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 二年D組の教室から見えるのは、雨が降りそうな暗雲だけだった。

 梨南の家は青大附中の校舎から歩いて五分くらいだった。小学校より近い。

 土砂降りになったら走って帰ってもかまわない。先輩ふたりと一緒にいるのは、やはり息苦しかった。清坂先輩が一緒にきてくれたからまだましだけど。

 一度だけ、立村先輩とふたり、向かい合って話したことがある。 

 唯一、一年生評議が全員顔をあわせて話し合った日の午後だった。

 吐き気がするほど、疲れたことを覚えている。

 

 清坂先輩は窓際の席に座り、軽く手で来い来いと招いた。

「なんか蒸し暑いよね。雨降りそうなのにね。早く終わらせようよ、立村くん」

「そうだな。どうせ杉本とだったらすぐに説明は終わりそうだしな」

 教室の掲示板には、男女委員名が順番にマジックインキで書かれていた。オレンジ色の枠に、几帳面に丁寧に。「評議委員」の欄には「立村上総・清坂美里」と記入されている。立村先輩の字だと思う。清坂先輩の字は丸っこくてもっとかわいい感じだ。立村先輩は線の細い、習字っぽい文字だった。男らしくない。

「どうした、杉本」

「あの文字、先輩ですよね」

 眺めたまま梨南はつぶやいた。

「下手だけどな。評議の義務なんだ」

「なあに言ってるのよ。私なんかよりずうっと、上手なくせに」

 清坂先輩がまぜっかえした。でも感じたことはそのまま言うべきだと思った。

「ラブレター書けない文字ですね」

 ぐぐっと噴き出す声がする。清坂先輩だ。立村先輩に向かって、

「ラブレター書けない、か。そうだよね。一発で誰かわかっちゃうよね。立村くん、書いたことあるの?」

「ないよそんなの。今度から清坂氏、時間割とかそういう掲示物を書くのやってくれないかな。杉本に言われてしまったら立つ瀬ないよ」

 そっと立村先輩の顔をうかがった。大抵、男子は怒る。黙り込む。殴ろうとする。立村先輩はそうしない数少ない男子の一人だった。軽く笑みすら浮かべている。こういう男子はたぶん立村先輩ひとりだけだ。

「いいじゃない、読めればいいよ。それより早く始めようよ」

 机を平手で叩きながら、再度清坂先輩は梨南に向かって声をかけた。

「杉本さんも、ほら、雨降っちゃうよ」

「大丈夫です。うち近いから時間遅くなっても平気です」


 立村先輩だけが立ったまま、窓辺にもたれた。清坂先輩が寄り添う感じで座っている。男子女子仲がいいのが二年生の特徴だけど、D組評議であるこのふたりは群を抜いていた。

 ──清坂先輩のことを立村先輩はきっと好きなんだろうな。

 ──でもまさか立村先輩みたいな変な顔の男子を好きになるとは思えない。清坂先輩ともあろう人が。

 梨南はノートを取り出して二人を眺めた。

 立村先輩は手帳をかばんから取り出した。生徒手帳ではない。本格的な黒皮ものだった。立村先輩のお父さんは「週刊アントワネット」という青潟密着情報誌の記者だと聞いたことがある。

「先輩、この手帳、お父さんからもらったんですか」

「なんでわかる?」

「金文字で後ろに書いてます。でも、前の年のなんですね」

 清坂先輩が下から覗き込むように手帳を眺めた。

「あ、今気づいた。立村くん、もしかしてずっと、去年の手帳で予定とか組んでいたんじゃないの?」

「いくら俺が数学できなくても、そこまで落ちちゃいないよ」

 怒らなかった。梨南も、清坂先輩に対しても。

 ──いったいこの人の頭に「怒り」とかそういう感情はないんだろうか。

 つい梨南もためしてしまいたくなる。

 本当に怒ったところを見てみたかった。


 立村先輩は窓辺を眺めたまま話し始めた。清坂先輩も、梨南の方も見ないままだった。人の目を見るのが好きではないらしい。あまりにも失礼だと思ったので、一度覗き込んでやったことがある。当然だ。梨南にとって「正面から見ないで話をする」ことは、礼儀知らずだから。本当に分からない人だと思った。

「先週、一年生評議が集まって案を出してくれただろう。実際には杉本が一人でこしらえたようなものだけどさ。『クラス対抗・青大附中値段当てクイズ』で本条先輩も納得していた。他の連中も異議なしだったようだし、二年としては別に言うことない。三年の先輩たちも問題ないみたいだし。あとは突っ走っていこうか」

 突っ走る、という言葉が似合わない人だ。

 やっと梨南の方を見てくれた。

 笑っているのか、顔が麻痺しているのか、判断つかない顔だった。

「杉本さん偉いよね。誰も一年生の評議たち手伝ってくれなかったんでしょう。頭来るよね」

「かえって変な人がいると邪魔です」

「杉本らしいな」

 立村先輩は凍りついた顔を少しだけ溶かしてくれた。薄い唇が少しだけ開いた。

「そこでなんだけどさ。杉本」

 ふたたび外を眺めたまま。

「当日の準備とか、小物とか、そういうものは二年でも手伝えると思うんだ。清坂氏を始め、二年女子はみな経験しているからし。でも、みんな二年が手はず整えてしまうと一年生の立場がないだろう。一応は一年生が主体になって仕切る、初めての集会ってことだしさ」

「立場なんて関係ないです。できる人ができることをきっちりやればいいと思います」

 もう一度梨南も、立村先輩の顔を見上げて答えた。

「そうだな。俺もそう思う」

 ふいに立村先輩は梨南の方に身体を傾け、手を机についた。やくざが因縁をつけるポーズに似ていたけれど、表情は相変わらずやわらかいままだった。

「杉本にしかできないことを、ひとつお願いしていいかな」

「頼む時はきちんと説明してください。判断はそれからです」

 当然だ。分からないことをいきなり「はい」と答えられない。清坂先輩から言われたのならばまだ納得するけれども、立村先輩が男子のかさを来て攻めるのだったら、梨南は絶対に受け入れないだろう。

「クイズ大会用のシナリオおよび問題を、全部杉本ひとりでこしらえてほしいんだ」

 ひえっと、清坂先輩が息を呑む声がした。もちろん冗談っぽく。

「ちょっと立村くん、無謀だよ。だって杉本さんひとりなんてできないよ。それこそ、私たち二年生評議が相談に乗ってあげなくちゃいけないことじゃないの」

 ねえ、と梨南の方に頷いた。答えずに立村先輩の言葉を待ちつづけた。はっきりしないと、梨南は答えを出せない。びくんとしたし、ちょっと驚いたけれども、できなくはない。

 言われた瞬間にすぐ、ネタがいっぱいひらめいた。もし立村先輩が梨南のことを評価してくれているとするならば、猛烈に働く脳にあるのかもしれないと思った。立村先輩は数学の九九すら満足にいえない、という噂を聞いたことがある。オーバーだとは思うけれども、それに近いものはあるのだろう。梨南は高校生の数学問題をあっさり解いたことがある。きっと勝てるだろう。

「いや、あえて杉本だけに頼もうかなって、今のところ考えてる。清坂氏、俺がもし杉本の立場だったら、やれたかどうか、自信ないのは認めます」

「当たり前よ。去年、私たちがやった全校集会、立村くんそうとう苦労してたよね。テレビCMのネタなんて全然知らないし。ふだんからテレビ見てないんでしょ。結局貴史と私が台本作ったのよ、杉本さん。私だってがんばったんだから」

「本条先輩がいなかったらできなかった。たぶん。けどさ」

 清坂先輩はずいぶん自信過剰だ。梨南も本音はそう思うけれども、こんなに軽がると口にしたりはしないだろう。言う時はもっと、ぐさぐさくるように言う。傷ついて立ち直れないように言う。

 清坂先輩の口調は、どんなことを言っても立村先輩には嫌われないという匂いがぷんぷんしていた。

「俺は、あえて杉本だからできるって、思うんだよな」

 ──あ、雷だ。

 ──風が雲に閉じ込められて苦しんでいる声だ。

 ──誰も返事ができないでいる、そんな声だ。

 幾重にも重なった雲が夜と同じ色となる。窓がちかっと光った。

「来るね、雷が」

「窓閉めるか」

「立村先輩、金具に触らない方がいいです。感電します」

 梨南は立ち上がった。窓の掛け金を掴んでいる立村先輩の手をたたき落とした。ぽろっと離れた。ガラスの部分を掴んだまま一気に閉めた。ちょうどよいタイミングで、ガラスに水滴がつき始めた。ひとつぶふたつぶつたった後に、太い水流が一気に流れた。

「続き話してください。私わかりません」

 清坂先輩ではなく、立村先輩の目を見据えたまま、梨南は返した。

 返事してくれたのは清坂先輩だった。

「立村くん、杉本さんに手を触られてびっくりしてるんでしょ。私だったら全然気にしないくせにね」

「そんなんじゃないよ」

 立村先輩が言葉を失うくらい変なことだったのだろうか。

 返事がないなら答えようと梨南は決めた。

「わかりました。立村先輩。私が一人でシナリオを作ります。少なくとも立村先輩よりも私、一年の時の成績はいいと思います。去年よりもいいシナリオ作れますきっと」

「たぶん、同期の評議仲間の中で一番成績が悪いのは俺だと思うよ、本当に。否定できないのが、辛いよな」

 清坂先輩がからんとした声でまぜっかえした。

「何言ってるのよ。立村くん数学を外した全科目で言ったら、絶対学年五番以内だよ。数学が悪すぎるの」


 鉛色の空から降ってくる雨。梨南は蛍光灯をつけた。まだ四時を過ぎたばかりなのに、教室の中は真っ暗。どうして立村先輩は気づかないのだろう。やっぱり抜けている。二年D組といえば、稀に見るまとまりのあるクラスだと先生は言う。それは清坂先輩がいるからだろう。立村先輩だけではきっと無理だ。頭もいいし、人の気配りもしてくれるし。

 清坂先輩のことを好きなのは立村先輩の方だろう。ずいぶんな高望みだ。同情してしまう。

 立村先輩は手帳を覗きながらまた梨南に声をかけた。

「やっぱり杉本はしっかりしているよな」

「あのさ、私は私は?」

 またつっかかるのは清坂先輩だ。

「もちろん、清坂氏には感謝してますって」


 ふたりはしょうもない話ばかりしていた。

 もう居ても居なくてもよさそうなものだ。いくら家が近いとはいえ、この雨の中つっきっていく気にはなれない。母が騒ぐだろう。この雨の中、何を考えているのかといって、タオルを持ってきて頭をごしごしと拭くだろう。不必要に親とべったりしたくない。

「杉本さん、傘持ってきた?」

「毎日かばんに入れてます。小さいものをです」

 毎日傘を持ち歩くのはエチケットだった。女子に限り誰かに貸してあげるのに必要だった。

「さっすが。ねえ、立村くん。一年生の方がずっとしっかりしているよ」

「悪かったな。俺だってロッカーにいつも傘一本入れてるさ」

「自転車で片手ハンドル運転は危険だからやめようね。私が途中まで、入れてってあげようか」

「いざと言う時はお願いします」

 あまりぱっとしない先輩と変な噂を立てられると、清坂先輩がかわいそうだ。

「清坂先輩、いいんですか。立村先輩なんかと一緒に歩くと変な噂立てられます」

 一年生の間でもささやかれている。

 ──二年の清坂先輩は、同じ評議の立村先輩にほれられて振りたくても振れないみたいなの。ちゃんと清坂先輩には、かっこいい羽飛はとば先輩がいるのにね。

 もっとも立村先輩のことを、梨南のように「変な顔だ」と言い切る女子はいなかった。

 ──あまり話したことないけれど、なんとなく小公子って感じだよね。

 梨南以外には立村先輩の外見、受け入れられているらしい。。

「いいのいいの。そうだ杉本さん知ってる? 私なんてね、一年の時『男ったらし』ってさんざん言われちゃってたんだから。理由は簡単。立村くんと、あと同じクラスのダチ一名としょっちゅう三人で遊んでいたから。遊ぶったって、近所の大型スーパーで三人、ソフトクリームなめてたくらいなんだよ。なんか勘違いしてるよね。頭に来る。ま、この前、本条先輩に厳重抗議しておいたから」

「うちのクラスの男子よりはましです。立村先輩も」

 本当に思っているから隠しようがない。梨南を困ったように見て、立村先輩はやっぱり表情を整えたままだった。

「杉本に少しはこれで、認めてもらえたってことか。よかった。そうだ、同じクラスで思い出したんだけどさ、一年生の男子評議同士とは何も話さないのか。あの、新井林とか」

 いやな名前だ。

 イニシャルで省略したい。

「私、男子なんかとしゃべりません。それに先生も、委員会よりも部活優先にするようにって言ってますから。弱小バスケ部をなんとかしたいけど、無理でしょう。勝ったら奇跡です」

「確かに。だから貴史はバスケ部に入らなかったんだね」

 清坂先輩が机を叩いて笑い転げた。

「いや、それは失礼だと思うよ。清坂氏。まあ、青大附中の場合委員会活動が最優先と言われていたけれども、今の一年生からはどうもそうではなくなったみたいだしな」

「どうしてだろね。楽しいのにね」

 立村先輩の顔を見上げて清坂先輩は笑った。窓ガラスに激しく流れる水流が、なんだかふたりには似合わなかった。文句を言ってやりたくなった。

「私、評議に男子なんていりません。立村先輩、例のシナリオなんですけれど、私ひとりで書き上げます。絶対、奴らの手なんて借りません」

 

 梨南の口調は周りを凍らせることばかりだという。本当のことを言っているだけのにいきなりしゃべっている連中が作り笑いしだしたりする。女子だけの場合でもそうなる時がある。男子の時は言うにおよばず。梨南が梨南であろうとして発言すると、大抵みなが黙り込む。わからない連中が悪いのだからと開き直ることにしている。少なくとも女子は何も文句言わない。

 清坂先輩だって戸惑ってはいたけれど、

「わかった。じゃあ、去年の全校集会の経験とかを明日、他の女子評議集めて教えてあげるね」

「清坂先輩なら平気です」

「ごめんね立村くん、ごひいきの杉本さんを奪っちゃって」

「残念だけど、一年の連中よりは評価していただけたようで光栄です。あとは二年女子の最強メンバーが守りについてくれるから、もう怖いものなしだな。ただひとつだけいいか」

 今度こそ怒られるかも。梨南は身構えた。ぐっと立村先輩の目を見つめた。一歩踏み出して近づいた。逃げられないために。

「あ、そんな怒らなくてもいいよ。これでも俺が今回、一年生の補佐をする責任者になっちゃってるんだ。実際は清坂氏だけど、建前だけは。本条先輩に俺がいろいろ報告しないと、後であの人に何されるかわからないしさ。報告だけは直接、レポートにして、俺にくれないかな。頼みます」

 にらめばにらむほど、立村先輩は優しくなる。

「まずは来週中にそのシナリオをD組に持ってきてほしいんだ」

 だから梨南もエスカレートして、とめどがなくなってしまう。

「わかりました。今週の土曜日に持っていきます」

 シナリオの構想がデゴブロックのお城をこしらえる要領でかちかちと組み立てられていく。家に帰って、ノートに書いて、清書してしまえばもう終りだ。

 せっせと働く頭の中。

 立村先輩はそんな梨南の能力に気づいてくれたのかもしれない。


 ──クラスの男子もみんな立村先輩みたいだったら。

 ──たとえ立村先輩みたいに変な顔だって、きちんと話できるかもしれない。

 ──新井林なんかと平気でおしゃべりできるはるみなんて人間じゃない。


 一段落したところで梨南は先に教室を出た。雨音もおさまってきたし、清坂先輩が立村先輩に一方的に話を持ちかけるので、自分でも理解できなくなったからだった。同じクラスに、清坂先輩の幼なじみでかっこいいと評判の羽飛貴史はとばたかし先輩がいる。

 絶対に羽飛先輩と清坂先輩はくっついている。一年の中では定説だった。立村先輩と羽飛先輩はさらに仲がいいらしい。しょっちゅう三人でつるんで遊んでいるというのは、さっき清坂先輩が話してくれたとおりだ。

 男子と一緒に歩くこと自体、梨南には理解できなかった。


 青潟市唯一の私学で、一応は「青潟の成績優秀な小学六年」が一度は受験する。

 一学年百二十人、一クラス三十人構成。

 まあいわば、エリートの集まり、のはずなのだ。

 確かに梨南の成績は小学校の頃から群を抜いていた。毎日新聞を読んでいたし、暇な時は百科事典を開いて気に入った事項を書き出すのが好きだった。小学校図書館の本はほとんど読みきっていた。

 成績だったら誰もが太鼓判を押してくれたはずだった。実際、ペーパーテストの点数はかなりの高得点だと聞かされた。

 なのに、小学校の担任は受験前に親を呼び出して、

「梨南さんは友達とのコミュニケーションが一種独特なので、なかなか理解されずらいところはあります。青大附中の入試はペーパーの点数よりも面接を重視しますので、ご家庭でその辺を見てあげてくださいね」

と、嫌味なことを言ったのだそうだ。母が父に憤りつつ話していたのを聞いた。

「梨南ちゃんのどこがいけないんだろうね。友達のコミュニケーションたって、礼儀正しくしているだけだって言うのにねえ」

 両親は梨南をまるごと受け入れてくれていた。


 ──失礼なことを言われたらすぐに言い返すこと。

 ──自分の考えをきちんと伝えることは大切なこと。

 ──自分を信じることは正しいことなのよ。


 子どもの頃から教えられてきたことを、梨南はそのまま実行しているだけなのに、どうして男子たちはみなああいう態度を取るのだろうか。きっと、あいつらは頭の程度が低いからに違いない。レベルの低い人間とつきあうなんて、同類と思われるから最初から縁を切っておくほうがいい。

 男子を軽蔑することがふつうのことだと思っていた。

 

 青潟大学附属中学に入り、教室に一歩踏み出した時の失望は忘れられない。

 よりによって同じ小学校の男子連中および佐賀はるみが詰め合わせセットされてくるなんて。可能だったら退学届けを出してさっさと帰りたかった。できるわけないのが中学一年生だった。

 はるみがべったりと「梨南ちゃん梨南ちゃんと」とくっついてくるのもうっとおしかったし、新井林を筆頭とする男子軍団に嫌がらせをされるのも面倒だった。辛いとか悲しいとか、そういう感情はなかった。梨南にあったのは、殺してやりたいとつぶやくくせだけだった。


 ──死ねばいいのに。


 毎朝、「男子全員が滅亡してますように。明日こそ一人は死にますように」とつぶやくことが、そんなにおかしいことなんだろうか。梨南はそれだけのことを、かつてずっとされてきたのだ、手を下さないならば、感じたっていいはずだ。大人たちはみな責め立てる。

 当然感じることを封じるなんて、自分であることを否定するなんて。

 相手に対して、自分に対しても失礼なことだ。

 失礼なことを言われたら当然戦うこと。

 怒るならば怒ればいい。それがエネルギーになって跳ね返ってくる。


 ──殺してやりたい。死ねばいい。


 つぶやくたびに力がみなぎる。

 イメージが千差万別に広がっていく。全身が痺れる。

 「殺」の入る言葉を口にするたびに、頭の回転がどんどん速くなっていく。


 ──はるみなんて、新井林と一緒につるし首になっちゃえばいい。

 ──はるみは私を裏切ったんだもの。

 ──絶対に私は許さない。


 ちょっとぱらつく雨だけど、思いっきり走って帰れば大丈夫だ。

 気合を入れるためにもう一度、梨南はつぶやいた。

「死ねばいい」


 立村先輩から与えられた宿題、「全校集会・クイズ大会」のシナリオは簡単に出来上がりそうだった。

 頭の中にはるみと新井林の姿を思い浮かべれば、血が滾る。


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