5 恋のキューピッドは突然に
俺と里沙は苦笑いをしたまま、何事もなかったかのようにそれぞれ家に帰った。
あそして扉を閉め中から鍵をかけると、俺は手洗いうがいもせず自分の部屋に直行し、机の上に鞄を乱暴に置いてベッドに勢いよく飛び込んだ。
嘘だ。嘘だと言ってくれ。こんな偶然があってたまるか。
これからの生活はどうなる!? また昔のようにあいつに恐怖する日々が続くのか!? マジで勘弁してくれ!
俺はベッドの上で頭を抱えた。
……。いや、むしろ喜ぶべきなのか。幼馴染の美少女が隣に住んでいる。何て極上の響きだ。お年頃の高校生なら泣いて喜ぶ状況じゃないか。
……。駄目だ。考えれば考えるほど、あの傍若無人な里沙が頭を駆け巡る。どうしてもマイナス思考になってしまう。
これが柚子先輩だったら、大歓迎だ。むしろお金を払ってもいい。
そんなことを考えながらベッドで横になっていたら、転校初日の疲れもあって寝てしまった。底なし沼に嵌ったような重厚な1日だったぜ。
悪夢にうなされていたようだが、よく覚えていない。目を覚ますと時計の針は19時の少し前を指していた。
寝ている場合じゃない。俺は飛び起きるとすぐに制服を脱ぎ、部屋着に着替えた。そして、リビングに行くと母さんが夜ご飯を机に並べていた。
「あら、起きたのね」
「うっす。今日のご飯は何?」
「見ての通りよ」
テーブルの上には、鯛の煮付けなど豪勢な食事が並べられていた。
「今日はあんた達のために転校祝いよ」
果たして俺の転校はめでたいと言っていいのだろうか。
「もう直ぐ父さんも帰ってくるはずだからその辺で待ってなさい」
俺はソファに座り、テレビをつけると夕方のニュースが流れてきた。政治家が何か喋っているが頭に入ってこない。
これではまた眠くなってしまう。
……ってそうじゃない!
あの事について聞くんだ。
俺は母さんの方をちらりと見ると意を決して聞いた。
「母さんは隣に里沙が住んでいることを知っていたのか?」
「知ってるに決まってるでしょ。引っ越したとき、挨拶に言ってるんだから。あんたは知らなかったの?」
「なんで教えてくれないんだよ!」
「そういえばそうね。宏介には言ってなかったわ」
「ったく……。おかげで寿命が縮こまったぜ」
「うふ。また楽しくなりそうでいいじゃない。昔みたいにすぐ仲良くなれるわよ。それにあんなに美人になってたし……。うふふ」
母さんは俺の方を見てニヤニヤしていた。不気味な笑いだ。
俺と母さんが色々と話していると妹がお風呂から出てきたようだ。
「いやー、さっぱりしたよー。あ、お兄ちゃん起きたんだ!」
「うーっす」
俺は妹の亜子の方に目を向けると、目のやり場に困った。
妹よ。なぜ服を着ていないんだ。
さすがにバスタオルは巻いていたが、中学2年生とは思えない胸元は谷間を作っていた。
「あ、お兄ちゃん私をエロい目で見てる〜。もう! エッチなんだから!」
「そんなわけないだろ! 服を着ろ、服を! はしたない」
「もう照れちゃってー」
亜子はそう言うと俺の隣に座りテレビを見始めた。
ニュースがつまらないとか言い出してチャンネルをコロコロ変えている。残念だがこの時間は、ほとんどニュース番組しかやってないぞ。バラエティ番組が始まるまであと少し時間がある。
そして、それに気づいたのか亜子は部屋に戻ってしまった。
「着替えてくる!」
亜子はドタドタとリビングを飛び出して行った。全く、騒々しい妹だ。
その後、親父も帰ってきたので俺達家族4人は食卓を囲った。
親父は俺と亜子に新しい学校はどうだとか、楽しくやっていけそうかとか、根掘り葉掘り聞いてきた。
一見怖そうな親父も俺達のことを心配してくれているんだな。
食事が終わると、俺はお風呂に入り自分の部屋に戻った。
そして机に向かい、入部届けを書いた。
何はともあれ明日からSF研究部の部員になれる。あの天使のような柚子先輩と一緒の部活だ。
あの出会いは偶然ではなく運命だ。神様が俺に与えてくれた一世一代のチャンス。俺はそう固く信じている。
とにかく柚子先輩のことを考えるだけでニヤけが止まらなかった。これはいけない。このままでは、ただの変態だ。
しかし、このあと待っているであろう楽しい部活のことを考えると、止め処なく期待が溢れ出ていた。
日付が変わる少し前、波乱の幕開けをした高校生活に不安と期待を寄せながらベッドに入ると、俺は眠りについた。
そして、朝がやってきた。少し起きるのが遅い俺は、顔を洗い口をゆすいでからリビングへ向かい、家族に挨拶を交わすと朝食の席についた。
朝食を済ますと、本格的に学校の準備をして家を出た。
朝目覚めてから家を出る瞬間まですっかり忘れていたが、俺が家を出ると同時に隣人も家を出てきた。
「あ」
なぜ登校時間まで重なるんだ!
昨日の下校時と同じく、幼馴染の美少女と一緒に学校へ行くという奇跡なはずのこの一時。俺にとっては荷が重い。
マンションを出てすぐに俺は、里沙に話しかけた。
「頼むから今日から監視はやめてくれよ」
「……」
里沙は無反応だった。
「おい! マジで変な噂が立つぞ」
里沙はジト目でこちらを見てきた。
「絶対にばらさない?」
「もちろん! 俺だって人の嫌がることはしないさ」
ふふふ。ばらしたら脅しが使えなくなるもんな。それに俺しか知らない美少女の秘密、その秘密を俺しか知らないというこの形容し難い気持ちを、正直言って独り占めしたい。
「本当に!?」
「本当だって」
「じゃあ指切りしましょ」
「へ?」
俺たちは指切りをして、秘密をばらさないという約束をすると、里沙は満足したようだった。こいつの判断基準はどこにあるんだ!?
そして、駅を過ぎた頃、突然後ろから声をかけられた。
「おっはよう!」
俺たちが振り返ると、そこにはいかにもギャルっぽい女子がいた。おでこを出した茶髪ヘアーに短いスカートの女子だ。人を見かけで判断してはいけないと言うが、正直このタイプは苦手だな。
「おはよう」
里沙は挨拶を返すと、爽やかな笑顔でテレビの話だとかネットの話題についてギャルと話していた。
そうか、このギャルも騙されている被害者なんだ。同情するぜ。
少し歩くと、ギャルは俺の方をちらりと見て聞いてきた。
「ところで、さっきから一緒にいるこの人誰?」
「私の幼馴染で昨日偶然にも嵐ヶ丘高校へ転校してきたの」
「へぇー。里沙の幼馴染か……。私は里沙の友達の倉持咲。よろしくね!」
あれ? 何だか優しそうな人だな。
「俺は鈴木宏介です。よろしくお願いします!」
「あはは! 何で敬語なの? タメ口でいいってー」
しまった。苦手なタイプという先入観から緊張してしまった。
「お……おう! よろしく!」
「うむ。よろしい」
倉持はスマートフォンを手に持つと、俺の顔に向けてきた。
「友達記念! サークル交換しよ!」
サークルとは、誰もが使うメッセージアプリである。
これだ。俺が憧れていたのはこれだよ! いかにもリア充って感じだ。
苦手なタイプとか言ってすみませんでした。
俺もスマートフォンを取り出し、サークルアプリを開くと、咲と連絡先を交換した。
初、高校の友達と連絡先交換達成! おかげで最高の朝になったぜ。
そして、その横で里沙は、俺たちを気に入らない様子で見ていた。
倉持が里沙を見ると、あっという顔で俺たちを交互に見た。信じられないという顔をしている。
「まさかあんた達、連絡先も交換してないの!?」
そのまさかだ。
「そっかー。里沙は高嶺の花だもんね。ちょっとやそっとの男とは交換しないんだ」
「そ……そんなことないわ。忘れていただけよ。ほら今ここで交換しましょう」
里沙は恥ずかしがりながらスマートフォンを取り出し、サークルアプリを開いた。
俺も言われるがまま里沙と連絡先を交換した。
そんな俺たちの様子を倉持はニヤニヤと見ていた。
「はは〜ん。そういうことね!」
何がそういうことなんだ? 何か勘違いをされているような気がしてならなかったが、サークルの友達が2人も増えた。素直に嬉しい。
しかも、女子2人だ。自分でも信じられないぜ。
俺は一生あなたについていきやすぜ倉持のアネキ! ……いや、一生は言いすぎたな。
続く