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ESCENA  作者: 湖森姫綺
第三章
55/68

no.16

 ぺカールでは、地下牢に閉じ込められたルナと三人の従者たちが肩を寄せ合っていた。

「ルナ、大丈夫です。必ずセレクが助けに戻ってきます」

 ルナは静かに頷くだけだった。

「ほら、飯だ。食え」

 放り込まれたパンは固く、新しく1本、水の入ったビンも階段の上段に置かれ、ドアは閉まり、鍵のかかる音がした。

 グラニサールは階段を上って、ピンを取ってくる。

「ルナ、少しは食べなくてはダメですよ。待つだけでもかなり日にちがかかる。その間に体力がなくなってしまっては」

 ルナは、毎日一度放り込まれるパンをほとんど口にはしていなかった。水を少し飲むだけである。もともと痩せていた体は、もっとやせ細り、頬がこけて動くことすらままならないようだった。

「ルナ! しっかりしてください。このままでは、セレクが戻るまでにあなたが餓死してしまいます。セレクたちの努力を水の泡にするつもりですか!」

 ルナの顔がグラニサールに向けられた。けれど瞳はぼんやりとして、グラニサールを捉えているのかどうかさえわからない。

「セレクのこと、多分、必死で砂漠を進んでいるはずです。王宮に向けて、きっと休まず……」

 グラニサールも言葉に詰まった。少しの間とは言え、このぺカールに来るまで一緒にいたセレクのことを思い出す。

「ルナ、少しだけでも食べてください。グラニサールの言う通り、このままではセレクが戻るまで持ちませんよ」

 アギラがパンを差し出して言った。

「こんなものでも口にすれば少しは違います。ルナ」

 クレセールは、アギラが差し出したパンをちぎって水をかけ、やわらかくしてから、ルナの手に握らせた。

「食べなさい、ルナ。セレク達のために!」

 強情に今までほとんど食べなかったルナもその言葉には、さすがに反応した。手がゆっくり口に近づく。

「そうです。とにかく少しずつでも食べてください」

 ルナは、焦点の合わない視線のまま、その手のパンを口に運んだ。クレセールがパンをちぎって、それにアギラが水をかけ、ルナに手渡す。それをゆっくりとだが、ルナは食べた。

 日にちがどのくらいたったのか、もう彼らにはわからなかった。ただセレクが戻ってくるのを信じるしかなかったのだった。

 指令室では、足を机に乗せて椅子に座り、苛立たしげにモリールが外を眺めていた。

「待つだけというのは、つまらんものだな」

 兵士でさえ、日々モリールの苛立ちが募っていく様に恐怖を感じていた。

「そろそろやるか。いい加減、待つだけの日々は飽きた」

「しかし、モリール様。期限はまだ……」

「うるさい。俺のやり方に口を出すな! やつらを広場の檻に引き出せ!」

 数名の兵士達が、モリールの命令で地下牢にやってきた。

「なにをする!」

 グラニサールたちは、ルナを守るように前に出た。

「騒ぐな。外に出してやる」

 グラニサールらは、両腕を抑えられ、階段を上っていく。ルナは一人の兵士に担がれて行った。既に歩く力もなくなっていたのである。

 広場の中央には丸太でできたドーム型の檻があった。夜しか見たことがなかったので、こんなものがあることにグラニサール達は気付かなかった。四人は、その檻の中に放り込まれた。できるだけ外との距離を取ろうと、グラニサール達は、ルナを抱えて檻の中央に固まった。

「お前たちも待つのは飽きただろう」

 モリールが三十名ほどの兵士たちの前に出た。

「俺は短気でな。呑気に期日を待っているほど、バカじゃない」

「何をするつもりだ!」

 グラニサールが叫んだ。

「いい見せものをやろうってんだよ。平穏だ、約束だ、などというものは、俺達には関係ないことだ」

 モリールは手にした鞭を石畳に叩き付けた。すると、兵士たちの後ろから、茶色い大きな何かがのそりと姿を見せた。それはとがった耳を立て、鋭い牙を剥いて、獰猛な双眸を檻に向けている。

「フィエラ、久々の御馳走だぞ」

 モリールがその猛獣の背中を撫でる。フィエラと呼ばれたそれは、毛を逆立てながら、唸り声をあげた。体の中まで響く獰猛な雄たけびに兵士さえも震え上がらせるものがあった。兵士の一人が檻の扉を開けると、フィエラを従えてモリールが入ってきた。

「フィエラ、お前はどいつがいい? お前の好きな奴でいいぞ」

「まだ期限は残っているはずだ!」

 グラニサールが叫ぶ。

「そんなもの、ここにはないのだよ。フィエラ、さあ、好きなやつを選べ」

 モリールが鞭を振るった。フィエラは、中央に固まった四人の周りをぐるぐると回る。猛獣特有の生臭い息を吐きかけながら、品定めをしている。檻の外では固唾を飲んで兵士達が見守っていた。グラニサール達はルナを守るように倒れているルナの周りに腰を降ろしている。フィエラは、鋭い眼光を向けていたグラニサールの前で止まった。

「そいつがいいか、フィエラ」

 しかしフィエラはフイッと顔を背けて、また太い四肢をのそりのそりと動かした。今度はクレセールの前に止まった。

「おお、そいつがいいか。やせぎすだが、なかなか上手そうだな」

 モリールは鞭をしならせ、クレセールの体を絡めとった。引きづり出されたクレセールにフィエラが鼻を近づける。

「約束が違うぞ、モリール!!」

 グラニサールがまた叫んだ。

「ぐだくだとうるさい奴だ。お前から餌食にしてやろうか?」

 ルナはぼんやりした頭の中でそんなやり取りを聞いていた。訳がわからなかったが、グラニサールの叫びにただ事ではないと体を起こした。

「ルナ、大丈夫ですか?」

 アギラがルナの上体を支えた。

「ほぉ、気付いたか、女」

 ルナは、その声がした方に視線を送った。薄霧がかかったようになっていた視界が徐々に戻る。そこにモリールの姿と猛獣の前で震えているクレセールが捉えられた。

「おおー」

 兵士たちにどよめきが起こった。下卑た笑みを浮かべる者もいる。女っけのないこんなところに女が一人。

「モリール様、そやつ、ただ殺すにはもったいのうございますよ、ひひひっ」

 兵士の中でも歳長の一人が檻に近付いて言った。

「下賤なことを言うな。我らとてそれなりの誇りは持っていようぞ。女だてらにこんなところまで来るとはな。少しは敬意を払ってやる。ちょうどいい人質にもなったしな」

 モリールがそう言った横で、フィエラが唸り声をあげた。

「ああ、フィエラ、悪かったな。さあ、いい見せものだ。いいぞ。餌を食え!」

 モリールの声に、またフィエラが唸り声をあげて、クレセールに迫った。

「な、なにを!」

 ルナの目がその動きを捕えた。

「久しぶりの餌にフィエラもたまらんのだろう。あはははっ、あははははっ」

 モリールが狂ったように笑う。その横でクレセールが小さな悲鳴を上げた。フィエラは、既に逃れる力も失ったクレセールの腹に噛みついた。血が噴き出す。

「いや、やめて、やめてーーーっ!」

 ルナが叫ぶ。そのルナの頭をアギラが覆った。

「見るな、ルナ。見ないでくれっ」

「うっ、うがぁ、がぁ」

 クレセールの最後の声が聞こえた。アギラに抱え込まれたルナの耳に、それは届いた。肉が避け、骨が折れる音さえ、聞こえる。ルナは狂ったように頭を振った。

「いやぁーーーーーっ!!」

 突然、ルナの体から銀色の炎が上がったかと思うと、ドーム型の檻の天井が吹き飛んだ。バラバラと落ちてくる丸太をモリールは避けたが、ルナ達自身にそれらは襲いかかった。アギラとグラニサールがルナの体を庇うように、一瞬にして動いた。轟音を響かせて降り注いだ丸太だったが、フィエラには全く効かない。それどころかまるでそこだけ避けるように丸太は落ちていた。フィエラは平然とクレセールをたいらげたのだった。残るは、クレセールがいたというだけの、鮮血がそこにあるだけだった。

「お前、ただの人間ではないな。何者だ?」

 フィエラがクレセールを食べ終わるのを見て、モリールはルナに視線を送った。人間にこんな力はない。

「魔法使いか……」

 ルナは答えなかった。力を使い果たして、アギラの腕の中で気を失っていたのだった。

「まあ、いい。そのうち、わかるだろうさ。フィエラ、満足したか。行くぞ」

 モリールは、口から血を滴らせれている猛獣フィエラを連れて檻から出ていった。兵士たちから溜め息が漏れていた。それは感嘆の溜め息であり、恐怖の溜め息でもあった。

 落ちてきた丸太に直撃されたグラニサールの額から、血が流れていた。

「グラニサール隊長、大丈夫ですか?」

「大したことはない。それよりルナは?」

「気を失っています」

「怪我はなさそうだな。それにしてもモリールの奴、とんでもないな」

「約束を反故にした上に、こんなむごいことをするなんて信じられません」

 グラニサールもアギラも青ざめ、視線を今まで生きていたクレセールの証として残る血の跡に移した。吐き気がする。視線を移し、兵士達に目をやるとそれらは、彼らはモリールとフィエラに恐怖で歪んだ顔を向けていた。モリールは兵士達にも恐れられる存在だったのだ。 

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