい物があるのであれば、それを手に入れる対価を支払わなければならない。
そうした意味では、人間族側と『新人類』側のこの『魔石』をめぐる取引は、正常な状態であったと言える訳である。
だが、得てして人というのは欲深いものであり、時としてこの“等価交換”の原理・原則を無視しようとする事も往々にしているのである。
すなわち、“暴力による強奪”、である。
これならば、お金を支払う必要がないのでタダである。(もっとも、その為には所謂“暴力装置”を動かす必要があるので、実際にはタダでもなんでもなく、実はコストがかかっているのであるが。)
元々人間族側は、魔王軍との一件の際に彼らに味方した『新人類』達を良く思っていない者達も多かった為、“『新人類』達と正当な取引をする必要はない”、という考えが、(口には出さなかったまでも)蔓延していた。
そこへ来て、プトレマイオスの扇動やイアード教の台頭によって、風向きが変わってしまったのである。
彼らの狙いは、実はシンプルであった。
『新人類』達を支配する事。
それによって、実質的に『魔石』の利権なども手中に収めようとしたのである。
更に言ってしまえば、三国に加えて、『新人類』達をも支配下に置く事で、ハレシオン大陸の覇権を握ろうとしたのである。
もっとも、彼らは慎重で狡猾でもあった。
それ故に、単純な武力でそれを成そうとしたのではない。
そこで利用されたのが、セレスティアだった訳である。
彼女の才能はこれまでも述べた通り、魔物達と意思疎通を可能とするものである。
もちろん、端から見れば不気味以外のなにものでもなく、彼女はこの才能によって迫害を受けた過去がある。
ただ、“人間族の社会”から“『新人類』達の社会”に移り住んだ事によって、彼女の才能は、“不気味なもの”から“天から与えられたギフト”という風に認められた訳である。
これは、彼女にとっては救いとなった訳であるが、これだけでは済まなかったのである。
魔物達と意思疎通を交わす事が出来る、という事は、つまり穿った見方をすれば、彼女が魔物達を統率している様にも見える訳である。
魔王軍との戦争はもはや今は昔になりつつある、と言っても、その恐怖感はまだ人間族の間には残っていた。
そこへ来て、魔物を統率する者が現れた、となれば、“魔王の再来”、“魔王軍の復活”を予感させるには、十分過ぎる事実であろう。(それ故に、セレスティアは“魔女”、すなわち“魔物を操る女”、と一部の者達からは呼ばれていたのである。)
そして、彼女を保護しているエルフ族、すなわち『新人類』達は、以前にも魔王軍に味方していた事実があるので、“再び魔王軍に味方するつもりなのでは?”、という理論も成り立つ訳である。
これらの事から、“魔女”を殺す事は、人間族側にとってはある意味“正義の行い”となるし、“新生魔王軍の討伐”という大義名分のもと、『新人類』側に戦争をふっかける口実にもなる訳なのである。
もちろん、事実を知っている者達からしたらナンセンスな事であるが、得てしてこういう事がまかり通るのが、歴史的にも世の常なのである。
こうした訳もあり、バルドとセレスティアの披露宴を舞台に、“セレスティアの暗殺”という事件が起こっていたのであった。
全ては、プトレマイオスとイアードの計画通りにーーー。
ーーーだが、そんな人間族の小賢しさを目の当たりにした女神が存在した事までは、流石に彼らも知るよしもなかったのであるがーーー。
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