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私の中の英雄たち  作者: ロクヨンシキ
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第一話『国境紛争』

 言うまでもなく連邦軍はソ連軍がモデルです。ですが劇中のような大兵力での侵攻はまず有り得ないでしょう。そんな数の戦力が集まっていたら絶対に事前の兆候でバレますし、本腰を入れて日本を攻め落とす気なら米軍の参戦は免れません。ほどほどの戦力で電撃的に奇襲し、北海道の一部領土及び港を確保したらあとは政治的恫喝で停戦に持ち込む……。局地的な侵攻ならば米軍は出てきませんし、政治的理由で事前に陣地構築の出来ない自衛隊を撃退することは可能と思われます。

 ……別にソ連が嫌いだの、自衛隊がソ連軍をボコボコにする話が書きたいだのという訳でもないので、戦闘は痛み分けで開戦の理由はかなり曖昧にしてあります。

 空はどこまでも青かった。この広い空の向こうには無限の世界が広がっているのかもしれないが、そうではないことを彼は知っていた。地上を海原を、そして空も、地図上に引かれた境界線は見えない壁となって全てを分断していた。地平線にまで伸びた鉄の(いばら)、その線を一つ越えた先にあるのはいつかに焼け爛れた戦車の残骸だった。吹き飛んだ砲塔は傍らに転がり、引きちぎれた履帯はべろりとだらしなく垂れている。うっすらと土に同化し始めている錆付いた装甲には新しい弾痕がいくつもあった。破壊された敵の戦車は絶好の射撃訓練の的だった。


「連邦が侵攻してきた時の頃のらしいな」


 ちょうど1年前、北方の連邦軍と自衛隊の間に発生した国境紛争は解決の糸口も見えぬままこう着状態となっていた。連邦軍の全面的撤退と損害賠償を唱えるニホン側と領土割譲を停戦の条件とする連邦側の対談は平行線をたどるよりほか無かった。地上軍だけで250万の兵力を有する連邦軍に対し、全軍を併せて50万に満たない自衛隊が圧倒的に不利なのは言うまでもない。だがしかし半島の地形は連邦軍の誇る機甲師団が通過できるような地形でなかった。彼らが大規模な戦車隊を送るにはインフラの整った湾口と道路の備わった沿岸部より上陸するしかなく、打って変わって貧弱な海軍は多数の揚陸艦こそ備えていたものの、それらを守るべき戦闘艦艇はやや時代遅れ感を否めない。もっとも防衛体制に不備のあった空自の航空機が飛来する頃には、すでに“数日はかかる”とされた上陸の半数以上を終えた後だった。長らく敵の航空機ばかり見てきた陸自からすればようやくやってきた救いの翼だったが、支援戦闘機の対艦ミサイルが粉砕したのは空っぽの輸送船だけだった。上陸した連邦軍機甲師団は、すでに先の自動化狙撃連隊との殴り合いで疲弊した自衛隊をほぼ一方的に蹂躙した。沿岸都市1個を丸々陥とされてようやくことの重大さに気づいた政府はようやくまともな反撃命令を出したが、その対応ぶりは目を覆わんばかりに惨憺たるものだった。

 前線で対応していた第7師団、第71~73戦車連隊は各60台あまりの戦車を保有していたが今や師団の全車両を集めても20台に満たない。乗員も車両もボロボロだったが彼らは逃げ出そうとはしなかった。沿岸部を取られたが最後、県庁にまで達することのできる連邦軍は絶対に阻止しなければならない。県庁にまで達すればそこには避難できない何万人もの民間人がいる。郷土を地元を、生まれ育った故郷(ふるさと)を敵の手に渡してなるものか。彼らの目に迷いなど微塵も無かった。文字通り最後の1台になるまで戦い、名実ともに全滅した彼らの行動は連邦軍の進撃を一時停滞させるほどすさまじいものだった。だがそれでも法律の制約を受けた自衛隊の増援派遣は嬉々として進まなかった。

 この間、普通科連隊は自爆をも辞さないほどに熾烈な対戦車接近戦闘を展開。その情報が伝えられると増援部隊の編成をとっくに終え命令を待っていた第6師団は独断で作戦行動を開始、次いで第9師団もこれに加わり超法規的措置に踏み切った。全滅寸前だった前線に両師団の人員・装備が到着すると形勢は逆転した。支援戦闘機は飛行可能な限り、時には機銃までも用いて連邦軍の上陸地点・艦船を攻撃した結果、彼らは補給がままならなくなり急激に戦力を衰退させていったのである。そのタイミングでの自衛隊増援の知らせは彼らの戦意を確実に削いでいき、士気の低下さえ引き起こした。死に物狂いで退けた敵が息を吹き返して逆襲に転じようというのだ。前線の連邦軍からすれば最悪の結果だったが本国はいっこうに構わなかった。さらなる自動化狙撃師団が山岳を越えて迫りつつあったからである。支援戦闘機は敵艦艇への攻撃で手が塞がり、特科連隊の野砲はそのほとんどが敵航空攻撃で失われていたために彼らの阻止は不可能だった。こうして自衛隊と連邦軍の主力はある線を境に睨み合う状況となった。数万規模の軍団同士が戦えば被害は想像を絶する。ほぼ拮抗した戦力が全力で殴り合って、片方だけが無傷で済むわけがない。それでも連邦軍は兵士の損害など度外視だったし、自衛隊側にしてもたとえ第6/9師団が壊滅しようとも敵の降伏まで徹底抗戦をする構えだった。

 未明から始まった自衛隊の攻撃と連邦軍の迎撃は夜が昼になったかのような激しい閃光と爆音の中で繰り広げられた。双方ともに夥しい死傷者を出しては前進と後退を繰り返した。

 小さな丘は一晩で7回も主を変え、民間のTV局が撮影した映像は『北方の国境紛争』の凄まじさを生々しく報じた。何十台もの軍の車両が荷台に兵士やミサイルを積んで丘を登っていく。丘の反対側は火薬と砲火に包まれ、その熱気は空さえも焼き尽くさんとする勢いだった。撃破された車両は燃えるトロッコのように丘を滑り落ち、上空には白煙を身に纏いながらロケットを撃ち込むヘリの姿がある。燃え盛る大地を踏みつけ、時に兵士を引き殺し敵の戦車が続々とやって来る。編隊を組んだ航空機がナパームを投下し辺りは一面を炎に呑み込まれる。そこに生き物も機械も区別はない。装甲が爆風を防いでくれても迫り来る熱と有毒ガスからは逃れようがない。生きたまま戦車の中で焼かれる恐怖も苦痛も、この戦いのほんの僅かな悲劇の一つでしかなかった。


 人道的という言葉は出なかった。“それ”はただ凄惨なだけの地獄で、教訓もへったくれもあったものではなかった。論ずるだけ無駄だろう、特にそれを見た者でなければ尚更そうだった。

 そうして決戦の後には言い知れぬ虚無感だけが残された。どちらが勝ったのかもはや分かりようもない。停戦に向けた会談を両国が始めたころ、両軍とも戦闘を停止した。自衛隊としては会談の前に有利な戦況に持ち込みたかったが、全滅寸前まで戦力を磨り減らした師団に攻撃能力はなかった。連邦軍も積極的行動に出る余力はなく、獲得した領地を保持するための持久態勢へ移行した。

 自衛隊は『総攻撃に向けて戦力を再編中』と主張し、連邦軍は『停戦へ向け両軍とも戦闘行動を停止した』と異なる主張をした。あくまでも戦闘は継続しているとする側と、停止したとする側にはそれぞれの思惑がある。国連の停戦監視団が来る前に何とかしなければ連邦軍の獲得した領地は割譲の対象となりかねない。だからこそ自衛隊軍は『侵略軍の断固撃滅』を主張せねばならなかった。

 政府はやっと『連邦軍の全面的撤退が成されない限り停戦はあり得ない』との声明を発表。全国から抽出された部隊を北方へと送り込んだ。連邦政府もまた『停戦交渉を“反古”にしたニホン政府に対し断固とした姿勢で臨む』と連邦軍を増強させた。

 だが両軍ともすぐには矛を交えることはなかった。先の戦いから不用意な戦闘はいたずらに戦力の損耗をもたらすだけだと実感したからである。そうして確たる停戦の無いまま1年が過ぎようとしていた。かつて何も無かった草原には無数の俺体が掘られ、コンクリート製のトーチカや火点が儲けられまるで要塞のような出で立ちを醸していた。第7師団は他師団と共に、遥かに増強された戦力を保有する第1~6戦闘団に編入され、この要地を守っている。混成戦闘団は普通科・特科はもちろん機甲科、高射特科、後方支援、通信etc…と多数の部隊から成り立っている。

 ここの人員は3ヶ月から半年程度で交代しながら任務に就く。かつての根こそぎ動員へのアレルギー対策で一部は志願制を導入している。特例が無い限りは一等陸士以下の兵士は部隊経験の不足から配属はされない。新しくこの地を踏むことになった陸士長らは戦闘団長直々の教育を受ける。

 続々とやって来る輸送隊の3トン半トラックから吐き出された新兵たちは、常世とはかけ離れた戦場の空気にただならぬ物を感じ言葉を失った。

 ゴム手袋をはめた隊員が黒い袋を2人がかりで運び出している。


「なぁ、あれってまさか?」

「うわ、言うなよ廣田(ひろた)


 端の人間が見てもそれに何が入っているのかは一目瞭然だった。何をしにここに来たのかを忘れた訳ではないが、そういうものを見てしまうと思わず肩がすくむ。


「おいお前ら、遊び気分で来たのならさっさと帰れ!」


 遺体を前に尻ごんでいると曹長級の隊員の叱責が飛ぶ。それがスイッチとなり新兵らは慌てて駆け出していくのだった。




「…………有刺鉄線から向こう側はきっと楽園のように見えるだろう。だが一度その境界線を越えた時、諸君らは地獄を目の当たりにすることになる。間もなくちょうど1年を向かえるが、犠牲者の遺体収容さえ満足に叶わない状況だ。

 本土ではこちらの方は音沙汰無いから大丈夫だと言う輩もいるが、まさかここに座っている者はそんなことは思うまいな? 水面下では特殊戦部隊が今この瞬間も戦い続けている。

 我々の任務は命令があるまでここを死守することだ。敵は地平線が動くような凄まじい大兵力と戦車で攻めてくる。だから敢えて言おう、臆病者は要らん。あの日、私の所属した連隊1,000名中、生還し収容されたのは僅かに97名、無傷な者は皆無だった。

 弾が無くなれば銃で殴り、銃剣を突き刺し、素手で相手の首を締めて殺した。あれがまさに戦争だ。己の道徳や正義感などクソの役にも立たん。

 いいな、連中が何をしにここに来るのかを努々忘れるな」


 第1戦闘団長.荒川(あらかわ)時雄(ときお)一佐。小柄だが幹部レンジャー、スキー、格闘紀章は伊達ではなく、50代を思わせないほど引き締まった身体をしていた。そして顔に残る傷痕は、見るもの全て全てを硬直させるほど生々しい。


「さすがに迫力あるゼ。あれって戦場で付いたものかな?」

「そのとおりだ廣田陸士長、顔と体に計4発、傷口は腫れ上がり目をあけることもできなかった。想像してみろ、ナイフで弾をほじくり出す痛みさえ気にならないほどの激痛を。大の大人が4人がかりでベッドに押さえつけなければならないほどの苦痛を」


 小声を聞き取る地獄耳と遠くから一瞬で名前と階級を呼ばれた目の速さに廣田は息を飲んだ。


「生きて帰りたいか廣田陸士長?」

「はい、ですが戦闘にあたっては全力をもって戦う覚悟であります!」


 バカ丸出しの答えしか言えない廣田に、しかし近頃はめっきり見ない威勢の良さに荒川は内心でほくそ笑みながらも表情を崩さず、その隣でクスクスと笑っている同期らしい陸士長に視線を移した。


「君はどうだ、伊織陸士長」

「……私ですか?」

「同姓同名がいないのであれば君だな」


 伊織は目を数回パチクリさせ、そうして数秒間の沈黙の時を待った。佐官に気圧されて可哀想にという周囲の同情が発生しかけた時、彼は口を開いた。


「何としてもに生きて帰りたい……とは思いません」


 荒川は少し意外そうに訊ねた。


「……その理由は?」

「故郷を敵に奪われたからです」

「……?」

「家は連邦軍の支配地域にあります。家族は行方不明扱いとなっています」

「ならば君は何故ここに来た? 復讐か、それとも自殺志願者か?」

「私は東北の駐屯地にいました。しかし本州ではこちらのことなどにまるで関心がありません。新聞やテレビが思い出したように自衛隊を批判し、変な横断幕を掲げた人たちに野次を飛ばされ、町を歩いただけで石を投げつけられもしました。でも他のみんなは何事もなかったかのように仕事に遊びに駆け回り、重要でもないことのために忙しく働いている。私だけが異常なのかそれともそれが普通なのか。だからこそ現状をこの目で確かめたいと思ったのです」


 その場に居合わせた全員が静まり返った部屋で顔を歪ませた。批判されて然るべき者たちが堂々と責任を転嫁し、平和は尊いだの武器も戦争も要らないだのと大声で叫ぶ有り様。道北の地で家族を失った者たちへのいわれのないバッシング。それがこの国の戦った者たちへの礼儀だった。汗と血を流し守り抜いた物の虚しさ。それまでの努力が徒労だったと思い知らされた時の絶望感は窺い知ることはある種容易でもあった。


「確かめて、その先はどうする?」

「見て聞いて感じたことの全てを書き残して置こうと思います。語り継いでも人は忘れる。それでも何かに記せばずっとこの先も残すことができます。一昨年亡くなった祖父は何かの拍子に時々話すことがありました。ですが私が覚えているのは祖父が、名前の思い出せない南の島で戦ったということだけです」


 父もそうだったと荒川は思った。あの頃の幼い自分は燃える町の中を必死に逃げ回っていた。空を飛ぶ幾百もの銀色の鯨を見上げ、降り注ぐ火の雨と灰の雪の中を走った。


 シンと静まり返った部屋の空気は最後まで変化することはなかった。


*****


「小銃小隊は各掩体に所定の人員・装具を以って配置しろ」


 戦闘団長の長い長いお話しが終わると実際の戦闘に備えた訓練が始まる。思い防弾チョッキの上に戦闘サスペンダーや弾帯を付け、化学攻撃に備えた防護マスクもぶら下げる。小銃小隊は数個の小銃分隊から構成されていて小銃手や機関銃手、無反動砲砲手などの人員からなる。小銃手でも120発の弾薬と防弾チョッキ、水筒、銃剣、エンピを携行すれば結構な重量となる。しかしそれは教本の通りであって120発では防御戦闘には足りないため、隊員は雑嚢でも何でも弾倉を突っ込んでは携行するのが常だった。また水筒も1個では不足しがちであるため2個は持つようにする。10キロを越える無反動砲や機関銃を操作する隊員は大変だ。擲弾筒手も最悪でM79グレネードランチャーに加えて小銃を携帯しなければならない。重量もそうだが銃器を二つ携帯するのはそれだけで煩わしい。彼らが望んだのはアドオン式ランチャーだったが、それはとうとう採用されなかった。

 諸外国ではすでにアドオン式ランチャーが普及し、旧来の単体グレネードランチャーはあまり使われていない。余剰のランチャーをほとんどタダ同然の値段で海外から取り入れた上の判断は分からなくもないが、現場の声をもう少し反映してもよいのではと反論する者は少なくない。


「着隊したかと思ったら初っぱなからこれだよ」

「そう悲観すんなよ伊織。俺の人生いま最高、これぞ軍隊、これぞ我が銃。くぅ~武者震いが止まらねぇぜ」


 廣田は相変わらず軍事オタクっぷりを遺憾なく発揮している。そういう彼の一面はある種羨ましくもある。


「廣田ってさ、武器とか戦争に詳しいよね。これで人を撃ったらどうなるか知ってる?」

「頭に被弾すれば西瓜のごとく、肩に当たれば肉がごっそり、胴体に当たればハラワタぶちまけ。防弾チョッキは簡単に貫通……っていきなりどうした?」


 もちろん敵を撃った時のことを知りたいに決まっているだろう。


「いや、なんでもない。紙の的を撃ってもイマイチ威力が分かんなかったから」

「まぁ減装弾だから常装弾に比べりゃ威力は下がるけどな。敵の7.62ミリ短小弾よりはパワーはあるし射程も長い。AK-47は跳ね上がりが酷いからフルオートなら当たんないってハナシだ……少なくとも二脚を使った64式の連射に比べたらだけど……」


 聞いてもいないことをペラペラと話し出す友人への対処は話し終えるまで適当に相槌を打つことである。


「しかしなぁ、まさかあの人が小隊付陸曹だったとはな」


 その言葉に天津は少し反応した。白髪頭を短く切り揃え、いかにも頑固者といった風体をかもした背の低い小柄な陸曹長のことである。ここに着隊した時に『遊び気分なら帰れ』と一喝したあの男だった。


落合(おちあい)曹長だっけ? なんだかおっかない人だよね」

「そうかぁ? あれくらいドスの効いた人じゃないと実戦じゃ役に立たないって。小隊長見てみろよ、若いしキャリアもないし、曹長がもり立ててるのにまるで影が薄いじゃんか」

「うん、そうだね」

「あの人の下じゃ5分で全滅するぜ、だけど曹長ならたぶんいいところまでいける気がする。なぁ、実際にドンパチ始まったらさ、有能な人の掌握下に入るのが利口だぜ」


 初見だけで判断するのも問題だが、確かに伊織も佐藤二尉は上官として頼りになりそうもないと思っていた。25歳で幹部候補生あがり、そこで首席クラスの成績だったとは聞いたが、どう見たって優秀な人材には見えなかったし、その発言力は明らかに落合に劣っていた。


「おうコラ、クソガキ共がナマイキ言ってんじゃねぇぞ」


 いつどことも知れずに現れた鬼瓦が二人の姿勢を不動の姿勢へと持ち込んだ。教育隊でみっちりと叩き込まれた畏怖と恐怖が現実となって現れたのだ。


「あっ? お、落合曹長殿!」

「オメェは新教でそう教わったのか?」

「い、いいえ、失礼いたしました曹長…ど………落合曹長!」

「よし、これからは変な軍隊式の呼び名は禁止だ。陸士のうちは正しい呼称で正しい知識をつけろ。たかだか数年の本だけの知識で自惚れて満足するな、分かったか廣田士長」

「ハッ、了解したでありま…………了解しました落合曹長!」

「それから『佐藤2尉ごめんなさい』と呼称しながら腕立て伏せ55回やれ」

「ハイッ!」

「本当なら11文字×10で110回だが半分まで免除する。小銃を敵方へ向け、銃剣を外して小銃の近くに置いてやれ。防弾チョッキはしたままだ」

「ハイッ!!」

「伊織士長、お前は俺と来い」

「はい」


 目の前であれよあれよという間に同期が新教のように罰を受けさせられている。この鬼瓦が自分にいったいどんなことを強いてくるのかは正直恐ろしかったが、戦場に来た身がいったいこんなことで怯んではいけないと叫んでいた。

 言われたように落合について歩いていくと、土嚢で補強されたトーチカが見えてきた。足下にも板が敷かれ、中には簡易ベッドや椅子、長机や携帯コンロ、ヤカンまで装備されていた。ちょっとした休憩室である。強いて一般と違うところを挙げるとすれば遮光傘のついた電球と何の気なしに置かれている機関銃だろう。武器庫で何度か目にした重機関銃である。


「興味あるのか?」

「あ、はい。廣田だったら何口径の何だかとかぺらぺら喋りだすと思って……」

「50口径の重機関銃だ、12.7ミリのバカでかい弾を使って2キロ先でも人を殺せる」


 金色に輝く大きな弾薬が弾受けの中に並んでいる。確かに7.62ミリ弾よりもずっと力強い印象を受ける。


「コーヒーはブラックか?」

「え?」

「ブラック飲めるか?」

「はい、飲めます」

「そこに座って楽にしろ」


 どうやら叱責の類いでは無さそうだが、だとすれば何だろう。思い当たることは戦闘団長のことぐらいだった。そうこうしているうちに薄っぺらい金属のカップに注がれたコーヒーが付き出された。


「ありがとうございます、いただきます」


 本当は砂糖とミルクが欲しかったが、そんなことを言い出せる空気ではないし、別に飲めない訳でもない。チラリと落合に目を配る。彼は一息にコーヒーを飲み干していった。彼が話を始めないことにはこちらからは何もできないと判断した伊織は適当にカップに口をつけてその時を待った。


「実際に来てみてどうだ?」


 どうやら心情把握のようだった。


「遠くへ来てしまったような気分です」

「まるで外国だろう? もう連邦の連中は、あっちの海で漁業も採掘も始めてる。たまにあっちの通信がこっちの無線に入ってくることがあってな。情けなくなったもんだよ。俺たちが必死に戦ってきたのが無駄だったんじゃないかとさえ思った。死に場所は宗谷岬にしようなんて話し合った仲間は先に逝っちまって、俺だけが残されて、もう何もかもが嫌になっちまいそうだった」

「……………。」

「でもな、若い陸曹の中にはまだやる気になって頑張ってる奴がいた。そんなのを見たら凹んでもいられなくなってな」

「どうしてですか?」

「俺は曹長だからだ。普段から下の奴等を怒鳴りつけて威張ってきたのに、いざって時にへたれたら示しがつかないだろ。お前はくだらないと思うかも知れないが、そんなもんでいいんだ。希望と意地とを持ち続けることがここじゃ大事なんだ。無駄に大きな大義を見つけようとしなくていい」

「希望……ですか?」

「お前は敵を激しく憎んでいる。連邦の連中を殺してやりたくてたまらないんだろう。やめておけ、復讐なんて成せば虚しくなるだけだ。俺たちが銃を撃つのはそれが任務で仕事だからだ」

「でも私は……」

「お前の当分の仕事はここだ。キャリバーの整備は出来るな?」

「はい、ですが新教でも部隊でも小銃がほとんどでキャリバーは1~2回ぐらいしか触れていません。廣田士長なら全て覚えていると思いますが……」

「なら廣田もここに呼んでこい、小隊長には俺から伝えておく」

「はい、ありがとうございます落合曹長」


 節度のある敬礼をし綺麗な回れ右をきめ、伊織はトーチカを出た。と、伊織と入れ替わるようにトーチカに入ってくる男がいた。


「よっ、暇か?」

「あー暇だぜ千田」


 落合と同じ階級を携えた人の良さそうなオッサンが一人。落合の同期の千田曹長である。


「今のが例の新隊員か?」

「ああ、家族の仇を取りに来たケツの青いガキさ」

「ハハ、昔のお前なら一発ぶん殴って送還してたろうな」

「今の若いのにそんなこと出来っかよぉ。それに言いたいことをハッキリ言えるだけまだマシさ」

「お前は嫁に言い過ぎて逃げられたクセに」

「うーるせぇコノー」

「…………そういや特戦の連中そろそろ帰ってくるんじゃないか?」

「カッコウだけでも派手な迎えもしてやれないのが辛いな」

「言うな、今度はみんな帰ってきてほしいな」


 二人はトーチカの外に広がる草原を見つめた。心地よい風が緑の絨毯を撫でていく。この向こうでまだ戦っている者たちがいるのに、世界は恐ろしいくらいに静かだった。

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