死の山 2
続きです。
・・・
山の中腹辺り、比較的広くなっているその場に、負傷者を囲う様に俺らは集合していた。
その中心には、ネモとハイドラスが立っていた。
「私が見るに、あなた方は“能力”を十全に活用出来ていません。あなた方の“能力”は、使いようによってはまだまだ可能性を秘めているのです。しかし現状では、先程も述べた通り、フル活用とは程遠いのです。これは、仮にパワーアップを果たしたとしても変わらない事でしょうね。しかし、逆に言えば、まだ伸びしろがある、という事でもありますし、発想力や応用力次第では、あなた方が想像する事以上の事が可能となりますよ。私が今から、その“ヒント”を与えましょう。では、負傷者の方々は前に。」
言われるがまま、負傷者達はネモの前に並んだ。
もっとも、その頭には疑問符が浮かんでいた事だろうが。
それは、俺らも同様である。
何故ならば、俺達は、自分達が“能力”を上手く運用出来ていると思っていたからである。
実際、俺ら“能力者”は、一通りの訓練を受けている。
昔と比べて体系化しつつある“能力”に、更なる可能性があるなどとはこれまで考えもしなかったのであった。
「あなた方の“能力”とは、すなわち“魂の力”です。しかし、ここでは分かりやすく、あえて“超能力”、としておきましょうか。では、“超能力”で出来る事について考えていきましょう。」
“超能力”とは、通常の人間には出来ない事を実現できる特殊な能力の事である。
“超能力”は情報の伝達に関する現象である超感覚的知覚(ESP)と、物体に力を及ぼし得るサイコキネシス(念力、PK)に大別している。
また、ESPとサイコキネシスを合わせて、PSIという名称も使われている。
ハイドラスやセレウスらが扱う“能力”も、これに類する力の総称の事であった。
では、具体的にどの様な事が出来るのであろうか?
もちろん、個人によっても、その“能力”はまちまちである。
本来“超能力”は、他の技術なんかと違い、訓練によって意図的に獲得出来る類の“スキル”ではないからである。(もっとも、修行などによって得られる可能性も明示されているが、それも絶対ではないのである。)
故に“超能力者”は、自分の力を選び取る事は出来なかったのである。
自身が発現した“能力”しか、本来は使えないのだ。
しかしセルース人類は、『資源戦争』という未曾有の危機に瀕した事で“能力者”達を見出し(あるいは、そもそもそうした者達は一定数存在したのだが、本人達が秘匿していた事や数多くの人々が存在していた事でそれらが隠されていたのである。それが、『資源戦争』による急激な人口減少によって見つけやすくなった、表面化しやすくなったのかもしれない。)、彼らの力を真剣に研究したのである。(もちろん、その過程で良いか悪いかはともかく、非人道的な扱いや実験動物の様な扱いを受けていた事実も否定しないが。)
そうした事を経て、”霊子力エネルギー“を発見したり、それを効率良く運用する為の“能力”の体系化に成功した、などの過去がある。
組織などの視点から考えると、ある程度“規格”を統一した方が扱い易いものだ。
それ故に彼らセルース人類は、『資源戦争』後の世界において、一種の軍事的組織としての、“能力者”の育成機関・教育機関を設立していた経緯があった。
しかしそれだと、先程述べた、本人の本来の資質、とは異なる可能性もある。
そうした矛盾を抱える事ともなったのであった。
先程も述べた通り、本来は個人によってその”能力“はまちまちであった。
例えば本来は超感覚的知覚(ESP)、有名なところで言えば念話や透視、念視などの、所謂調査向き、サポートタイプの能力者であったのにも関わらず、それだと“規格”に沿わない、などの理由によって、念力系の能力に無理矢理転向させる事も珍しくなかったのである。
(もちろん、それらも非常に貴重な能力でもあるのだが、何を重視するかによって価値観が変わる事もよくある話であった。)
ここら辺は、教育機関、特に日本の教育機関により顕著なのであるが、その個人の個性よりも、画一的、統一的な人材を育成した方が扱い易い、という体制側の思惑が存在したからかもしれない。
しかしそれ故に、何かしらの一芸に秀でていたり、実際には突出した才能や能力を持っていたにも関わらず、それらが埋もれる事ともなってしまったのであった。
また、これに類似した話として、“能力”が体系化された事による弊害ではないが、ある種のパターンやマニュアルが生まれた事によって、柔軟かつ自由な発想力が奪われてしまった経緯もある。
ここで一旦話は変わるが、アキト・ストレリチアの“強さ”とは、その圧倒的な身体能力でも、非常に高い魔法技術でもなく、元々異世界の人間であった事による、所謂“常識の枠”に囚われない自由な発想力や応用力の方であった。
実際に彼は、その見た目(容姿)の派手さとは裏腹に、地味ではあるが非常に効果的、効率的な手法を好む傾向にある。
スポーツにおいても、引き出しの多さは、イコール相手にとっては対応が難しい事の裏返しでもある。
もちろんそれは、器用貧乏ともなり得る可能性もあるが、それらを高いレベルで納めていれば、逆に手に負えないバケモノの誕生ともなるのである。
実際、彼が単純に“強い”だけだったならば、彼に対抗出来る手段はいくらでもあった事だろう。
少なくとも、一対一では勝てなくても、数で押せば勝てるかもしれないからである。
しかし、アキトの真の恐ろしさは、単純なパワーだけに頼らない事なのである。
だからこそ、彼の敵対者からしたら、厄介極まりない相手なのである。
彼を潰そうにも、彼自身も圧倒的な強者であるし、なおかつその周囲には常に強い仲間が取り囲んでいる。
しかも、単純な人気とかそうした事だけでなく、実利も含めた影響力も極めて高く、実際資産家としてロマリア王国を中心とした経済圏にも多大な影響力を持っているし、その関連で政治的な影響力も強い訳だ。
政界、財界にも人脈を持ち、多大な影響力を与える彼を、考えなしで倒そうと動いたら、逆に手痛いしっぺ返しを食らう事となるだろう。
彼自身、だけでなく、彼の仲間や彼の行動によって利を得ている者達からも、である。
もちろんこれは偶然の産物ではなく、彼が元・社会人として、大人として培った老獪さ・狡猾さによるものでもある。
ま、それはともかく。
話を元に戻そう。
つまりアキトが体現している通り、柔軟な発想力次第では、思いもよらなかった事を実現する事が可能なのである。
そしてそれは、ある種この当時のハイドラスやセレウスらが持っていなかったものでもあったーーー。
「何度かあなた方の戦闘を見させて貰いましたが、非常に統制が取れていますし、実際、“能力”を含めて非常に効率的な運用をしている印象でした。一見すれば、ですが。」
「・・・しかし、ネモ殿的には全くなっていない、と?」
「ハッキリと申し上げればその通りです。そもそもせっかくの“超能力”なのに、使い方がバカ正直過ぎますよ。もっと色んな事が出来るのに、それを全く活かしきれていない。」
「・・・と、言うと?」
「あなた方の運用方法は、主に“自己強化”と“付与”に偏っていました。もちろん、それを否定するつもりはありませんよ?事“戦闘”においては、これは非常に効率的な解だと思いますからね。しかし、先程も申し上げましたが、実際にはもっと自由度が高いものなのです。少なくとも、“自己強化”を思い付くならば、相手に対する“弱体化”くらいは思い付いても良いと思いますがね。それに、“自己強化”にしても、もっと柔軟に考える事が出来ると思います。」
「・・・ふむ。」
「例えばですが、ヒトには自然治癒の能力がそもそも備わっています。ならば、“能力”を活用すれば、“回復”くらいは可能でしょう?」
何だ、そんな事か・・・。
俺はそう思っていた。
「お言葉ですが、ネモ殿。その程度でしたら、私達も分かっていますし、実際、訓練過程で“自然治癒力の強化”はとうに学んでいます。」
ハイドラスがそう言うと、負傷者達は自分で自分を癒やしていた。
自信満々に振る舞うネモに、俺ら以上の回復効果に心当たりがあるものと思い、あえて話に乗っかったのだが、どうやら期待した様な話ではなかったと判断しての事であった。
「おや、それは失礼しました。なるほど、その発想には至っているのですね。では、相手の“弱体化”についてはいかがですか?」
「それも、当然学んでおります。今回の場合は、それよりも数で押した方が良いと判断した為、ネモ殿も観測する事が出来なかったかもしれませんが、“能力”を活用する事により、相手の行動を阻害する事などは私達にも可能ですよ。」
若干ドヤ顔でそう言ったハイドラス。
どうやら、ネモの発言に、プライドを刺激されてしまった様であった。
ま、それは俺も分からんではなかった。
もちろん、ネモの発言を全面的に否定するつもりもないが、俺らもそれなりに“能力”に関しては研鑽を積んできた自負があるからな。
「・・・残念ですが、やはり50点、と言ったところですね。」
しかし、ネモにとっては、それでも満足の行く回答ではなかった様である。
「な、何故ですか?」
「それは、そもそも“行動の阻害”、などという生易しいものではなく、案外簡単に即死を狙えるからですよ。しかし、あなた方はその発想に至っていない。」
「お、お言葉ですが、流石に“能力”を駆使したとしても、相手を速やかに即死させる方法など・・・。」
ない。
それが、俺らの常識だった。
残念ながら、現実は物語ではないから、即死能力などあり得ないのが常識だからである。
「いえ、そうでもありませんよ?そもそも、“生物”であれば、心臓なり呼吸なりを止めれば、それで事足りる事です。それならば、わざわざ戦う必要もないでしょう。」
「・・・フッ。流石にそれは無理ですよ。もちろん、その生物について詳しいならば話は別ですが、例えば、心臓の位置はどこだとかの内部構造の話ですね。しかし、初見の相手のそれらを把握する事など不可能です。それに、それをする場合、相当精密なコントロールを要求されるでしょう。立ち会いながら、戦いながらそれをする事は、あまり現実的な話ではないと思われますが?」
「それこそ、発想力が乏しいと言わざるを得ない。直接的にそれが難しいならば、間接的にそうした状況を作り出せば良いだけですよ?」
「・・・何ですって?」
ハイドラスの反論に、しかしネモは余裕の表情でそう返した。
「内部構造、身体構造に明るくなくとも、しかし、パッと見でも関節や血管などは分かるでしょう。それと、精密なコントロールも必要ありません。ただ単純に、それらに“空気”を送り込めば良いだけですからね。」
「「っ!!!」」
俺らはハッとした。
医療においても、血管内に処理出来ないほどの大量の空気を入れてしまうと、侵入した空気による血管の閉塞が起こり、空気塞栓とよばれる状態となる、と聞いた事がある。
胸痛、チアノーゼ、血圧低下、頻脈などが起こり、意識レベルの低下から失神などをきたすことがある、とか。
最悪、死ぬ可能性もあるらしい。
もちろん、これらは、注射などの医療行為に限定した話だが、しかし俺らの“能力”、念力ならば、確かにこうした状況を意図的に作り出す事はおそらく可能だろう。
また、空気だけでなく、血栓でも作れば良いだけだからな。
これならば、重要臓器などをピンポイントでどうにかする必要もない。
それに、相手を殺傷する事は難しくとも、関節に何かしらの障害を与える事によって、相手の動きを阻害する事も可能だろうし。
「そ、その手がありましたかっ・・・!」
「・・・何だって、俺らはそんな簡単な手段を思い付かなかったんだ・・・?」
一度答えが示されてしまえば、それはあまりに簡単な話だった。
しかし、俺らはそんな簡単な答えにも辿り着けなかったのである。
「まぁ、色々と煽りもしましたが、おそらくですが、それは意図的に避けられた情報の可能性もあり得ます。私が示した通り、“能力者”なら、全く手を触れずに相手を殺傷する事すら可能ですからね。それは、“非能力者”にとっては、恐ろしい事この上ない事でしょう。しかも、結果的にはあくまで内部的要因に過ぎませんから、殺人を立証する事も難しいでしょうからね。」
「そうか・・・。元々の“能力者”の境遇を考えれば、復讐させる可能性もあった。また、時代が進むにつれて“能力者”は増えていった訳だから、管理する側からすれば、反乱を起こされる可能性を常に警戒していた訳だ。」
「“洗脳”というと、非日常的な出来事の様にも思えますが、案外身近なものなのですよ。情報規制などによって、自分達にとって都合の悪い情報をシャットアウトする事で、リスクを最小限に留めようとしたのかもしれませんね。」
「・・・ふむ。」
確かに、それは考えられる事ではある。
本来“能力”は、ネモの言う通り非常に自由度の高い力なのだ。
しかし、そんな風に“能力者”達に教え込んでしまうと、最悪自分達に不利益があるかもしれない。
ネモの言う通り、触れる事もなく、しかも確たる証拠もなく完全犯罪が可能だからである。
それは、“非能力者”にとっては非常に都合が悪い。
が、しかし、どうにか“能力者”の力も利用したい。
そこで、逆転の発想である。
“能力”の使い道を限定する事で、“能力”とはそういうものである、と“能力者”達に錯覚させたのである。
そんなバカな。
と、思うかもしれないが、案外こうした事は起こり得る事でもある。
実際、歴史的にも、現代に生きる俺らからしたらバカげた事であっても、当時の“常識”を覆す事は難しかったりする。
例えば、専制君主制などは、一部の権力者達が大多数の人々を支配した構図だ。
単純な数で比較すれば、当然被支配者層の方が多い訳だから、支配者層を打倒する事は簡単に様にも思えるが、しかし、当時の被支配者層には情報がないので、その発想に至れなかった事もしばしば起こり得るのである。
また、感染症の対策方法や、衛生管理の方法など、現代ではあり得ない対策も、当時に生きる者達にとっては“常識”であった事も多々ある。
この様に、“常識”を覆す事は、実際には非常に難しいのである。
それに、仮に情報があったとしても、それをどう解釈するかによっても、方向性は多岐に渡ってしまうからな。
それに、一部の天才達がそれに疑問を持ったとしても、それが周囲に浸透していくには、それなりに時間もかかるものだ。
そしてこれは、俺らにも該当した事なのである。
俺らが訓練学校で学んだのは、“能力”によって自身の身体能力を強化する方法、すなわち“自己強化”と、兵器や武器類の強化をする方法、すなわち“付与”が主だった。
これは、あくまで“能力者”が、“霊子力エネルギー”の人柱か、軍属の一つに過ぎなかった事に由来する事なのだろう。
先程の話と重複する部分も存在するが、“非能力者”からしたら、“能力者”に上に立たれたら怖いからこそ、あくまで“使われる方”で居続けさせる為だったのかもしれない。
ま、いずれにせよ、俺らはすでに離反した訳であるが、それによって、情報規制から解放され、しかも、ネモという新たなるブレーンを得た事で、これまでの“常識”からようやく解放された、という事なのかもしれないな。
「まぁ、いずれにせよ、私の示した方法は、あくまで一例でしかありません。発想力や想像力次第では、更に色々な事柄が可能となるでしょう。そしてそれは、パワーがアップだけでは得られない事でもあります。」
「・・・確かに。」
いくら基礎能力が上がったとしても、単純で単調な手札は、相手にとっては脅威とはならないかもしれないからな。
搦め手を含めて、色んな手札を持っていて、かつそれらを使いこなす者の方が、ハッキリ言って怖いのだ。
「その事に、パワーアップする前に気付いて欲しかったのですよ。おそらくパワーアップすれば、ほとんどゴリ押しで事を進める事が可能となります。が、逆に言えばもはや考える必要もなくなってしまうので、思考の柔軟性はなくなってしまいます。ヒトは、力がないからこそ工夫するのです。その創意工夫こそ、ヒトが持つ最大の強みである事をゆめゆめお忘れなきよう。」
「「「「「・・・。」」」」」
以前から言及している通り、アキト以外の『異世界人』達は、“レベル500”の状態でこの世界に飛ばされた経緯がある。
この、“いきなり最強”状態は、色々と楽な反面、考える事を放棄する事にもなりかねないのであった。
何故ならば、考えるまでもなくほとんどがゴリ押しで何とかなってしまうからである。
一方のアキトは、もちろん前世の知識を持っていた事による“知識チート”状態ではあったが、それ以外のあらゆる事は、全て一からの積み重ねであった。
つまりそこには、当然ながら圧倒的な経験値の差が出来てしまうのである。
今でこそアキトは、神々を除けば、ほぼ最強の存在となっているが、当然そうなる前は、普通に弱い時期もあった。
まぁ、アルメリアの庇護があったので、ある種安全に成長出来た、という側面もあるが、それでも彼自身の興味などもあって、色々とピンチになる事も多々あったのである。
それらの経験があるからこそ、アキト最大の“強み”である発想力や応用力が磨かれていったのであった。
逆に言えば、アーロスらの様に、“いきなり最強”状態では、工夫する事を怠ってしまう傾向にあるのだ。
もちろん、アラニグラらの様に、そこから脱却出来た者達も存在するが、それはかなりの難易度と言わざるを得ない。
それならば、実際に強くなる前に、それらについて気付いた方が、まだ成長の余地がある。
考える事は、ヒトの最大の強みの一つである。
それは、戦闘においても日常生活においても変わらない。
創意工夫する事によって、同じ力でも様々な仕事が可能な様に、応用力や発想力は、それだけ重要な要素なのであった。
その一つの可能性に気付いたハイドラスらは、ここから急激に成長する事となる。
そして、いよいよ試練の時が刻一刻と近付いていったのであるがーーー。
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