no.9
砂漠に入ると容赦ない日差しが照りつけた。マントから肌を出そうものなら、火に焼かれるような痛みさえ感じる。すっぽりマントの中に隠れるようにして歩く。従者達がラクダを引いた。後方のグラバの町が徐々に遠ざかり見えなくなると、もうそこは荒涼たる砂漠。どちらを向いても砂だけである。
「ルナ、方角はわかりますか?」
「それは大丈夫」
ルナの力だった。次に向かう町エチセリアは見つめる先にある。一行が砂を踏む足音以外にはなにも聞こえない。灼熱に焼かれた砂は、靴を履いていても足に伝わってくる。土を踏むのと違い、妙に柔らかい砂は、歩きにくい。
「セレク、少し休みましょうよ」
リリアが根をあげた。
「姫様、まだたいして進んではいませんよ」
「でももう喉がカラカラなの。水が飲みたい」
従者達が少し遅れをとっていた。彼らが三人に追いつくまでということで、そこで休む。表面の砂を払い、少しでも冷めた砂に座ろうとしたが、たいして変わらない。やっと追いついた従者たちから水を受け取る。
「貴重な水ですよ、大事にしなくては」
「わかっているわ」
そう言いつつも、リリアは喉を鳴らして水を飲んだ。ルナもセレクも少量の水を口に含ませた。従者達もこれがなければ生きていけなくなると、少量の水しか飲まなかった。ほんの少しそこで休むと、また歩き出した。まだグラバの町を出て、半日も経っていない。それで根をあげているようでは、エチセリアには到底到着できない。
しばらく進むと、またリリアが立ち止まった。
「暑いわ、セレク、待って」
息が上がっている。リリアは想像以上の暑さに眩暈を起こしていた。
「姫様、覚悟の砂漠ではありませんか。そんな風に休んでばかりいたら、ぺカールどころかエチセリアにさえ行けませんよ」
「わかっているけど……この暑さ……堪らないわ」
「リリア、ベルダ様のために頑張って」
ルナは敢えてベルダの名を出した。ファルサリオのためと言うよりは、そのほうが効果がありそうだったからだ。
「そうね。ベルダ様も待っていらっしゃるものね」
「グラニサール、そちらは大丈夫ですか?」
セレクが従者に声を掛けた。
「はい。ベルダ王子より命を受けています。私達も砂漠は初めてですが、なんとか皆様をお守りいたします」
「無理はされませんように」
王宮でお飾りとして存在している近衛兵である。精鋭を募ったとはいえ、初めての砂漠で三人が戸惑っているのもわかっていた。それでも先に進むしかないのである。夜になると今度は寒さが一行を悩ませた。砂漠で薪もないので焚き火もできない。身を寄せ合って暖めあう以外になかった。
「寒いわ」
「リリア、我慢して。昼間暑かったせいで余計に寒さを感じてしまうのよ」
「姫様、文句を言っても状況は変わりませんよ。それと今ならまだ引き返せますけど」
「嫌よ。わたくし、ベルダ様にお約束したんですもの。ファルサリオ様を助けて戻るって。諦めなくってよ、どんなことがあっても」
ルナとセレクは顔を見合わせた。やはりリリアの心を占めているのはファルサリオではなく、ベルダのようだった。
「頑張るんですもの、ベルダ様の悲しいお顔は嫌ですもの、だから……」
最後まで言わずに眠りに着いたリリアだった。複雑な思いでリリアを見つめるルナとセレク。満点の星空に月も浮かんでいた。ここが砂漠でなければ、なんて美しいのだろうと思うところである。けれど凍えるような寒さにルナは小刻みに震えていた。
「ルナ、もっとこっちに寄って」
「はい。でも寒いだけではないの。セレク、不安がまた大きくなっています」
「私もです。なぜかはわかりませんが、ルナが言っていた暗雲が見えてきたように思えます」
「気持ちが集中できないから、ルースとの話もできない……」
「ルナ……」
「お二人も休んでください。私達が順番で見張りをいたしますから」
「休まれませんと、また明日、歩かなければなりませんから」
「夜の間くらいはゆっくり休まれてください」
グラニサール、アギラ、クレセールが身を寄せ合いながらも、辺りに目を配っていた。
「頼みます。ルナ、休みましょう。でないと倒れます」
「はい」
リリアの体を挟んだ形で二人は横になった。その周りに三人の従者が腰を下ろす。静寂すぎるほどの静寂、耳が痛くなるほどだった。
翌日は、朝早く歩きだした。日中の暑さに、夜の寒さ、その間は、どうしても先に進むのが難しくなる。その分を朝夕で少しでも先に進まなければならなかった。日が登るとあっという間に気温は上昇する。肌はささくれだって、唇も渇き、鼻もひりひりする。それでもリリアは文句を言わなかった。頭の中では「ベルダ様のため」と繰り返していたのである。ルナとセレクも判然としない不安を抱えながらも、リリアを守らなければと足を進めるのだった。
疲れ切った体を引きずるようにして前に進む。一行はもう一言も口を聞けない。日中は容赦ない日差しに焼かれ、夜は凍えるほどの寒さに痺れる。五日が過ぎ、リリアがとうとう立てなくなった。脱水症状を起こしていたのである。
「仕方ありません。ここで休みましょう」
セレクは、ラクダから水筒を一つとると、片手に少量の水を溜めた。呪文を掛けると、それは人が一人入れるくらいの大きな水の玉になった。
「姫様、この中にお入りください」
よろよろとリリアはセレクに言われた通り、その水の玉の中に入った。ささくれ立った唇や肌がゆっくりと潤いを増していく。その中でリリアは立ったまま、眠ったようだった。数時間たって太陽が西に傾いた頃、リリアは目を覚ました。
「なんて素敵な魔法なの、セレク、あなたって凄いのね。すっかり元気を取り戻しましてよ」
意気揚々と水の玉から出てきたリリアは、にっこりと笑った。
「ルナもこの水の玉に入って休んでいらっしゃいよ」
リリアがそう言って振り向くと水の玉は、あっという間に蒸発してしまった。
「申し訳ありませんが、その水の玉はほんの数時間しか持ちません」
「じゃ、もうひとつ作って、ルナにも」
「いいえ、私はまだ大丈夫です。セレクに魔法を使わせるわけにはいきませんし」
「でも、あなたも疲れているでしょう」
「私は私の力がありますから」
夜になり、ルナは回復の力を使った。けれど体力を消耗しているせいか、それはわずかな力を取り戻しただけであった。セレクも疲れきっていて魔法を使う気力もない。三人はまたゆっくりと眠るしかなかった。
元気を取り戻したリリアは、翌日には、また快活に歩いていく。その後ろにルナとセレクがついていく。ラクダを連れた従者達にも疲れは見えたが、それでも大の男達である。なんとか三人に着いて歩いていた。
「なにか来ます」
ルナが突然言った。
皆が前方に注意を払っていると、砂の丘の上に、ラクダに乗った男が現れた。男はひらりとマントを翻し、ラクダから降りると、マントから差し出した右手に逆手に持った短剣が光っていた。
「そなたたち、何者じゃ!」
マントの下に豊かな髭がある。その上に鋭く光る双眸があった。セレクがリリアの前に出て、身構える。従者達も三人を囲むように立った。
「何者かと訊ねている、答えよ!」
太陽の光が男の短剣を光らせた。みすぼらしいマントに輝く短剣、男はじりじりと近づいてくる。これ以上近づけば、短剣がものを言うだろうという間合いになった。
「おやめなさい! 隣国フステイシアの王女リリアです。その短剣を降ろしなさい!!」
業を煮やしたリリアが、叫び、前に出ると、マントのフードを降ろし、金色の髪を曝け出した。
「なんじゃと。フステイシアの姫? リリアか?」
男は音もなく短剣をしまうと、数歩近づいて、頭を下げた。
「これは失礼をした。リリアであったか。大きくなったのお」
男は鋭く光っていた双眸を懐かしげな柔らかいものに変えて、近づいた。
セレクが足に力を入れた。この男、信用してよいものかどうか品定めをしている。
「わしは、諸国を旅する者じゃ。フステイシアにも行っておる。リリアはまだ小さな子供だったがのお。覚えてはおらぬか、旅の話を随分聞かせてやったがのお」
「バガール!」
「そうじゃ」
「なんて懐かしい。こんなところで出会うなんて!」
リリアは、男に駆け寄って、抱きしめた。バガールはそんな姫を引き離すと、腰を折って、リリアの顔を覗き込んだ。
「リリア、そなた、こんなところで何をしておる?」
バガールの問いにはセレクが事情を説明した。
「ぺカールだと! わしでも行くのを躊躇う場所ですぞ」
「でも行かねばなりません」
「このところ、砂漠の民に不穏な動きがあったのは確かだ。じゃがしかし、そなた達でどうにかなるものでもなかろうに」
バガールは髭を撫でながら思案に暮れた。
「大丈夫よ、バガール。セレクは魔法使いだし、ルナは妖精のお姫様なの。二人とも凄い力を持っているわ。わたくしだって、旅には慣れていますのよ」
「逞しく育ちましたな、リリア。じゃが、フードは脱がんほうがよいぞ。姫様が名乗ったところでこの砂漠の民には通用せん。なにをされるかわかりませんぞ」
「ええ、わかっているわ」
リリアは慌ててフードを被った。自分がとった行動がどれほど軽率なものかは、理解していた。それでもバガールに会えた嬉しさは変わらない。
「バガール、あなたはどこへ行くの?」
「わしは、これから西に向かわねばならん。そなたたちも連れて帰りたいところじゃがのお」
「いいえ、バガール。わたくし達は、ファルサリオ様を助けなければなりません。ここでお別れです。またどこかでお会いしましょう」
「くれぐれも気をつけてな、リリア」
「ええ、バガールも」
バガールは、またラクダに乗ると、軽く右手をあげて去っていった。




