141 違う景色
秋葉の財布に五円玉は入っていなかったが、幸い俺の財布に二枚入っていた。
「はい、二枚あったから一枚あげる」
「ありがとう♡ 大切に使うね」
俺は秋葉に五円玉を手渡した。
彼女の手のひらに指が触れる。
「ひゃっ! 宏くんの手冷たい」
冬の寒さのおかげで俺の手は冷えていた。
自分の顔を触って確かめてみたが、全身から力が抜け、寒気がした。
「俺って冷え性かもな。ま、手の冷たい人は心が温かいって言うし」
「宏くんの心の温かさは私がよく知ってるよ」
冗談なのか本気なのか分からないやり取りに俺たちは笑い合った。
そして、手に持った五円玉を慎重に賽銭箱へ投げ入れると、社に向かって手を合わせた。
何をお願いしようか。
世界平和、全人類の笑顔、自由平等。
そんな大それたことを願ったら神様も困惑してしまうだろう。
それに、そういった願いが叶うのであればとっくに叶えててくれてもおかしくない。
結局、自分で叶えるしかないのかな。
神様には力を借りるだけで、行動を起こすのは自分しかいない。
なんてことを考えてみたりして。
日本の一高校生が祈ることなんてもっとちっぽけなことでいいのさ。
というわけで俺は、美味しいご飯が食べられますようにとお願いをした。
「ふふふ」
秋葉は俺を見て小さく、楽しそうに笑った。
「俺の顔に何かついてる?」
「ううん。宏くんが真剣にお願い事をしてて、嬉しくなっちゃった」
どうやら考え事をしていたのがよっぽど熱心に見えたらしい。
俺たちはお参りを済ませると、公園にあったベンチに腰掛けた。
「秋葉は何をお願いしたんだ?」
「えー、それを聞くのは野暮だよ。でも、宏くんになら教える♡」
「それは悪かった。そしてありがとう」
「えへへ。私は、もっともっと宏くんについて知ることができますようにってお願いしたの」
「俺について……知る……?」
「そうだよ。宏くんの隅から隅まで知り尽くしたいの♡」
秋葉さん? 目が怖いんですが。
彼女の目は俺の心の奥を捉えているかのようだった。
「今回はお願いしなかったけど、宏くんに私のことをよく知ってもらいたいって気持ちもあるよ」
秋葉のその一言は俺の心に突き刺さった。
やっぱりそうだ。俺は秋葉を始め、周りの人のことを自分からよく知ろうと思うことが少なすぎるんだ。
他人に興味がないわけじゃない。ただ、人との距離感の詰め方が分からない。
「なあ、秋葉」
「なあに?」
「どうやったら秋葉のこと、もっと知ることができるんだろう?」
「え!? それって……♡」
「あ、えっと、自分以外の人について深く知っていきたいんだ」
この時の俺はいつになく真剣な顔をしていたと思う。
秋葉も真剣な顔つきで答えてくれた。
「宏くんの考えてることや悩み、したいこととか、とにかく思いを素直に話してみればいいんじゃないかな。他人のことを知ろうと思ったら、まずは自分のことを知らせるのがいいかも」
「うーん……。悪いが、俺には難しい話みたいだ」
「そっかぁ。私もすぐには理解できなかったけどね」
自分のことを知らせると相手のことを知ることができるという意味が俺には分からない。
自分のことばかり発信していたら、それこそ相手のことなんて聞くことができないのでは?
頭では必死に彼女の言うこと理解しようとしたが、考えだけが空回りしていた。
「さっき私に相談してくれたよね。宏くんが私に相談してくれるなんて今までになかったはずだよ。きっとそういうことでいいと思うなぁ」
「あー。さっきより少し分かった気がする!」
秋葉は嬉しそうな顔を俺に向かって見せた。
そしてベンチから立ち上がると、「そろそろ帰ろっか」と言って先に歩き出した。
俺は、何だか世界から取り残される気がしたので急いで秋葉の隣まで駆けた。
「今日はありがとな」
「それはこっちのセリフだよ。宏くんのおかげで元気になりました。ありがとう♡」
その後俺は、秋葉を駅の改札まで送り届け家に帰った。
母さんの作る料理の匂いが鼻から肺までを満たす。
暖房で暖められた我が家のリビングは俺を優しく包み、いるべき世界にいさせてくれるような安心感をもたらしてくれた。
それからご飯の前に風呂を済ませ、自分の部屋に戻った。
暇つぶしにスマートフォンのゲームを起動させたが、長く続かなかった。
とうとうゲームに飽きてしまったのかと自問自答をする。
それ以外に何かしようにも、何も思い浮かばず手持ち無沙汰になってしまった。
勉強とかするべきことはいくらでもあるような気がしたが、ベッドに勢いよく飛び込み天井を見上げる。
「ふぅ……。俺は一体どういう人間なんだろうか……」
柄にもなく、一人そう呟いた。
結局答えは見つからなかったが、秋葉のおかげで自分を見つめるいい機会になった。
彼女に相談したことで、今までとは違う自分への第一歩になったような気がする。
「お兄ちゃん! 早くご飯食べろってお母さんが言ってるよ!」
亜子がノックもせずに俺の部屋の扉を開けてきた。
「もうそんな時間か。今いくよ」
「もう〜! 私はお兄ちゃんと一緒にご飯が食べたいんだから」
「なぜだ?」
「え!? 無表情でそれ聞く!?」
「すまん。ちょっと難しいことを考えてたから」
「そうなんだ〜。そりゃあ家族だからね。皆んなで楽しく食べたいでしょ!」
「へ〜。そういうことか」
「今度はニヤニヤしてるし……」
俺は立ち上がると、亜子と一緒にリビングへ向かった。
いつもと違う景色の見えた今日この日のことは、心にそっとしまっておこう。
続く




