no.6
木々の間から差し込む日差しが、強くなっていた。角度からいって、真南だろうか。急がなければ、冗談ではなく、樹海の中で夜を過ごすことになりかねない。
泉でひとしきり楽しんだせいか、リリアも文句を言わず、随分大人しく歩いている。
ところが苔むした木の根で足を滑らせたリリアは、
「痛い、もう歩けない」
と、半泣き。
「いい加減になさい!!」
と、セレクの声が響いた。
「姫様が行くと言われたんですよ! ご自分で行くと言っておきながら、ここまで来るのにどれだけ文句を言ったことか。これ以上、困らせないで下さい!」
セレクの声にリリアは目を丸くして驚いていた。
小さな頃からずっと一緒にいるセレクだけれど、こんな風に声を荒らげたことなど一度もない。そんな優しいセレクがこんな風に言うなんて。
「うっ、うん、私が行くって言ったのよね。わかってる。わかってるけど、痛かったの……でも、もう大丈夫。ルナ、手を引っ張ってくれる? 早くこの樹海から出ましょう。先に進まなくちゃ」
「そうですね、頑張りましょう」
そう言ったルナの後ろでため息が聞こえた。
それからは、ルナがリリアの手を引っ張る形で早足で歩く。
ちょっと油断すると視線が下になり、苔むした木々の根があちらこちらに見えてくる。けれど、下を向いていると方角がわからなくなる。先を歩くルナは懸命に視線をあげる。辺りを見回しても、大きな木々が林立するだけで、景色は変わらない。それでも感覚的にルナは自分が向かっている方角を感じ取っていた。
かなり歩いたころ、差し込んでくる日差しも随分斜めになってきて、
「この調子なら、夜になる前に樹海から出られそうですよ」
とルナが言った。
「ほんと、ルナ?」
「はい」
「どうしてわかるの?」
「えっと、なんていうか、そんな感じがするんです。うまく言えませんけど」
「ルナの言うことだから、大丈夫でしょう。姫様、ルナを信じて、あと少し頑張りましょう」
「ええ、この樹海の中で野宿しないで済むのなら、頑張るわ」
手を引っ張られていたリリアも、自分で早足で歩くようになった。
こうなると早いもので、ルナが思っていたより、早く樹海を出ることができた。
突然、木々がなくなり、目の前には西日の手前で影絵のようになったインファンテが目の前に聳え立っていた。見上げると、かなりの標高のようだった。
既に夕暮れで太陽はインファンテの向こうに沈みかけている。急いで野宿の用意をしなくてはならない。
小さな荷物を降ろして、座り込んだリリアにルナは微笑んで薪とベッド用の小枝を探しに樹海へ入って行った。
「ルナは、どうしてあんなに元気なのかしら? お腹、空いたわね。ルナ、早く戻って来ないかしら」
ついさっきまで殊勝にしていたリリアだったが、立ち直りは早い。セレクはため息を着くしかなかった。
ルナが両手に抱えた小枝を持って戻ったのはすぐのことだった。樹海に入ればいくらでも小枝は拾える。三度、樹海に入って、薪と簡単なベッドを作り上げてしまった。
「ルナってほんとすごいのねー。なんでもできちゃうんだもの。もういいから、食事にしましょう」
昨夜よりは簡単なベッドになったけれど、それでもリリアはお腹が空いているので納得する。ルナも座ると、三人で焚き火を囲んで非常食を食べた。
その頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。虫の声もしない静かな夜。焚き火のはぜる音だけが、響いている。静かすぎてリリアには物足りない様子だったけれど、食事をとった後、すぐにベッドに横になって眠ってしまった。
「今日は大人しく寝てくれたわね」
「さすがに疲れたのでしょう。かなりの距離、歩きましたからね。泉に入ったのも少しは疲れたのかもしれませんね」
「そうね、私たちも早めに休みましょうか」
「そうしましょう」
ルナとセレクも早めにベッドに横になった。
二人もやはり疲れていたせいか、そのままスーっと夢の中へと落ちていった。
翌朝、日が昇るのと同じくして、リリアが目を覚ました。
「朝よ、二人とも起きて」
リリアは、本当に立ち直りが早い。ひと眠りすれば、すっかり昨日の疲れがとれているらしい。まだ疲れの残るルナは、ゆっくりと体を起こした。
「さぁ、早く食事して出かけましょう」
リリアにせかされて、食事を済ませると、三人は、高々と聳え立つインファンテに向かった。
すぐに登り勾配の山肌になっていて、道はない。先にルナが歩きやすい場所を見つけながら進む。
インファンテに白龍が住んでいるという情報はあったものの、この山の何処に住んでいるのかはわからない。でもとにかく登るしかなかった。
「ルナ、あれを見てください。なにやら山肌に大きく突き出した岩がありますよ」
セレクの声がして、見上げてみると、確かになにもない山肌にそこだけにょきっと突き出した岩がある。インファンタの洞窟から出たところの岩棚と似た感じである。
「もしかしたら、あそこに洞窟とかあって、白龍が住んでいるんじゃなくって?」
リリアも見上げて言った。
「そうかもしれませんね、あそこに行ってみましょう」
ルナがそう言ったものの、登りは段々急勾配になり、道もないため、思ったほど、先に進んでいる感じがしない。歩く三人の息も上がって来ていた。それでもリリアは文句を言わなかった。昨日のセレクの一喝が効いているのかもしれない。先に根をあげたのはセレクだった。空腹で堪らなかったのである。
「ルナ、この辺で一休みしましょう。近くに見えて意外に距離がありそうですから」
セレクが言った。
「やったぁー。一休み。お腹も空いたし、ね。セレク」
リリアが座り込むと言った。
荷物から非常食を出して、食べる。毎回、非常食なのでいい加減飽きてきていた。樹海の泉の湧水を汲んでおいたもので喉を潤す。
「美味しいわね、この水」
リリアはそう言って、喉を鳴らして水を飲んだ。非常食が乾燥した野菜や果物だけに、余計喉も渇く。
しかもここインファンテは、インファンタと違って、乾燥していて、草木がほとんどない。あってもまばらに背丈ほどの木がぽつりぽつりと生えているだけだった。そこへ容赦ない日差しである。水分は充分に補給しておかなくてはならない。けれど、水筒に入れた水にも限りがある。そこそこの配分で飲まないとなくなってしまうので、気をつけないといけない。
「さて、そろそろ行きましょうか」
セレクの声で、また山肌を登り始めた。
突き出た岩棚に近づくにつれて山肌は、急になり、まるで体を張りつかせているような格好である。
ルナはできるだけ登りやすそうな場所を探りながら、登った。リリアもそれに続いて登っていく。荷物しか見えないが、セレクもそのあとに続く。
なんとか、岩に辿り着いてみると、インファンタの出口より大きな岩棚になっていた。その上に出ると、思っていたように洞窟があった。
荷物をみんなそれぞれ降ろすと、洞窟の様子を伺った。インファンタの洞窟よりも大きな入口である。しかし奥行きはなかった。すぐに白龍の姿が見えたのだ。
「いたわっ!」
「しっ」
叫んだリリアにセレクが言った。
「静かに、姫様。驚かせては大変ですよ」
「寝ている隙に髭をいただいちゃいましょうよ」
「ダメですよ、姫様。確か、何かの書物に龍族を怒らせたものは、その人生に暗い影を落とすとあったように思います」
そんなわけで、ルナがそっと白龍に声をかけた。けれど、何度声を掛けても白龍はピクリともしない。
「死んでるんじゃないの。年寄りだって言うし」
リリアが言った。
「姫様、よく見てごらんなさい。髭が微かに動いているでしょう」
セレクが言うので近づいてみると、確かに鼻に引っかかった髭がゆらりゆらりと行ったり来たり動いている。
ルナも近づき、もう何度か声を掛けてみた。けれどやはり白龍は起きない。しびれを切らしたリリアが叫んだ。
「ちょっと、白龍! 王女リリアがこんなところまでわざわざ出向いてきたというのに、無視して寝ているなんて許さなくってよ! 起きなさい!!」
洞窟に響き渡る甲高い声に白龍も観念して、目を覚ました。
「まったく、寝たふりなんてして……」
と捲し立てるリリアを制して、ルナが静かにここに来た経緯を話した。そして、後悔の洞窟の主から貰っ革布袋を白龍に差し出した。
「なに、それ?」
今、初めて、それを見せられたリリアは興味津津。
「白龍にと、後悔の洞窟の主から貰ったものですよ、姫様」
セレクが少々強い口調で言った。ここまできて、リリアにそれは渡さないなどと言われては困る。
「これはこれは……」
プシューっ。
大きな鼻息を鳴らして、白龍が言った。
「私が集めている宝玉じゃよ。ありがたいことじゃ。髭が欲しいとな。ほれ、これをやる」
そう言って、自ら髭を抜いて、ルナに手渡した。
「ありがとうございます。助かりました」
ルナは丁寧にお礼を述べた。
すると白龍は、その背中の壁に並んだ宝玉がいくつも並んだ棚にそれを収めた。それを見たリリアが黙っていない。
「まぁ、なんて美しいの。こんなにたくさんあるのだから、わたくしにも下さら……」
「姫様っ!」
セレクが叫ぶ。美し物好きなリリア、髭を返してもそれらの宝玉が欲しいと言いかねない。姿なきセレクは、リリアを抑え込んだ。
「や、やめて、セレクっ」
「白龍の髭が大事なんですよ、今は!」
「わかったわよ。離して、セレク」
諦めたと見えて、リリアが言った。
けれど、離した途端、リリアが叫んだ。
「白龍、髭だけで済むと思ったら大間違いよ!」
ルナもセレクも止める間がない。
「わたくし達をここから歩いて帰らせるなんて、許さなくってよ。あなたも龍のはしくれだったら、わたくし達をその背に乗せて、麓の町までひとっ飛びなさい!」
ルナもセレクももう脱力である。ルナが白龍を上目遣いにそっと見てみると、ふぅーっと大きなため息をつく白龍。
「喧しい姫様じゃて。仕方ないのぉ、乗るがよい」
なんと、白龍はリリアの言うことを聞いて、三人を背中に乗せてくれた。
そして、風を切り、樹海の上を超え、インファンタをひとっ飛びすると、その麓の裾野に降り立った。
「わしは、龍じゃ。人里までは飛んでは行けん。ここまでじゃ」
そう言って、三人を降ろした。
「ええ、結構よ。あのジメジメした洞窟や樹海を通るよりずっとましだわ」
「姫様、お礼くらいいいましょうよ。白龍、ありがとうございました」
セレクが言った。
「いやいや、これでこの姫様とお別れじゃ、うぉほほっ」
喧しいリリアとさっさと別れた方が得策と思ったらしい。白龍は、その体をうねらせて、空へと飛び去って行った。
三人は、その姿が山の向こうに消えるのを見送って、裾野を麓町ガムサまで歩いて戻った。
その頃、白龍の洞窟の前でがっくり肩を落とし、途方に暮れている者がいた。
優雅に空を飛んだ三人は、知る由もなかった。




