第五話『未開地』
ー王国ー
黎明の空が青く輝き始めたころ、元老院議員たちの議論はピークに達していた。深淵の森に現れた謎の軍勢に対する対処を巡ってはその動向がハッキリしない以上あらゆる事態に対処可能な各プランが求められる。仮に彼の軍勢が侵略を目的とした場合、対応できる戦力は必ずしも充分とは言えなかった。もとより他国への攻勢など想定しておらず、一個軍団(正確には戦闘団だが)を相手に遠征して撃退できる兵力の確保さえままならない。したがって彼らの下した決断は二重の防衛線を構築する守り一辺倒に徹することとなる。むろんこちらからも情報の収集は逐一行っていくわけで、その任を押し付けられたのは城壁軍第1観測中隊の兵士たちであった。観測中隊は主に観測気球を用いた地上および上空の監視任務につくのだが、当該中隊は新たに飛行船を配備したばかりである。長時間の滞空任務は非常に体力を消耗し竜騎士にとっては大きな負担であった。一方で気球は気象に左右され思うような移動が出来ない。そういった観点からすれば新型飛行船は歓迎すべき装備だった。30名の乗員で運用し、弩銃5基と2門の榴弾砲を装備する。この他に人数分のレバーアクション式ライフルを携行するので相当な火力を持つと言える。推進力には蒸気ピストンで駆動するプロペラが2基ついており、竜騎士には劣るが機動力もある。
様々な弊害はありつつも、どうにか昼までには出動可能な状況だったが、そんな彼らより先んじて空を飛んでいく影があった。奴らもまたこちらの出方を伺ってくるだろうことは予想されてはいたが、やって来たそれは想定外もいいところの存在だった。彼らのために説明をするならばそれは飛行機と呼ばれる乗り物で、こちらではF-1と称されるジェット戦闘機だった。本来偵察機でもないF-1が地上を偵察するには相当無理があり、パイロットは失速しないギリギリまで速度を落として何とか地上の目視を可能としていた。しかしながらその速度は竜騎士によりも遥かに速いことに違いなく、飛行船などお話にならない。城壁に設置された弩銃が慌ててそちらを指向するが、とても追従しきれない。では飛竜相手にどうやって対処してきたのかと言えば、魔導士によるサポートか要塞砲の散弾による一斉射撃である。射程は著しく短く近距離でしか使えないのが欠点とされていたが、攻撃的な飛竜は牽制で挑発すれば構わず突っ込んでくるし、魔法で結界を張れば一時的に彼の攻撃を抑えられるので大して問題視されなかったのである。
この事態を受けて飛行船の出動は前倒しにされたのだった。
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ー北方戦闘団陣地ー
同じ頃、自衛隊側もまた騒然となっていた。空からの報告はやはり突拍子も無いもので、ここは地上部隊による偵察が必要ではないかという意見が採択されることとなる。しかしながら偵察隊が保有するのはジープやオートバイくらいであり、それでは昨夜のような猛獣の襲撃に遭った時に心許ない。そこで普通科から73式大型トラックを借りて、その荷台に重機関銃を設置、さらには完全装備の普通科隊員が荷台に乗り込み全周を警戒する。相手が飛び道具を持たない獣であるならば、優先すべきは接近させないことに尽きる。そうなると視界の制約を受ける73APCは不適当だし、戦車など論外である。問題は防御力と車格であり、果たして未整備の土地を踏破できるだろうかという不安も残る。戦闘団長も踏破不可能の場合は速やかに帰投せよと命じたが、幸か不幸かちょうど車両が通行できるほどの獣道を偵察隊は見つけてしまったのである。
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ー同時刻/特殊作戦レンジャー/松田・武田ー
緑の絨毯の上に点々と続く黒い染みはどこまでも続いているかのようだった。重い足取りで歩く二人の影。残り少なくなったモルヒネと、徐々に力なく弱っていく戦友のことを気にかけて、松田はすでに限界を迎えつつある体に鞭を打ち続けた。
「もういいよ松っちゃん」
置いていってくれという戦友の言葉は無視した。あの閃光に飲み込まれる直前に運悪く敵弾が武田を貫いたのだ。不思議なことに閃光の後には連邦軍の姿は消え失せ、代わりに見たこともないジャングルが目の前に現れた。何故、どうして……と考えている暇はなく、すぐにでも病院に担ぎ込まなければ死んでしまうであろう武田を引きずっての行軍が始まった。LZに相当する地点に辿り着いてもなんの解決にもならず、銃弾に貫かれたのが武田だけではないことを知ったのは、要を成さなくなった携帯無線機の亡骸を見つけてからだった。
コンパスと役に立たない地図を目安に踏破を考えたが、具体的な距離を考えれば考えるほど、それは途方もない話に他ならない。いっそのこと連邦軍の捕虜にでもなったほうが良かったのでは……とさえ考え始めた時、目の前に山小屋のような建造物が飛び込んできた。それはどうやらかなり昔に建てられたものらしく、木造でちょうど神社か寺のような大きさだった。
松田は45口径を手にその建物の中へ押し入っていった。中は無人で人の気配など微塵もない。武田を床に下ろし、容態を確かめる。手持ちの救急品ではどうしようもないことは滴る体液の量が無慈悲にも告げていた。痕跡の除去も、周辺の安全確認も今はどうでもよかった。どうにでもなってほしかった。
「……松っちゃん」
「喋るな、傷に響くぞ」
「なぁ、あとどれぐらいなんだい?」
「基地まであともう少しだろうな」
「ハハ、教育隊の反省を思い出すよ。あと少し、あと少しって。みんなで班長にどやされながら散々ハイポートさせられて。ああ、懐かしいなぁ」
「タケ、もう喋るな」
「ここに置いていってくれ。俺はもう助からない……分かってるよ」
「バカ野郎、レンジャーは最後の最後まで諦めるな。お前は助かる、病院に入って温かいベッドで三食の飯もついて……」
「松っちゃん、お願いだからもうひとりにしておくれよ」
戦友の顔はどこまでも安らかで、そして微笑んでいた。それが耐えきれずに松田は逃げるようにそこから離れた。外へ出て、出来る限り声を抑えて彼は泣いた。これほど本気で泣いたのはいつ以来か覚えていない。その時に微かに車両のエンジン音が聞こえた。
幻聴ではなかった。もうこの際敵でも何でもいいとさえ思った彼は、ただひたすらに走って走って、徐々に大きくなるエンジンの音に希望を見いだしたのだった。
希望は茂みの奥から突然現れた。
忘れもしないOD一色の実に野暮な塗装をしたトラックの群れがそこにあった。
荷台にMGを固定したトラックは、不意に飛び出してきたレンジャー隊員に驚いて急ブレーキをかけた。もとよりノロノロと進んでいたトラックだったが、急制動によってつんのめった車体に揺さぶられた隊員たちは何事かと声を荒げた。
「レンジャー部隊の松田2曹だ、重傷者がいる、早く収容してくれ!」
ドライバーの若手陸曹は首を傾げたが、助手席の車長の上級陸曹はすぐに車を降りると、松田に事情を確かめ、荷台で待機している隊員たちを救助要員として選出させた。
「アサヒこちらシナノ、行進中にレンジャー隊員を発見した、おくれ」
『アサヒ了解、隊員の人数と名前は?』
「発見したのはマツダ2曹1名、なお当該隊員の報告によれば近ぼうに負傷者がいる模様」
『了解、負傷者を収容次第その氏階級、および容態を確認されたい、おくれ』
「シナノ了解、収容した人員を乗せた車両は帰隊させてよいか?」
『シナノしばらく待て…………帰隊させてよい、おくれ』
「シナノ了解、終わり」
無線の交信が微かに聞こえた後、松田は普通科の隊員を案内するために先行して走った。身軽な装備となったレンジャー隊員と完全装備の普通科隊員を比較するのは酷だが、松田は彼らをぶっちぎる走りで戦友の待つ山小屋へと戻ってきた。
「タケ! やったぞ、味方の車両が……」
そこまで言いかけて、彼の言葉は詰まった。横たわる武田の他にもう一人の人影があるのだ。それは武田の手前に座って何かをしている。その手元は不気味に青白く光っているではないか。
あっ、と思った時には反射的に拳銃を引き抜いて松田は叫んだ。
「タケから離れろっ!」
その人影はこちらの怒号に驚いてこちらを振り返った。
「!!」
その顔を見て松田は言葉を失った。
それは年端もいかないような少女だったのである。だがしかし、その肌はまるで白人のそれのように白く、おまけにその服装ときたら民族衣装か何かかと思うようなひどく時代錯誤なもので、極めつけは人間としてどうにも説明できないくらいに長い耳を持っていたのである。
そのうち追いついてきた普通科の隊員らも、松田と同じ光景を目の当たりにし絶句することとなる。
「……あ、あの」
いきなり現れた男に怒鳴られ、しかもこれだけの人数に囲まれたその少女は明らかに怯えていた。それでも声を絞り出そうとしてはいたが、松田は取り合おうとはせず、まずは武田から離れるように促した。普通科の隊員らもどうしてよいか分からずに顔を見合わせるしかない。
武田から離れたの確かめ、彼は少女を掴むと一気に押し倒した。それから普通科の隊員を近くに呼び、妙な動きを見せたら撃てと命じる。さらに危険物を所持していないかどうかを確認していくが、相手が女だからといって一切容赦はしない。ともすれば少女は自分が犯されるのではないかという不安が一気に現実味を帯びて来たのでここで初めて抵抗をみせ始める。……と、所持品の中からナイフが出てきたことで松田たち自衛官らの警戒レベルは一気に最高潮に達した。
怒号、悲鳴が入り交じり、混沌の“るつぼ”となった山小屋の中でこの場を納めるモノはないかと思われた。
「松っちゃん!」
その言葉が出た瞬間、その場は一気に静まり返った。
「……タケ?」
「何をしてるんだい松っちゃん、その人を離してやりなよ」
先程まで死にかけていた武田が自身の足で立ち上がってこちらを見ている。
「タケ、……なんで? 何だってお前、さっきまで……」
「松っちゃんが出ていった後、入れ違いで来たこの娘が怪我の手当てをしてくれてさ」
「手当て? そんなバカな、どんな応急処置をしたってすぐに歩ける訳が……」
「俺も信じられなかったんだけどね、ほら」
そう言って武田は服を巻くってみせた。本来ならそこにくっきりとあるはずだった銃創が、まるで治りかけた擦り傷のようにカサブタで塞がっていた。松田の手が緩み、少女はまるで猫のように素早く抜け出すと、呆然とする隊員たちを尻目に一目散に逃げ出した。善行のお返しが(もちろん誤解だが)強姦未遂となれば当たり前で、武田が制止を呼び掛ける間もなかった。
慌てて後を追った普通科の隊員たちだったが、森の中に走っていった彼女の姿はもうどこにも見当たらなかった。