思わぬ落とし穴
続きです。
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魔王軍との戦争が終結して、それから更にかなりの年月が経過していた。
その間色々な事があったものの、一番の変化は、ラテス族、連合、“パクス・マグヌス”が友好関係、同盟関係を結び、一つの大きな文化圏、経済圏が誕生した事であろうか?
これは、英雄カエサル・シリウスと、同じく英雄ルドベキア・ストレリチア、英雄アルメリア・ストレリチアが協力して、その三勢力を根気強く説得した結果であったーーー。
魔王軍という脅威が去った後、生存戦略的に、政治戦略的に魔王軍に協力していた『新人類』達は、残念ながら追放という処分になってしまったのであるが、とは言えど、その後の展開から言えばその方が良かったのかもしれない。
何故ならば、ようやく平和が訪れたと思ったら、今度は人間同士の対立が表面化してしまったからである。
しかしこれも、ある意味では既定路線であった。
何故ならば、その三勢力は元々仲が悪かったからである。
“セルース人類”の寵愛を一身に受けている(と勘違いしていた)ラテス族は、その選民思想と彼らから授けられた『魔法技術』を背景に、他部族、他民族を従えるのが当然である、という考え方を持っていた。
(まぁそれも、当然ながら内部でも様々な考え方が存在するので一枚岩ではないのであるが、それでも長年育まれた思想は、もはや文化とか風習レベルでラテス族の精神に根付いている。)
もちろんこれは、偶然の産物と勘違いから始まってしまった事なのだが、もはやそれが正しいとか間違っているとかのレベルではなく、そう在る事がラテス族としての生き方になってしまっていたのであった。
で、当然ながらラテス族以外の部族、民族からしたら、それは面白くない訳である。
自分達を見下していて、なおかつその『魔法技術』を独占し、豊かな生活を送っている部族を、羨ましいと思ったり、不公平だ、と感じるのは、これは致し方ない事であろう。
とは言えど、それだけならまだ、小競り合いはともかく、本格的な衝突という事態にはならなかったのである。
『魔法技術』を持つか持たないかでは、そこに圧倒的な差がある訳で、ラテス族に反抗したところで、返り討ちに遭うのが関の山であるからである。
(そもそも、当時はまだ“連合”という組織は存在せずに、ラテス族以外の部族や民族は、バラバラに活動、生活していた事もあるが。)
一方のラテス族も、高い技術力は持ってはいてもあくまで一部族でしかなく、数の上では後に“連合”と呼ばれる他部族、他民族の者達には遠く及ばなかった。
それ故に、彼らを見下してはいても、彼らを征服する、という具体的な行動には移さなかったのである。
つまり、ある意味バランスが取れている状況だったのである。
もっとも、お互いがお互いに腹に一物があったので、ちょっとした事でそのバランスは容易く崩れ去る危ういものでもあったのであるが。
そして、その均衡を破ったのが、他ならぬヴァニタスであった。
元々持っていたラテス族への不満を煽り、更には彼らに対抗出来る簡単な『魔法技術』を連合側に与え、両勢力の衝突を扇動したのであった。
(もっとも、その目論見は、マグヌスら穏健派・慎重派によって、両勢力の全面的な争いに発展する事を一時的に阻止されたのであるが、彼らを排除し、その責任が連合側にある、と誤解させる事により、ラテス族と連合側の戦争を実現している。)
こうしてラテス族側と連合側で武力衝突、すなわち戦争が勃発してしまったのである。
で、当然ながらどちらの勢力内部にも、争いを望まない者達が存在していた。
そうした者達が分裂、合流し、後に“パクス・マグヌス”と呼ばれる中立勢力が現れ、ラテス族側、連合側の仲介、停戦を働き掛ける様になっていったのである。
この様に、武力衝突や混乱もあり、当然ながら三者が三者、お互いに良い印象は持っていなかったのである。
それが、魔王軍の台頭によってなし崩し的に協力する様になったとは言っても、元々持っている印象や不満などがなくなった訳ではないのである。
で、しかしカエサル達の活躍や解放軍の活躍もあり、何とか魔王軍の壊滅に漕ぎ着ける事が出来た訳である。
ラテス族側と連合側の戦争から始まって、魔王軍との戦争を経て、一時的には和平を望む風潮も出来上がっていったのであった。
ーーーもう、戦争はたくさんだ。
そういう、現場や一般市民達の思いもあったのであろう。
しかし、現場を知らない、民意を理解していない各勢力上層部では、魔王軍壊滅後にその後の主導権をどこが取るか、という政治的な主導権争いが勃発した訳である。
その煽りを一番食らったのが、英雄として名を馳せる事となったカエサル達だった訳である。
で、先程も述べた通り、魔王軍へと協力した事もあり、まず『新人類』達を追放処分にする事で、新興勢力である彼らの排除を推し進めたのである。
新興勢力ではあったが、魔王軍討伐での多大な功績を挙げた英雄四人組を擁する『新人類』達は、放っておくとかなりの発言力を持つ事となってしまう。
少なくとも、ラテス族、連合、“パクス・マグヌス”の三勢力にとって、後からやって来て、主導権を掻っ攫われる事は当然面白くない訳であるから、その点では思惑が一致した訳であった。
こうして表向きは、魔王軍への協力の罪、しかし英雄達への配慮もあって、『新人類』達を大森林地帯へと追放処分、という名の実質的な無罪放免としたのである。
しかしその実、彼らの政治的な影響力を奪い取る、というのが本当の狙いであって、英雄達に恩を売りつつ、自分達の目的も達成する、という一石二鳥である一手を見事になってのけたのであった。
が、当然それで話は終わらない。
『新人類』達を実質的に追い出す事に成功した以上、今度は三勢力の話に戻ったからである。
もちろん、再三述べている通り、魔王軍との戦争もあって、そう簡単に武力衝突に発展する事はなかった。
三勢力も魔王軍との争いによって疲弊していた事もあり、どちらかと言えば政治的なカードの切り合いになったのである。
ここで槍玉に上がられたのがカエサル達英雄の存在である。
魔王軍討伐の最大の功労者は、解放軍を除けば英雄達になるのはこれは当然の流れであろう。
そして、『新人類』であるアベル達を除くと、残る英雄はカエサル、ルドベキア、アルメリアの三名のみとなる。
この三名の所有権、いや、正確に言えば、どこに所属しているか(国籍があるか)で揉める事となった訳である。
彼らの影響力から鑑みれば、彼らがどこに所属しているのかによってその勢力の優位性が大きく変わるのだから、これも致し方ない事ではあったのであるが。
最終的に所属していたのは、魔王軍討伐の為に出奔するまで三名ともに“パクス・マグヌス”に身を寄せていたので、“パクス・マグヌス”は自分達にこそ所有権がある、と主張。
一方ラテス族は、ルドベキアとアルメリアはともかく、カエサルは元々ラテス族出身である事を根拠に、彼の所有権を主張。
もう一方の連合も、ルドベキアとアルメリアは、元々連合出身である事を根拠に彼女達の所有権を主張したのである。
こうして、互いが互いに譲らず、英雄達の所有権を主張し合った結果、最終的には英雄達自身の判断に委ねる事で合意した訳である。
たまらないのがカエサル達である。
ようやく平和が訪れたと思っていたら、今度は人間同士の政治的な争いに巻き込まれた訳であるから、特にカエサルは全てが面倒になり、密かにこの地から出奔する事を考える様になってしまったのである。
もちろん、この選択も有りと言えば有りである。
戦時ならともかく、平和な時代には英雄の力は必要ではなく、逆に英雄の存在が争いの種になる事もしばしばある。
ならば、その原因がいなくなれば、とカエサルは考えた為である。
その後、話し合いで解決するにしても、再び武力衝突に発展したとしても、それは当事者である人間達の責任であって、カエサルが責を負う事ではない。
しかし、ルドベキアとアルメリアの考え方は少し違っていた。
大人達が大人達同士で解決すべき問題である、という考え方には同意するところもあったであろうが、彼女達の経験や(偽)セレウスや(偽)ハイドラスから聞かされた彼らの(偽りの)過去も踏まえた上で、この件を野放しには出来ない、と考えたからであった。
覚醒を果たした事により、全ての元凶であるヴァニタスが発生した理由が人間達(正確にはアクエラ人類)の“集合無意思”である事を理解していた彼女達は、つまり人間同士が疑心暗鬼になり、負の感情を募らせる事によって、再び“ヴァニタス”が発生する可能性を危惧していたのである。
幸いな事に、彼女達はセレウスとハイドラスに助けられたが、それでも戦火に焼け出されて、家族、親族を全て失い天涯孤独の身の上となった彼女達は、当然ながら戦争に対する強い憎しみや忌避感を持っていた。
(まぁ、両親を失って天涯孤独となったのはカエサルも同じであったが、彼の場合はセシリアの腹心でもあったノインら“孤児院”の者達に助けられていた事もあり、幸いな事に実際の悲惨な戦場を目の当たりにする事はほとんどなかったのである。ここら辺が、根本的にカエサルとルドベキア達との間で違う部分であった。)
そんな彼女達は、再び戦争が起こる事によって、自分達の様な目に遭う子供達が増える事は看過出来ない事態であるし、更には“ヴァニタス”が再び生まれでもしたら、セレウスやハイドラス、果ては自分達がやって来た事が全て無駄、元の木阿弥になる事を何よりも恐れたのである。
そうした理由から、面倒だ、たとえ何が起こってもそれは自分達の責任だ、という、カエサルの様なある意味シビアな考え方を否定はしないまでも、それでも人間達の問題に正面から向き合うべきだ、と主張した訳である。
結果としてカエサルも彼女達の思いに同調し、三勢力の政治的なしがらみや対立に介入する事となった訳である。
ーーー当然ながら、それは一筋縄では行かない事であった。
部族間、民族間の対立の根は深いものであったし、“英雄”である事も逆に大きな足かせになったからである。
三勢力の上層部からしたら、彼ら三名が魔王軍討伐の功労者である事は紛れもない事実であっても、だからと言って政治的な話に介入するのはお門違いである、と考えていたし、何より自分達の立場を奪われる事をもっとも恐れていたからである。
所属(所有権)に関しても、彼らの持つ求心力、影響力が欲しかったのであって(分かりやすく言えば一種の傀儡、人気取りや客寄せパンダの役割を期待しただけであり)、彼らが政治的な活動をする事は望んでいなかったのだ。
しかし、その思惑を大きく外される事となり、一転して厄介な政敵を作ってしまった訳である。
もっとも、彼らが単純に腕っぷしの立つだけの者達ならばまだどうとでもなったのかもしれないが、生憎彼らは頭脳も明晰であり、知略を駆使した戦いも心得ていたので、彼らを追い落とす事も出来なかったのである。
逆にカエサル達は、現状を変える為には、古い因習やしがらみに囚われている今現在の上層部ではこの先未来がないと判断し、覚醒で得た能力を駆使して、彼らのふるい落としに取り掛かる。
当然ながら、三勢力の内部、特に若い世代でも、上層部、すなわち老人達の考え方に反発していた者達も多く、カエサル達は彼らの支持を集めた。
更には、権力の座に長く居座っていると当然ながら後ろ暗い事の一つや二つはある訳であり、そうした自身の不正、スキャンダルをカエサル達に暴かれて、上層部の者達は失脚する事となった訳である。
(もちろん、そうした事がバレない様にと手は尽くしていたのだろうが、覚醒を果たしたカエサル達の能力の前では無意味だった訳である。)
利用する筈が利用されて、追い落とすつもりが逆に追い落とされた訳である。
まぁそれも、因果応報、自業自得であるのだが。
こうして、古い体質、古い体制を刷新したカエサル達は、次に行ったのが三勢力の同盟関係、友好関係を築く事であった。
最初は三勢力の統合、統一も視野に入れていたのであるが、元々の考え方が違う勢力を無理矢理一つにしたところで上手く行くも筈もないので、それならば、とマグヌスに倣って、三勢力の強みを活かす事としたのである。
以前にも語った通り、マグヌスがやろうとしていた事は『魔法技術』を誰でも使える形にして不公平感を無くす事であった。
具体的には、『魔法技術』そのものではなく、それを道具などに落とし込む事で、『魔法技術』の恩恵を誰でも受けられる様にしたのだ。
これならば、『魔法技術』そのものはラテス族が独占しつつも、連合側も“パクス・マグヌス”も、『魔法技術』が使える様になる。
もちろん、『魔法技術』そのものの知識を解放した方がもっと良いかもしれないが、マグヌスも語っていた通り、そもそも『魔法技術』を習得するのはそう簡単なものではない。
最低でも、十年ほどはみっちり修行しなければ使えない技術であり、生活や仕事もある中ではそれはあまり現実的は話ではなかった。
それに対して、道具ならば多少慣れは必要でも、誰でも扱う事が出来る訳である。
技術そのものというより、どちらかと言えばその恩恵による豊かな生活に憧れを抱いていたラテス族以外の部族、民族にとっては、これも悪い話ではなかったのである。
では、ラテス族にとってはメリットがないかと言うと当然そんな事はなく、言うなれば『魔法技術』を交易、貿易の道具にする事によって、外貨を獲得する手段となったのだ。
更には、道具の製作には諸々の素材が必要になってくるので、それらを連合や“パクス・マグヌス”が供給する事で、ビジネス的な繋がりもより一層高まっていったのである。
こうして、それぞれが独立した組織、集団として存続しながらも、ある意味では一つの豊かな生活圏、文化圏が構築され、もはや争う事のメリットを極限までなくす事に成功した訳であった。
まぁ、それでも野心を抱く者達が全くいなくなった訳ではないのであるが、カエサル達が存在する限りこの平和も長く続く事となるであろうーーー、とはならなかった。
ここで、思いもよらなかった問題が発覚した為である。
脅威的な早さで、古い体質、体制を崩壊させ、新しい価値観、ビジネス的な繋がりを強化する事により、三勢力、いや三国に平和と安定、秩序をもたらす事に成功したカエサル達であったが、それでもそれらの改革には当然ながらそれなりの年月を要していた。
具体的に言えば、魔王軍が壊滅してから軽く十年ほど経過しており、当然ながら彼らもそれなりに年齢を重ねているーーー、筈であった。
ところが不思議な事に、彼らの外見年齢はほとんど変わらなかったのである。
いや、向こうの世界でも、実年齢と外見年齢にギャップがある人も確かに存在するが、それでもおよそ三十代半ばにまでなったカエサル達は、しかし魔王軍討伐当時と全く容姿が変わらなかったのであった。
もちろん、先程も述べた通り、たまに実年齢と外見年齢が合っていない人達も存在するので、多少の違和感があっても、今現在はまだそこまで問題視されるほどではなかった。
しかし、これがまた十年、また十年と時が経つごとに、明らかな異常が発覚するのは、まさに時間の問題であった。
カエサル達の外見年齢が変化しないのは、これは覚醒による弊害であった。
覚醒、あるいは『限界突破』は、人間の限界を超える事である。
それによって、脅威的な力を発揮する事はすでに述べた通りであるが、しかし何もそれだけが全てではない。
具体的に言えば、高次の存在に近付いた事により、彼らは、“不死”ではないものの、限りなく“不老”に近い身体となってしまったのであった。
では何故、この様な事が起こり得るのか?
これは扱う力に耐える為であった。
当たり前だが、扱う力が大きくなればなるほど、肉体もそれに比例して強く鍛えなければならない。
そうでなければ、力の反動に耐えられないからである。
(プロのアスリートが身体を鍛えるのは、これはパフォーマンスを維持する為であると同時に、怪我や故障をしにくい身体を作る為でもある。)
この世界では“レベルアップ”という概念が存在するが、基本的には向こうの世界と同様に、身体を鍛えていく事によって、扱える力を高めていく=それに耐えうる肉体を作っていくのは同じである。
(ただ、この世界の特異的なところであるが、“魔素”によって身体の内部情報を書き換えているので、向こうの世界とは違い、外見的な特徴が現れにくい、という違いも存在する。
例えば、普通なら筋肉モリモリのマッチョマンでなければ発揮出来ない様な力であっても、こちらの世界では一見華奢な身体をした者が同じ力を発揮する事が出来るのはこの為である。
もちろん、マッチョマンが存在しない訳ではないのであるが、見た目だけでは判断しにくい、という何とも厄介な要素も存在するのであった。)
しかし、これもあくまで“人間”としての範疇の話だ。
レベルの高い者達は、それだけ超人的な力を発揮出来るし、頑強な肉体を持ってはいるが、当然ながら“不老”などという馬鹿げた能力など持ってはいない。
カエサル達がそんな能力を持つに至ったのは、“人間”としての限界を超えたからである。
先程も述べた通り、扱える力に比例して身体も頑強でなければ、その力についていけずに身体の方が自壊してしまう。
で、彼らが扱える力は、当然ながら“人間”としての範疇をすでに超えている訳である。
となれば、そんなものに身体が耐えられる訳がない。
しかし現に、彼らはこうしてピンピンとしている。
その答えは、彼のドレアムと同様に、脅威的な回復力、いや、復元力を有しているからである。
“人間”に耐えられる出力を超える力は、どれだけ鍛え上げたとしても“人間”の身体では耐えられない。
しかし、傷付いた先から復元すれば、そんな無茶も押し通す事が出来る訳である。
もっとも、ドレアムと違う点は、それが認識出来ないレベルで起こっている事なので、カエサル達も気付かなかったのである。
しかし、改めて考えてみればそれも当然の事だったのであるが。
こうした訳もあり、とてつもない力を扱う上で彼らは、知らず知らずの内に復元力能力に目覚めており、そしてその元となるデータ、つまり復元するに当たってどこを基準にするか、という点において、“覚醒を果たした瞬間”で固定された為に、“不老”という状態になってしまったのであった。
当然ながら、これは大問題である。
アンチエイジングは世の女性にとっては憧れかもしれないが、本当に全く年を取らない、となると、これは世の理に反する。
平たく言えば、“化け物”である。
そして、そんな“化け物”が身近に存在すればどうなるか。
これは言わずとも分かる事であろう。
迫害されるか、逆に実験動物とされるか。
いずれにせよ、あまり良い未来ではない事だろう。
こうした思わぬ落とし穴もあって、カエサル達はもはや長く“人間の社会”で生きていく事が困難になってしまったのであるがーーー。
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