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ESCENA  作者: 湖森姫綺
第三章
51/68

no.12

 充分に体を休めた一行は、また砂漠の中にいた。既にエチセリアの町は砂の向こうに消えていた。灼熱の太陽が容赦なく照りつけるが、体がその暑さに慣れてきたのか、最初のころほどは、苦にならない。ルナが示す方角にただひたすら進む。夜は寒さに耐え、従者の一人が見張りに立つだけであとはひと塊りになって休むのだった。

「唇が痛いわ」

 砂漠を三日歩いたころには、リリアが文句を言い出した。乾ききった唇が割れて、血が出ている。他の者たちも唇は割れ、肌はカサカサになり、体の水分が蒸発しているのがわかった。それでも貴重な水をそう無駄にはできない。

「血が出ているわ」

 痛みに耐えかねて手を唇にやったリリアが泣き出した。

「仕方ありませんね。また魔法を使いますか」

 セレクは水筒の水を片手に掬うと、呪文を掛けて水の玉を作る。リリアは、その水の玉の中に入った。その効力は既にエチセリアに着く前に試している。この中に入れば体に充分な水分が戻り、力も沸いてくる。リリアは静かに水の玉の中で眠った。

「ルナも入りますか?」

「いいえ、私は大丈夫。少しだけど自分で体力を回復する力があるから。セレクこそ、大丈夫?」

「私も自分で少しずつではありますが、体力を回復する魔法を使っています。グラニサール、あなた方も今のうちに少し休んでください」

 セレクは従者達にも声を掛けた。人間の体で、しかも王宮のお飾りでしかなかった近衛兵たちにとっては、この砂漠の行軍はどれほど体力を消耗するものか、測り知れない。踏んでも柔らかい砂は、思いのほか足腰にきていた。

「セレク、本当に大丈夫?」

「はい?」

「だって、顔色が悪いもの。エチセリアから出てから、様子がおかしいわ」

「気付いていましたか……」

 セレクはエチセリアを立った後、妙に増大する不安に苦悩していた。

「胸騒ぎがして、落ち着きません。ルナと同じですが、なにか急激に襲ってくるものがあります」

 ルナは、そんなセレクを見て、アディビナールの占いの言葉を思い出した。セレクが愛している相手はギナなのではないかと思っていた。幼馴染でライバルでもあった二人、セレクはギナに絶対の信頼をおいているらしいし、近況の報告もしあっている。「相手の命を救えれば」とアディビナールは言っていた。それはつまり相手が命の危険にさらされているということではないのか。だとしたら、セレクはここで旅をしている場合ではないのではないか。

「ねえ、セレク、ギナは今どこにいるの?」

「え?」

「私、ギナに記憶を取り戻してもらったけど、まだお礼も言っていないの」

「ああ、あいつはそんなこと気にする奴じゃないから」

「記憶を取り戻してもらった後、急用があるとかですぐに帰ってしまったし」

「私も気にはなっていたんです。ルナのところに行くという連絡の後、なんの連絡もありません」

「何処にいるかもわからないの?」

「こちらから連絡はしているのですが、返事がありません」

 セレクの顔に陰りが見えた。やはりセレクはギナを気にかけている。

「ギナの急用とはなんだったのでしょう?」

「わかりません」

 普段、セレクからはあまり女の気配が伝わらない。けれど今のセレクからは女の気配がする。ルナは、確信した。アディビナールが言っていた相手はギナなのだと。だからといってどうすればいいのか。

「ギナを探しに行かなくて大丈夫ですか?」

「なにを言っているんですか? 今、そんなことをしている場合じゃないです。大丈夫ですよ。あいつはその辺にいる魔法使いとは違う。きっとこの旅が終わったころにひょっこり連絡が来るに違いありません」

「でも……」

「大丈夫ですよ、ルナ。リリアが休んでいる間に私達も少し休みましょう」

 セレクは、これでギナの話は終わりだというようにきっぱりとそう言って、背を向けて横になってしまった。その背中がいつもより小さく見えた。

 リリアはセレクの魔法ですっかり元気を取り戻していた。太陽が西に傾きだしてはいたが、少しでも先に進もうと、一行は砂漠を進む。どちらを向いても砂ばかりで何もない。

 それから二日後のことだった。

「ルナ、あそこに町があるわ。もうぺカールなのかしら。とても綺麗よ」

 突然リリアが走り出した。その向こうには、豊かな水を湛えた泉があり、砂漠特有の植物も沢山生えているが、それは砂漠の上にゆらゆらと陽炎のように映っている。

「リリア、待って。あれは違うわ! セレク、リリアを止めて!!」

 セレクが走り出し、リリアを抑え込んだ。

「なにをするの、セレク。早く、あの町に行きましょうよ」

「ルナが違うと……」

 ふらふらになりながらもやっとリリアに追いついたルナが寂しげな表情を見せた。

「まだぺカールまでは遠いです。あれは、ぺカールじゃない」

「でも、あんな綺麗に見えているじゃないの」

「姫様方、あれはきっと蜃気楼と言うものです。なにもないところにあるように見えるという……」

 リリア達に追いついたグラニサールが言った。

「なにもない?」

「はい。あそこに辿り着いたところで何もありません。陽光に照らし出された幻です。話には聞いていましたが、こんな風に見えるとは」

「本当になにもないんですの?」

「はい。ありません。砂漠を旅する者を惑わせるものでしかありません」

「そんな……」

 力尽きてリリアが座り込んだ。

「蜃気楼……」

 ルナにも見える。幻なのに、はっきりと見える。けれどそれはゆらゆらと揺らめいて、エチセリアを見つけたときとは、随分違って見えた。感覚ではまだぺカールは遠い。

「今日はここで休みましょう」

 リリアの落胆を考えてセレクもリリアの隣に座る。ルナもリリアを挟んで反対側に座った。日差しはまだ強い。けれど汗の一滴も出ない。フードを目深に被り、日差しを遮るしかなかった。

 一晩、そこで休んで、先へ進もうとした時だった。

「また来る。今度のは、もっと大きい」

 ルナが立ちあがって砂漠の先に視線をやった。

「もう、今度はなにが来るというの?」

「また砂嵐だと思います。ぺカールが見えません」

 一行がどうにも動けないでいる間に、東の空が灰色に染まった。

「来ますね」

 アギラがラクダたちをひと塊りにすると、砂嵐に備えて従者達も動いた。嵐はあっと言うのに近づいた。風が唸りをあげて、砂を巻き上げる。

「今度のは大きいわ。みんなそれぞれ水筒を持っていたほうがよさそうよ」

 ルナの言葉に、クレセールが慌てて、水筒をみんなに配った。

「すぐにはやみそうにないですか、ルナ?」

「前の時より大きく感じるの。多分、長いわ。だから水だけでも持っていたほうがいい」

 そんなやり取りをしていううちにも、嵐は激しくなっていく。もう話などできる状態ではなくなった。水筒を抱きしめ、フードを掻き合わせて、身を寄せ合った一行を吹き飛ばす勢いで嵐はやってきた。一行の周りの砂が吹き飛ばされていく。体勢を失ったラクダたちがその窪みに落ちた。それに気づいたアギラだったが、どうすることもできない。轟々と唸り荒れ狂う砂嵐は、一向にやむ気配がなかった。夜が過ぎ、また昼が来る。それでも嵐は砂を巻き上げ続けた。その間に皆は、フードの下で、水筒の水を口に含んでいた。砂を一緒に飲み込むことくらいで文句を言っている場合ではない。少しでも水分を取って、嵐が過ぎるのを待つしかなかった。結局、砂嵐は三日三晩続いた。

「体中痛いわ、なんて嵐だったのかしら、まったく」

 リリアは、嵐が過ぎ去ると、その風に煽られ、体に力を入れていたから、筋肉痛だとぼやいた。

「セレク、大変です!」

 アギラの声が響いた。

「ラクダがやられました」

 砂に体の半分以上埋まったラクダは、一頭は無事だったが、二頭が息絶えていた。

「なんてことだ。他に被害はありませんか?」

「皆、大丈夫です」

 グラニサールが答えた。

「大丈夫じゃないわよ。体中痛くってよ」

 リリアが後ろで喚いていた。

「ルナ、ぺカールまであとどのくらいです?」

「はっきりはしないけど、あと二日くらいかと思います」

「では、残りの荷物をこちらのラクダに移しましょう。それぞれ少しずつでいいですから、持てるものは持って、手分けしなくては」

 セレクが支持を出し、従者達は荷物を振り分けた。リリアは体中痛いと騒いでいるので持たせるわけにもいかない。ルナも弱り切っていて、無理である。セレクが少しの荷物を受け取って持った。あとは従者達に任せるしかない。弱ったラクダにもかわいそうだが、荷物を乗せた。

「ルナ、ぺカールへの道は見えますか?」

「はい。今ははっきりと」

「では、急ぎましょう。のんびりしている余裕はありません」

 セレクの言葉に、体が痛いと騒いでいたリリアでさえ、その表情に緊張が走った。

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