ルキウスの方針転換
続きです。
今回から新章に突入します。
今回は、その導入部分と説明回です。
今現在の『ロンベリダム帝国』の皇帝であるルキウス・ユリウス・エル=クリフ・アングストゥスは、『テポルヴァ事変』を受けて、政策の方針転換を図っていた。
これまでは、所謂『帝国主義』的観点から、武力で周辺国家を無理矢理押さえ付けようとしていたのだが、今現在では、所謂『宥和政策』を全面に押し出し、周辺国家と良好な関係を構築する事を目指していたのである。
だが、これは別にルキウスが心を入れ替えたとかそうした人情的な話とかではなく、どちらかと言うと、『異邦人』であるタリスマン達に対する配慮・牽制としてであったーーー。
(ちなみに、『帝国主義』とは、一つの国家または民族が自国の利益・領土・勢力の拡大を目指して、政治的・経済的・軍事的に他国や他民族を侵略・支配・抑圧し、強大な国家をつくろうとする運動・思想・政策の事である。
ハレシオン大陸を統一する野心に燃えていたルキウスが、こうした主義に傾倒していく事はある意味当たり前の話と言えるだろう。
一方の、『宥和政策』とは、現状を打破しようとして強硬な態度をとる国に対して、譲歩することで摩擦を回避していく外交政策の事である。
つまり、この2つの思想は、全く真逆の考え方なのであった。)
・・・
『テポルヴァ事変』は、ある意味ではそうした『帝国主義』に対する一つの回答であった訳だ。
自国、と言うか、自分達の文化や生活圏を脅かされた『カウコネス人』達が、『ロンベリダム帝国』に対して牙を剥き、テポルヴァの街に対して攻撃を仕掛ける一斉蜂起を敢行したのだから。
もちろん、これは対外的に見れば、過去の歴史はともかくとして、『カウコネス人』達が武力を持って『ロンベリダム帝国』の領土を一方的に攻撃した事に他ならない。
故に、それを武力を持って鎮圧する事は何ら咎められる謂れはないし、当初はルキウスもそう考えていた。
ただ、ここにイレギュラーである『異邦人』のタリスマン達を投入した事で、ルキウスとしても想定外の事態が訪れる。
ルキウスのこの決定は、あくまで『異邦人』達を“治安維持活動”・“平和維持活動”を任務する部隊として投入する事で、あたかもルキウスに『異邦人』への『命令権』や『所有権』があるかの様に世間の者達に錯覚させる事で、『異邦人』の所属をなし崩し的に『ロンベリダム帝国』にある様に印象付ける狙いがあったのである。
つまり、当初から『異邦人』達を、紛争に介入させるつもりはサラサラなかったのである。
こうした世論の流れや空気と言うモノは意外とバカに出来ないモノだ。
あくまでタリスマン達『異邦人』達は、ルキウスの客分と言う立場であって、正式に『ロンベリダム帝国』に仕えている訳でも『ロンベリダム帝国』の国民と言う訳でもない。
当然ながら、ルキウスに『異邦人』に対する『命令権』や『所有権』がある筈もない。
しかし、一般の人々にとってはそんな事は知り得ない情報であるし、あまり関係のない事でもある。
客観的に見て、『異邦人』が自分達の味方をし、『ロンベリダム帝国』の為に努めてくれた事の方が重要だからである。
そうなれば、当然だが、『ロンベリダム帝国』の住人達によって、『異邦人』はもてはやされる事となる。
強力な力を持ち、自分達に味方してくれている(様に見える)者達を好意的に見ない筈がない。
そうなってくると、益々『異邦人』はルキウスのお願いを聞かざるを得なくなるのだ。
周囲の期待を裏切れないからである。
実際に、タリスマン達は元・日本人の特性と言うか国民性から、こうした周囲の状況や空気に流されやすい性質を持っている。
それを見抜いていたルキウスの慧眼は、やはり中々に侮れないだろう。
しかし、そのルキウスをしても、“レベル500”の力の真の恐ろしさと、『異邦人』の持つ特殊な事情にまでは流石に理解が及ばなかったのである。
以前にも言及したのだが、結局『テポルヴァ事変』は、アラグニラの独断専行で『カウコネス人』達を見せしめとして虐殺する事で『カウコネス人』の心を折って、早期に解決する事が出来た訳であるが、これがルキウスの想定外の出来事であった訳である。
何故ならば、『異邦人』達はそもそも争い事には消極的であり、また、この『テポルヴァ事変』は、『異邦人』とっては、遠い異国、どころか遠い異世界の民族同士の争い事であり、縁もゆかりもないモノだからである。
故に、どちらか一方の味方をして、敵対者を攻撃するほどの理由も覚悟もない訳で、ルキウスもそれは理解していたので、前述の通り、『異邦人』達を“治安維持活動”・“平和維持活動”を任務とする部隊としての活動する事を求めるに留めたのである。
もちろん、ルキウスとしては、そうした活動を通して、最終的には『異邦人』を抱き込む事は想定していたのだが。
しかし、『異邦人』の肉体が『アバター』であった事、それによって『TLW』のシステムである『カルマシステム』の影響を色濃く受け、本来の精神や性質から大きく逸脱した事、そして何より、ヴァニタスの介入を受けた事によりある種の諦めと覚悟を持ったアラグニラが自身の美学と理想を胸に覚醒した事で予定が大きく崩れてしまったのである。
もちろん、この事はルキウスとしてはメリットもあった。
先程も述べた通り、ルキウスと『異邦人』の詳しい関係性を知らない者達にとっては、『ロンベリダム帝国』には、向こうの世界で言うところの大量破壊兵器に近しい力を持っている事を内外に対して印象付けられたからである。
それによって、周辺国家に対する強力な外交カードを手に入れたに等しい。
周辺国家にとってみれば、その力は脅威以外の何物でもない。
もし『ロンベリダム帝国』へと反逆した場合、次は自分達がその力の餌食となるかもしれないと考えるだろう。
それ故、少なくともその詳しい詳細が分かるまでは、『ロンベリダム帝国』に対して恭順的な態度や友好的な姿勢を打ち出さざるを得ない。
武力をもって周辺国家を従える事も辞さないルキウスであったが、経済的観点から言えば、戦わずして勝てるのならばそれに越した事はない。
そうした事情も手伝って、アラグニラの独断専行や許可なく紛争に介入した事も不問としたのである。
だが、同時にデメリットもあった。
『異邦人』の持つ力が、ルキウスの想像を遥かに越えるモノだったからである。
しかし、これは仕方のない側面もある。
人の想像力は時として無限にも近しい可能性を秘めているが、しかし、大人になればなるほど、世間一般の常識などに縛られてしまうモノである。
いくら“レベル500”とは言え、『異邦人』達の力を、ルキウスやその周囲の者達はせいぜいS級冒険者より少し強力、程度の認識だったのである。
これは、そもそも“レベル500”に至った者達を見た事もなければ、これまで『異邦人』達のその力の片鱗を見た事がなかった事もあり、自分達の知っている一番強力な使い手であるS級冒険者と比較して想像するしかなかったからでもある。
しかし、同じく“レベル500”に至っているアキトの例にもある通り、“レベル500”とS級冒険者レベルではもはや次元が違う。
“レベル500”の力は、もはや自然災害と同様のレベルだからである。
もちろん、条件さえ整えばアキトや『異邦人』に近いレベルの力をこの世界の住人達でも発現する事は可能だ。
向こうの世界における近代兵器や、この世界における魔法技術などでもアラグニラが起こした現象を再現する事は可能だろう。
しかし、向こうの世界であれば様々な科学技術を駆使する事で、この世界の魔法技術ならば、多数の術者を駆使する事で可能なのであって、決して個人が起こし得る現象ではないのである。
ルキウスは、彼の想像の埒外であるとは言え、ニルらの報告からその事実を半信半疑ながらもしっかり受け止めていた。
これは為政者として、下手な方針を打ち出せば、比喩でも何でもなく、『異邦人』達の力によって『ロンベリダム帝国』がこの地上から消え失せる可能性がある事を朧気ながらに理解していたからである。
その末で、帝国民を煽って、『異邦人』達を『神の代行者』とほめそやして『異邦人』のご機嫌を取り、アラグニラの問題行動を不問とし、むしろ褒賞を与えたのであった。
ルキウスは、『異邦人』に見限られる事を恐れたのである。
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ただ、やはりルキウスは只者ではなかった。
前述の事情もあって、ルキウスと『異邦人』達のパワーバランスが一見崩れた様に見えるが、その力はともかく、頭脳や柔軟な思考力においてはルキウスの方が『異邦人』達より勝っていたのである。
ここで一旦話は変わるが、苛烈で独裁的な印象を受けるルキウスであるが、また、実際に『ロンベリダム帝国』の皇帝である事から独裁者としての立場を持ってはいるが、その実、彼は案外帝国民からの人気や支持が高かったのである。
これは何故かと言うと、彼は非常に合理的かつ革新的な考え方を持っていたからである。
例えば、これは何処の世界の国や組織にも当てはまる事なのであるが、そうしたモノが長らく続いていくと、ある種の“固定観念”や“ノウハウ”が常態化する事がままある。
これらは、良い意味合いで表現すると、“伝統”とか“風習”とか呼ばれるモノではあるが、同時に悪い意味合いで表現すると、“因習”とか“前時代的である”と揶揄される事もある。
実際、ロマリア王国やヒーバラエウス公国にも見られる様に、この世界では今だに個人の能力や正当な評価によって人々の上に立つのではなく、先祖伝来の立場によって人々の上に立つのが一般的であった訳だ。
もちろん、所謂“世襲制”の全てが悪い訳ではないし新しければ良いと言う訳ではないが、とは言え、明らかに能力不足な者達が上の立場に立ってしまうリスクも大きいのは否定出来ない。
それは、従わざるを得ない立場の者達からしたら不満でしかない。
もちろん、場合によっては、その上の立場の者達が能力的には劣るが人間的に魅力的な場合は、むしろその者を支えようと下の者達が奮起し、組織として非常に磐石になるケースも存在するが、大抵の場合は状況が悪化していく事が常である。
そして、生憎ルキウスは無能な者達に立場や仕事を与えておくほど非合理的な考え方の持ち主でもなければ優しくもなかった。
その末で、彼は無能な特権階級者達を多く排除している。
これが、他国の者達には、“敵性貴族の粛清”と映り、独善的だ、独裁的だと揶揄されるのであるが、それらに抑圧されていた人々にとっては歓迎すべき事態だった訳である。
もちろん、既得権益にすがっていた者達にとっては、悪夢の様な事態だっただろうが。
また、ランジェロら『メイザース魔道研究所』の研究員達の様な、他国では下に見られていた者達をルキウスは積極的に重用している。
何故、ランジェロらが下に見られていたかと言うと、これはヒーバラエウス公国のリリアンヌ・ド・グーディメル嬢の例にもある通り、今現在のこの世界では、『古代魔道文明』に関する研究は不人気分野だったからである。
もちろん、『失われし神器』の例にもある通り、『古代魔道文明』時代の遺物は非常に強力ではあるのだが、それ以上に現金な話、もし仮に新たなる『失われし神器』や『古代魔道文明』時代の文献や資料、技術を発見・発掘する場合には、強大な資金や膨大な時間を必要とする。
つまり、コスト面で大きなマイナス要素があるのだ。
しかも、仮に首尾良く事が運んだとしても、(例えばアキトが以前言及していた様に“兵器”としては転用が不可能な日用品などが出土するに留まる事もある為)それが全く使い物にならない、なんて事もザラである。
つまり、普通の『魔法使い』や『魔術師』からしたら、『古代魔道文明』に傾倒する事は、学術的には意義のある事ではあるが、それ以上に無駄が多い、言わば夢見がちなロマン主義であると思われているのだ。
それならば、今現在の魔法技術の向上を目指した方が遥かに建設的であるとの判断である。
そうした事から、『古代魔道文明』の研究に傾倒していた者達は一段下に見られる様になり、非常に肩身の狭い思いをしてきたのである。
だが、ルキウスからしてみたら、すでに強国であり魔法技術においても他国より先んじた技術を持つが故に、今現在の魔法技術だけでは『ロンベリダム帝国』のこれ以上の発展は難しいと考えていた。
結局、新しい発見や発明をする為には、新しい考え方や視点が必要だ。
その末で、他国にて燻っていたそうした『魔法使い』や『魔術師』などを勧誘しては『ロンベリダム帝国』へと招致していたのである。
『古代魔道文明』の研究についても、ある意味では新しい(温故知新と言う諺もある通り)発見があるかもしれないと考えた末にランジェロ達の好きにやらせていたのである。
これは、ルキウスが独自の裁量で資金や人事なんかを好きに動かせる土壌があっての事でもあった。
今まで自身の研究や存在を認められなかった者達にしてみれば、それはまさに青天の霹靂であった。
自身の価値を認められ、なおかつ研究も好きにやって良いなどと、ランジェロ達からしたら、まさに『ロンベリダム帝国』はこの世のパラダイスだった訳である。
そうした事もあり、彼らはルキウスに忠誠を誓い、彼の為に研究に没頭しているのであった。
この様に、ルキウスは他国ではあり得ない政策を次々と打ち出しており、帝国民や研究者達から厚い支持を得るに至ったのである。
もっとも、既得権益にすがっている保守的な考え方を持つ者達にとっては、ルキウスは非常に危険な考え方を持っていると危惧されて、やはり相応に敵も多いのだが、まぁ、それは良くある話である。
こうした意外と好奇心旺盛で柔軟な考え方や思考力を持つルキウスは、政策などに活かすかどうかはともかく、新しい物や考え方を目にしたり聞いたりする事を好む傾向にあった。
実際、『ロンベリダム帝国』は『ライアド教ハイドラス派』のお膝元である事から、他の一般的な国々と同様にドワーフ族以外の他種族を忌避する傾向にあるが、ルキウス個人はそうした差別意識は薄かった。
まぁ、だからと言って博愛主義者と言う事ではないが。
彼の価値観から言えば、人間だろうと他種族だろうと、使えるか・使えないかでしかないからだ。
さて、では話を元に戻すと、ルキウスが新たに打ち出した『宥和政策』。
これは、『異邦人』であるティアやエイボン達から得た知識を参考に考え出したモノであった。
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ティアとエイボンは、元・『LOL』、現・『LOA』の頭脳であり、皇帝・ルキウスらを『監視(牽制)』するチームとして『ロンベリダム帝国』内に滞在しながら、向こうの世界の知識をもとに『ロンベリダム帝国』の内政に協力、と言うよりも干渉していた。
これは、自身の立場や価値を守る為でもあった。
もっとも、対外的には『異邦人』は正式に『ロンベリダム帝国』の国民ではないので、直接的な政治・経済・軍事の話に関わる事は出来ない。
故に、あくまでこちらでも頭脳や参謀役として、意見を求められたら答える感じで、その価値を高めているのである。
ただし、ティアもエイボンも相応に頭の切れる者達なので、危険な知識は話さない様に心掛けていた。
これは、他のメンバーも同様だ。
流石に『異邦人』には専門的な軍事知識はないが、ゲームやアニメ、マンガ程度の知識であっても、それに着想を得て魔法技術と組み合わせ、強力な魔法や技術を生み出してしまう可能性を憂慮していたのである。
この世界の住人が強力な力を得てしまう事は、『異邦人』の優位性を損なう恐れもある訳だし、何よりも戦争の道具として利用されてしまっては目覚めが悪い。
故に、当たり障りのない程度の知識を述べるに留めていたのだが、しかし彼らは少し勘違いをしていた。
そもそも知識(情報)そのものに強力な力がある事を忘れてしまっていたのである。
これは、日々情報の渦に晒されていた高度な情報化社会に生きた者達の弊害かもしれない。
あるいは、その魔法技術はともかくとして、この世界に生きる者達の文明レベルが向こうの世界に比べれば劣っている印象を持ったが故の油断からかもしれないが。
いや、もっと言ってしまえば、ルキウスの頭脳や発想力を甘く見ていたのかもしれない。
ルキウスは、ヒーバラエウス公国のリリアンヌ・ド・グーディメル嬢と同様に、所謂“天才”の部類に該当する存在だ。
彼からしてみれば、ティアやエイボンが語るちょっとした世間話、ニュースレベルの話題からも新しい視点や発想、政策のヒントを得る事が可能なのである。
そうして得た知識から、また、『異邦人』に対する牽制とその後の布石とする為に、ルキウスは『宥和政策』、具体的には、周辺国家に対する“属国化”を推し進めようとしていた訳であるーーー。
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“属国化”と言うとイメージが悪いかもしれないが、また、それの何処が『宥和政策』なのかと疑問に思うかもしれないが、これは、案外向こうの世界でも普通に行われている政治的手法である。
向こうの世界でも、過去には少し前の『ロンベリダム帝国』の様に、『帝国主義』、つまり、武力を背景として勢力や支配地域を拡大していく路線はそれなりに一般的な考え方であった。
事実、日本における戦国時代も武力によって勢力や支配地域を拡大しようと目論んだ代表的な例であるし、大航海時代における『植民地支配』なんかも、それに類する考え方であった。
これは、現代の地球にも色濃く残っている概念ではあるのだが、しかし、今現在の地球では、そうした武力による支配は、人道的・人権的問題などの観点から国際社会から大きな批難を受けるリスクが存在する。
そこで、今現在では、むしろ武力ではなく、“経済的観点”からの支配が一般的な手法として確立していた。
自国の文化を発信する事で、若者を中心にその他国の文化を好意的に捉える様になる戦略、所謂“文化戦略”が有効なのは今更議論するまでもない。
その末で、その国の食文化、芸術・音楽・演劇・映画などの娯楽文化が広く受け入れられ、他国の考え方を受け入れやすい土壌が広がっていく事となる。
その結果として、何らかのビジネスや企業が他国へと進出して、その末に政治的・経済的・軍事的に他国に依存する事もよくある話であり、独立国として認められていながらも、何処か他国の属国としての性質を色濃く残している国々も多かったりする。
まぁ、これに関しては、政治的あれこれに該当するので、ここでは深い言及は避ける事とするが、つまり、もちろん武力を背景にしている側面はあるものの、直接的な武力の行使だけでなく、そうした手法を上手く活用する事により、比較的平和的・友好的に他国を侵略する事が可能なのである。
この発想は、ルキウスからしたら新鮮な発想であった訳だ。
言わば、直接的な武力に依存しない“文化的支配”と言う概念が、この世界ではまだまだ確立していなかったからである。
何故ならばそうした支配には、もちろん、様々な要因が考えられるのだが、テレビ、ラジオ、インターネットなどに代表される情報を発信する媒体の発展と、強大な資本を有する多国籍企業の登場がやはり大きな要素となるからである。
ちなみに、アキトはこの“文化的支配”、あるいは“経済的支配”を上手く活用し、ロマリア王国の上層部を落とす事を可能にした。
農業改革やそれに伴う新規事業、技術の確立。
『生活魔法』の共同開発。
『農作業用大型重機』の共同開発などなど。
こうした事を通じて、多数の雇用を生み出す事を可能とし、経済や人々の生活に多大な影響力を持つに至ったのである。
そして当然、何らかの要素でアキトがそうした事から撤退すれば、それらのキモはアキトが握っているので、それらの事業を継続する事が困難となり、多数の失業者が出て、経済的にも大きな損失となってしまう。
で、そうした不満が何処に向かうかと言うと、それはアキトではなく時の政府に向かう事となる訳だ。
(そもそも、少なくともこの世界においては、個人がそれ程の規模の影響力を持つなどとは想像もつかないからである。)
それ故、先のロマリア王国の世代交代の様に、アキトの価値を軽んじた者達をマルセルムらが排除した訳である。
アキトの不興を買って、三国同盟に合流出来なくなるのはもちろん、単純にロマリア王国の国力を衰退させたくなかったからである。
この様に、この手法は、もちろんそれ相応に事前準備や莫大な資金・時間を要するものの、その効果は絶大であった訳である。
しかし残念ながら、『ロンベリダム帝国』は強国であるし、魔法技術においても先進国であったが、前世の記憶も含めて様々な知識や技術に精通し、新しいビジネスや発明をポンポンと生み出す非常識なアキトほどの人材はいなかった。
だが、総合力で言えば『ロンベリダム帝国』の方が上であり、向こうの世界の先進国による途上国の支援、それによる新たなる市場の開拓の様に、周辺国家の自治、国としての在り方を認めつつ、経済支援や技術支援によって、周辺国家の発展を後押しする方向に舵を切ったのである。
これによって、周辺国家は徐々に経済的発展を遂げる様になり、そうした恩恵はロンベリダム帝国へも還元される事となる。
もちろん、周辺国家が持つ独自の技術がロンベリダム帝国にも流れ込むし、周辺国家のロンベリダム帝国に対する印象も良くなるし、『異邦人』達の心証も良くなると、ロンベリダム帝国としてもメリットも大きい。
もちろん、そうした技術を悪用されて、自国に牙を剥かれるデメリットもあるが、そこはそれ、『異邦人』の存在が大きな心理的ストッパーとなる訳だ。
この様に、政治家として何かを利用する強かさや計算高さにおいては、残念ながら『異邦人』よりもルキウスの方が遥かに上だった訳である。
それともう一点。
そうした『宥和政策』、もとい、“文化的支配”、あるいは“経済的支配”を推し進める傍らで、ルキウスは軍備の増強の為に、『魔砲』、すなわち新発明である“銃”の生産を密かに行わせていたのであったーーー。
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