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 クイズ大会当日よりも、梨南にとっては後片付けの方が一苦労だった。もちろん新井林、はるみの「全校生徒公認カップル」がB組女子一同から総スカンを食ったこととか、あいかわらず梨南に対する男子の悪口攻撃とか、いろいろなことを処理しなくてはならなかった。

 梨南にとって大切なことは一つだけだった。立村先輩に提出するための総括レポートだけである。

 自分なりの反省点と今後の問題提議、解決策などを書けばすむ。

 書くことそのものは面倒でもなんでもない。

 梨南なりに言わせてもらえれば、

「やりたいと思っている評議委員だけで企画を立て、指揮をとる」方がいいと強く主張したかった。実際、本番そのものは成功したわけだ。締めの委員会が大荒れしたのは別としても。

 ──と、いうことで、立村先輩に提出してこようかな。


 立村先輩は2年D組の、教壇近くの中間席で、朝自習のプリントを読んでいた。すべて書き込みがおわっているところみると、数学ではなさそうだった。軽く会釈して、近づいた。全校集会から四日たった金曜日、放課後にはあらためての評議委員会が行われる。駒方先生の監視のもとだから、全校集会後のすさまじいのりにはならないだろう。直接顔と顔をつき合わせて話すのも難しいだろう。今のうちにきっちりとけりをつけておきたかった。

 めずらしく白いはおりものを椅子の後ろに掛けている。梨南の方においでおいでと招くような手の動きをした。

「杉本、もうレポート書いたんだ。早いなあ」

「それくらい当然です。出来ないほうが馬鹿なんです」

 梨南はあっさり答えた。すぐに目を通してほしかった。立村先輩の静かなまなざしを見つめて、机に両手をついた。

「先輩、内容、どうですか」

「うん、いいよ」

 上の空で答える様子。本当に読んでいるのだろうか。目の下にうっすらと隈が見える。襟元のネクタイが微妙に緩んでいる。今週から気温が急上昇しているからだろうか、暑いのだろう。でも、梨南からしたら許せなかった。

「ネクタイ、曲がってます。直します」

 気付いていないのだろう。答えを待たずに梨南は立村先輩の襟元に手を伸ばした。濃いグレーチェックのネクタイを軽く引っ張った。三角の部分をきっちりと直すだけでいい。立村先輩は黙って梨南の顔を見つめつつ、されるがままになっていた。今ごろ気付いてあせっているのだろう。梨南は当然のことをしてあげただけだった。

 なんとなく、周りの空気が静まったような気がする。

 結び目が美しくなった段階で、改めて見回すと、すでに清坂先輩、古川先輩が窓際の席で首をかしげていた。怒ってはいないようすだ。ほっとして頭を下げた。同時にネクタイから手を離した。梨南と目が合ったとたん、けらけらと笑い転げるのが古川先輩。清坂先輩に「やめなよ」となだめられている。無視して、立村先輩の席に近づいてきた。

「立村、ほらほら、なにフリーズしてるのよ」

「いや、杉本が、ただ」

 口篭もる立村先輩。

「いやあねえ、新婚さんみたい」

「やめろよ。杉本に失礼だろう」

「杉本さんも大胆だねえ」

 古川先輩の側にいる以上は、きちんと答えねば。

「見苦しい格好でいる人と、私は話したくないからです」

 そんな大きな声を出したわけではなかった。教室の中では十分響く声だったようで、ささやかに笑う人が幾人かいた。

「なんで笑うんですか」

 立村先輩以外の連中がなぜ笑うのか、梨南にはわからなかった。

 幼い頃から、父のネクタイを直して上げるのが梨南の習慣だった。他の人たちはそういうこと、一切していないのだろうか。

「それでは、委員会までに感想をください」

 梨南は頭を軽く下げて出て行った。

 立村先輩はおとなしく、やわらかな表情を見せ、頷いた。隣りの席の古川先輩は、さっさと席について、なにやら話かけている。ひじでつついて困りきった顔をしている。またエッチな話でもしているんだろう。


 一年B組。

 一切、男子たちとは口を利かない。

 はるみへの風当たりが想像以上に厳しいのも感じていた。

 

 溝口先生は梨南の時と同じように、ロングホームルームを利用して、「なぜ佐賀はるみを女子たちは無視するのか」という議題を用意してくれた。

 梨南の時と異なるのは、男子一同が何ひとつ、発言しないこと。

 「はい、はい、はい」と梨南への不満をわめきちらした連中がだ。

 おそらく、新井林のにらみがかかっているのは確実である。

 同じように女子側も発言は一切ない。梨南の時のように、花森さんがかばってくれることもない。その辺が異なることだろう。

 ──どうでもいい、私には関係ない。

「杉本、この状態を、君はどう思うか」

 結局指されるのは、女子評議委員たる自分だった。

 その辺は義務だ。割り切っている。梨南は溝口先生の顔を見上げて、何を言いたいのかを読み取ろうとした。いやらしい雰囲気で「お前があれだけかばわれたのに、佐賀が無視されるというのはおかしいと思わないか?」という匂いを感じるのはいやだった。

 答えは、あっさり決めた。

「男子に聞いたほうが早いのではないでしょうか」

「どういうことだ?」

「女子が誰も発言しないのは、男子グループの復讐が恐ろしいからでしょう。腕力ではかないません。自分の身を守るためには当然です。佐賀さん以外の発言は、女子たちにとって命取りだということを、どうして溝口先生はわからないのでしょうか。不思議です」

「それでも評議委員なのか? 杉本、この前の全校集会を仕切ったのは君だと聞いた。あれだけ、見事な集会を企画できるのだから、その分人への思いやりも持っているのではないかと思うのだが」

 ぞっとする。結局はこの先生も、「男子の一派」に過ぎないのだ。

「それなら佐賀さんの発言を待つべきです。先生、ご存知ないかもしれませんが、ほんのささいなことをうちのクラスの女子がおしゃべりしただけで、とある男子に脅しを掛けられたという事実があります」

 初めて空気が動いた。梨南の発言がきっかけでいつも通りの「くたばれ」「なに嘘言ってるんだあの女」「ぶっ殺してやる」と飛び出してきた。これこそふつう。慣れている。こうでないと落ち着かない。自分にも火がつく。梨南は続けた。

「残念ながら、証拠はつかんでいませんので、これ以上追求しません。ただ、たたけばほこりが出てくるのは当然だと思います。私は、まだ生きていたいので、これ以上のことは言えません」

 はるみはうつむいている。じっと机の上で指をはじいているのが新井林。あの「結婚行進曲」以来、新井林の「はるみ守り」は拍車がかかった。目を離さなくなった。男子たちにも、頼み込むか命令するかしたのだろう。

 新井林の反撃が怖いから、女子たちは何も言わない。

 ただ、自分たちの意志で持って口を利かないだけ。

 梨南の見た限り、男子グループの中にも一部、反目している集団がいないわけではなさそうだった。たとえば梨南に「杉本さん」と呼ぶ男子とか。ただなにせ弱小だ。当てにはならない。

「お前のことをかばってくれただろう、佐賀も」

「その時おりの事実を伝えたのみです」

 悪口を浴びせ掛けられないですむだけでももうけもの、と利南は言いたかった。


 花森さんが、

「それにしても、すごい、すごかったよ。あのファッションショー。みんな杉本さんが企画したんでしょお」

「そう、本当は花森さんに出てもらいたかった。美的感覚からして」

「でも、なんかモデルがはしゃぎすぎって感じしたね」

 今日の花森さんは、幅をつぶした学生かばんをぶらさげ、入りきらない荷物を近所の洋品店からもらったビニール袋につっこんでいた。深紅の地に白いハート型が真中にひとつ、のっかっている。最近人気らしいが、青大附属の中では見かけない。ごみ袋みたいとひそかに思ったけれども、当然梨南は黙っていた。

「それよりさ、杉本さんさっきすごいこと言ったよね。うちのクラスの女子が、男子たちに締められたって?」

「佐賀さんのこととかでいろいろあったと、噂を聞いたから」

「大胆だなあ、やっぱり杉本さんって優等生だけど、『いい子』ちゃんじゃないなあ。そういうところが私は好きだけどね」

 花森さんはちろりと男子側に目線をやり、耳元にしゃがみこんだ。

「でもね、新井林中心のグループには気を付けたほうがいいと思うよ。あの男子、何するかわかんないからね」

 聞き返す間もなく、花森さんは軽く手を振って、教室から出て行った。給食が終わったばかりだから、まだ帰りの時刻ではない。当然、エスケープって奴だ。梨南はにこやかに見送った。他の男子、女子の一部がうさんくさそうに噂話をしている。きっと、「男とやってるんだせ」とありもしないことをささやいているに違いない。

 梨南はすっと立ち上がり、二階へ向かった。男子たちの見送る声はいつも通り「またあの女、二年に媚び売りに行くんだぜ」だった。最近、梨南を敵外視する連中の流行り言葉である。


 別に立村先輩に媚びを売ってどうするっていうのか。ばかばかしい。

 ただ、梨南も花森さんの言う通り、男子たちの腕力がばかにできないものだということに気付いていた。にらみ合いだけなら負けることはないだろう。しかし、手を出された日には、梨南と言えども一人で立ち向かう自信はない。小学校の頃から、両親にも、

「梨南ちゃんは女の子だから、いろんな人に目をつけられやすいのよ。気をつけて帰るのよ。夜遅くなったら家に電話を掛けるのよ。ちゃんと、迎えに行きますからね」

 ちかんだとか、変質者だとか、そういう人たちがうろついているとは聞いている。幸いそういう関係の人に狙われることはなかった。むしろ、同年代の「恨みある男子」たちのやり方が危険だと、いつも感じていた。

 恨み買うことをしている自分が悪い、と思えというのだろうか。

 梨南は全く思わない。

 やろうとするのならば、こちらはバックを取って応戦するだけ。

 二年D組の清坂先輩や古川先輩の側でおとなしく話を聞いたり、立村先輩にいろいろ教えてあげたりとか、二年の教室ですることは結構ある。暖かく迎えてくれるところに行くのが当世だ。


「あのね、杉本さん、ちょっといい?」

 なにげなく通り過ぎて、覗き込んだという振りをした。教室の扉は開いていた。立村先輩はいなかったけれども、女子の数人が教壇の上に腰を降ろしてひそひそ話に興じていた。梨南を見つけてすぐ、清坂先輩が立ち上がった。

「なんですか。清坂先輩」

 わざときたのではない、風に梨南は答えた。

「ちょっとだけ、時間もらえるかな」

「はい、大丈夫です。次の授業、体育ではありませんから」

 隣りの女子二人に手を合わせると、清坂先輩は梨南を連れて中庭に出た。六月の花はあじさい。握りこぶし大の色違い花あり、手のひらで抱えられそうな紫、ほんのり桜色したもの、咲き乱れるというよりも、居座っていた。ふたつ、椅子代わりの大きな石が並んでいた。梨南は白いのに、清坂先輩は灰色のに座った。ちょっとお尻が痛くなりそうだった。

「この前は大変だったよね。二年のみんなで話してたんだけど、これ、杉本さんにお疲れ様のプレゼント。開けてみて」

「まさかブラジャーだなんて言いませんか」

 第一弾、の爆笑をしてのけた清坂先輩。

「こずえに汚染されてなんかないって! 杉本さん、ほんっと面白い」

 ポケットから取り出したのは、ふわふわした感じの白いコサージだった。かすみ草に包まれて、乳白色の薔薇が形作られたもの。手のひら大の、胸の真ん中に指すと、椿姫みたいな感じでいいかもという雰囲気だった。

 ──これ、今度、「フィガロの結婚」観にいく時に、つけるといいかもしれない。

 すぐに胸に当ててみて、夏の黒いレースワンピースに合わせようと決めた。

「ありがとうございます。私、清坂先輩たちのセンス、好きです」

「よかった! 絶対杉本さんはこういう上品なものが好きだよね、ってみんなで話してたんだ」

 少しだけ洋服の話をした後、梨南は気になっていたことを尋ねた。自分にこれだけいいものをいただいたということは、当然、清坂先輩たち二年一同もそれなりのことをしてもらっているはずだ。

 そう、何よりも、立村先輩と本条先輩は、二人で仲良くお金出し合って、二年女子にケーキセットをおごったのだろうか。

「ああ、あれね。それがね!」

「立村先輩と本条先輩、あれからけんかしたみたいになってるんじゃないですか?」

「え、どうして?」

「だって、私が仕切ったことをばらしたせいで、本条先輩の計画はぼろぼろになってしまったわけですし。立村先輩もかなり頭にきたのではないかと思います」

 梨南がこっそりと、新井林たちの密談を聞きに出かけた後のことだ。

 さすがに立村先輩のまん前では聞けなかった。

 梨南もそのくらいのデリカシーは持っているつもりだった。

「それね、私も気になってたの。だから、しばらく私も、教室に残ってたんだけどね」

 なぜかそりかえったように、清坂先輩はつぶやいた。

「『さ、卓球場行くぞ』って、あっさり立村くんを連れて、どっか行っちゃったの。本当に、二年女子みんな、立村くんのこと心配してたのにね。あっけに取られて、私もただ呆然」

 なぜ卓球なのか、わからず聞き返した。

「卓球、好きなのですか。本条先輩」

「得意なのは立村くんよ。いつも球技大会の種目、立村くんは卓球を選んで結構いい線いくのよ。強いよ。私は相手になるわけないし、貴史も勝てないって。そうそう、本条先輩に勝つことのできる、唯一のスポーツだって。本条先輩も本条先輩よね。よりによって、自分が絶対に勝てない卓球に誘うなんてね。何考えてるんだろうね」

 本当に、わからないらしい。スカートを調えながら、清坂先輩は座り直していた。

「立村先輩はあっさりついていったんですか」

「行っちゃった。そうそう知ってる? 『本条・立村ホモ説』ってあるのよ。一部の噂なんだけどね。あまりにも仲が良すぎるんだもん。まあ、今回の件で立村くんも少しは、本条先輩離れするかと思っていたんだけど、全くその気なし。私もその時だけは、説が本当かもしれないって思っちゃった。異様になついてるからね、立村くん」

 わざと声を立てて笑おうとしている。何か、咽にひっかかった笑い声だ。

 梨南が考えていることまできっと、考えが回っていないにきまっている。

 本当のこと、聞いていてもわかっていないに決まっている。

 でも、清坂先輩のためにはそれがいいのかもしれないとも思った。

 『本条・立村ホモ説』がある程度本当だと思われたら、立村先輩だって清坂先輩のことを追い掛け回すのはやめるだろう。あれだけ梨南のことを気遣ってくれる人なのだ。好きで好きでならない清坂先輩がため息をつくのを喜ぶとは思えない。

「清坂先輩、その説、本当でもいいと思います」

「なんでなんでなんで? 杉本さん、それは危険な発言よ」

 この辺は含み笑いだ。嘘じゃない。安心して梨南は続けた。

「この前新井林が話してました。立村先輩は一年の頃から女の尻を追い掛け回しているという噂があるそうです。本当かどうか私はわかりません。でも新井林のことですから、もっと悪い噂を流す可能性はあると思います。女の尻という下品な言葉で、立村先輩だけではなく、清坂先輩にいたるまで、失礼な言葉を撒き散らされたら大変です」

「あの、いいでしょうか、杉本さん」

 笑いがこみ上げてきてもう押さえられない風に、梨南の肩をそっと抱いて、清坂先輩は問い返した。本当だったらあじさいの群れに頭をつっこんで大爆笑したいところだろう。梨南は指の間にあじさいの花びら四枚を落とした。

「一年の頃から女の尻を追い掛け回していた、という根も葉もない噂のことだけど、あれはね、大嘘よ。断言しちゃう」

「清坂先輩のことではないのですか」

 もうこらえきれないのか、清坂先輩は石から滑り落ちてしゃがみこんだまま声を立てずに笑いつづけた。何かしないとわるいと思い、背中をさすったのは梨南だった。息がつけるようになるのに約一分弱。貴重な休み時間。早く話してほしかった。顔を上げた時、清坂先輩のまなざしだけが真面目で、思わず梨南は黙り込んだ。


「一年の冬に立村くんが、クラスの中にいる別の女子に告白して、振られたらしいという噂が流れたのよ。たぶん新井林くんはバスケ部の連中からその辺を聞きかじったんだと思うの。かなり有名な話だったし、立村くんはそのことについて、全く言い訳しないで言われるがままになっていたから、たぶん本当だと思い込んでいる人もいるだろうなあ。けどね」

 唇に指をはさみ、なめるようなしぐさをした。

「本当は、告白されたという女子が別のクラスの子にありもしない噂を撒き散らしただけなのよ。うちのクラスの男子たちはみな、立村くんの味方だったからそのことで嫌なこと言ったりした奴、いなかったんだ。いつのまにかD組内では『ガセネタ』ってことで処理されちゃったけどね」

 新井林の言葉をそのまま信じたつもりはなかった。

 単なる比喩表現なだけよとも思った。

 でも、聞かずにはいられなかった。

「では、新井林の言ったことは、全くのでたらめと考えていいのですか。立村先輩は女の尻を追い掛け回したこともないと」

 清坂先輩ご自身はどうお考えなのですか、とはさすがに聞けなかった。

「当たり前よ。立村くんがそういうこと、できるわけないもん」

 自信たっぷりに言い切った清坂先輩の顔。梨南からすると妙だった。

 清坂先輩のことは好きだ。絶対になれないタイプだけれども、梨南のことを可愛がってくれるし、センスあるプレゼントを選んでくれたりもする。男子受けがいいのも当然だろうと思う。

 ただ、何かが違う。

 どうして平気で立村先輩の気持ちを理解したつもりでいられるのだろう。

 ──清坂先輩は、立村先輩がどれだけ思ってくれているか、わからないんだ。

 ──羽飛先輩に夢中だから、立村先輩が必死にアプローチしているのに気付かないんだ。

 ──目に見えているものが本当に見えてない、そういうタイプの人なんだ。

 ──男子だったら、そんな奴馬鹿だって答えられるのに。いい人だからなあ。

 後ろの方で窓ガラスを叩く音がする。ばしんと響いた。頭の上だ。

「あれ、こずえ、どうしたの」

「ほら、美里、これから家庭科だよ」

 梨南にも笑いかけた後、古川先輩は窓辺から姿を消した。

「そうだ! 忘れてた。今日ね、家庭科で将来の生活設計についての授業があるんだ。宿題、やってないの、急がなくっちゃ」

 コサージのお礼をもう一度言おうとした時、帰り際に、

「あ、それとね、これを選んだの、実は立村くんなんだ。杉本さんはこういうのが好きなんだって、えらく強く主張してたんだよ。あとでお礼言うと喜ぶかもよ!」


 ──立村先輩が。

 ──オペラの話たくさんしたからだろうか。

 ──オペラ向けの花がいいって言ったからだろうか。

 

 あじさいの花びらは四葉のクローバーを軽くいじったようなもの。

 少しだけむしった後、梨南は教室に戻った。コサージの中に生花をいれてみたかったからだった。


 誰にも襲われることなく五時間目を終え、梨南はすぐに三年A組の教室へ向かった。月曜日の全校集会に関する正式の締め。ごくふつうのやる気なさげな雰囲気あふれる静かな評議委員会だ。

 理由は簡単。まず、一年生男子が誰も出席しない。

 前もって中体連の関係でという、許可が出ていたという。

 新井林は日曜に他の学校との対抗試合があるとかで、最後の練習、出なくてはまずいそうだ。他の連中も似たような理由らしい。モデルで義務ははたしたんだから、堂々と休めるわけである。

 月曜の夜にあれだけ派手な騒ぎをやらかしたのだから、当然と言えば当然だ。新井林だって立村先輩の顔を改めてまじまじと見たくはないだろう。本条先輩がどういうことを言って説得したのかは梨南の想像でしかないけれども。立村先輩と一緒に「嵐の後の卓球ツアー」を行ったってことは、それほど二人の間は険悪になっているわけではなさそうだ。

 清坂先輩は気付いていないけれど、梨南にはわかっている。

 立村先輩がもし、本条先輩の本心に気付いていなかったら大変だ。

 教室を覗き込み、まずは本条先輩がまだきていないことを確認した。委員長お膝元のクラスでありながら、なぜか入ってくるのは最後だ。すでに二年の男子評議たちが、いつものように机をかためて馬鹿話をしている。当然立村先輩も入っていた。馬鹿笑いはしないけれど、おとなしく頷いてばかりいる。清坂先輩はまだいなかった。


「立村先輩、お話したいことがあります」

 びくっとしたのは他の二年男子たち、立村先輩は平然としていた。

「どうした、杉本。さっきのレポートのことか」

「いいえ、ふたりっきりで」

 ふつうだと「ひゅーひゅー」騒ぐのだろうが、なぜか何も言わない男子たち。立村先輩は軽く回りを見た後、

「いいよ、何か杉本に俺がまた、とんでもないことしたかな」

 後ろの掃除箱前に誘導された。ここなら誰もいない。ごみくさいだけだ。


「先日、のことなんですけど、ありがとうございました」

 ポケットから白いコサージを取り出し、梨南は丁寧に頭を下げた。

「清坂氏からも、杉本がえらく気に入ったみたいだって、言ってたからさ」

「これつけて今度、『フィガロの結婚』聴きに行きます」

 梨南は胸の真ん中につけるしぐさをし、一呼吸おいた。

 言いたいことはこんなことじゃなくって。

「まず確認させていただきたいのですが、立村先輩は月曜日の締めが終わった後に、本条先輩とどうなさったのですか?」

 完全にびっくり眼で、立村先輩はまじまじと見た。

「清坂先輩からは卓球場に出かけたということでしたが」

「よく知ってるなあ。そうだよ、うん。本条先輩に誘われて連れて行かれたんだ。俺が唯一本条先輩に勝てるのが卓球だからさ」

 清坂先輩から聞いたことにほとんど違いはない。

 梨南は続けた。

「本条先輩のことをどうしてそこまで信頼しようって思うんですか。もしかしたら、新井林に手を回したように立村先輩を騙しているかもしれないんです。私、あの日、新井林たちの会話を聞きましたけれども、大変なことになります。先輩のことを『女の尻を追いかけている奴』とか言ってます」

 告げ口と言われるかもしれない。でも、梨南にしてみれば当然のことだ。

 自分を認めてくれた人のためには当然、伝えるべきことを伝えるべし。

 あの、月曜に、梨南の手柄をみんなに認めさせるよう、発言してくれた人だ。

 コサージと共に梨南のできることはこれくらいだった。

「先輩、本条先輩を疑わないとだめです」


 立村先輩は小さく頷きながら、梨南の話を聞いていた。前の扉から清坂先輩たちが入ってきたが、近づいてこなかった。様子をうかがっているようだった。

「杉本、どうして俺があの時も本条先輩のことを疑わなかったか、聞いてほしい」

 梨南の胸に挿したコサージは、白いブラウスに溶けて、曖昧なままだった。きっとコサージを梨南の瞳と思って話し掛けているのだろう、そう梨南は決めた。片手をポケットの端にすべらせ、同じく呼吸をひとつ置いた。

「あの日、本条先輩は三年A組の祝賀会が控えていたはずなんだ。すぐに帰りたかったんだと思う。それを俺の言ったことで締めの委員会は延びてしまい、一年男子連中は逃げ出すわ、みんな荒れるわで、本条先輩は気が気じゃなかったと思うんだ。俺みたいな馬鹿でも、それはわかる」

 目を伏せた。言葉を唇の隙間から落とすような話し方だった。前髪が軽く揺れた。

「あの時、俺だけ教室に残された時、きっと一発くらい殴られるだろうって、覚悟はしていた。それが終わってからさっさと祝賀会に出るだろうと思っていた。俺だって杉本のことを曖昧なままにしておくのは納得いかなかったからさ」

 「杉本」と呼ぶ時に、思わず唇をなめるしぐさをした。

「私のことを曖昧にですか」

「あれだけ素晴らしいシナリオを書いたのが杉本なんだから、もっと認められて当然だって、俺はずっと思ってた。俺には出来なかったことだから、なおさらそう思うんだ。でも本条先輩は新井林たちのことばかりを褒め称えている。どういう裏を使ったかはわからないけれど、なにかあるんだろうとは、思ったんだ」

 やはり、立村先輩も感じていたのだろう。ただの不細工な男子ではない。読みがはずれてなくてよかった。でも、どうして疑いを消してしまったのだろう? 立村先輩のことをきっと、本条先輩と新井林たちはさんざん悪口言っていたはずだ。

「問い詰めたり、しなかったんですか」

「最初は、しようと思った。納得いく説明がほしかったよ。けどな」

 言葉を切って、じっと梨南の瞳を見つめ直した。今度はコサージではなかった。かすかに聞こえる小さな声。たぶん、梨南にしか聞こえない声だった。

「本条先輩は、クラスの祝賀会を蹴って、俺を卓球場に連れて行ったってことがすべてだよ。当然こてんぱんに打ちのめしてやったさ」


 梨南は何も答えられず、じっと立村先輩の目を見詰めつづけていた。

「それだけで、先輩は本条先輩を信じられるんですか」

「うん、俺は本能的に敵と味方が見分けられる性格なんだ」

 元のしゃべり方に戻り、立村先輩は席に戻った。もう一度梨南に、

「妙なこと言ってごめんな」

 いつものようにやわらかい笑みを残してくれた。

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