no.20
ぺカールの砦の広場では、丸太でできた既に天井の抜け落ちた柵の中にルナとグラニサール、アギラが入っていた。時々風が吹き、砂が舞い上がる。グラニサールとアギラは、その砂塵からルナを守ろうと横たわるルナの周りに座るのだが、砦の入り口から吹きこむ風は、広場で不規則に舞いあがり、ルナの口に入り込み、咳き込ませていた。柵の中に倒れこんでいるルナを見て、下卑た笑みを向けてくる兵士達もいたが、大半は、柵を遠巻きに通り過ぎていく。クレセールがやられた時に、ルナが見せた力が、兵士達に恐怖を植え付けていた。
もう何日経ったのかわからない。干からびたパンと水だけは与えられていたが、マントもなく日中は肌を焼く強い日差しが、夜は凍えるほどの寒さが三人を苦しめていた。
「隊長。こんな柵ならルナを背負って抜け出せますよ」
「抜け出したところでどうなる。アギラ、ここは砂漠のど真ん中だぞ」
「食料庫もあそこだとわかってます」
数日前にたんまりと十頭のラクダの背に乗せられた食料が運び込まれた扉を示した。
「そんなことはわかっている。たとえルナを連れて抜け出したとしても、食料庫には鍵がかかっている。決められた兵士しか開けていない。鍵は多分ひとつだ。その鍵を盗み出して、食料も盗み出し、ラクダも……そんなことが簡単にできると思うのか」
「ですが、このままでは……」
「セレクを信じるしかないだろう。必ず戻ってくる」
アギラはもう言葉がなかった。グラニサールの言う通り、約三十人ほどの兵士がここにはいる。そんな中、脱走するのは、無謀とも言えた。捕まれば、あの獰猛なまでのモリールに殺されてしまうだろう。アギラはささくれ立った唇を噛みしめていた。
そんな中、兵士達が全員広場に立ち並んだ。その中央から、モリールが姿を現した。
「さて、期日も過ぎたが、連絡がないな。お前たちも打ち捨てられたか」
グラニサールとアギラは残るありったけの力でモリールを睨みつけた。
「エチセリアから昨日、使者が戻った。なんの動きもないそうだ」
セレク達がエチセリアに着くほんの少し前にその使者はエチセリアを立っていたのだった。ほんの数時間、その使者がエチセリアに留まっていたならば、三人に朗報がもたらされていたはずだった。
「王はなぜ動かぬのだ……」
アギラが力なく呟く。
「今は信じるしかあるまい」
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえぞ」
そう言いながら、モリールがフィエラを連れて、柵の中に入ってきた。グラニサールが前に出る。アギラがルナの体を抱きかかえた。
「う、うっ」
動かされて、ルナが気付く。
「王にも困ったもんだぜ。見せしめが王子だけじゃ、足りないようなんでな」
ピシッとその手にある鞭を撓らせて石畳を叩くと、フィエラが野太い声をあげた。
「フィエラも腹が減ったようだ。次はどれがいい、フィエラ」
兵士達から声が上がった。なにもない砦での生活で荒くれどもの兵士達は、刺激を求めていた。フィエラがその四肢音をひたひたと響かせ、三人の周りを歩く。兵士たちの声が高くなる。フィエラは、アギラが抱きかかえたルナの顔に鼻を近づけた。ルナにもフィエラが近づいた気配が伝わった。ぼんやりした視界がはっきりとしてきて、目の前にいるのが猛獣だとわかる。
「おお、その女がいいか、フィエラ」
しかし、フィエラは、ルナの額を舌で舐めてから、そこを一旦、離れ、モリールの傍に戻った。
「どうした、フィエラ。お前の好きな奴を選んでいいぞ」
モリールがその手にある鞭をもう一度、石畳に叩きつけるとフィエラがのそりと動き出した。グラニサールが警戒して、ルナの頭側に回った。アギラはルナをきつく抱きしめる。フィエラは、鋭い双眸を三人に向けながら、近づいた。今度はまっすぐアギラの元に向かう。
「そいつがいいか、フィエラ」
フィエラが一声、吠える。それは空腹を通り過ぎた三人の腹の中にまで響いた。
「よし、いいぞ。今日はそいつにしよう」
モリールの鞭が撓った。その先がアギラの背中を打つ。けれどアギラは呻いただけで動かなかった。もう一度、鞭が振るわれる。今度はアギラの首にそれが巻き付いた。一気にモリールがそれを引くと、アギラの体がルナから引き離された。アギラの体がひどくゆっくりと離れていくのをルナは感じていた。
『アギラ……ダメ……もう、いや……』
グラニサールに抱えられたルナの体が震えだした。ルナの脳裏にクレセールがフィエラの餌食になった時のことがまざまざと浮かぶ。アギラが頭を抱え込んで見えないようにしていてくれてはいたが、ルナの心の目がその全てを見ていたのだった。歓声をあげる兵士達の声の中にしっかりと聞こえてきた、フィエラがクレセールを弄びながら食べる音。その姿は、ルナの脳裏に焼き付いていた。涙が零れてきた。
「ルナ、見るな!」
やせ細ったその体の一体どこにそんな力があるのかというくらいにルナは、グラニサールの腕を解いていた。
フィエラがアギラに近づき、涎を垂らしている。
「ダメ……ダメよ……」
ルナが呟くがそれはあまりに小さくて、周りには聞こえない。兵士達の声がかき消しているのだった。フィエラが一声、吠えると、アギラの体を一咬みで持ちあげた。肋が折れる音が聞こえる。
「やめて、もうダメ! 殺さないで!!」
一瞬にしてルナから立ち上った銀色の光が、爆発を起こした。兵士達は皆、あまりの眩しさに目を覆う。ものすごい轟音と共に、残っていた丸太の柵が全て崩れ去っていた。砂埃が舞い、兵士達が咳き込んでいる。モリールも鞭を持つ手を口に当てていた。舞いあがった埃で辺りが霞む。が、すぐに入口から吹きこんだ風がそれを吹き消した。フィエラは、アギラを口から落としていた。ルナは飛びかからんばかりに、アギラの体に自分の体を重ねた。フィエラがルナの瞳を覗きこむ。
「もう、ダメ……食べては……ダメ……」
一瞬の静寂の中、ルナの囁きが聞こえた。フィエラの茶色い大きな瞳が揺らぐ。涙で霞んで見えなくなった目をルナが静かに閉じた。
『人間なんて、本当は食べたくない』
フィエラのつぶやきが聞こえたような気がした。グラニサールがルナに駆け寄り、抱き起こしたが、ルナの意識は既に深い闇に飲まれていた。
「そいつは、何者だ!!」
モリールが鞭を持つ手を震わせて、怒りを露わにしている。
「答える必要などない!」
グラニサールは、未だ残る気力でモリールを睨み返した。
「人間じゃないな。魔法使いか……おい、お前達、こいつらを捕まえろ」
最初怯えていた兵士達だったが、モリールに睨まれて、数人の兵士が動いたのを皮切りに、皆、モリールの指示で迅速に動いた。
三人を捕えていた柵は既に木端微塵になっている。その丸太を利用して広場には、三つ、十字に丸太が組まれた。そこにルナ、グラニサール、アギラが磔にされた。ルナもアギラも既に意識はない。グラニサールだけが、何度も二人の名を呼んでいた。兵士達は、広場に散らかった丸太を片づけるのに忙しい。三人を見上げてモリールが苦々しげにフィエラの頭を撫でながら言った。
「お前たちの命、黙っていても消えるさ。ここは砂漠のど真ん中だからな」
モリールがフィエラを連れて姿を消した後、兵士達は口々に
「あれは悪魔じゃないのか」
「いや、悪魔じゃなく、天使じゃないのか」
などと、ルナにちらちらと視線を送っては、その乏しい想像を巡らすのだった。




