扇動
続きです。
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文化とは、ある社会で共有されている価値観、信念、行動様式、慣習、芸術、知識などの総体の事である。
一方、風習とは、特定の地域や社会で長い年月を経て形成された、特定の行動や習慣の事である。
文化はより広範で抽象的な概念であるのに対し、風習はより具体的で実践的な概念なのである。
文化(ぶんか、culture)
ある社会の成員によって共有される、価値観、信念、行動様式、知識、技術、芸術、道徳、法律、慣習、宗教などの総体。
物質的なものだけでなく、精神的なものも含まれる。
社会の成員の行動や思考に影響を与える。
時代や場所によって変化する。
例:日本の茶道、フランス料理、アメリカのクリスマスなど。
風習(ふうしゅう、custom)
特定の地域や社会で、長い年月を経て形成された、特定の行動や習慣。
地理的、歴史的、社会的な条件によって形成される。
人々の行動様式に影響を与える。
例:日本では、お辞儀をする、箸を使う、お正月にはおせち料理を食べるなど。
風習は、文化の一部として捉える事が出来る。
文化と風習の違い
文化はより広範で抽象的な概念であるのに対し、風習はより具体的で実践的な概念である。
文化は社会全体の共通認識や価値観を指す事が多いが、風習は特定の地域や社会に特有の習慣を指す事が多い。
風習は、文化の一部として捉える事が出来る。
風習がより多くの人々に受け入れられ、広範囲に適用されるようになると、文化となる場合がある。
例:「お辞儀」は、日本の風習であり、文化の一部である。
「お正月」は、日本の文化であり、お正月に行われるおせち料理を食べる、初詣に行くなどの風習がある。
「お祭り」は、地域の文化であり、それぞれの地域で様々な祭りという風習がある。(某百科事典より抜粋)
つまり簡単に言えば、人々が特定の地域で過ごし、社会を形成していく事によって、この文化や風習が自然発生的に形成されるのである。
と、した場合、国家や国家群としては、まだそこまで歴史の長くない三国の間でも、当然ながら文化や風習が生まれている訳なのである。
もちろん、個々に多少の差異はあるのであるが、“三国同盟”という枠組みによって、政治的・軍事的・経済的に連携している三国間では、同一の価値観や考え方が根ざしやすい傾向にある。
(まぁ、元々“三国同盟”の設立の経緯が、主義も主張も立場もてんでバラバラだった三国を、多少強引でもまとめ上げる事によって、争いや対立を未然に防ぐ為の予防的措置だった訳であるから、そうなるのもある意味自然な流れなのである。)
だが、その副作用として、ラテス族が元々持っていた選民思想や、魔王軍台頭の折に彼らに味方した『新人類』達に対する不信感が悪い方向に合体した結果、所謂“人間(族)至上主義”、とも呼べる思想が生まれてしまったのであった。
客観的に見れば、これは他者の事情も立場も考慮しない、一方的で利己的な主張に過ぎない。
そもそも、生物としての生存本能、国家としての生存戦略からすれば、魔王軍と友好関係を結ぶ事は、つまり一種の不可侵条約を結ぶ事と同義であるから、間違った判断であったとは言えない訳である。
仮に人間族のどこかの国がその立場に立たされたのであるならば、(成功するかどうかはともかく)同じ様な政策に舵を切った事だろう。
言ってしまえば、彼らの不満の根源にあるのは、自分達の事は棚上げして、“何故あなた方は、(自分達の為に)その命を賭してまで魔王軍に抵抗しなかったのか?”、というひどく身勝手な理由からなのである。
ハッキリ言ってナンセンスな事である。
逆に言えば、『新人類』達を道具か奴隷としか見ていない主張に過ぎず、彼らが自分達の思い通りの動きをしなかった事が気に入らなかっただけなのだから。
しかし、そうした理不尽な主張を持つ者達が、三国間ではありふれる事となってしまったのである。
これは、先程述べた社会を形成していく上での文化や風習に組み込まれてしまったからであり、いや、むしろ為政者側がそれを積極的に煽った結果でもある。
社会、世論、大衆をまとめ上げる上で、同一の価値観や教義というのは、為政者側としては非常に便利なツールとなる。
歴史的にも、国家をまとめ上げる為に“宗教”を利用するケースには枚挙に暇がない。
しかも、“人間(族)至上主義”は自分達に特別感を与えつつ、『新人類』達は人間族より劣った存在である=奴隷、あるいは共通の敵である、という誤ったイメージを植え付ける事が出来るので、三国の大衆の意識を統一する上で、非常に都合が良かったのである。
こうした事もあって、三国間では“人間(族)至上主義”がまかり通る事となり、『新人類』達に対する差別意識が広がっていってしまったのであった。
もちろん、中にはそうした考え方に反対の者達もいた。
その代表格だったのが、三国同盟のトップであったブルータスであったのだが、彼が退陣した事によって、大きな抑止力が失われてしまったのである。
少数派の意見は、簡単に封殺されてしまうものである。
特に、大きな影響力を持った同じ意見の者、ここではブルータスだが、がいなくなってしまった事によって、そうした声を上げる事さえ出来ない状況にまで追い込まれてしまったのである。
そして、新たに三国同盟のトップとなったプトレマイオスは、この“人間(族)至上主義”の支持者だった訳である。
こうなれば、益々『新人類』達への差別意識は拡大する事となり、元々の政策の“裏テーマ”でもあった、『新人類』の国の属国化も、現実味を帯びた話となってしまった訳であった。
もちろん、それを座して待つ『新人類』側ではない。
元々アベル達四人の英雄達は、人間族側が国交回復を打診して来た裏を読んでいたし、経済的・外交的手段によって、つまり実益的な面から、それを何とか回避しようとしていた。
実際、『魔石』という重要物資が存在した事により、人間族側と『新人類』側は、表面上は友好的な関係を構築していた、かに見えた。
だが、先程述べた通り、もはや文化的なレベルで、人間族側は『新人類』達を見下す事が普通の価値観となっていたので、“対等な立場”、というものに不満を募らせていたのである。
あくまで人間族側と『新人類』側の友好的な関係は、『魔石』という重要物資の上に、ギリギリのバランスで成り立っていたものに過ぎなかったのである。
そしてその均衡は、ちょっとした事で容易く崩れ去るものだったのである。
そこへ来て、とある人物がそのバランスを崩してしまったのである。
誰あろう、ネメシスである。
いや、もちろん彼にはそんなつもりはなかった。
むしろ『新人類』達の事情や立場に同情し、彼らを助ける為の、言わば親切心から介入したに過ぎないからである。
しかも彼らは、先の事も見据えた上で、本当にちょっと『魔石』の効率性を上げる改良を加えただけの、技術的には時代を大変革させるほどの事もしていない。
だが、ある意味、タイミングがよろしくなかった。
先程も述べた通り、人間族の間では『新人類』達を見下すのが普通の価値観になっていたのである。
そこへ来て、自分達の誰も成し遂げられなかった“『魔石』の効率化”を『新人類』側が成し遂げたと知ったら、彼らはどう思うだろうか?
(もちろん、それを成したのは、人間族(の姿を持った)であるネメシスなのであるが、彼らは自分達の事情もあり、あまり目立つ事を良しとしなかった事で、対外的にはそれを『新人類』達がやり遂げた、という事になっていたのである。)
本来ならば、称賛されて然るべき事である。
当然ながら、“『魔石』の効率化”は、人間族側にもメリットのある事なのだから。
しかし、一方で、人間族側のプライドが傷付けられる出来事でもあったのだ。
生物として劣っていると(勝手に)思っていた『新人類』側に、技術力で先を越されたのだから。
そうなれば、利益がどうこう、メリットがどうこうという話ではなくなる。
称賛より先に嫉妬心や生意気だ、という感情が先立ち、益々『新人類』に対する悪感情が高まってしまったのであった。
良かれと思ってやった事が、完全に裏目に出た格好である。
しかし、感情のある生物が関わると、得てしてこういう事は起こるものである。
もちろん、だからと言って、人間族側も『新人類』側にいきなり手出し出来る様な状況でもなかった。
曲がりなりにも国家間で友好的な関係を築いている以上、ただの感情論で攻撃を仕掛けたとしても、今や少数派になっている親・『新人類』派に、格好の材料を与えるだけに過ぎないからである。
つまり、人間族側には“大義名分”が必要だったのである。
そして、こちらも間の悪い事に、その“大義名分”と成りうる人物が、『新人類』側には存在していたのであった。
誰あろう、セレスティアの存在である。
以前にも言及した通り、セレスティアはある特殊なスキル、才能を持って生まれてきている。
それは、『魔物の心』と呼ばれるスキルであり(実際には、彼女の能力は更にその上位の力の様であるが)、本来は意思疎通が不可能に近い動物、魔獣、モンスターと、完全な意思疎通を可能とする出来る能力であった。
“言葉”が通じるならば、言葉が分からない事による不幸な事故も回避する事が可能である。(もちろん、中には知能が低すぎて、セレスティアとて“友達”になる事が出来ない種も存在するが。)
特に様々な生物の混在する大森林地帯では、この能力は非常に有用であった。
(実際、特にエルフ族は彼女ほどではないまでも、魔物とある程度のコミュニケーションを取る事が可能であり、この事によって、要らぬ衝突を避ける事が可能であるし、そのエルフ族ほどでないにしても、他の鬼人族、獣人族、ドワーフ族も、その出自故に、動物や魔物の心情を鋭敏に感じ取る感覚に優れていたので、やはり森で生きる上では有利な条件を初めから備えていたのであった。)
だが、何も知らない者達から見れば、彼女の能力は不気味なものでしかない。
実際、彼女はその能力故に人間族に疎まれ、その社会から弾かれた過去を持っている。
結果として、セレスティア、そして彼女の両親は『新人類』達の国に身を寄せる事となり、そうした理解のある社会に移り住んだ事によって、ようやく平穏な生活を手に入れる事が出来た訳である。
それどころか、動物や魔物の“お友達”が出来たり、アルフォンスという良き師に出会えたり、バルドという運命の相手とも出会う事が出来るに至っている。
自身の才能と社会の価値観に翻弄された彼女が、ようやく人並みの幸せを掴もうとしていたーーー、
かに見えたのであるが、心ない者達の手によって、それはいとも簡単に壊される事となったのであるーーー。
◇◆◇
「彼ら『新人類』共は、我々人間族に対して、明らかな裏切り行為をしているのですっ!」
「「「「「っ!!!」」」」」
ここは、ラテス族の国のとある“教会”であった。
その中には、無数の人々がひしめき合い、壇上で熱弁をふるう豪華な法衣姿の男の言葉を、熱心に聞いていたのであったーーー。
文化や文明がある程度成熟してくると、“宗教”というものも出現してくるものである。
もちろん、これまでもそれぞれの部族の間では、それぞれが異なる価値観から、ある種の信仰は存在していた。
有名なところで言えば、ラテス族による“神々”を信仰する教えであろう。
“神々”、すなわち自分達に様々な教えを施してくれた“セルース人類”(とりわけその中でもソラテスらの一派だった訳であるが)を信仰し、彼らから伝えられた技術、思想などを受け継いできたのである。
まぁその過程で、ソラテスらが提唱した“管理(支配)”という考え方も受け継いでしまい、ある種の選民思想、“神々”に教えを施された自分達が、地上から姿を隠した“神々”に成り代わり、この地を治めるべきである、という考え方が生まれるキッカケともなってしまったのであるが。
まぁ、それはともかく。
とは言えど、ラテス族、連合、“パクス・マグヌス”が併合される過程で(もちろん、今でも三国は健在なのであるが、三国の文化圏、経済圏が“三国同盟”によって統合された関係上、という意味である。)、その“ラテス族至上主義”とも呼べるものから変化して、もっと広義の意味としての“人間(族)至上主義”が台頭していったのである。
で、それを提唱したのが、“イアード”という人物、今、壇上で熱弁をふるっている男だったのである。
「我々は、先の大戦での彼らの行動を赦し、再び交流を持ち、今日までやって来ました。これは、同じ地に住まう同じ人間種として、誤解や諍いを無くす為です。先の大戦でも判明した事ですが、魔物達の脅威が存在する我々の世界では、人間種同士で争うのは愚の骨頂。奴らを討ち滅ぼす為には、我々は団結する必要があるのです!」
「「「「「・・・」」」」」
よく通る声と、耳障りの良い言葉が、聴衆の間に響き渡った。
もちろんこれは嘘である。
何故ならば、先程も述べた通り、この“教会”の根底にある教えとは所謂“選民思想”であり、“ラテス族”から“人間族”へと、その括り自体は大きくなってはいたが、その“人間族”には『新人類』達は含まれていなかったからである。
下である『新人類』を庇護し、人間族の管理下に置く事が、彼らの主張する“団結”という言葉なのだ。
もっとも、そんな見えすいた嘘を、信者やシンパは大真面目に信じ込んでいる。
これは、先程も述べた通り、三国や“三国同盟”の間では、同一の価値観が共有されているからであり、その中には、“人間(族)至上主義”という傲慢な考え方も含まれているからである。
言うなれば、それが彼らの“常識”な訳であるから、そこに疑問を抱く事はかなり難しい事なのであった。
まぁ、それはともかく。
「しかし、しかし皆さんっ!我々の思いは、『新人類』には伝わらなかったのですっ!『新人類』はあろう事か、再び魔物達と手を組み、我々に牙を剥こうとしていたのですよっ!!!」
「「「「「っ!!!」」」」」
イアードの言葉に、一際大きなざわめきが起こる。
怒り、疑念、困惑。
そうした感情が、噴出したのである。
「・・・もちろん私も、何の確証もなくそんな事をのたまっているのではありません。」
「「「「「・・・」」」」」
手で制する様な格好をし、再び話し始めたイアードに、先程の喧騒は嘘の様に鳴りを潜める。
「我々は、私達の教えを伝えるべく、様々な地へと赴く事も多い。その中には、『新人類』の国も、もちろん含まれています。そして、私達は偶然にも目撃してしまったのです。魔物達を使役する、とある魔女の存在をっ!」
「「「「「「な、なんだってっ・・・!!!???」」」」」
衝撃的な事実を聞かされたら聴衆達から、先程より更に大きなざわめきが生まれた。
・・・もちろん、これはセレスティアの事である。
そして真相はともかく、確かに傍目から見れば、彼女が魔物達を使役している様にも見える訳である。
(もっとも、再三述べている通り、彼女の能力の本質はただ言葉の通じない筈の生物とも意思疎通を可能とする事であって、彼らを強制的に支配する事、使役する事ではないのであるが。)
そして、その事が教会としては、いや人間族としては非常に大問題だった訳である。
何故ならば、“魔王軍が再び復活するのではないか?”、という疑念が生まれてしまったからである。
再三述べている通り、この世界の特色として、魔獣やモンスター、すなわち“魔物の脅威”は元々存在した訳であるが、彼らは彼らで、種族も生態もバラバラだった事もあり、まとまって動く、という事は本来起こり得ないのである。
それ故に、人間族にも何とか対抗が出来ていた事もあり、生存競争を何とか生き抜き、今日の発展がある訳である。
しかし、先の魔王軍の台頭の例もある通り、仮に魔物達が団結して動く事態となれば、その前提条件が崩れ去る事となる。
もちろん、人間族は人間族で、以前とは違い“セルース人類”から授けられた『魔法技術』を持つに至ってはいたが、それでも先の大戦では苦戦は免れなかった。
これを何とか出来たのは、カエサル達“英雄”達が登場したからであって、仮にカエサル達が現れる事がなければ、勝敗は今とは別の形になっていたかもしれないのである。
そしてここで重要なのは、その魔王軍、すなわち魔物達が団結した要因の方なのである。
ご存知の通り、魔王軍が組織されたキッカケは、ヴァニタスによってとあるオーガが目覚めた事による人為的なものであった。
そのオーガ、魔王・マルムスは、『魔眼』という能力を獲得し、魔物達を半強制的に従わせる事を可能にした事により、本来ならばまとまる筈のない魔物達がまとまって動く事となったのであるーーー。
・・・この状況、先程の話に酷似してはいないだろうか?
魔物を使役出来る者の出現。
それは、先の大戦によってトラウマを植え付けられた人間族にとっては、“魔王の再来”を予感させる出来事なのであった。
(もちろん、先程も述べた通り、セレスティアの能力は、あくまで“相手とコミュニケーションを取る能力”に過ぎないので、魔王・マルムスが持っていた『魔眼』とは全く系統の異なる能力である。
しかし、何も知らない者達にしてみれば、魔物と仲良くしている≈魔物を使役している、と見える訳である。)
これは、人間族の間に不安を煽るには十分過ぎる情報であろう。
しかも、ただでさえ『新人類』達に不信感を強めていただけあって、相手を攻撃するには十分過ぎる“大義名分”となるのである。
「・・・魔王だ・・・」
「「「「っ!!!」」」」(ビクッ!)
誰かがポツリと呟いた言葉に、聴衆は肩を震わせた。
誰もが想像していた事を、具体的な言葉にしてしまったからである。
「魔王の再来だっ!!!」
「いやぁぁぁっーーー!!!」
「ま、また戦争が始まるのかよっ!!!???」
「どうすりゃいいんだっ!!!」
その言葉をキッカケとして、その場は混乱のるつぼと化した。
泣き叫ぶ者、不安を叫ぶ者、怒鳴り声を上げる者。
しかし彼らの心情は一致していた。
ーーー“不安”である。
人は、不安を感じるといとも容易く視野狭窄を起こす。
そして、そうした精神状態の時こそ、“詐欺師”にとっては絶好のチャンスなのである。
「・・・お静かにっ!!!」
「「「「「!!!???」」」」」
しばらく静観していたイアードであったが、機を見て再びよく通る声を響かせた。
「・・・皆さんが不安を感じるのも無理はありません。しかしご安心下さいっ!だって、我々が気付いたのですからっ!!!」
「「「「「っ!!!」」」」」
まるで役者の如く、大袈裟な身振り手振りを加えて力説するイアードだったが、聴衆はそれに何の疑問も抱かずに、むしろその圧倒的なカリスマ性に魅せられていた。
「気付いたのなら、問題の芽が大きくなる前にそれを摘み取れば良いだけの話ですっ!」
「・・・そ、そうかっ!」
「魔女を捕らえろっ!いや、殺せっ!!」
「そうだっ!」「そうよっ!」「殺せっ!」
「・・・・・・・・・」
聴衆の反応に、イアードは密かにほくそ笑むのだったーーー。
かくして、人間族の間ではセレスティアに対する(見当違いな)憎悪が高まっていってしまったのであったがーーー。
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