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ESCENA  作者: 湖森姫綺
第三章
65/68

no.26

 それから一昼夜、ルースは寝室から出てこなかった。心配したアドニスは水差しとコップを召使に持たせ、寝室に運ばせた。

「ありがとう。ちょうど喉が渇いていたところなんですよ。助かりました」

 ルースはルナをそっと腕の中から離すと、上体を起こして、水を飲んだ。

「床に置いておいてください。またあとで飲みます」

 アドニスは、召使からルースが起きていると聞いて、部屋にやってきた。

「寝室を別に用意しました。そちらに移られてはいかがですか。ガラスがこんな状態では、なんですから」

「申し訳ないが、今はこのままここで。ルナがまた目覚めた時、何をしでかすかわかりませんから」

「そうなんですか?」

「一度でルナの精神状態を元に戻すのは無理です。次、目覚めた時、またなにか壊すといけませんので。この部屋でお願いします」

「わかりました。では、危ないので、壊れたガラスだけでも片付けさせましょう」

 アドニスが寝室を出るとそこにはリリアとセレクが待っていた。

「ルナは?」

「眠っておられたようです」

「大丈夫なのでしょうか?」

「一度ではまだ無理だとルース殿は言っていました」

 リリアとセレクは、心配顔を寝室のドアに向けた。

「今は、ルース殿に任せましょう」

 三人は客間へと戻って行った。

「ルナ、水を飲んで」

 ルースは、水を口に含むと口移しでルナに水を飲ませた。唇の端から零れ落ちる水を手で拭きとってやると、二口、三口、水を飲ませた。そしてまたそっと寄り添うように横になる。夕方、絶叫と共にルナが目を覚ました。

「いや、いやーーーーーっ」

「ルナ!」

「もう、いやっ、ダメーーー!」

「ルナ、しっかりしろ!」

「もう、やめて、殺さないで……」

「ルナ、ここはもう砂漠じゃない! よく見るんだ、ルナ!!」

 その後、また絶叫して、ルナは気を失ってしまった。そんなことの繰り返しが一週間も続いた。

「ルース殿、疲れているのではありませんか?」

 寝室から出てきたルースを見てセレクは心配になった。ルースは、すっかりやつれている。いつ目覚めるかわからないルナの傍を片時も離れるわけにはいかない。

「ルース様、ルナは本当に戻りますの? このまま……」

「いや、大丈夫ですよ。必ず元に戻してみませすから」

 そう言っている間にも、目を覚まして寝室で絶叫し始めるルナ。慌てて、ルースは寝室に飛び込んで行った。

「これでは、ルース殿の体が持ちませんね」

「ルナはいつになったら、元に戻るのかしら」

「わかりませんね」

 ルースが慌てて入ったせいか、ドアがほんの少し開いていた。

「覗き見するわけじゃなくってよ。ただ少し開いていたから見えてしまっただけよ」

 セレクに言い訳がましいことを言ってから、リリアはドアの中を覗く。

「姫様、はしたないですよ……」

 とはいいつつ、セレクもそっと中を覗く。

 寝台の上では髪を振り乱し、頭を激しく左右に振って、叫び続けるルナをルースが必死で押さえこんでいる。

「ルナ、僕を見て。ここには僕しかいない。ルナ!」

「いやぁーーーっ!」

 半狂乱のルナは、目の前のルースを見ようともしない。声も聞こえていない様子だった。

「もう我慢できませんわ!」

「あっ、姫様!!」

 セレクが止める間もなく、リリアはドアを開けてつかつかと中に入ると、ルースを突き飛ばし、寝台に乗ると、ルナの頬を思いっきり引っぱたいていた。それこそ、青白いルナの頬に手痕が残るほどだった。

「いい加減にしなさいよ、ルナ!! もうここは砂漠じゃないの。ルースがずっとあなたの傍にいたのよ!! 目を覚ましなさいよ!!」

 寝台に仁王立ちになって、リリアが叫んだ。ルナが叩かれた頬を抑えて、リリアを見上げる。涙でぐちゃぐちゃになった顔で、それでも視点がしっかりリリアを捕えていた。なんとリリアは、錯乱していたルナの意識を一気に現実に引き戻してしまった。

「はい、ルース、あなたの番よ」

 リリアは寝台から降りると、ルースをルナの前に押し出した。

「ルナ、わかるか? ルナ?」

「ルース……」

「そうだ、わかるんだね?」

「うん。リリア、セレク……」

 ルナはしっかりと寝台の傍にいたリリアとセレクにも視線を向けている。

「リリア姫、君のお陰だ。ありがとう」

「いいえ、礼には及びませんわ。こんなことなら最初からわたくしにお任せ下さればよかったのに」

「姫様、今のタイミングだったから、よかったんですよ」

「まあ、セレクったら」

 リリアは両手を腰に当てて、ふくれっ面をして見せた。

「……私……セレク達が戻るまで……グラニサール達を守ろうと思ったのよ……でも……」

 ルナは、またその瞳から涙を流しながら静かに話し出した。

「姫様、あとはルース殿に任せましょう」

 セレクがそっと言ってリリアを連れて出ていった。

「ルナ……」

「でも……地下牢は、暗くて……とても怖くて……北の塔の牢屋みたいで……怖くて……」

 ルナは、ぺカールの砦で地下牢に閉じ込められた時に、北の塔に捕らわれていたことを思い出していたのだった。

「ああ、怖かったんだね」

「うん。それで力が出なくなって、なにも出来なくて、クレセールとアギラが……助けられなかった、私、なにも出来なかった」

「ルナ、自分を責めちゃいけない。それが例え僕でもきっと救えなかっただろう。君が悪いんじゃないよ」

 ルースは、ルナの髪を優しく撫でた。その感触が懐かしくて、ルナは、ルースに抱きついて泣いた。思いきり泣いて、泣き疲れて、眠ってしまった。閉じられた瞼の縁に残る涙を拭ってやると、ルナはふわっと優しい頬笑みを見せた。

「ゆっくり、お休み。ルナ……」

 ルースは、ルナの額にキスをして、ルナを抱きしめて眠った。

 リリアは

「わたくしがルナを元に戻しましたのよ」

 と屋敷中の人間に言って回った。アドニスには何度も何度もしつこいくらいに話した。

「リリア姫様は、本当にすごいお方ですね」

 その度にアドニスはそう繰り返すのだった。

「ルナが元に戻ったのでしたら、部屋を移ってゆっくりしてもらいましょう」

 アドニスは、そう言って、部屋を出ていってしまった。一人になったリリアは、話し相手がいない。セレクはギナのところに行ってしまって相手にしてくれない。バルコニーに出て、西に傾いた太陽を眩しそうに眺めた。

「ベルダ様、今頃なにをなさっているんでしょう。早くいらして下さればいいのに……」

 そう呟くのだった。

 その頃、王宮ではやっとベルダの凱旋祝賀会が終わり、静けさが戻ってきていた。

「父上、相談があります」

「なんじゃ」

「ファルサリオが存在しなかった以上、リリア姫との話はなかったことになりますよね」

「そうじゃな。ペンサミエント国王になんと知らせたらよいものか……」

「私ではダメですか?」

 王は、ベルダの言っている意味を測りかねて、首を傾けた。

「リリア姫の相手が私ではダメですか?」

「なんと!」

「リリア姫は、美しいし、女性らしい。なにより誰も持っていないような強さも持っています。僕はそんな彼女に惹かれました」

「いや、しかしだな、ベルダよ。お前もこの国を継ぐ一人の王子で、リリア姫もペンサミエント国を継ぐ一人の姫なのだぞ」

「この際ですから、二つの国を統合してはいかがですか?」

「いやはや、なんと!!」

 王は言葉を失っていた。

「もちろんリリア姫が僕を気に入ってくれればの話ですけど」

「それはそうだが……しかし……うーん、どうじゃろうな……とにかく、そなた達の気持ちをわしは優先するぞ」

「ありがとうございます。僕は今すぐにリリア姫のところに行ってきます!」

「ベ、ベルダよ……」

 ベルダは最後まで聞かずに部屋を飛び出していった。

 

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