no.21
その頃、灼熱のもと、ぺカールに向かっていたリリアは、ルナのことを心配しつつも、目の前にいるベルダを気にしていた。豊かな王宮で暮らしていたベルダにとって、この砂漠の行軍は壮絶極まりないものだった。もうその風貌から王子であることさえ、わからなくなるほど、疲れきっていた。
「ベルダ様、一国を継がなければならない大事なお身体ですわ。お願いですから、無理はなさらずにどこか休めるところでお待ちになってください」
リリアは、ベルダのフードから覗く落ち窪んだ目に力がなくなっているのを見て、言わずにはいられなかった。けれどベルダは首を横に振るのだった。
「あなたも一国を継がなくてはならない身でしょう。私のことなど心配せず、あなたこそ、無理をせずに……」
「わたくしは冒険には慣れています。大変でないとは申しませんが、わたくしはこれで結構丈夫にできていますのよ」
「しかし姫様のあなたがこんな砂漠を何度も……。私はあなたに何度謝っても足りません。捕らわれの身のルナにも。大切なご友人を傷つけられたセレクにも」
「ベルダ様……」
「私は王子である前に一人の人間でありたい。国を守りたいとかどうのという以前に、捕らわれの身のルナを助けたい」
ベルダはそう言うと、固く口を閉ざしてしまった。そのベルダの背中を見て歩く。リリアとベルダの会話に気付いたセレクがリリアに並んで声を掛けた。
「姫様、ベルダ王子も辛いのですよ。こうすることで、ベルダ王子も心を和らげようとしておられる。そっとしておいてあげましょう」
「でも……あんなに美しかったベルダ様がこんな……。わたくし、ベルダ様には王宮にいたあの美しいままでいてもらいたいのよ」
「姫様、男には辛いと思ってもやらなければならない時があるんですよ」
「セレクのバカ。あなた女じゃない。どうしてそんなことが分かるのよ」
「リリア姫、セレクの言うとおりですよ。男にはやらなければならないとなったら、どんな過酷なものでもやりとおさなければならない時があるんです」
ルースもリリアを振り返って言った。
「姫様はルナが捕らわれているのにじっとしていられますか?」
「そんなことできるわけないわ!」
「それと同じですよ。ベルダ王子も自分を守るための嘘から始まっていると、心を痛めているんです。なんとかしたいと思っているんですよ」
「ベルダ様、とてもお辛いでしょうね……なんでベルダ様は男なのかしら」
「はい?」
リリアの突然の疑問に、セレクとルースは戸惑った。
「だって男だから、辛い立場にいるのでしょう。こんな旅に出なくてはならなかったのでしょう?」
リリアの理屈に着いていけないセレクとルースは言葉が継げない。リリア得意の思考回路がそんなことを言わせている。男でなくとも女でありながら、最初、無謀なことをしでかしたのは彼女自身であるということをすっかり忘れている。
「姫様、ベルダ王子が男でなかったら、王子にはなりませんよ。それに男でなかったら、恋もできませんよ」
既にリリアの気持ちがベルダへの恋心であると確信していたセレクは、脱力しつつも、それだけ返した。
「なぜよ。男でなきゃならない理由なんてないわ。美しいものは、美しくあるだけで、それでいいのよ」
涙ぐみながら、リリアは、前を歩くベルダの傍に行ってしまった。セレクとルースはお手上げだといった表情でお互いを見あった。
「まったく姫様の思考にはついていけませんよ」
セレクが溜め息を漏らした。
「いいではありませんか。ルナがよく話してくれました。リリア姫は本当に個性的な考えを持っている」
ルースは微笑んだ。
「個性と言えばよく聞こえますが、一国を継ぐ姫様ですからねえ。姫様のお守りをしている私としては、結構大変なものがありますよ」
「そうでしょうが、利点とも言える。こんな緊迫したときでさえ、リリア姫にかかっては、その緊張もほぐれるというものです」
確かにそれまで張り詰めていた気持ちはほぐれ、固くなっていた体の力も自然に抜けて、楽になっている。
「まあ、こういうときには、役に立つということでしょうか」
「そうですね」
二人は、久しぶりの笑顔を見せていた。
しかし、そんな和やかな行軍は続かなかった。エチセリアを出てから、三日後には猛烈な砂嵐に合っていた。今までにない強風に何度も吹き飛ばされそうになる。四人が固まっている周りの砂はあっという間に吹き流されて、溝になり、誰かがそれに落ちると、あとの三人もそちらに移動する。そしてまた周りの砂が吹き飛ばされ、溝ができ……の繰り返しだった。フードを掻き合わせた間からは砂が入り込み、目も口も開けていられない。息をするのでさえ苦しい。それぞれが水筒を持っていたのが救いだった。砂のじゃりじゃりした感覚が口の中に不快感を与えた。それでも時々、喉の渇きを潤すため、水を飲んだ。
「一体、この嵐はいつになったら、止むのよーーーっ!!」
リリアの絶叫は、強風に煽られて、すぐにかき消される。
一週間の間、一行は、その砂嵐の中で、苦しんだ。やっと砂嵐が過ぎ去って
「助かったわ。水ももうなくなっていたの」
リリアが呟く。皆、水筒の水が底をついていたのだった。これ以上砂嵐が長引いたら、助からなかっただろう。
「とにかく、なにか食べましょう」
セレクがふらつく足取りでラクダの背から荷物を降ろした。ベルダもそれを手伝う。ルースは体を折ったまま、動けないでいる。
「ルース殿、どうされましたか?」
凄まじい砂嵐ではあったけれど、それくらいでは、ルースはなんともないだろう。しかしなかなか立ちあがろうとしないルースに不振に思ったセレクは、食料を持ってルースの前に来た。
「……ルナが……ルナになにか、ありました」
「えっ? ルナがどうしたの!」
リリアが駆け寄ってルースのマントを引っ張った。
「わかりません。でもルナの光がものすごく小さくなってしまいました。こんなこと初めてです。ルナが危ない」
リリア達の顔色が変わった。のんびり食事をしている場合ではない。砂嵐で一週間、足止めを食らったことで、モリールとの約束の期日も過ぎてしまった。
「わかりました。とにかく食べずにはいられませんから、それぞれ食べながら進みましょう。一刻も早くぺカールに行かなくては」
「ルナになにかあったら、私は……」
ベルダががっくり肩を落とした。
「ベルダ様、大丈夫です。先を急ぎましょう」
リリアがベルダの肩に手を置いた。ベルダはその手に自分の手を重ね、こんなところで力を失くしてはいられないと立ちあがった。それぞれがわずかだが食料と新しい水筒を持って、ラクダに乗ると先に進みだした。
ルースとセレクが先を行き、そのあとにベルダとリリアがついていく。ルースは、既にぺカールに心が飛んでいた。
『ルナ、ルナ!! 答えてくれ、ルナ!!』
しかし何度呼びかけてもルナからの答えは返って来ない。それでも微弱ながらルナの存在を確認できる。まだ間に合う、ルースはそう信じて先に進むしかなかった。ぺカールにまっすぐ向かう険しいルースの視線に、横を歩くセレクは、言葉がなかった。セレクもルナを心配しつつ、ギナのことも気になっていた。一度は目を覚ましたものの、すぐに眠ってしまった。まだ言葉も交わしていない。ルナとギナの様子がわからないだけに、気が揉める。早くルナを助けて、ギナの待つアドニス侯爵家に帰りたいと思っていた。
「近衛兵たちはまだ追いつかないのか」
苦々しげにベルダが言った。
「ベルダ様……」
約五十名の近衛兵達が後から追ってくることは、わかっていたが、いつまで経っても追いついてこないことに苛立っていた。近衛兵達は、まずグラバで足止めを食らっていた。人数が人数なため、食事が追いつかない。エチセリアまで行くための食料や水の調達にも時間がかかった。
「こんな大勢で来たんじゃ、どうしようもないさね。なに考えてるんだか」
三番宿屋の女将さんも根をあげていた。一番宿屋、二番宿屋はもちろん町の者たち全員に協力を求めて、なんとか食料と水、ラクダは十頭、用意できた。荷物は十頭のラクダには乗せきれないので、兵士達も少しずつ荷物を持つことになった。
グラバをなんとか出立した近衛兵達は、砂嵐にも合わず、エチセリアに辿り着いた。しかし今度は、そのエチセリアで足止めを食らってしまった。東の空は灰色に染まっている。砂嵐が起こっているのははっきりしていた。
「いくら兵隊さん達でも、砂嵐は無理でしょうな」
十番宿屋の主人が砂嵐が止むまでここに留まることを勧めた。
「先を急ぎたいのだが」
「無理ですぜ。あの様子じゃ、かなり強い嵐だ。先に行った兄さん方も心配だな」
そのベルダ王子になんとか追いつきたいと思うが、どうにもなりそうにない。宿屋の主人は少しでも多く泊まってもらったほうが金になる。これは儲けものだとほくそ笑んだのだった。




