132 坂を越え、生きる街を見下ろして
自転車をこぎ続け体が温まってきた頃、俺たちは丘へと続く激坂へ差し掛かった。
見るだけで足が重くなったので、一度足を止めて作戦会議を始めた。
「さすがにこれはキツそうね」
「歩くのも大変そうに見えるな」
「自転車はここに止めて歩く?」
里沙は自転車から降りてストッパーをかけた。
対して俺は、自転車に跨ったまま坂の頂上を見つめていた。
「どうしたの? 何かある?」
「いや……。俺はこのまま登ってみようかな」
「本気? 途中でバテても知らないわよ」
「ここで引いたら負けた気がする」
「……。その心意気乗ったわ」
里沙は再び自転車に乗ると、前のめりになった。
「てっぺんまで勝負よ! 負けたほうが缶ジュースおごりね」
そう言うと、彼女は勢いよく坂を登り始めた。
「あ! ずるい!」
「か弱い女子のハンデよ」
俺は里沙に遅れること数秒、鈍いスタートダッシュをきることになった。
坂にタイヤをのせた瞬間、重りがのせられたように感じた。
思わず「くっ……!」と声に出るほどに先が思いやられる。
まるで、後ろから何者かによって引っ張られているような感覚だ。少しでも気を抜いたらズルズルと坂を落ちていってしまうだろう。
「思った以上にキツい! 大丈夫か?」
「はぁ……これぐらい……はぁ……平気よ」
里沙は息が上がっていた。頬を赤らめ、暑くなったのかマフラーを自転車のカゴにしまい込んだ。
俺も同じくマフラーを脱いだ。額に汗が滲んできたのが分かる。
「冬なのに暑い……!」
「たまには運動しなきゃ」
坂を半分くらい登りきったところで俺は里沙に追いついた。
このまま行けば彼女を追い抜くことは簡単だったが、並行して走ることにした。
「追いついたわね! はぁ……! 私だってまだスピードを上げられるんだから」
里沙は少しだけ速度を上げて俺より前を行ってみせた。
それぐらいだったら俺もすぐ追い越せるさ。
しかし、俺は速度を上げることなく里沙の後ろを走り続けた。
彼女の華奢な背中を見て思う。「ああ、里沙も女の子なんだ……」と心の中で呟いた。
そう思うと、切なさが込み上げるというか胸が締め付けられるような気がした。
「はぁ……はぁ……私の勝ちね……!」
「くそっ……! 負けてしまった!」
坂を登りきった俺たちは疲れを癒すために足を止めた。
そこにはちょうど自販機が置いてあった。水分補給といきますか。
「どうぞと言わんばかりの自販機だな。何飲む?」
「……。宏介、手加減したでしょ?」
里沙から予想外の返事があった。
「え……!? 俺は手加減できるほど器用じゃない」
「嘘ね……」
里沙は俺に顔を近づけ瞳を覗き込んできた。
「ほら、嘘つきの目をしているわ」
「お前はメンタリストか何かかよ! とにかく、結果が事実。俺は負けた」
俺は自販機に百円玉を入れた。
「たまには奢らせてくれよ。さ、好きな飲み物を」
「はいはい。ありがとね」
里沙は少し照れくさそうにして、自販機のスイッチを押した。
彼女が買ったのは缶コーヒーだった。
続いて俺はソーダを買った。
「はぁ……。心に染み渡るわ」
「大袈裟だな」
里沙はコーヒーを口にすると、ほっと一息ついた。
彼女の方から微かにコーヒーの香りが漂ってくる。寒空の下飲むコーヒーは、さぞ美味いだろう。
俺たちは飲み終えると、再び前に進み出した。
そして、目的の場所まですぐに到着した。
記念碑の横に自転車を止め、街を一望できる展望台まで登った。
木造のそれは縦に伸び、階段を上がるだけの簡単な造りだった。
幸い俺たち以外に人はいない。
「わぁ……。とっても綺麗……」
里沙が言葉にするほど展望台からの眺めは良かった。
マンションの部屋から見える景色とは全然違う。
そこには人々の生活が作り出す輝きがあった。
車のヘッドライトが動く光となって街を循環させている。
時折、灯りが消える家もあった。灯りのつく家もあった。
丘から人々の姿までは見えないが、きっとあの灯りの下で誰もが今を生きているのだろう。
「良いスポットを見つけたな」
「ええ。何か嫌なことがあったらここに来ることにするわ。心が洗われるような気がする」
「ここならずっと居られる気がする」
「ふふ。それなら朝までここでぼーっとしてる?」
「それもありだな……」
展望台は狭いながらに休憩ができるよう二人がけできるベンチが置かれていた。
俺たちはそこに座ると、しばらく景色を眺めながら物思いにふけっていた。
そして、最初に口を開いたのは俺だった。
「なぁ……。部屋の片付けの時に見つかった紙には何が書いてあったんだ?」
「内緒よ」
「亜子の反応といい、そんなに恥ずかしいことが書いてあったのか?」
「しつこい男は嫌われるわよ」
「あ、卑怯だぞ。いつか教えてくれよ」
「いつかね。教えられる時が来るといいけど……」
「どういう意味だよそれ」
「さぁ……。その時には大した内容じゃないかもしれないわ」
「全く意味がわからん」
「ふふふ」
やっぱり教えてくれないか。
気になるところだが、いつか来るその日を待つことにしよう。
「まだ街は明るいけど、深夜になったら暗くなるのかな?」
「どうだろうな。コンビニとかあるし、真っ暗にはならないだろう」
「遅刻の覚悟はできたかしら?」
「まさか……!?」
「朝までいるのもありって言ってたじゃない」
「あれは勢いだ」
里沙の顔は悪さを考える時の顔をしていた。
それは久しぶりに見る表情だった。
続く




