転換点
続きです。
突然だが、(地球)人類史のもっとも大きな発明は何だと思うだろうか?
もちろんこれは、様々な意見がある事だろう。
一例を挙げれば、それは青銅器だ、とする者もいれば、いやいや、鉄製の武器だろうとする意見もある。
あるいは、もっと時代は進んで、火薬、あるいはそれをもととした銃火器だと主張する者もいるかもしれない。
逆に、もっと根本的な話として、火を見つけた事だ、とする者もいる事だろう。
近年の話で言えば、核、コンピュータ、インターネット、と、人類は今日においても、確かに様々な大きな発明しているのである。
しかしここでは、人類の生活様式を根本的に変えたものとして、“農業”の話をしたいと思う。
歴史を学んだ事があれば、当然ながら理解していると思うが、農業、すなわち“農耕社会”になる以前は、人類はその他の多くの野生動物らと同様に、長い期間所謂“狩猟採集社会”を営んでいたのである。
木の実などの採集をし、野生動物を狩る狩猟をし、魚や貝などを取る漁労に勤しみ、人類は暮らしていたのだ。
しかしある時、人類は偶然発見する。
穀物などを、自分達で育てる事が出来る事に。
これが、農耕社会の始まりであった。
先程も述べた通り、これは非常に重要な発明となった。
当たり前だが、それまでは所謂“その日暮らし”の様な状況だ。
安定的な食糧の獲得とは程遠いので、当然ながら人口も少なかったのである。
しかし農業が発達した事によって、食糧の安定的な生産が可能となり、それまでとは比べ物にならない速度で人口が爆発的に増えていった。
人口の増加に伴って、それまで狩猟や採集などの仕事に追われていたのが、その時間に余裕が出来た事によって、所謂“職人”などの専門職が発展していく。
こうして農業は、人類が高い文明を築き上げる土台となった偉大な発明となったのであったーーー。
と、ここまでは、あくまで農業がもたらした正の側面に過ぎない。
当たり前だが、物事には正の側面があれば、同時に負の側面もあるものなのである。
上記の通り、農業が人類にもたらしたものは大きい。
高い文明力を持つに至ったのも、農業が発展したからである。
しかし一方で、農業は人類が生み出したもっとも愚かな発明である、とする意見も存在するのである。
意外に思われるかもしれないが、最近の研究では狩猟採集社会は、非常に平和的で、ある意味理想的な環境であったらしい事が分かっている。
もちろんこれは、今と当時では惑星環境の違い、すなわち、動植物の生態が豊かであった、という外部要因もあったので、一概に今、狩猟採集社会に立ち戻るべきだ、という話ではないが。(もっとも、個人ならばともかく、ここまで発展した社会にあっては、今更社会全体が、ある種の逆行をする事など現実的な話でもないのであるが。)
では、狩猟採集社会の何が、農耕社会より優れていたのであろうか?
まず第一に挙げられるのは、労働時間が非常に短かった、という事である。
現代の一般的な労働時間は、(先進国で)大体8〜10時間ぐらいであろう。
農業従事者となれば、もっとその時間は増えるかもしれない。
一方の狩猟採集社会の労働時間は、約4時間程度だった、らしい。
後は、武器などのメンテナンスや、土器の製作などの、所謂“余暇”にあてがわれていたそうである。
労働に追われる現代人からしたら、羨ましい事この上ない事であろう。
また、これはまだまだ不明な部分も多いのであるが、少なくとも集団での争い、すなわち戦争が非常に少なかったらしい事も分かり始めているそうだ。
狩猟採集社会は、獲物を求めて常に移動する社会であるから、そもそも縄張り争いをする必要がなかったのかもしれない。
次に、実は農耕社会になる以前の方が、人類の平均身長が高かった、すなわち、(身体に)良い食べ物を食べていた、というデータもある。
狩猟採集社会では、当然ながらいつも同じ物が食べられるという保証はない。
つまり、食べられる物を食べるのが生き抜く上では必要だったのである。
しかし、この多種多様な食べ物を食べる、という事は、栄養の観点から言えば非常にバランスが取れており、結果、狩猟採集社会の平均身長は、何と現代人よりも更に上の水準だったそうである。
一方の農耕社会では、確かに食糧の安定生産を可能としたが、逆に言えば常に同じ物を口にする、すなわち栄養のバランスが偏ってしまった、というのである。
実際、農耕社会に移行してからの人類の平均身長は大きく下がったというデータもある。
つまり、栄養バランスが悪くなってしまった、という事である。
更には、栄養バランスの面だけでなく、集団での生活様式に変わった事によって、感染症の発生頻度も高くなった。
農耕社会では、当然ながら農業だけでなく、家畜を飼育する事も始まる。
家畜は農業の助けとなるし、場合によっては食糧ともなるので非常に便利な一方で、家畜を媒介とした感染症が生じるリスクもあるのである。
しかも、農耕社会では、定住生活となる。
当たり前だが、農作地は簡単には移動出来ないからだ。
つまり、狩猟採集社会とは違い、一つの土地に縛られる事となった農耕社会では、感染症の影響をモロに受ける事となってしまったのである。
また、この“一つの土地に縛られる”、という事は、争いにも大きく関わりがあった。
狩猟採集社会では、土地の価値はそこまで高くはない。
もちろん、獲物が豊富であるとか、採集できる物が豊富である、などの外部要因はあるかもしれないが、そもそもの考え方として、常に放浪する生活様式であるから、獲物がいなければ移動すれば済む事。
仮に他の集団とバッティングしてしまったとしても、わざわざ命をかけて争う必要性がそもそもなかったのである。
だが、農耕社会では、農作地=土地は、ある種の生命線である。
しかも、爆発的に人口が増加した状況の中では、これを手放すというが選択肢がそもそもないのである。
何故ならばそうする事は、すなわち死を意味するからである。
しかし当然ながら、常に豊作である事などありえない訳で、仮に飢饉などがあった場合、これらの観点から、他の土地を奪おうとする心理が働く。(もちろん、狩猟採集時代より保存食は発展しているが、現代社会でも難しいのに、その時代で集団を丸々年単位で賄えるほどのものではないのである。)
先程も述べた通り、全滅を免れる為にはそうするしかないからである。
一方、争いを仕掛けられた側も、同じ理由から土地は手放せないので、結果として大きな争いに発展してしまうのである。
つまり農業は、大きな争いを生み出すもとともなってしまったのである。
更には、農耕社会がもたらした、現代まで続く負の遺産はまだある。
それは、貧富の差を生んでしまった事である。
狩猟採集社会は、皆平等であった。
獲物を狩っていた者達は、それを皆に分配していたし、採集をしていた者達も、それを皆に分配していた。
もちろん、リーダー的なポジションの者は存在したかもしれないが、せいぜい他の者達より良い部分を貰う程度で、それらを独占する事はなかったのである。
しかも、これも実際に発見されているものであるが、訳あって身体が悪かった者、脳機能に障害が出てしまった子供の骨なども見付かっていて、数年から数十年生きていたらしい事が分かっている。
つまり、悪い言い方ではあるが、狩りにも採集にも役に立たない者達すらも、集団で面倒を見ていた、というれっきとした証拠なのである。
これらの事からも、狩猟採集民は、お互いに助け合って生きていた、という裏付けである、とされている。
もちろん、農耕社会でも、そうした助け合いの精神がない訳ではないだろうが、一方で富を独占する者達が現れた事も紛れもない事実である。
実際、王侯貴族などの特権階級者は実在したし、彼らに支配された平民、農奴、奴隷なども実在していた。
そして、この経済格差は現代社会においても解消されない、どころかどんどんと広がり続けているのである。
この様に、農耕社会は間違いなく人類が文明を発展させる為の偉大な発明であったが、必ずしも人々を幸福にした、とも言い難いのである。
とは言えど、先程も述べた通り、今更農耕社会を止める事は出来ない。
今更社会全体が、狩猟採集社会に立ち戻るのは現実的な話ではないからである。
これは、他の発明なんかでも同じである。
(一例を上げれば、”核“がこれに該当するだろう。
現代においても、核廃絶は声高に叫ばれているが、当然ながらこれは実現していない。
何故ならば、核を手放す事はある種の自殺行為だからである。
有名な話として、核抑止論というものがある。
これは要約すると、核に対抗する為には自分達も核を持つ事によって、お互いに容易には使用出来ない状況、仮に片方が核を使った場合、その報復として即座に反撃する事を示す事によって、結果として核の撃ち合いにならない、とする理論である。
逆に言えば、核を手放す事は自らを無防備にする事と同義であるから、安全保障の観点から見れば、現実的にありえない選択肢なのである。
これについても、そもそも核を発明しなければこんな事にはならなかったのだが、しかしすでに結果が出てしまった後では、そこに立ち戻る事は困難なのである。)
と、この様に、一度世に出てしまったものは、なくす事はほぼ不可能に近い。
そしてこれは、当然ながらこの惑星においても同じ事が言える。
この惑星にセルース人類がやって来た事で、アクエラ人類のこれまでの生活様式から一変してしまった訳であるが、それらも踏まえた上でハイドラス達の取った選択肢とはどういったものだったのであろうかーーー?
◇◆◇
「つまりキミは、いや、キミ達は、我々セルース人類は、この惑星を去るべきだ、と主張するのかね?」
「ええ、その通りです。」
ソラテスらの“幽閉”が実行された後、長らく沈黙を保っていたハイドラスは、『セルース人類評議会』にそんな提案をしていたのであった。
『セルース人類評議会』とは、先の“神話大戦”を経て、暫定的に置かれたセルース人類の最高意思決定機関である。
ここには、各方面の代表者が選出され、様々な決め事などを話し合う場となっている。
と、同時に、各方面への牽制の意味もあり、ソラテスらの様に暴走する事がない様に、お互いがお互いを監視し合う側面もあった。
ちなみにハイドラスも、若手“能力者”の代表として、この評議会入りを果たしていた。
まぁ、“神話大戦”の立役者の一人であるから、それも当然と言えば当然なのだが。
「しかしこの惑星は、我々が長年かけてようやく発見した理想的な惑星だぞ?それをみすみす手放せとおっしゃるのか?」
「そうですな。それに、現実的な話としては、別の惑星を探すにしても、我々の宇宙船が保つ保証はどこにも・・・。」
案の定反発する声が上がったが、ハイドラスは焦るでもなく淡々と返した。
「早合点しないで頂きたい。私が言っているのは、一時的にこの惑星を去るべきである、という事です。何もこの惑星への入植を諦めて、再び宇宙空間を漂うべきである、と主張している訳ではありません。」
「・・・意味が理解しかねるな。何故そんな事をする必要があるのかね?」
「それは、アクエラ人類、セルース人類両方の利益の為ですよ。」
「「「「「???」」」」」
ハイドラスの発言に、疑問符を浮かべる評議会の面々。
当然そうなる事を見越していたのか、ハイドラスは再び口を開いた。
「まず前提条件として、我々のこの惑星への入植は、現時点では失敗している、と私は考えています。」
「何故だね?“魔素”の問題もある程度クリアしているし、ソラテスらの暴走も未然に食い止めたではないか?」
「確かに。しかし、ここで重要なのは、アクエラ人類の我々に対する“認識”の方ですよ。」
「“認識”・・・?」
「ええ。ソラテスらもアクエラ人類に対しては、比較的友好的に接していた様ですね。まぁ、“魔素”という未知の物質を学ぶ上では、彼らの協力が必要不可欠でしたから、それも不思議な話ではないのですが。」
「友好的なのならば、特に問題はないではないか。」
「それの何処が失敗だと言うのだ?」
続々と挙がる意見に、ハイドラスは懇切丁寧に返していく。
「それだけなら確かに問題ではないのですが、そこでアクエラ人類の我々への“認識”の話になっていきます。」
「「「「「・・・。」」」」」
「当初は彼らも、我々に対する“認識”は、妙に高い技術力を持つ者達、という程度だった事でしょう。バカにするつもりはありませんが、彼らの文明レベルから言えば、遠い他の惑星から来た宇宙人である、などとは分かりませんからね。これならば、少しばかり強引ですが、この惑星の住人として溶け込む事は不可能ではありませんでした。歴史においても、高い技術力を持つ部族が現れる事は結構ありますからね。」
「・・・ふむ。」
「しかし、ここで先の大戦がマイナス要素となります。高い技術力だけでなく、人知を超えた力を持ち、なおかつそれを彼らにも目撃されてしまいました。まぁ、当時はそんな事を気にしている余裕もありませんでしたけどね。ソラテスらを野放しにしていたら、この惑星を支配されるところでしたから。」
「そうか。では、アクエラ人類が我々に対して恐れを抱いた事が問題となる、と言いたいのだな?」
「それもありますが、むしろ逆にですね。彼らの中では、おそらく我々の“認識”は、同じ“人”から“神”へと移り変わってしまったのですよ。」
「いやいや、そんなバカな話・・・。」
「ない、ですか?想像して見て下さい。もし、我々の技術力を超える技術力を持ち、なおかつ、自然、どころか惑星そのものすら簡単に破壊する様な種族が存在したとしたら、我々はその種族に何と名前をつけるでしょうか?」
「「「「っ!?」」」」
「・・・仮にそんな存在がいたとしたら、我々はそれを、”神“と呼ぶだろうな・・・。」
「その通り。そして、それが、そのまま我々にも該当する話となってしまったのです。さて、それでは、そんな関係性へと変化してしまった訳ですが、このまま我々がこの地に残ったとしたら、この先どの様な事が起こると思いますか?」
「・・・人々の心理から言えば、”神“にすがりつく事だろうな。しかもこの惑星は、生き抜くだけでも過酷な環境だ・・・。つまり彼らが、我々に支配される事を望む様になる、と?」
「少なくとも私はそう考えています。」
「ふぅ〜む・・・。」
「「「「・・・。」」」」
そんなバカな話、とはならなかった。
少なくとも、自分達を大きく超える技術力を持ち、人知を超えた力を持ち、様々な知識を持つ存在が現れたら、普通ならば頭を垂れる事だろう。
生物の生存本能からすれば。
しかも、彼ら(セルース人類)に上手く取り入れば、今とは比べものならない裕福な暮らしをする事も不可能ではないのだ。
少なくとも、魔獣やモンスターの脅威から身を守る事は可能となるだろう。
そうなれば、支配、つまりは、この惑星に楽園を築いてくれる事を彼ら(セルース人類)に望む、かもしれない。
いずれにせよ、対等な関係とは程遠い関係になる事は否定しがたい状況であった。
「皆さんがどうかは知りませんが、少なくとも私は、この惑星の管理、すなわち支配を否定して、ソラテスらに立ち向かいました。もちろん、彼らが主張した事も理解出来なくはないのですが、あくまでこの惑星は、この地に住まう生命のものであって、我々のものではありませんからね。」
「・・・しかし、惑星環境の悪化を未然に防ぐ事は、そこまで悪い事なんでしょうか?」
今の発言は、おそらくソラテスに近しい思想の持ち主であろう。
ソラテスらを”幽閉“したとは言えど、やはりその思想に共感する者達は一定数いる様だ。
「もちろん、その事を否定するつもりはありません。私が先程、彼らの主張を理解出来なくもない、と言ったのは、そうした事もあるからです。しかし、我々はすでに”結果“を辿ったからそう思う訳で、必ずしもこの惑星の未来がそうなると決まった訳ではないのですよ。少し違うかもしれませんが、あらゆる経験をした”大人“が、その経験をもとに”子供“に生き方を強要したとしても、必ずしも良い結果となるかは分かりませんよね?逆に、”子供“の自由な発想や意見を潰す事になりかねず、反発されるのがオチだ。この様に、この惑星の未来はまだ確定している訳ではありません。”子供“を思うあまり、その行動を制限するのは、かえって危険なんじゃないか、と私は個人的に考えています。」
「「「「・・・。」」」」
「・・・。」
ハイドラスが言う通り、セルース人類は自らの発展に伴って、一度自分達の母星に壊滅的な被害をもたらしている。
それ故に、環境破壊について非常に過敏になっていた訳であるが、しかし、この惑星が惑星セルースと同じ道を辿るとは限らないのである。
もちろん、アクエラ人類の文明が高度に発展したとしたらそうした問題も出てくるかもしれないが、まだ何も起こっていない段階から将来を心配し過ぎるのはナンセンスな事なのだ。
つまり、それを口実としたソラテスらの言い分は、本来は大きな過ちなのである。
もっとも、セルース人類にとっては、ある意味納得出来る話ではあったかもしれないが。
「・・・それで、一度この惑星を去るべきだ、と?」
「ええ。この歪な関係性をリセットする為に、ね。もちろん、すでに出会ってしまっているので、この出会いを完全に消し去る事は不可能ですが、しかし時間が経てば、少なくともアクエラ人類の記憶などは薄れていく事でしょう。そうなってから、改めてこの惑星に入植しても遅くはないのではないでしょうか?」
「「「「「・・・。」」」」」
ハイドラスはそう締めくくった。
このままでセルース人類が入植したとしたら、アクエラ人類はセルース人類に依存する事となる。
そしてその上で、自らの生活保障を求めて、セルース人類の庇護、支配を望むかもしれないのである。
これは、ハイドラスの考えでは否定すべきものである、というのは上記の通りだ。
そして彼らには、その“仕切り直し”をする具体的な手段があったのである。
さて、そんな提案がハイドラスから出された訳であるが、果たしてセルース人類はどういう選択をしたのかというとーーー。
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