惑星の植民地化
続きです。
◇◆◇
・・・えらく傲慢な考え方ですね。
ご自分が“神様”にでもなったおつもりですか?
いえ、もちろん、あなた方の技術力を否定するつもりはありませんよ?
“古代魔道文明”の遺産の事を鑑みれば、その技術力は明らかに今現在のこの世界の水準を大きく超えるものですし、何なら、僕のかつて生きた世界すら凌駕するものでしょう。
それに、今現在のあなた方の在り方は、確かに“神様”と呼ぶにふさわしい“高次の存在”である事も否定はしません。
ですが、これは僕の持論でしかありませんが、“神様”の存在については否定も肯定もしませんが、仮にそうした存在がいたとしても、それらが“世界”に干渉したとするのならば、それはお門違いだと思っています。
・・・まぁ、もしかしたらあなた方に言うのは筋違いかもしれませんがね?
ーフッ、耳が痛いな。・・・確かにお前の言う通りだ。俺達は安易にこの世界に干渉すべきではなかったかもしれん。少なくとも、そうするとしたのならば、あくまで“人間”として行うべきだっただろう。ー
・・・ふむ。
一応は反省しているのですね。
しかし、とかく人というのは、何でそんなに指図したがるかね?
いや、もちろんある程度の教訓とか思想は伝えても良いかもしれないが、それを押し付ける事は例え正しい事であったとしても間違っている。
要は彼らセルース人達は、変な選民思想に毒されてしまった訳である。
ここら辺は、“物語の結末”を体験してしまったが故であろう。
しかし、これは親が子供に生き方を強要するのと同様で、例えそれが善意からであろうと、それは余計なお世話だし、それに相手に真意が伝わらない事もよくある話である。
何故なら人は、結局のところ、自らの経験でしか物事を判断出来ないからである。
某マンガでも述べていたが、“痛みの伴わない教訓には意義はない。人は何かの犠牲なしには何も得る事が出来ない。”のである。
まぁ要するに、子供に“それは危ないからやっちゃダメよ。”と言ったところで、彼、あるいは彼女にはまだ“経験”がないので、何が危ないのかも分かっていないのである。
結果一度痛い目を見て、“これはやっちゃダメだ。危ないから。”と初めて理解、納得する訳だ。
もちろん、ある程度成長すれば、想像力も身についてくるので、実際に自身が体感した事でなくとも、問題点に気が付く事も出来る様になる。
しかし、まぁ親心としては分からんではないが(もっとも、僕は結局人の親になった事はないんだけどねっ!)、出来る事なら失敗させたくないという事で、この“失敗の経験”をさせない事は、返ってその子の成長を阻害する事にもなりかねないのである。
失敗も成功も、等しく貴重な経験なのである。
これらの事から、本当に子供達の事を思うのならば、過保護ではいけないのである。
挫折を知らない者達は、逆境に弱くなるからである。
故に僕から言わせれば、“神様”であろうと“セルース人”であろうと人の“親”であろうと、過干渉をする者達はいらん事をするだけの存在でしかない。
ーし、しかしそうは言うがね、アキト・ストレリチア。なるべくなら明るい未来に導いてあげる方が良いとは思わんかね?ー
それはそうですが・・・、では逆に聞きましょう。
あなた方はこの世界の未来を見通せていたとでも?
答えは、否です。
何故ならば、“未来”とは不確定な要素が多数混在するからです。
例えば、環境破壊に繋がった要因は、実際にはそう単純ではない。
向こうの世界の話にはなりますが、例えば“温暖化”などは、これは直接的な要因は二酸化炭素の排出量が増加した事になりますが、では、人類が火を獲得した事がそもそもの誤りと言えるでしょうか?
仮にその大発明を人類が獲得しなければ、今日の繁栄はありえず、結果、もしかしたら生存競争の中で淘汰されていたかもしれませんよね?
それに、人々が火を獲得してから数千年の時が流れましたが、これまでそこまでの影響は出てこなかった。
何故ならば、その排出量は、惑星の自浄作用に比べたら微々たるものだったからです。
これが、本格的に顕在化したのは産業革命以降だと言われていますが、では、こんな事起こらなければ良かった、と?
もちろん、環境の観点からはそれは否定出来ませんが、では世情を鑑みればどうでしょうか?
当時の情勢としては、特にヨーロッパ地方では、この“産業革命”に乗っかる事が出来なければ、それこそ自分達の滅びが待っていた可能性もある。
何せ当時は、そこら辺はバリバリの無法地帯ですからね。
経済的にも軍事的にも力を身に着けておかないと、あっという間に周囲から袋叩きに遭ってしまう事でしょう。
当時の者達からしたら、地球を汚すな、と言われたところで、自分達の生存が懸かっていますから、そんな言葉はナンセンスでしかない。
そして、それが一段落したとしても、今度は自国の経済的に、様々な産業は非常に重要な要素となる。
発展途上国からしたら、環境問題の観点から先進国が問題提起したところで、“いや、お前が言うな。”状態でしょう。
それこそ、所謂“上から目線”で物事を語っている様にしか見えませんし、結果としてそれが、新たなる対立構造となってしまいかねない。
つまり、今現在の状況に至るまでには、様々な歴史の積み重ねがあるのですよ。
当然ながらその当時の人々も、自らの課題に取り組んだ事でしょうが、それでも何ともならずに今日に至っている。
現代に生きる僕らからしたら、負の遺産を未来に遺された事にはなりますが、それを解決する最適解など、それこそ極論ですが先程も述べた火を放棄する事、しかありません。
何故ならば、どこかで修正しようにも、その一手によって状況が更に悪化する恐れもありますからね。
しかし、火を放棄する事は、つまり文明を放棄する事と同義です。
よく過激な活動家が“自然に立ち帰れ”、などと声高に主張しますが、それはあまり現実的ではないのですよ。
つまり何が言いたいかと言うと、本当に物事を変えたいのならば、劇的な変化を期待すべきではない、という事ですね。
少なくとも性急に物事を進める事は、あまりよろしくないカウンターを招きかねませんからね。
ー・・・よくそうペラペラ戯言を並べ立てられるものだな。貴様も似たようなものではないかっ!ー
・・・はて、何の事でしょうか?
ーしらばっくれるなっ!知っているぞ。貴様は『生活魔法』や『農作業用大型重機』などを開発し、世に送り出したではないかっ!それも、広義の意味ではこの世界に対する過干渉ではないのかっ!?ー
・・・何かと思えばその事ですか。
まぁ、確かにそれらは世の中に影響を与えた事は否定しませんが、しかし前提条件が間違っていますね。
何故ならこれらは、そもそもすでに存在していた技術だからですよ。
釈迦に説法かもしれませんが、『生活魔法』はあくまで基礎四大属性魔法を誰にでも使える様にしたものに過ぎませんし、当然ながら魔法使いや魔術師は基本中の基本として覚えているものに過ぎない。
もちろん、様々な事情のもと秘匿されていた技術を意図的に流出した訳ですから、それについては言い訳の余地はありませんが、しかし、“使える者”と“使えない者”という対立構造を解消する上でも必要な事でした。
それに、これは僕がしなくとも、いずれそうなっていた可能性が極めて高いのですよ。
何故ならば、ロンベリダム帝国で、すでに一般市民にも魔道具が流通していた状態だからです。
ロンベリダム帝国の優位性とは、つまり魔法技術を上手く活用していた点です。
軍備の増強はもちろん、市民生活レベルでも魔法技術を活用する事により、様々な効率化が進み、結果経済力も増した訳ですね。
軍備も経済も強いとなれば、それは当然ながら強国である事は間違いない。
では、そんな事例が身近に存在していたとして、各国がその流れに乗っからないでしょうか?
答えは否だ。
その事に気が付けば、いずれロンベリダム帝国を模倣しようとする流れになる。
つまり僕がやらなくとも、いずれ各国は魔法技術力の競争に発展した可能性が極めて高いのです。
それと、『農作業用大型重機』についても、確かにその“形”にしたのはある意味僕の責任ですが、しかし、“古代魔道文明”から再発見された『魔素結界炉』の骨格がすでに出来上がっていた状態ですから、形は違えどいずれ『農作業用大型重機』の様なものは造られた可能性が高い。
さて、では、これまでの話から推察するに、この“基礎”となったものを作り出したのは一体どなたでしょうか?
現代魔法も源流は“古代魔道文明”から来ていますし、『魔素結界炉』は言わずもがな。
そう、おそらくあなた方セルース人達が作り出した技術なんですよ。
もちろん僕の前世の知識は専門的なものではないのでアレですが、おそらく『英雄の因子』の能力を使えばもっとヤバい代物、例えば、原子力なんかを擬似的に再現する事も可能でしょう。
しかし、当然ながら僕はそんな物を産み出していない。
先程も述べた通り、せいぜい現代魔法の応用と、すでに発見されてしまった“古代魔道文明”の応用に過ぎません。
しかも、平和的利用に制限し、仮に何か悪用される事があれば、直ちに止められる様に細工もしてあります。
で?
一方のあなた方は?
“コントロールする”とか言っておきながらも、散々流出させているあなた方が、狭い範囲ではありますが、“魔法の無効化”を実現、すなわち魔法技術の一部コントロールを実現している僕に何か文句がある、とでも?
ーっ・・・!!!ー
ーやめておけ。・・・ここでアキト・ストレリチアの機嫌を損ねてどうする?まぁ、私も彼の言動は、いささかナマイキだとは思うが・・・(ヒソヒソ)。ー
ー・・・す、すまん(ヒソヒソ)。ー
・・・いや、聞こえてるんですけどね?
この場の特性に気付いていないのかしら?
ま、どうでも良いけどね。
失礼。
僕もヒートアップし過ぎました。
ただ、僕自身、一度陥りかけた罠ですが、僕は元来“支配”とか“秩序の構築”とかには一切の興味がありません。
だって面倒くさいから。
もし仮に、今の僕の力と知識があって、そういう思想に陥っていたとしたら、ハッキリ言って、もっと世界の姿は劇的に変わっている筈ですよ?
しかし、そうなっていない、という事は、それが全てで答えですね。
ー・・・。ー
おっと、話の腰を折ってしまいましたね。
話はまだ続くんですよね?
だって、今のお話からだと、今現在のこの世界を構成する要素の一部しか分かっていませんからね。
この先、どの様に“古代魔道文明”に繋がっていくのか?
それに、他種族・異種族はどの様に誕生したのか?
更には、セルース人達がどの様に“神”と呼ばれる存在に成って、歴史から姿を消していったのか?
ご説明頂けますか?
ー・・・分かった。ー
□■□
多くの有識者から協力を経たソラテス・ウィンザーは、その後、我々セルース人達の技術と魔素を組み合わせた全く新しい技術を開発していった。
これが、後に『魔法技術』と呼ばれる技術の源流である。
ちなみに、アクエラ人類の身体能力、強さ、魔素に対する適正などをデータ化した『ステイタス』や、その者が今どの段階に達しているのかの『レベル』などの概念を確立したのも、彼らによる功績であった。
データを管理・運営をする上では、その様な指標があった方が色々と便利だったからであろう。
それと、魔素が人体に影響を与える前に別の方向に誘導する技術、すなわち『魔法技術』が確立していった事で、セルース人達に対する悪影響も軽微になっていった。
例えるならば今までの対応は、大量の水を防波堤で無理矢理堰き止めようとしていたのに対し、その流れをコントロールし、別の流れ、川を作り出して結果自分達への影響を抑えようとした、みたいなものだろうか?
多くの自然現象と同様に、場合によっては生存の危機となるそれらも、上手く活用すれば自分達の生活を豊かにするエネルギー源と成り得る。
その事を、自分達の技術力と、現地民達の魔素の利用方法から導き出したのであった。
さて、ここまでくれば、我々セルース人の惑星アクエラへの入植も現実味を帯びた話となる。
何せ、一番の懸念点であった魔素をコントロールし、悪影響が、もちろん絶対ではないが、出ない様にする技術が確立した訳だからである。
しかし、一部の者達は当初の目的を忘れて、いや、もしかしたらこれが、ある意味当初の目的通りだったのかもしれないが(何せ『楽園開拓計画』などという名前がついているくらいだからな。)、徐々に暴走を始めていくのであった。
具体的には、現地民達をその傘下に納め、いや、言葉を選ばずに言えば支配下に置き、この惑星に自分達の成し遂げられなかった“理想郷”を創り出す、という傲慢な計画、考え方が蔓延していったのだ。
もちろん私自身も、我が母星を失った(に等しい)出来事には一種のトラウマを持っていたが、ここはあくまで惑星アクエラである。
自分達の成し得なかった事柄を、別の惑星で成そうなどとは本来お門違いであろう。
そうであるならば、むしろ『楽園再生計画』の方に参加すべき案件であるが、まぁそれは、今更言ったところで詮無い事であるが。
さて、ソラテス・ウィンザーを中心とした科学者、研究者のグループが徐々に暴走を始めていた頃、私、ハイドラス・ウォーカーや弟のセレウス・ウォーカーが何をしていたかと言うと、第1次先遣調査に参加して以降、特に魔素に関する影響を受けなかったにも関わらず、半ば強制的に“コールドスリープ”を受けていた。
故に、『アクエラ入植計画』にも、それに次ぐ『魔素克服計画』には直接的には関わっていない。
もちろん、その理由もある程度は納得出来る。
セルース移民船団には、かなりの規模の人員が在籍しているからだ。
仮に、惑星アクエラが何の問題もなく入植出来る環境だったとしても、それだけの規模の人員が一度に入植してしまったら、まず間違いなく惑星アクエラの環境に大きな影響を及ぼしてしまうだろう。
故に、期間をずらして少しずつ入植する事によって、この惑星への影響、混乱を最小限に留めようとした、という表向きの理由である。
当然ながら、いくら高い技術力を獲得したからと言っても、我々セルース人の寿命はせいぜい百年程度だ。
それに、あくまで移民船団は“移動手段”であって、生活環境はコストの問題もあって最小限に留められている。
故に、順番待ちをする上でも、“コールドスリープ”によって留め置いた方が、色々と効率が良かったのだろう。
だが私達は、その事に違和感を持っていたのである。
もちろん、老化の観点からも、長い移民生活を過ごす上では“コールドスリープ”技術は必要不可欠であった事だろう。
それに、コストの問題もあって、移民船団に生活環境を整える必要性を感じなかった事も。
しかし、まるで何らかの目的があって、わざわざそんな事をしたのではないか?、との疑念が私の中で生まれていったのである。
そしてその疑念は、ある意味最悪の形で徐々に判明していった訳であるがーーー。
やはり、“能力者”は厄介な存在ですね・・・。
折角身体の“自由”を奪ったと言うのに、理を超えて“思考”する事が可能だとは・・・。
もちろん彼らの存在は、私の“計画”には必要不可欠な要素ですが、場合によっては、その“計画”の一番の障害とも成り得る、か・・・。
これは、少々予定を早め、“洗脳レベル”を引き上げる必要があるかもしれませんね・・・。
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