no.19
グラバからギナを乗せてきた馬にリリアが乗り、セレクとルースは歩きである。アドニス侯爵家を出てすぐだった。後ろから早駆けする馬の蹄の音が近づいてくる。三人が立ち止まって待っていると、それはベルダだった。
「ベルダ様!」
「やっと追い付いた。間に合ってよかった」
「どうされました、ベルダ王子」
「いてもたってもいられず、私も来ました。一緒に行きます。近衛兵達は、一足遅れていますが、五十名ほど来ています」
「そうですか、ありがとうございます」
「いえ、父王が頼りないばかりにこんなことになってしまって、本当に申し訳ない」
ベルダは、馬を下りて、頭を下げた。王もベルダを守りたい一心だったのだろう。それは皆、理解していた。
「ベルダ様、大丈夫ですの? 砂漠は危険ですのよ」
そんな危険なところに一度ならず二度までも行こうとしている姫様は何者ですかとセレクは心の中で思った。
「もうそんな危険なところにリリア姫様達だけを行かせたりはしません」
ベルダも王や王妃が止めるのを振り切って出てきたのである。ここで帰るわけにはいかない。
「私も同行します」
「ベルダ様……」
リリアは頬を赤らめている。これは本格的にベルダ王子を好きになっているなと、セレクは思うのだった。
一行は、エスフェラ山脈に入った。ルースとセレクが先を歩き、そのあとに馬に乗ったリリアとベルダが続く。最初、ベルダは馬をセレクにと言い出したのだが、セレクはそれを断った。これからのことを考えるとベルダにできるだけ体力を使わせない方がいいだろうという結論に達したのだった。
「ルース様も来ているし、もう大丈夫ですわ」
少し離れて後ろを来るリリアが言った。
「彼は頼りになりそうですね」
すぐ後ろに着いてくるベルダが答えた。
「ええ、それもあるけど、アディビナールの占いに出ていたのよ。ルースが助けに来てくれれば、ルナは助かるわ」
「そういうことですか。アディビナールの占いは当たるとオアシスの民にも評判ですから、それは心強いですね」
「まあ、そうですの。でしたら、早くベルダ様にお伝えしておけばよかったですわね。三人で占ってもらって、答えはそれぞれ別の者が聞きましたの。答えはこの旅が終わるまで口にはしないという約束で」
「そうでしたか」
後ろでそんな会話がなされているとは知らないルースとセレクは、
「リリア姫とベルダ王子、お似合いでが、結婚は無理ですかね」
「ファルサリオがいなかったということは、ベルダ殿もこの国のたった一人の王位継承者ですからね。お互いが国を継がなくてはならない身、難しいでしょうね」
リリアにも幸せになったもらいたいと思う。けれどベルダとのことは難しい。ルースとセレクは複雑な思いだった。
夜になり、寒さが襲ってきた。早めに風が避けられる岩場に陣取ったが、それでも寒さは厳しかった。リリアとセレクはすでにこの山の厳しさを知っていたが、ベルダはその恐ろしさに言葉も出ない。アドニス侯爵家でベルダとルースもマントを貰っていた。それを着こんでも震えが止まらないベルダだった。焚き火を焚いても寒さを凌げるほどのものではなかった。四人は肩を寄せ合って、寒さに耐えた。
翌朝、日が昇って、体が温まるまで待つ。焚き火で作ったスープが温かく、なによりの御馳走になった。
「こんな寒さは初めてです」
「ベルダ様は、旅は初めてですの?」
「はい。王宮を離れたことはありません」
「わたくしも初めての旅の時は、大変でしたけど、もう慣れましたわ」
「すごいですね、リリア姫は」
「そんな、すごいだなんて」
また頬を赤らめるリリアだった。
体が温まったところで、また先に進む。夜は早めに休める場所を確保し、朝は体が温まるまで待つ。その繰り返して、四日かかってエスフェラ山脈を越えた。グラバに到着した一行は、三番宿屋に直行した。
「おや、まあ。また来たんかい」
女将さんが呆れていた。
「メンバーが少し変わったね。また同じ部屋を使うといい。ラクダは必要かい?」
「はい、またお願いします。今回はラクダ八頭お願いします。休まずに進みたいので。食料と水も」
「わかったよ。任せときな」
本当に頼もしい女将さんである。一行は、ここで一晩休むことにした。先を急ぎたい思いは強いが、ここからは砂漠である。体力をつけておかなければ、乗り切れない。その夜は、女将さんの計らいで、暖かい料理が沢山出された。一階の酒場のテーブルには、四人しかいない。
「他に誰もいやしない。ゆっくりしていきな」
料理を出してくれた宿の主人もまたやってきた一行に呆れ返っている。だが、余計なことは聞かずに、一行をもてなしてくれた。四人は、温かい料理に舌包みをうち、夜は早めにベッドに入った。ここではできるだけ休んでおいたほうがいい。リリアは、同じ部屋にベルダがいると思うとなかなか眠れなかった。しかしベルダは初めての旅で疲れていたようですぐに眠ってしまった。眠れずに寝がえりを打つリリアにルースが気付いた。
「リリア姫?」
「なんだか、眠れないの」
「姫様にしては珍しいですね。いつも一番に眠ってしまうのに」
セレクも起きていて、そんなことを言う。
「ベルダ様ももうお休みですよ。姫様も休んでください」
「ええ、わかっているわ」
それからしばらくしてリリアの寝息が聞こえてきた。眠れないルースは、ベッドを抜け出して、暗くなった窓の外を眺めていた。今夜は月も出ていなかった。
翌日は、昼までには宿の主人と女将さんで、八頭のラクダと四人分の水と食料が準備された。しかし一行はここで足止めを食らってしまったのだった。東の空が灰色に覆われていた。
「砂嵐だね。今出掛けても、その中に入るだけだよ。ここで待った方がいい」
砂嵐に巻き込まれれば、結局はそこで足止めを食らう。ここは女将さんの言う通り、砂嵐が治まるのを待って出掛けた方がいいだろうと、四人は宿に留まったのだった。砂嵐は三日続いた。ルースははやる気持ちを抑えるのに精いっぱいだった。
「ルース殿。ルナは大丈夫です。まだ期限もありますし」
「はい、セレク殿。ルナの気配は感じています。ただ何かあったことは確かで、それがなんなのか不安で堪りません」
セレクは言葉が継げなかった。ルースはずっと窓辺で東の空を恨めしそうに眺めるのだった。
やっと砂嵐が止んで一行はエチセリアに向けて出立した。砂漠は延々と続き、昼は灼熱の太陽の日差しに、夜は寒さに凍え、それでも砂嵐には合わず、エチセリアに着いたのは八日後だった。ラクダに乗って、わずかな休みを入れただけで進んできた割に遠回りをしていたようで、日数がかかってしまっていた。到着したのが昼間だったので、閑散としているエチセリアで、十番宿屋に直行する。
「主人はおられますか?」
セレクが人気のない一階の酒場で声を掛ける。しばらく経って、寝ていたのか、ぼんやり顔の主人が出てきた。
「なんだ、あんたかい。こんな時間に起こさんでくれよ」
「すみません。また厄介になります。お願いします」
「わかったよ。二階の南の部屋を使いな。夜の食事ができたら持って行ってやる。俺はもうしばらく休むから。勝手に上がってくれ」
夜が忙しい宿屋の主人は、昼間のこの時間帯は寝ているらしい。四人は勝手に上がり、南の一室を借りた。相変わらず埃っぽい粗末な部屋だったが、それでも砂漠の中よりはましだった。
「リリア姫、疲れたでしょう。夕食まで休んでください」
「ベルダ様こそ、初めての砂漠で疲れましたでしょう。お休みになって」
二人はさっさとベッドに潜り込んだ。ルースは寝ようとしない。
「ルース殿、あなたも休まれたほうがいい」
「わかっていますが、ルナが心配です。なにやらまたあったように感じます」
ルースは、宿屋に着いたころから体の底から湧きだす不安の増大に苦悶していた。
「ルナは、大丈夫ですか?」
「生きています。でも、なにか……」
「ルース殿。ルナは助け出します。なにがなんでも」
「もちろんです」
二人は結局、ベッドには入らず、無言でテーブルを囲んで座っていた。
早めの夕食が運ばれてきた。酒場が男達で溢れかえる前に宿屋の主人は用意したらしい。今回も手揉みして、無心してくる。セレクはその手に金を渡した。
「ぺカールまでの水と食料をまた頼む」
「わかりやした。兄さん、ぺカールは危険なところっすよ。くれぐれも気をつけなされ」
「ああ、わかっている」
宿屋の主人は両手一杯の金貨を持って、ホクホク顔で部屋を出ていった。
翌日には、ぺカールに向けての水や食料が用意されていた。一刻も早く出立したいというルースの言葉で、朝食を食べてすぐに一行はエチセリアを出立した。




