139 保健室の眠り姫
どうする!? どうすればいいんだ俺!?
このままでは秋葉の魔術に嵌ってしまう。
それに、こんなところを誰かに見られてしまったら一瞬で噂が広まる。
光の速さよりもはやく校内を噂が駆け巡るだろう。
「秋葉、頼むから離してくれ」
「いや……。しばらくこのままでいようよ」
うわあああああ!
気がおかしくなりそうだ。
とにかく、ここは脱出するしかない!
「駄目だよぅ……」
秋葉の力がさらに強くなる。
嘘だろ!? これが弱った女子の力ですか!?
「保健室の先生もいつ戻ってくるか分からないし、ここは一旦離れよう! な?」
「私は誰かに見られても平気。どうしても離れたいっていうなら……」
「いうなら……?」
「キス……して……」
「ふあっ!!??」
秋葉の口から超弩級の爆弾発言が飛び出した。
正気だよな……?
「そういうことは勢いに任せない方がいいと思うぞ!」
「勢いじゃないもん。私はいつでも本気だよ」
俺は思わず固唾を飲んだ。
秋葉の柔らかそうな血色の良い唇が目に入る。
少し赤みがかった綺麗な頬に俺を写した曇りなき瞳。
間近で見る彼女の顔は、どの部分も愛おしいほど綺麗だった。
「宏くん……」
「秋葉……」
俺と秋葉は見つめ合った。
彼女の瞳に吸い寄せられそうなほどだった。
このまま俺たちの関係は前進してしまうのかと思った瞬間、保健室の扉が開く音が聞こえた。
俺は扉の開く「ガラガラ」という音が体に突き刺さったかのように飛び起きた。
さすがに今回ばかりは秋葉の力も俺に負けたようだ。
「あら、いつの間に? 大丈夫かしら?」
白衣を着た保健室の先生が長い髪をかきあげながら俺たちのもとへやって来た。
「具合が悪い子はそっちの子ね。あなたは付き添い?」
「はい。急に体調が悪くなったみたいで……」
「へぇ……。この子のことが心配なのね。素敵じゃない」
先生は白衣の袖を捲り、秋葉の触診を始めた。
「特に異常はなさそうね。一応熱を測っておきましょう」
先生は体温計を取り出すと、秋葉に十分間それを脇に挟んでおくよう命じた。
「じゃあ俺はこれで……」
「あら? もう行っちゃうの?」
「俺は見ての通り元気なので」
「お茶ぐらいだすわ。少しお話ししましょう」
それならお言葉に甘えて。
俺は先生に誘われ、椅子に座った。
彼女は慣れた手つきでお茶を淹れ、クッキーまで出してくれた。
至れり尽くせりじゃないですか。まるでカフェだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
紅茶の香りが鼻を満たす。
舌を火傷しないように慎重に口へ運んだ。
「どうかしら?」
「美味しいです」
「それは良かった」
先生は紅茶を一口飲むと話を続けた。
「私は蓮木朱梨って言うの。あなたのお名前は?」
「俺は鈴木宏介です」
「何年生?」
「一年です」
「あら、まだ二年間も高校生活を楽しめるわね。今のうちに楽しんでおくことよ」
「はい!」
「宏介君は部活やってるの?」
「SF研究部に入ってます」
「ああ、あの面白そうな部活ね」
「知ってるんですか?」
「ええ、風の便りで名前ぐらい耳にするわ」
「そうなんですか。蓮木先生はずっとここに?」
「そうよ。私が保健室の先生だもの。基本的にここにいるわ」
「ですよね」
俺は、蓮木先生のおっとりとした雰囲気のおかげで心を落ち着かせることができていた。
教室とは違った雰囲気で、校内の流れから切り離されているような感覚さえ覚えた。
その後、しばらく先生と話し込んでいるとすぐに時間は過ぎ去った。
時計を確認すると授業開始の五分前だった。
「そろそろ行きますね」
「ええ。サボりたくなったらいつでもいらっしゃい」
いや、先生としてそれを言ってはいけないだろう。
でも、そんな言葉に甘えたくなる自分もいる。
少し名残惜しい気もしたが、俺は教室へ戻って午後の授業を受けた。
結局、その日は放課後になっても秋葉が戻ってくることはなかった。
鞄も机に置きっ放しで、帰り仕度さえ出来ていない。
俺は秋葉のことが心配になり、SF研究部へ行く前に保健室へ寄って行くことにした。
保健室へ着くと、秋葉はベッドで静かに眠っていた。
蓮木先生はまた留守みたいだ。
俺は秋葉が気持ちよさそうに眠っている様子を見て安心した。
「彼女のことが心配?」
蓮木先生の不意打ちに心臓が飛び出るかと思った。
いないと思っていたら急に声をかけてくるから幽霊にでも遭遇した気分だ。
「あはは! ビックリさせちゃった?」
「あ……あはは……。どうも」
先生は秋葉を見つめながら俺に質問をしてきた。
「奈美恵ちゃんのことが心配?」
「そりゃあ心配ですよ」
「へえ、それで放課後になっても戻って来ない彼女のことが気になって様子を見に来たと?」
「その通りですね。帰り仕度もできていないし、大丈夫かなって……」
「だってさ。良かったわね、奈美恵ちゃん」
蓮木先生は眠っている秋葉に話しかけたが、もちろん返事はない。
ただ少し、秋葉は微笑んだように見えた。
「奈美恵ちゃん、色々疲れが溜まってたみたい」
「そうですか……。あまりそういう感じはしなかったんですけどね」
「女の子って宏介君が思っているより繊細で傷つきやすいのよ」
考えてみれば、俺の周りにはたくましい女子が多かったのかもしれない。
いや、彼女たちはたくましく振舞っているだけかもしれない。
続く




