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ESCENA  作者: 湖森姫綺
第三章
64/68

no.25

 ベルダがいなくなったアドニス侯爵家では、リリアがアドニスを相手に喋りまくっていた。それは今回の旅だけではなく、セレクの杖を折ってしまって、旅をしたところにまで及んでいた。セレクはギナに、ルースはルナにつきっきりで相手にしてくれない。それぞれの部屋を見舞っても大した話もできず、アドニスを相手にするしかなかったのである。

 一方、王都ファリアに凱旋したベルダ一行は、市民から歓声の上がる町中を歩いていた。

「我らが勝利、ベルダ様にあり!」

「ベルダ様!」

「万歳! 万歳!!」

 市民に手を振り、ベルダは、笑顔を見せた。しかしその心の中は、複雑な思いで一杯だった。モリール達を捕まえたのはいいが、モリールとの約束は守りたい。今までオアシスの民がその利益をほとんど吸い上げていたのだが、それを砂漠の民に分けることになる。それを知らされた市民はどう思うのだろうか。それでも不公平な利益の還元に、公平さをもって、これからは変わりたいと思っていた。

「おお、ベルダよ。無事に帰ったか」

 王は、ベルダの帰りを心から喜んだ。王妃は泣き崩れて、ベルダに抱き付いた。

「父上、母上、ご心配をかけました。ベルダ、無事に帰りました」

「こんなにやつれて、大変だったでしょう」

 王妃は、ベルダの顔を仰ぎ見て、言った。

「父上、話が……」

「わかっている。まずは旅の疲れを癒しなさい。事の全て、悪いようにはせん」

「はい、では先に休ませていただきます」

 宰相アルコンは、王の後ろに控えていたが、今までのような何か不気味なものが今は感じられない。逆に頼りなかった王に今までにない威厳が感じられた。これなら安心していられるだろうとベルダは思ったのだ。湯あみを済ませてから、ゆったりと自室で休む。こんな一時がどんなに貴重だったか、今までの自分は知らないでいた。今回の旅で、それを知らされたのだ。リリア姫には感謝をしなくてはならないなと思う。

 三日後には各地方の主だった貴族たちが集められ、会議が開かれた。

「捕えたモリール以下、砂漠の民の処遇ですが……」

 ベルダが口火を切った。

「このままお咎めなしというわけにもいくまい。近衛兵二人を殺しているんだからな。製油工場で働かせてはどうだ、ベルダ」

 王がベルダをまっすぐ見つめている。今は王自身の意思で話しているのがわかる。

「そうですね。なんらかの罰は与えなくてはなりません。それでなくては、市民への示しがつきません」

「ああ。それからモリールが出した書状の提案だが、わしはこのまま呑んでいいと思っておる」

「それはどういった内容ですか? 王様、みなにわかるように説明してください」

 アルコンは、書状の詳しい中身まではわからなかった。貴族達にもそれは伝えなくてはならない。

「鉱山と油田から出る利益の半分を砂漠の民に還元する」

「半分をですか?」

 貴族たちがざわめいた。

「静かに」

 ベルダが手をあげて、皆を制して続けた。

「もともと鉱石も油も砂漠の民のものだ。それをオアシスの民が独占して、精製、製油して、その利益のほとんどを得ていた。それは不公平ではありませんか? 鉱山や油田で働く者たちは、その日に食べるものにも困るような生活をしているんですよ。彼らの働きがなければオアシスの民の生活は成り立って行かない。そんな彼らにこれからも頑張ってもらわなければならないんですよ。そのためにもそれなりの取り分を彼らが受け取っていいはずです」

 室内はしんと静まり返った。頷く者もあれば、困惑顔で下を向いた者もいた。けれど、ベルダは、こればかりは譲れないと思っていた。

「わしも今までのようなやり方では、これからはやっていけないと思っておった。砂漠の民の不満がこれ以上募れば暴動なり、職場放棄なり、なんらかの形でそれは噴出する。そんなことになる前に、なんとかせねばならんのだ」

 王も頼りなくはあったが、それなりに考えてはいたのだった。ただ押しの強いアルコンに押されぎみだっただけなのである。

「半分というのは、どうかと……」

 一人の若い貴族が声は小さいが発言した。

「確かにいきなり半分というのは、どうしたものかとは思うがのお。しかしだ、考えてみたまえ。オアシスの民の数より、砂漠の民の数の方が倍以上になる。それで半分なのだから、それでも足りないくらいではないのか」

「それはそうですが……」

「わしは、この件に関しては、みなにも賛成してもらいたい。我々の土台が彼らなのだと理解してほしい。土台が崩れたら、その上に立ってはいられないのだぞ」

 王が声を強くして言った。それに対して貴族の皆が頷くのだった。

 会議は滞りなく終わった。

「父上、見事でした」

「いや、わしは生まれた時から安穏と暮らしてきた。本当に大切なものを見失っていたのかもしれないな。それを教えてくれたのはお前だ。いや、リリア姫達かな」

「そうですね、父上」

 ベルダは、初めて王の威厳をしっかりと感じ取ったのだった。

 その頃、アドニス侯爵家では、ルースがギナの傷の手当てをしていた。全身から立ち上る光は、キラキラと輝き、ギナの体に翳した手から、さらさらと流れだしている。ギナは目を瞑り、流れ込んでくる暖かなそれを静かに受け止めていた。

「これでかなり回復が早くなったと思います。もう歩くこともできると思いますよ」

 治療を終えたルースが言った。

「ギナ、立てるか?」

 ギナはそっと寝台から降りると、その足でしっかり立っていた。

「ああ、足の痛みもなくなっている」

「ルース殿、感謝いたします」

「いや、もっと早くするべきだったんですが、私自身も力が弱まっていたものですから」

「やっぱりルース様はすごいですわね。寝たきりだったギナがもう立っているなんて、素晴らしいわ! これをルナにもできませんの?」

 リリアは無邪気に問うた。

「アドニス侯爵」

 ルースの顔が引き締まり、後ろに控えたアドニスに向かった。

「ルナの寝室の調度品を一度全て外に出していただけませんか。寝台を残して全てです」

「それは構いませんが……」

「なにをするんです、ルース殿」

 ギナの横に立ったセレクが険しい表情を見せた。

「このままでは、ルナは目覚めません。少し荒療治にはなりますが、力を使います」

「荒療治って? ルナは大丈夫ですの?」

「ルナは凄惨な残像を持ったまま眠っています。目を覚ました時、それがどのくらいルナの心を傷つけるかわかりません。ですが、それを僕が受け止めるつもりです。ただ生命力は回復していますから、目覚めた瞬間、どんな力を出すかわかりません。ルナは力の制御がまだできませんから」

「そんなことをして、ルナの心は壊れてしまいませんか、ルース殿」

「ルナの心の傷の半分は、僕が受け止めます。意識が戻ればそれができますから。必ずルナを守ります。このまま眠り続けてもいずれは目を覚まさなくてはならない時がきます。その時には同じ状態になりますから、それが早いか遅いかの違いだけです」

「ルナは大丈夫なのね? 本当に大丈夫なのよね?」

「大丈夫です。リリア姫、僕を信じてください」

 翌日には、ルナの寝室の調度品が全て片付けられた。なにもない部屋にルナが眠る寝台がぽつんとあるだけである。

「危ないので、皆さんは部屋の外でお待ちください。なにがあっても僕が呼ぶまで入らないでくださいね」

 そう言ってルースはドアを閉めてしまった。

「心配ですわ。こっそりドアの隙間から見てはいけないかしら?」

「姫様、はしたないこと言わないでください」

「だって、ルナが心配なんですもの」

「それより何が起こるのかワクワクしていらっしゃいませんか?」

「そ、そんなことないわよ、セレクったら、ひどいわね」

 リリアのうろたえようにセレクは呆れて、溜め息を漏らした。

「ルース殿を信じましょう。ルナは必ず助かります」

「そうね、ルースが一緒なんだもの」

 室内では、ルースがその体に銀色の光を輝かせながら、ルナの寝台に乗っていた。ルナの体の両側に膝をつき、両手をルナの体に翳す。ギナにあてた光のようなさらさらしたものではなく、光の玉がその両手から放たれる。その光を受けたルナの体が跳ねあがる。

「ルナ、目覚めるんだ、ルナ!!」

 何度も繰り出される光に、ルナの体はその度、跳ね上がる。

「ルナ! ルナ!!」

 どれくらいたったか、ルースの額に玉の汗が光り、それは、こめかみを伝い、頬を伝い、顎から滴り落ちる。

「うっ、ううっ」

「ルナ、目覚めろ、もう大丈夫だ、ルナ!!」

「う、うあ、うあぁぁぁーーーーーーーーー!!」

 そのルナの悲鳴と共に寝室のガラスが全て割れる。絶叫と轟音に、ドアの前にいた三人も後ずさった。

「いやーーーっ、いやだぁーーー」

「ルナ、ルナ、しっかりしろ、僕を見るんだ。ルナ!!」

 ルナは、焦点の合わない目を虚ろに彷徨わせながら、叫び続けた。ルースも必死でその顔を自分に向けさせようとする。髪を振り乱して、叫び続けるルナの力にルースも渾身の力を込めて、ルナの体を抱きしめる。

「ルナ、しっかりしろ。僕だ。ルナ!!」

 ルナの左頬を叩く。ルナの動きが一瞬止まった。

「ルナ……僕だ。君の傍にいるのは、僕だけだ」

 静かに語りかける。焦点の合わない視線がまだ彷徨っている。何度もルースはルナに声を掛けた。

「もう大丈夫だ。もう誰も死んだりしない。信じてくれ、僕の言葉を」

「うっ、ううっ、ル、ルース……クレセールが……アギラが……」

「わかった。辛かったな。ルナ、一人で辛かったな」

「ルース……私……守れなくて……」

「いいんだ、君のせいじゃない。君は悪くないんだよ」

「ルース……」

 ルナは両手を広げてルースに抱き付いた。ルースもルナを抱きしめた。小さなその肩は、ひどく震えていた。

 部屋が静かになって

「大丈夫かしら……」

 リリアが一歩ドアに近づいた。

「姫様、待ちましょう。ルースが出てくるまでは」

「気になるわ、気になるわ、どうしたのかしら」

「姫様!!」

「ああ、わたくしにもなにかできることがあるのじゃなくって?」

「今は、ルース殿に任せましょう、リリア姫」

 アドニスに言われて、しゅんとなるリリアだった。静まり返ったドアの向こうが気になって仕方ない。けれど、今はなにもできないのだと痛感させられた。

 ルナの震えはなかなか止まらなかった。ルースはそっとルナの体を離すと、またその体に両手を翳す。全身から立ち上った金色の光がさらさらとルナの体に流れていく。

「ルナ、少し眠りなさい」

 その言葉を聞き終わらないうちにルナの瞼は閉じていた。体中の力を使い果たしたルースも息が切れていた。ふらつく足取りでドアを開ける。

「すみません、アドニス殿。寝室の窓を全部やってしまいました」

「そんなことは構いません!」

「ルナは、ルナは大丈夫なの?」

「まだ今のところ何とも言えませんが、意識が戻ったのは確かです。これからまだしばらくかかりますが、ルナの心を癒さなくては」

「ルース殿、休まれたほうがいい」

「はい、セレク殿。とりあえず僕も休みます」

 ルースはそう言って部屋に戻っていったのだった。

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