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私の中の英雄たち  作者: ロクヨンシキ
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第三話『銀狼』

 陣地の中で夜を迎えると陣地は暗闇と静寂に包まれる。灯火管制で照明の類いはほとんど焚かれないため月明かり以外に外を照らす物はないと言って差し支えない。おかげで穏やかな天候ならば満点の星空を眺めることができる。真っ暗なトーチカの中からそれを見たとき、四角い銃眼はまるで映画のスクリーンのようだった。一定の時間に回ってくる動哨だけがこの静寂を乱す唯一の厄介者。それでもセンチメンタルな思いにふけるには充分な環境でもあった。


 ……『本来であれば』の但し書きがつくことになったのは、僅かに一時間ほど前の天変地異の予兆とも言うべき空の閃光から始まった。一時は核攻撃の可能性があるという情報まで流れ、果たして意味があるのか分からない防護衣を慌てて持ち出す羽目となり現場は混乱した。電子機器の一時的な不調もまたこの騒ぎを助長する起爆剤となり、復旧した後も基地外との一切の連絡途絶状態は継続となった。

 対策会議はすぐさま伝令を走らせることで合意したが、出発した車両隊からの報告は寸断された道路と突如として現れた森が少なくとも見渡す限りの範囲で出現しているとのことだった。地上からの部隊の展開に限界があるとの判断から、隣接する飛行場からUH-1のヘリ部隊の出動が下令された。そうして飛び立ったヘリ部隊も地形から何からまったく変わってしまったことをつぶさに報せる。地図に載っている筈の町も建物もどこにも存在しない。誰もが答えに窮する状況だった。指揮官・幕僚らの協議の結果は『夜明けを待って状況を再確認する』に留めざるを得なかった。結果として待機を命じられた隊員たちの間には不安や恐怖から様々な憶測が並ぶこととなり、収集をつけようがない状態となっていった。そこへ来てP-9低空レーダーがキャッチした謎の影は混沌のただ中へ放り込む悪魔も同然だった。少なくとも4機、速度は100ノット以上。スクランブル発進は間に合わない近距離だった。そもそもインターセプターは後方のミサワ基地から発進する手筈だったし、大がかりなレーダーサイトも然りだった。そのうえ配備されていたのは対空戦闘能力の低い支援戦闘機で、この基地にしても支援戦闘機の反復攻撃を行い、断続的な航空支援を継続させるための意味合いが強かった。弾薬庫に納められているのは大半がMk.80シリーズかASM-1である。

 では戦闘団の装備する対空火器はというと、短SAMとL-90を中心にし、機甲科に随伴するためにM42自走高射機関砲を装備する他は車載のHMG以下各員の全力射撃に期待することとなっていた。したがって対空警報区分が発令された時には皆弾かれたように配置につくのだった。

 あの日を経験した者は、連邦のSu-25やMi-8の威力を身をもって知っていた。時間的余裕がなく露天の射撃陣地に陣取るしか無かった彼らの頭上を守ってくれる物は皆無と言っても過言ではない。数え切れないほどの犠牲を払い、師団の対空火力の貧弱さを訴えた結果、戦闘団にはようやくまとまった数の装備が支給されたのである。しかしながら完璧な防空陣地を想定するならばまだまだ不充分であることもまた事実だった。一例を上げるなら連邦の防空システムはSAシリーズの各種地対空ミサイルに加えてZSU-23を広範囲に渡って展開。高密度で展開された部隊は互いの空域をカバーする。まだまだSAMの配備が進まず、高射機関砲が主体の自衛隊では不可能な芸当と言えた。


「目標は何だと思う?」


 第一戦闘団長荒川が空中機動団……つまりヘリ部隊の北見1佐に率直に訊ねた。


「まだ何とも」


 ……と、北見。ヘリにしてはやや速すぎるきらいがあり、ジェットにしては遅すぎる。もっとも5,000メートル以上の高度から爆撃を可能とするSu-24などが出てきたらとても有効射程僅か数キロのL-90やグスターでは防げないだろうが……。


「高射特科は準備はできています。命令が下り次第、短SAMはいつでも射撃できる態勢です」


 八嶋2佐(高射特科大隊長)はそう言ったが短SAMもそう射程は長くはない。ほとんど目視できるような距離で使用となるだろう。もっとも光学照準で標的を視認できれば少なくとも誤射のような悲劇はだいぶ回避できる。目視すれば標的の正体を掴むことも容易だろう。もしミサイルが外れても高射機関砲で接近させないことぐらいはできる。

 しかし連邦軍だとしたらいったい何の目的があるのだろう?

 陽動の二文字が幕僚らの頭をよぎった時、不意に銃声が響いた。


「何事だ!」

『こちら第3小隊、襲撃を受けています!』

「落ち着け、まず敵の規模や状況を報告しろ、連邦の攻撃か?」

『ち、違います! 連邦軍じゃありません!』

「何だ、いったい何の襲撃を受けているんだ?」

『“オオカミ”です、とても対処できる数では……』

「オオカミだと!? いったいなにを言ってる?」


 そこで相手が切ったのか無線はそこで途切れた。銃声はすでにあちらこちらから聞こえてくる。混乱による理性のない発砲が含まれているにせよ“敵”の数は相当なものらしい。

 同士討ちの危険があるため照明弾が打ち上げられ、陣地は蒼白い光に照らされる。夜間の戦闘では敵の姿が見えずただひたすら銃を撃つという状況もあるという。だからこの時も標的を捉えた隊員というのは比率としてはだいぶ少なかった。しかし照明弾が照らし出す陣地の中に“それ”を見た隊員は絶叫と共に銃を撃たずにはいられなかったという。



 この時、伊織はトーチカの中でじっとキャリバーを構えて周囲を警戒していた。落合はこれより少し前に指揮官会議の方へ行ってしまっており、頼りになりそうな陸曹の姿は周囲にはない。すでに周りの小銃掩体も発砲を始めている。末端の隊員にまで正確な情報はまだ届けられておらず、したがって伊織はこの時はまだ連邦の襲撃であると信じていた。

 両親の仇を討ってやりたいとあれほど会敵を望んでいたのに、いま彼の腕は小さく震えていた。思惑が交錯し何をどうしてよいのかも分からなくなりそうだった。

 後ろから誰かがトーチカに飛び込んでくる。


「伊織!」


 声の主は廣田だった。


「何がどうなってる?」

「俺もさっき叩き起こされたばかりで何も分かんねぇ。あっちもこっちも混乱してて情報も錯綜としてる。危ないと思ったら自衛の範囲でぶっぱなしていいってのは聞いてきた。キャリバーは装填したか?」

「いいやまだだ。落合曹長から『命令あるまで絶対に装填するな』って言われてる」

「もう装填しちまえ、敵が見えてからやってたんじゃ間に合いっこない。射手は伊織がやってくれ、俺は夜目が効かないから狙えない」

「この明るさで?」


 照明弾で蒼白く光る陣地を見て伊織が聞き返す。『鳥目なんだよ』と返事が返ってきて伊織はヤレヤレと首を降るとキャリバーのチャージングハンドルを思いっきり引いた。ガシャコンと重工な金属音がして本体右側から役目を終えた金属リンクがこぼれ落ちた。


「……ねぇ廣田、相手は本当に連邦軍なのかな?」

「は?」

「相手の銃声が無いんだ。AKの銃声は乾いた音がするって前に廣田が言ったよね。でもみんな同じだ。射場で聞いたそれと一緒なんだ」

「いや、そうは言ってもなぁ。俺もAKの発砲音を直に聞いた訳じゃないし。それに連邦でなけりゃいったい誰だって言うんだよ?」


 『……それは』と言いかけたところで何かが勢いよく銃眼に突っ込んできた。


「うわっ!」


 仲良く二人とも腰を抜かして後ろに倒れる。銃眼は狭いとはいっても重機関銃の射界を得られるぐらいの広さはある。そこに突っ込んできたそれはどう見ても獣の頭だった。オオカミと呼ぶにはあまりに大きくそして禍々しい顔つきをしていた。頑丈な丸太で作られた枠組みがメリメリと音を立てて喰い破られていく。中に侵入しようとしていることは誰の目にも明らかだった。


「し、死ねこの化け物っ!」


 廣田は叫びながら64式を持ち上げた。だがいくら引き金を引いても弾が出ない。安全装置がかかったままなのだ。64式小銃の安全装置の操作性の悪さは世界でも指折りで、一度握把から手を離してから本体右側のセレクターを引っ張りながら回さねばならない。咄嗟の場合には致命的とも言える欠点だった。何とか安全装置を解除したがそれでも弾は出ない。安全の考慮して未装填のままなのだ。

 結局実戦を考えて演練していなかった廣田がぐずぐずしている間に、伊織のほうが一歩早く発砲できた。落合曹長から指導された賜物だった。

 標的のオオカミの顔面に向けて3発、4発と立て続けに放たれた7.62ミリ弾が肉を抉り、骨を打ち砕いた。至近距離でフルサイズのライフル弾を受けてはたまらない。ギャンギャンと悲鳴をあげたオオカミは一旦銃眼から身を引いた。追い討ちをかけようと伊織は銃眼から身を乗り出す。と、突き出した64式の銃身を横合いから引ったくられる。先程とは別のオオカミが伊織を睨んでいた。その口には彼から奪った64式があったが、すぐにどこかへ放り投げられてしまった。前に出たことが災いし、廣田 は伊織が邪魔で発砲できない。だが伊織の隣にはキャリバーがあった。体を横に滑らせてキャリバーの握把を握った伊織は狙いもつけずにトリガーを押し込んだ。たちまちものすごい衝撃波が彼を飲み込む。30口径の4倍の火薬での発砲はもはや一種の爆発のようでさえあった。鼓膜を突き破らんばかりの発射音。オオカミの頭が50口径の銃弾に耐えられずにとうとうスイカのように破裂した。大量の血と肉片と脳が降りかかってくる。


「おい伊織、大丈夫か!」

「目に血が……なんにも見えない」

「待ってろ、いま洗い流してやるから」


 廣田が水筒を取り出す。霞んだ視界はまるで黒い靄がかかったようだった。それでもトーチカの出入口で動いたそれは見逃しようがなかった。さっきの手負いが回り込んできたのだ。必死に廣田の名を呼ぶが恐怖で錯乱したと思われたらしくまったく気がつかない。


「落ち着けってお前が怪我した訳じゃない」

「違うんだ廣田、あいつだ、あいつが入ってくる!」

「!?」


 あいつは廣田に襲いかかった。重い小銃を振り回すよりも相手が飛びかかるのが早かった。2メートルは優に越えるケモノに飛びかかられて受け止められる人間がどこにいるだろう。小銃を盾にし、辛うじて喉元を引き裂かれるのは回避したものの、恐ろしい力でねじ伏せられた廣田が潰されるのは時間の問題だろう。伊織は痛む目をしばきながら銃剣を引き抜いた。よろけながらもオオカミの背中目掛けて40センチもある長い銃剣を突き立てた。トラックの荷台に引っ掛かって曲がるほど粗悪な材質の銃剣はさして深くも刺さらず、オオカミは自分を傷つけた者をギロリと睨むと、その後ろ足で伊織を蹴飛ばした。銃剣よりも遥かに鋭利な爪がずぶりと突き刺さり、その痛みを知るより先に弾き飛ばされた体はトーチカの壁に激しくぶつかった。ずるずると腰を落とした彼にはオオカミはもう見向きもせず、彼の名を叫ぶ目の前の標的を優先する。

 せめて銃があればと悔やむことしか許されず、自由の効かない体の様子を確かめることもできず、ただただ自身の無力を思い知らされる。

 胸から流れ出る熱い体液が体を急激に冷やし、生まれて初めて死を意識した彼はふと入隊の日に最後まで見送ってくれた家族のことを考えた。


「……ごめん」


 結局自分には何も守れない。家族の仇は愚か目の前の友人さえ救えないお前はいったい何なのだ。

 悔しくて悔しくて、途方もなく情けなくて堪らなかった。


 ードタタッ!・ドタタッ!・ドタタッ!ー


 銃声がした。64式の低速レートの発射音。短連射での掃射が廣田に馬乗り状態となったオオカミの全身にくまなく撃ち込まれた。体が電撃を受けたように硬直し、すぐにぐったりとしたオオカミが倒れる。発砲した人物は入り口付近に立っていた。白煙が薄く立ち上る64式を腰だめに構え、まだ数発は残っている弾倉を捨てて新しい20発入りを叩き込む。流れるような優美な動きだった。

 その姿には見覚えがあった。


「落合……曹長……?」


 昼間見たような鬼瓦ではない。その顔は戦士のそれだった。白髪が青い光に照らされて銀色に輝いて見えた。それは霞んだ視野の中で見た幻覚に近いものだったかもしれない。それでも心の中にこみ上げる物は留めようがなく、いつの間にか溢れでた涙が汚濁を洗い流していった。


『伊織が負傷を! すぐに衛生を呼んで来ます』

『落ち着け廣田、……ああ、大丈夫だこんなんで死にゃあしない』


 怪我の様子を見てそう言ってくれた彼の言葉ほど救われる物は他に無かった。自分もいつかこの人のように誇りをもって生きていくことが出来るのだろうか。

 そうだと信じたい。


『伊織が一匹を仕留めたんです。もう一匹にも果敢に立ち向かって……伊織がいなかったら俺は今ごろ』

『分かった廣田。よく持ち堪えたな伊織、よくやったぞ。お前がこのトーチカを守ったんだ』


 そう言ってニッと笑った彼の顔を忘れることはないだろう。緊張が解け、次第にぼやけていく意識が最後に聞いたのは有線電話で担架と衛生兵を要請する落合の言葉だった。




 一連の騒動の結果、自衛隊は数名の死傷者を出したものの装備に対する損害は極めて軽微であった。しかしながら心理的損害を数えるならばその喪失は決して軽いものではない。陣地に侵入を図ったオオカミに似た謎の生物の死骸は5体ほど発見された。どれも2メートルを越える大きな体躯を持ち、中には4メートルに達するような個体も見受けられた。そのほとんどが1~2発の小銃弾では倒せず、ある幹部は45口径1弾倉分を見舞ったにも関わらず反撃され負傷したという。

 そして地上での混乱が上空に対する対処を遅らせてしまった。地対空誘導弾の発射許可は降りず、高射火器による対空戦闘は行えない。それでも任務に忠実だった高射の隊員は、目視で確認した対空目標の詳細を可能な限り忠実に報告した。


「……再送する。目標は“巨大飛行生物”、目標は巨大飛行生物である。進行方向南、高度200、速度……」


 照明弾の灯りだけでは詳細は分かりようもない。しかしいかなる航空機も羽ばたきはしないし、長い首も尻尾も持ちはしない。視力2.0の隊員はこの時、巨大飛行生物の背中にヒトらしき影を見たと後に証言している。情報小隊はレーダースクリーンを凝視し、巨大飛行生物の動向を監視し続けた。巨大飛行生物は陣地上空をしばらく旋回すると北の方角へ消えていった。

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