no.9
ネクタル湖は、ペンサミエント王国で一番大きな湖である。その美しさは、言うまでもなく、旅をするものなら、一度は訪れたい場所の一つであった。
三人は、まずネクタル湖畔の町、シスネに向かった。一日掛けて辿り着いたシスネの町は、濃く蒼い色の湖に白亜で統一された町並みが映し出されている。湖に面して際立って大きな建物が、今夜の宿、と言っても一般の宿ではなく、王宮所有の別荘であった。白亜の城は、王宮を小ぶりにしたようなもので、なにより湖まで続く庭園が見事であった。王と王妃が婚儀のあと、一度だけ訪れたことのあるこの別荘のことを話を聞いているリリアは一度来てみたいと思っていた。
「なんて素敵なところなんでしょう」
もうそれ以外に言葉がないといったリリア。ルナもセレクも言葉が出ない。
普段からあまり使われない別荘ではあるが、使用人たちがいて、馬を下りると厩舎の番人が馬たちを休ませるため、厩舎に連れて行ってくれた。建物に入るとまたそれは豪華で、王宮の絢爛豪華なものとはまた少し趣が違い、白に統一された内装も見事だった。
突然、訪れた三人に対しても文句のない対応をする使用人たちにあっけにとられるばかりである。実は、三人の先回りをして、フェリエが来訪を告げていたのである。
豪華な夕食に久々の三人は、言葉少なにただただ「美味しい」と食べるばかり。セレクの一喝から文句が少なくなったリリアも我慢していたのか、この対応には歓喜していた。
「王宮以外でこんな風に食事ができるなんて、嬉しいわね」
「はい。ほとんど非常食でしたから」
ルナも暖かいスープに口をつけながら言った。とてもほっとする。
「セレクもこれだけ一杯あったら、お腹一杯食べられるでしょう」
「姫様に、言われな、くても、食べて、いますよ」
姿なきセレク、口に頬張っているのか、もごもごと答えた。食べることに目のないセレク、久々の御馳走に満足していた。
早めに夕食ができたため、湯あみの用意もしてもらい、お風呂に入ることもできた。薄絹の夜着も用意され、至れり尽くせりである。三人はそれぞれ用意された部屋でゆっくりと休む。リリアはしゃべりたくて、セレクの部屋に行ったり、ルナの部屋に行ったりしたが、二人ともゆっくり休みたいと追い返されたのだった。
「つまらないの。こんな夜は、いっぱいお話がしたいのに」
そんなことをぶつぶつ言いながらもベッドに横になると、すぐにぐっすり眠ってしまったリリアだった。
ルナはあまりの豪華さに、なかなか寝付けなかった。窓辺に立って、湖面から吹き上げてくるひんやりした風に当たって、体の熱を冷ましてから、ベッドに入った。
セレクは、こっそり部屋を抜け出すと……と言っても、もともと姿が見えないのだから、どうどうと出ても誰にもわからないのだけれど……別荘内を歩き回った。
「一体何をしているんですか、フェリエ殿」
やっと客間の一室にフェリエの姿を見つけて、セレクが問い詰めた。ここに来ての歓待にどう考えても三人が来ることが知らされていたとしか思えないと考えたセレクは、フェリエが関わっているのではないかと感づいていたのだった。
「セレク様ですか?」
姿が見えないので、焦点を何処に合わせていいのやらきょろきょろしながらフェリエが言った。
「そうですよ。コトラの森の出来事と言い、この別荘での対応といい、あなたは、なにをしているんですか?」
「王の命令です。リリア様を危険からお守りするようにと。お三方には知られぬようにお守りすることが私の役目だったのですが」
フェリエは気まずそうに言った。
「あれほどの物音を立てれば、気付かぬ振りをするほうが大変ですよ」
「いやはや、それまでに随分疲れていまして。ちょっと気を許してしまったようです。しかし姫様の喜ぶ顔が見られますよ」
フェリエはそう言って、ベッドの傍にある円卓の上の鳥籠に視線を移した。
「虹色のインコです。姫様が欲しがっていましたから、捕まえました。誰かここの者に頼んで、一足先に王宮に届けさせましょう」
「それがいいでしょうね。この旅に持って歩くのは、大変でしょうから」
「大変ですよ。いつも置いてきぼりを食らわされて、皆さんより倍の大変さを味わっているんですから」
「通りで王宮にいたころより、やつれて見える」
「インファンテの山で置いてきぼりを食わされたときは、さすがにもうこの辺で追いかけるのを辞めようかとも思いましたよ」
フェリエは自分の頬を手で撫でて言った。
「それはそれは、知らなかったとはいえ、申し訳ありませんでしたね。これからももっと大変なことがあるかもしれませんよ、フェリエ殿。まだ着いていらっしゃるおつもりですか?」
「王の命令ですから。それより姫様方には、私のことは……」
「わかっています。話す必要はないでしょう。あなたはあなたの仕事をなさってください。でも無理はされませんように」
「そうですね。ここまで来て、姫様方はついていらっしゃる。私など必要ないのではないかと思ってしまいますよ」
「あははっ、そうですね。姫様は、なにか特別な力を持っているようにも見えますよ。とにかく、あなたも今夜はゆっくりやすんでください。では」
セレクはそう言って、部屋を出てた。この旅で一番苦労するのは、フェリエかもしれないと思うのだった。
フェリエは早速ベッドにもぐりこんでここ数日の疲れをいやすかの如く、深い眠りに着いた。
翌日は、こんな風にゆっくり体を休められるのも最後かもしれないので、ゆっくり朝食をとった後、三人は出立した。ネクタル湖の東を回ればミトの森に着く。
途中、フェンテの町に寄る。ここも観光地であるため、町は賑わっていた。シスネの町が王族や貴族たちの観光地なら、このフェンテの町は庶民の観光地である。町の趣も違っていた。昼食をここでとる。店もそこそこ揃っていて、そこそこのものが出された。
「またこんなお食事なのね」
ぽつりと文句の出てしまったリリアである。
「昨日のようなことは、もうないですよ、姫様」
「わかっているわ」
そう言って食事に手をつけた。
隣の客たちがなにやら話しているのが聞こえてきた。
「聖水は本当にあったんだな」
「ありゃ、上手いしな、本当に聖水だぜ」
「売りに出せば儲かりそうなものだがな」
「いや、売り物にしようとすると聖水の効果がなくなるって話しらしいぜ」
「もったいないなぁ」
その話に耳を傾けたリリアが
「その聖水って何処にありますの?」
と、突然、話しに割って入った。
「いや、あの、湖の近くに」
「近くにありますの?」
「ああ、行きゃ、すぐにわかりますぜ。岩から湧き出ているから」
ぷいっと顔をルナに向けたリリアは、
「そこに行きましょう」
と言いだした。
「聖水って言うんだから体にはいいはずよ。旅もこれから続くのだし、いい物は体に入れておかなくちゃ」
「まぁ、姫様の言うことも一理ありますね。ちょっと寄りますか」
「そうですね」
ということで、食事が終わった後、町の中心地から湖へと行ってみた。聖水が湧き出ている場所はすぐにわかった。湖の湖岸に人の集まる一角がある。その中の岩から一筋の湧水が出ていた。
三人は、その湧水を飲んで、水筒にもたっぷりと入れた。
「これでしばらくがんばれるわ」
リリアが意気揚々と言った。
ルナとセレクは小さなため息を漏らした。まぁ、これくらいで頑張れると言えるのだから、少しは頑張ってもらいましょうとセレクは思うのだった。
そしてネクタル湖に沿って北に進む。町からしばらくは埃っぽい道だったけれど、森に近づくにつれて、道は細くなり、行きかう人々もいなくなった。途中で枝分かれした道へと人々は行ってしまっている。これ以上先へ行ってもミトの森があるだけで、それを迂回する道を皆、通っているのだった。森へ向かう道を行くのは三人だけだった。
夕方近くになって、やっとミトの森に着いた。
コトラの森と違って、とても静かな森である。風に揺られて木々の葉が音を立てる以外は、他に音もない。
そんな中を三人は、湖に沿って進んでいった。
「この辺で休みましょう。そろそろ日も傾いてきたことですし」
ルナが言った。
西日がネクタル湖の向こうに見えていた。
左手に湖、右手に森。ここから先へ行くと森が湖にせり出しているようになっていた。この辺りから道が森に入っている。森に入る前に野宿したほうがいいと考えたのだった。
「そうですね。早めに休みましょう」
セレクも同じ考えだった。
三人はそこで野宿することにした。
リリアは早速馬から降りて、荷物をガサゴソしている。
「折角、シスネの別荘で持たせてくれたのだから、ここで食べてもいいでしょう?」
王宮の別荘で、日持ちはしないけれど、乾燥した非常食ばかりではと言って持たせてくれた果物やお菓子類があったのである。それを出してリリアが言った。
「それじゃ、私は薪を拾ってきてしまうから、リリアは先にセレクと食べて待っていて」
ルナはそう言うと森に入って行った。
「ルナが戻るまで待っているわよ。そのくらい、わたくしにだってできてよ」
「姫様、成長されましたね」
「なによ、セレクったら」
「王宮にいた頃の姫様だったら、人を待つなんてことをなさいませんでしたよ」
「そんなこと……」
言われたリリアは、言葉に詰まった。確かに自分からこんな風にしたのは、初めてかもしれないと思った。
程なくして、ルナが火を焚く分とベッドに使う分の小枝を集め終わった。
火をおこして、それから三人で食事にした。




