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他のクラスはB組以上に炸裂することなく、モデルを決めることができた。評議委員同士では組みたくないという声もあって、男子評議がお気に入りの女子をひとり、指名するという方式を取った。
女子評議は司会進行に二人、問題を読み上げるのが梨南ともうひとり。
出番はほとんどない。
いささかフェニズムに反する結果だった。
梨南としては別にそれでもいいと思っていた。どうせ出たがらない相手を無理やりひっぱりだしたってろくなことにはならないし、二年生の女子がほとんどまとめてくれるのだからかまわない。機嫌よく梨南の読み通りに動いてくれればよかった。梨南の仕事は二年評議委員との打ち合わせだけ。女子と話し合いをして、二年男子に肉体労働のお願いをすればよかった。
本条委員長は納得顔で
「あ、そっかそっか。立村から聞いた。うんうん」
と頷くだけだった。会話を求めようとしないのは非常識の極み。
梨南はさらに言葉を要求した。
「何を聞かれたのかを、理解するために教えてください」
「たしかに杉本はなあ。立村が絶賛するだけあるぜ。本当に。君は単に『さわりごこちのいい胸をもった一年』じゃなかったんだなあ」
梨南は本条委員長の顔を見上げた。目鼻立ちがくっきりしているまともな男の顔があった。自分の胸をもみながら考えた。
──贅肉なのに。
「そういうことしか考えられないのですか。本条先輩」
梨南は、めがねを外して拭こうとする本条先輩を、生の目でにらみつけた。
答えは簡単に帰ってこなかった。その辺が立村先輩と違うところだ。二歳違いは「男」に近いからだろう。全身に威圧感がぬったくられているせいかもしれない。青大附中きってのプレイボーイ、本条委員長には逆らえない迫力がある。
梨南が「いざとなったら本条先輩の命令を利用しよう」と思っていたのも、そこにある。
席についた後、本条先輩のところへ立村先輩が強い口調で抗議しているのが聞こえた。日本語化していない。後ろに回って、本条先輩の耳もとにささやいていた。梨南には聞こえなかった。ただ本条先輩の表情がだんだんにやけてきたのと、立村先輩がかちんときた表情でもって口を尖らせているのが気になった。
──男子は、顔で人格まで判断してはいけないっていい例だわ。
──せっかくいい顔を持っているのに、本条委員長は贅肉好きな変な先輩。
立村先輩がどのような命令を、一年評議委員に下したのかは聞いていなかった。とりあえず新井林は納得しているようで、素直にはるみと教室の隅で相談しあっている。いちゃついている、というわけではなかった。放課後はふたり落ち合って帰るようだけれども、特別に手をつなぐとか、笑顔で語り合うとかの場面は一度も見たことがない。新井林なりにはるみを誘い、座ったまま事務的に語り合っている。
──放課後、来い。
──うん、わかった。
──ひとりでだぞ。
──はい。
耳をそばだててみると、ずいぶん男として堂々とした言い分だ。顔と態度と言葉がつりあっている新井林は、梨南とのつながりさえなければ当然学校一の人気者だっただろう。はるみとお似合いのカップルといわれても当然だろう。実際、一年B組の男子、および評議委員男子一年からはきっちり支持されている。はるみに当たらず触らずの態度を続けているのはむしろそのせいなのだろう。逆らったら、殺される。わかっているのだ。
問題は、逆らっているのが梨南と女子一同だということだろう。
当然のことながら花森さんをはじめとする女子グループはいい顔をしなかった。
「私たち、いじめたりなんかしていないよね」
梨南の席にまた寄ってきて、話し掛ける花森さん。今日は金の小指大ハート型ペンダントを首筋に覗かせていた。近所の露天で、彼の名前と一緒に彫ってもらったのだという。
「いじめてなんかないよ。だってさ、もし私たちが佐賀さんに文句言っていることがいじめだったら、男子たちが杉本さんに対して『くたばれ』っていう方が断然、そうだと思うもの。あたりまえ。むかつくったらないよ。そのくせ、新井林の彼女だってだけで、佐賀さんには親切。そりゃ、佐賀さん可愛いよ。ぶりっ子してるからなおさらね。でも、許せないよ。杉本さんの許可を得ないで新井林と付き合って、こっそり陰口叩くなんてね」
「勝手にすればいいのよ」
曇り空の五月。梨南は冷たく、見上げた。
ひとりで調べるのは大変だ。
どうして、ばれているのだろう。
──二年のばかにくっついてるばか女がか。
佐賀はるみ指名が行われた朝の会で、発した新井林の爆弾発言。
立村先輩と二人で「おちうど」に入った日のことを意味しているのだろうか。それしか原因は思いつかなかった。二年D組に行って立村先輩を迎えに行った、あの時に誰かが梨南と一緒にいるところを見かけたのだろう。
白樺林を通り抜ける間、立村先輩とはほとんど口を利かなかった。
誰かがつけてきたらすぐに振り向くはずだ。立村先輩がぼおっとした性格だとしても、青大附中の人間を見かけたらもっと反応するだろう。
あと考えられるのは、一度図書館に立ち寄ろうとした際、、立村先輩がさっときびすを返したことくらいだろう。一年の連中がうろついているから別の場所にしよう、といわれた記憶あり。たまたま一年のばかどもが梨南と立村先輩を連れて行ったところを見たのかもしれない。
別に梨南は悪いことをしたわけではないし、有意義なひと時だったと思っている。新井林が鬼の首を取ったように大騒ぎしても、怖くなんてない。きっと梨南の弱みを握ったと勘違いしているのかもしれない。
「二年のおばかな立村先輩に恋した嫌われ女杉本梨南」について、また評議同士で情報を流したのかもしれない。
まったく、怖くなかった。
顔と頭が救いようのないくらい崩れている立村先輩とだったら、梨南はきらわれもの同士ゆえにくっついて当然と思われているのだろう。思わず笑った。
──あいつらは、人間を顔でしか判断していない。
──きっと新井林は顔面ばかりなめているから、はるみに参ってしまったのだろう。
見るのが楽しい顔、不愉快な顔と二種類に分かれている。本条先輩、羽飛先輩が前者だとするならば、立村先輩はあきらかに不細工に入るだろう。梨南の美意識が正しければと信じる。
しかし、人間は顔ではない。
いきなり梨南の贅肉について、太りすぎといわんばかりの発言をした本条先輩、清坂先輩の思いに気付かないで、さんざんからかってばかりいる鈍感な羽飛先輩。顔も頭も最高なのに、どうして梨南とは会話が成り立たないのだろう。
──人間を顔でしか判断できないかわいそうなな奴らよ。同情するわ。
はるみのことが絡むと、少々事情は変わってくる。
梨南とはるみが同じ小学校で、いつも「梨南ちゃん梨南ちゃん」とくっついてきていたことを知っている人は多い。同じ青大附中に進めたのは梨南を追いかけて勉強したはるみの努力、ともいえる。
現在の状況ははるみが自分で生み出したものだ。
はるみが新井林とつきあい始めたということにより、梨南が激怒したという、単純すぎる結論までついている。
男子連中ははるみの行動を「当然のこと」とみな支持している。
女子連中は梨南の怒りを「当然よ」と受け入れている。
結果、梨南がはるみをシカトしているというように見えるらしい。
恋人たる新井林は完璧にそう思っているだろう。
言い訳する気はない。勘違い野郎新井林健吾の思い込みを訂正してあげるほど、梨南は暇ではない。言葉が惜しい。
まだはるみは「梨南ちゃん梨南ちゃん」と懸命に声をかけてくるけれども、梨南の怒りに反応して、なんとかクラスの輪に戻してほしいというぶりっこのしぐさにすぎない。
梨南にはよく見えていた。
だから許せなかった。
──新井林を、よりによって。
──私ははるみを許さない。
青潟には梅雨時期がない。一応五月雨のように冷え込むことはあるけれども、基本としては六月もまだ晴れやかな季節だ。たまに夕立が来る程度だろうか。夏服仕様ということで、グレーチェックのブレザーを脱ぎ、梨南は黒いレースの肩掛けをまとって学校に通った。
大丈夫、校則違反ではない。色物だったらまずいけれども、かるく羽織る程度のものは地味な色ならば、許されるのだ。
梨南の髪の毛は黒く太く長い。ポニーテールでまとめて顔のラインをはっきりさせると、擬似セーラー服に見えて、自分なりに似合うと思う。
ブレザー制服が似合わない顔なのかもしれない。
青大附中向きでないのかもしれない。
「梨南ちゃんって、やはり黒とか茶とか、上品な色が似合う子なのよね」
母が毎朝、髪を結い上げながら微笑んだ。三角ストールの端っこを結び、母から借りた透明リップクリームを塗りなおした。清坂先輩からもらった、爪磨きで丹念に磨いた。見つけた母が自分のも分けてくれた。
──出陣準備、完了。
──本日は私の一人舞台よ。
鏡に映る自分の姿は、梨南の好みに段々近づいてきた。胸のぜい肉がもっとうすくなれば完璧なのだけれども。今日のおしゃれスタイルは、オペラを聴きにいく時の格好をできるだけ取り入れたかった。梨南の、完璧な自分を見せたかった。
そう、今日は一年の仕切る、全校集会『クラス対抗・青大附中ファッションプライス・マッチングゲーム』の日だった。
学校に着くなり、まずは立村先輩の教室に向かった。厳密にいうと清坂先輩も一緒の、だけれども、やはり先輩は敬わなくてはならない。八時になったばかり。二年D組の教室にはかなり人が揃っていた。扉から覗き込んで立村先輩を探すが、話をする先輩は誰もいなかった。立村先輩がいないわけがない。きっと、三年の教室に行ってるのだろう。本条先輩に挨拶しているのかもしれない。
「あれ? 一Bの杉本さんでしょ?」
聞きなれない女子の声がした。振り向くと、ふんわりしたショートカットの二年生女子が、やんちゃそうな顔をして立っていた。完全にブラウスとリボンのみの夏服姿。かばんと一緒に雑誌を二冊、抱えていた。近くのコンビニで扱っているような少女向き週刊誌だった。
「はい。どうして私のことを知っているのですか」
「杉本さん有名だよ。うちのクラスでは。この前も立村に会いに来てたんでしょ」
なんと、この先輩、「立村」と呼び捨てにしている。
「評議委員会の先輩です。立村先輩は」
「あの昼あんどんが、とうとう彼女作ったかって大騒ぎだったんだよ。あ、でもそれって杉本さんに失礼だよね。黒いストール、大人って感じ」
ファッションセンスは人並みらしい。この先輩も。
「立村先輩の関係者ではありません」
彼女、という響きには抵抗があったので答えた。
「関係者、わああ、笑える。そりゃそうだよね。あいつよりもっとましな奴いるよねえ。あ、そうだ、前からみんなで思っていたんだけどね」
突然、ストールの真ん中をつんとつついた。ちょうど両胸の間にあるくぼみのところだった。下手に動くとボタンが外れそうになるので、ストールで隠すようにしていた。空間がなにげにあるので、つんと刺さった。
「杉本さん、ブラ、してる?」
「なんですかそれは」
ブラジャーのことを言いたいのだろうか。してるわけがないので梨南は首を振った。
「してません。していたら呼吸困難になります。」
「それはやばいよ。絶対やばい! だって美里のように、三々九度の盃程度しかない胸ですら、動かないようにってみんなかためてるんだよ。杉本さんくらい立派だったら、絶対しなきゃだめだよ。呼吸困難になるよりも、立村の『おかず』になるほうがもっとまずいよ」
「『おかず』ってなんですか。立村先輩は肉料理より魚料理の方が好きそうです」
前「おちうど」で話した時に聞いた立村先輩の食生活を覚えていた。おかしいことを言ったつもりはない。ひざをかかえうずくまって笑うのが理解できなかった。梨南は見下ろした。
「杉本さん、狙って言ってないよね。美里言ってた通り、杉本さんって最高だよね。わあ、でも、ほんっとにまずいよ。これね、先輩が後輩をいびるってことじゃないから、説明するから」
先輩はさっそく、廊下に梨南を引っ張し、手元の雑誌をゆっくり広げ始めた。窓辺にはななかまどの木が、ささやかな若葉をゆらして光っている。
──風光る、か。
梨南はぼんやりと思いながら先輩がめくるページを見下ろした。
「つまりね、杉本さん」
目が清坂先輩よりも一回り大きくて、口がちょこっと大きい。梨南よりも胸の贅肉は落ちているけれども、歩いても動かない。たぶんブラジャーで押さえているのだろう。よく言葉がこれだけ出てくるもの。
「まず基本は、中学生男子の第二次性徴についてなんだけど、保健体育で知ってるよね。そういうのは」
にやりと笑いながら、先輩は続けた。
「つまり男子は、エッチなことを観たりきいたりやったりすると、自動的にあそこが大きくなったり興奮したり押し倒したりするもんなんだって。でもふつうはきっちりと押さえてるんだって。理性でね」
すでに保健体育の知識は得ていた。百科事典で全部読んでいた。妊娠、出産、中絶の知識まで完璧だ。
なんでこの人はわかりづらい雑誌で説明するのだろう。
女子でなかったら、自分から説明してあげたのに。
「立村先輩も大変なんですね」
冷静につぶやいた。
「でね、この前杉本さんが来た時、立村の目線がおかしかったのよね。ううん、前からそうだったんだけど、目がふらふらしているというか」
「礼儀知らずなだけです」
きゃははと、先輩はさらに声を立てて笑いこけた。
「一理あり! あいつは目を見ないところがあるからね。美里や私を見ている時と、杉本さんを見ている時とはあきらかに、位置が異なっちゃってるの。杉本さんと立村がいなくなったあとで羽飛と意見を交換したんだけどね」
先輩は自分の胸をつんつんとつついた。
「杉本さんの胸が揺れているのと一緒に、あいつの視線も動いてるのよ。いやあ、立村ってわかりやすいよなって、笑っちゃった。で、必死に目をそらしてるの。単なる礼儀知らずなんじゃないよ。あいつほど人の顔色うかがって気を遣う奴いないもの。きっと杉本さんとしゃべった日の夜は、眠れなかったと思うんだよなあ。目に胸が焼き付いて」
「立村先輩やせすぎてるから太りたいんでしょうか。」
清坂先輩にもっと認めてほしいんだろう。男としての魅力を磨きたいのだろう。梨南の記憶している「ローエングリン」様は、男としての筋肉がきっちりついている人だった。梨南のようによけいなところに肉がついているのが、男としてうらやましかったに違いない。
「杉本さん受け狙ってるわけないよね」
「はい、私、胸に肉がつきすぎているので、減らしたいと思ってます。それと、さっきの『おかず』ってなんですか。立村先輩、やはり少し筋肉をつけないといろいろ、困ると思うんですけれど。食べる量も少ないんでしょうね」
梨南なりに考えたことを、説明した。下の歯がきらきらしているので妙だと思ったのだが、どうやら歯の矯正をしているらしい。笑うたびに光る。
「杉本さんと話してると飽きないよ。あのねえ、『おかず』ってのはねえ。毎日の生理現象を美味しくいただくための……」
言いかけたところで、ひょいと後ろに人影が見えた。
逆光で、顔がはっきりしない。
「なあにが『毎日の生理現象』だ、いったい」
──ああ、『ローゼンカバリー』様だ。
顔を浅黒くした状態で立村先輩は立っていた。髪は自転車をこぐ勢いで乱れていた。耳に指先でひっかけながら、かばんを下げていた。
「それに、この怪しい雑誌はなんですか。南雲に言いつけようか。規律委員様にさ」
怒ってはいない。ただあきれているだけだ。
「南雲くんはこういうのを、すでに実践している人だから没収した後、私に交渉するよ。譲ってくれないかってね」
「いいのかそこまで言って。それより杉本、いよいよ今日だな」
だんだん目が慣れてきた。光がちらつく窓辺で、立村先輩は梨南を見つめた。決してストールの結び目ではない。しっかりとした瞳でだった。
きちんとリップクリームを重ね塗りしてきた。梨南は背すじを伸ばした。
「はい。五時間目。任せてください。去年よりもずっといい出来にしますから」
「うん、それは全く心配してないよ。本条先輩も安心していたし。それより」
間に挟まっているショートカットの先輩を、立村先輩はあっさり無視していた。しかたなしに雑誌をかばんにしまいこむが、全く離れる気配なしだった。
「もし、新井林になにか言われたら、今度はすぐ俺に報告しろ。これは命令だ」
自分の手が思わず結び目にいった。握り締めた。どきどきするとすぐ、胸と胸のくぼんだところに手をやるのがくせだった。
「新井林に、ですか」
「そうだ。今日一日は特に何もないと思うけどさ」
理由を立村先輩は話してくれなかった。
首をわずかにかしげて、梨南の握り締めた手に視線を向けた。
別に揺らしはしなかった。でもショートカットの先輩は見逃さなかったらしい。にやりとして立村先輩のネクタイをひっぱった。麻布のブレザー式ジャケットを羽織っている。これも自前だろう。いっそう肉がなさげに見える。やはり梨南は、自分の胸肉をプレゼントしてあげたいと、つくづく思った。
「ほおら、やっぱり思春期の衝動は無意識に出るもんだねえ」
「また何言ってるんだ。古川さん、俺が杉本に何したっていうんだ」
「ほおら、向きになる。気になるんでしょ。あ、そこ」
古川先輩という人だと、初めて知った。つんと指を、もう一度梨南の握り締めた手に向けた。
「まったくあんたってガキのくせに、エッチなことには敏感なんだから」
「ばかばかしい」
「まあしょうがないよね、男だもんね。杉本さん見て鼻血出す前に、私に英語の訳、見せてよね。お互い英語得意同士、間違いないかどうかチェック」
「古川さんのノートって開くと、必ずどっかで調べたらしいスラングが書いてるんだよなあ。ふつうの英単語は俺が強いのに、なんで古川さんだけそういうのに強いんだ?」
「そりゃあ、『ベットで使う英会話』が私の愛読書だもんね。立村、あんだだって親にばれないように、今日何回抜いたかとか今夜どんな感じで一発やったかとか、メモっておきたいでしょうに」
「ばかばかしすぎて話にならないよ。とにかく、今日の訳のノートは出しとく」
話の内容からして、立村先輩と古川先輩とは、かなり仲がよいらしい。もちろん、会話の内容からするとかなりエッチな話もしているようだ。立村先輩の顔ゆえに仕方ないことなのだろうが、清坂先輩が相手にしてくれない以上、相談相手として利用しているのではないだろうか。
梨南は決して、男と女のああだこうだを知らない、はるみ的ぶりっこではないつもりだ。ちゃんと、夜の男女が何をして、どのような行為をして、子どもを作るかはよくわかっている。古川先輩が教えてくれたことは、すでに文学書でよく知っている。
しかし、大抵の場合、そういうことができるのは美男美女と決まっている。
立村先輩は辛いだろう。生まれながらのハンデを抱えているのだから。
しかたないから、古川先輩で情報を仕入れ、清坂先輩を口説くタイミングを狙っているというわけか。
この辺で退散しよう。梨南は立村先輩の手を取った。反応するのが遅そうだから、直接手を触れてみただけのこと。やわらかかった。その手をストールの結び目に当てた。軽く、雷打たれたような響きが残った。
「先輩、クイズ大会、絶対成功させます。一緒に脇で見ていてください」
言葉はなかった。立村先輩の瞳にすり抜けたものは、今まで見たことのないものだった。手を離すとそれも消えた。すとんと、力を抜いたまま、落ちた。
「わかった。それでは昼休みに」
一時間目から四時間目まで、給食時間までは何も起こらなかった。
何かが起こっているのかもしれないが、梨南にとってはごくふつうの日常だった。確かに新井林は梨南の方を見てはつばをわずかに吐きかけるし、はるみは振り向かず新井林から離れずにいる。すでにモデルになる男女一年は、二年生女子に呼び出されて洋服を合わせ終わっているはずだった。その辺は梨南もタッチしていないのでわからない。二年男子が部分用じゅうたんをかりて体育館に、昼休み、敷いてくれるはず。そこをしゃなりしゃなりと歩いてモデル二人が「春・夏・秋・冬」と分かれて登場する。BGMもすでに放送委員会の方に頼んで、準備してもらっているとのことだった。あとは、問題を梨南が読み上げて、各クラス代表の人たちに予想値段を書いてもらう。もちろん電卓使用可。
表だって梨南が出てくるのは、問題を読み上げる時くらいだ。
それしか仕事がない可哀想な一年評議だと思われていることだろう。
それこそつぼ。
それこそ計算通り。
梨南は給食後、教室を出ようとした。もちろん体育館に準備のためだ。
モデルたちは、全校放送で男女各更衣室に集まって、着替えることになっている。きちんと状況を把握するのは梨南だけ、のつとめだった。一緒に清坂先輩、本条先輩をはじめ、もちろん立村先輩が側にいる。
歌うように、一人、声が聞こえる。
「類は友を呼ぶと人は言う。あまされもんはあまされもの同士。天才は天才同士」
二回やられたら、振り向くしかない。梨南は回れ右をして、自分の目に全身全霊すべての力をこめた。念力も呼び寄せたかった。
机の上に座って、じっと見つめているのは新井林だった。側に隠れるように、おどおどしているのがはるみ。かすかに「梨南ちゃん」とささやいているようす。口を開きかけるはるみの手をぎゅっと握った。隠すように、梨南にははっきりと見えるように。
用はない。梨南はそっと花森さんの姿を探した。にっこりと笑顔を作り、目線がこの二人に向くように手を振った。
「杉本さん、どうしたの。あ」
花森さんをはじめとするB組女子は、すぐに新井林たちの様子に気がついたらしい。ひそひそとささやき始めた。大抵、はるみは真っ赤になって教室を出て行くか、新井林が怒鳴るかのどちらかだった。いくら公然と付き合っているといっても、やれることやれないことがあるものだ。手を握り合うなんてもっての他。
いつも、梨南はこうやってきた。周りの視線をうまく利用するコツを掴んでいた。
しかし、新井林は手を離さなかった。握り締めたまま、机の上にとんと置いた。男子一同は気付かぬふりを、不自然な空気をつくりつつしていた。梨南の方をにらみ返したまま、はるみの手をがっちりと握りつづけていた。はるみがうつむきながらも、されるままになっている。抵抗したらいいのに。しないということは、すべてを受け入れているということだ。
かすかに新井林は口元で笑いを浮かべていた。何を知ってるのかわからないが、勝ち誇っているかのようにも見えた。
「しょせん嫌われもん同士がくっついてるってのにな。気付かねえのかよ」
答えずに梨南はきびすを返して扉を閉めた。
立村先輩に報告したほうがいいのかどうか、迷いながら体育館へ向かった。
ぐるぐると蘇るものがある。
小学校一年の時、知った梨南独特の法則をを思い出した。
──男子を好きになると必ず相手は梨南のことを嫌いになる。
新井林健吾。初めてその真実を知らされた、相手だった。