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ESCENA  作者: 湖森姫綺
第三章
48/68

no.9

 砂漠に入ると容赦ない日差しが照りつけた。マントから肌を出そうものなら、火に焼かれるような痛みさえ感じる。すっぽりマントの中に隠れるようにして歩く。従者達がラクダを引いた。後方のグラバの町が徐々に遠ざかり見えなくなると、もうそこは荒涼たる砂漠。どちらを向いても砂だけである。

「ルナ、方角はわかりますか?」

「それは大丈夫」

 ルナの力だった。次に向かう町エチセリアは見つめる先にある。一行が砂を踏む足音以外にはなにも聞こえない。灼熱に焼かれた砂は、靴を履いていても足に伝わってくる。土を踏むのと違い、妙に柔らかい砂は、歩きにくい。

「セレク、少し休みましょうよ」

 リリアが根をあげた。

「姫様、まだたいして進んではいませんよ」

「でももう喉がカラカラなの。水が飲みたい」

 従者達が少し遅れをとっていた。彼らが三人に追いつくまでということで、そこで休む。表面の砂を払い、少しでも冷めた砂に座ろうとしたが、たいして変わらない。やっと追いついた従者たちから水を受け取る。

「貴重な水ですよ、大事にしなくては」

「わかっているわ」

 そう言いつつも、リリアは喉を鳴らして水を飲んだ。ルナもセレクも少量の水を口に含ませた。従者達もこれがなければ生きていけなくなると、少量の水しか飲まなかった。ほんの少しそこで休むと、また歩き出した。まだグラバの町を出て、半日も経っていない。それで根をあげているようでは、エチセリアには到底到着できない。

 しばらく進むと、またリリアが立ち止まった。

「暑いわ、セレク、待って」

 息が上がっている。リリアは想像以上の暑さに眩暈を起こしていた。

「姫様、覚悟の砂漠ではありませんか。そんな風に休んでばかりいたら、ぺカールどころかエチセリアにさえ行けませんよ」

「わかっているけど……この暑さ……堪らないわ」

「リリア、ベルダ様のために頑張って」

 ルナは敢えてベルダの名を出した。ファルサリオのためと言うよりは、そのほうが効果がありそうだったからだ。

「そうね。ベルダ様も待っていらっしゃるものね」

「グラニサール、そちらは大丈夫ですか?」

 セレクが従者に声を掛けた。

「はい。ベルダ王子より命を受けています。私達も砂漠は初めてですが、なんとか皆様をお守りいたします」

「無理はされませんように」

 王宮でお飾りとして存在している近衛兵である。精鋭を募ったとはいえ、初めての砂漠で三人が戸惑っているのもわかっていた。それでも先に進むしかないのである。夜になると今度は寒さが一行を悩ませた。砂漠で薪もないので焚き火もできない。身を寄せ合って暖めあう以外になかった。

「寒いわ」

「リリア、我慢して。昼間暑かったせいで余計に寒さを感じてしまうのよ」

「姫様、文句を言っても状況は変わりませんよ。それと今ならまだ引き返せますけど」

「嫌よ。わたくし、ベルダ様にお約束したんですもの。ファルサリオ様を助けて戻るって。諦めなくってよ、どんなことがあっても」

 ルナとセレクは顔を見合わせた。やはりリリアの心を占めているのはファルサリオではなく、ベルダのようだった。

「頑張るんですもの、ベルダ様の悲しいお顔は嫌ですもの、だから……」

 最後まで言わずに眠りに着いたリリアだった。複雑な思いでリリアを見つめるルナとセレク。満点の星空に月も浮かんでいた。ここが砂漠でなければ、なんて美しいのだろうと思うところである。けれど凍えるような寒さにルナは小刻みに震えていた。

「ルナ、もっとこっちに寄って」

「はい。でも寒いだけではないの。セレク、不安がまた大きくなっています」

「私もです。なぜかはわかりませんが、ルナが言っていた暗雲が見えてきたように思えます」

「気持ちが集中できないから、ルースとの話もできない……」

「ルナ……」

「お二人も休んでください。私達が順番で見張りをいたしますから」

「休まれませんと、また明日、歩かなければなりませんから」

「夜の間くらいはゆっくり休まれてください」

 グラニサール、アギラ、クレセールが身を寄せ合いながらも、辺りに目を配っていた。

「頼みます。ルナ、休みましょう。でないと倒れます」

「はい」

 リリアの体を挟んだ形で二人は横になった。その周りに三人の従者が腰を下ろす。静寂すぎるほどの静寂、耳が痛くなるほどだった。

 翌日は、朝早く歩きだした。日中の暑さに、夜の寒さ、その間は、どうしても先に進むのが難しくなる。その分を朝夕で少しでも先に進まなければならなかった。日が登るとあっという間に気温は上昇する。肌はささくれだって、唇も渇き、鼻もひりひりする。それでもリリアは文句を言わなかった。頭の中では「ベルダ様のため」と繰り返していたのである。ルナとセレクも判然としない不安を抱えながらも、リリアを守らなければと足を進めるのだった。

 疲れ切った体を引きずるようにして前に進む。一行はもう一言も口を聞けない。日中は容赦ない日差しに焼かれ、夜は凍えるほどの寒さに痺れる。五日が過ぎ、リリアがとうとう立てなくなった。脱水症状を起こしていたのである。

「仕方ありません。ここで休みましょう」

 セレクは、ラクダから水筒を一つとると、片手に少量の水を溜めた。呪文を掛けると、それは人が一人入れるくらいの大きな水の玉になった。

「姫様、この中にお入りください」

 よろよろとリリアはセレクに言われた通り、その水の玉の中に入った。ささくれ立った唇や肌がゆっくりと潤いを増していく。その中でリリアは立ったまま、眠ったようだった。数時間たって太陽が西に傾いた頃、リリアは目を覚ました。

「なんて素敵な魔法なの、セレク、あなたって凄いのね。すっかり元気を取り戻しましてよ」

 意気揚々と水の玉から出てきたリリアは、にっこりと笑った。

「ルナもこの水の玉に入って休んでいらっしゃいよ」

 リリアがそう言って振り向くと水の玉は、あっという間に蒸発してしまった。

「申し訳ありませんが、その水の玉はほんの数時間しか持ちません」

「じゃ、もうひとつ作って、ルナにも」

「いいえ、私はまだ大丈夫です。セレクに魔法を使わせるわけにはいきませんし」

「でも、あなたも疲れているでしょう」

「私は私の力がありますから」

 夜になり、ルナは回復の力を使った。けれど体力を消耗しているせいか、それはわずかな力を取り戻しただけであった。セレクも疲れきっていて魔法を使う気力もない。三人はまたゆっくりと眠るしかなかった。

 元気を取り戻したリリアは、翌日には、また快活に歩いていく。その後ろにルナとセレクがついていく。ラクダを連れた従者達にも疲れは見えたが、それでも大の男達である。なんとか三人に着いて歩いていた。

「なにか来ます」

 ルナが突然言った。

 皆が前方に注意を払っていると、砂の丘の上に、ラクダに乗った男が現れた。男はひらりとマントを翻し、ラクダから降りると、マントから差し出した右手に逆手に持った短剣が光っていた。

「そなたたち、何者じゃ!」

 マントの下に豊かな髭がある。その上に鋭く光る双眸があった。セレクがリリアの前に出て、身構える。従者達も三人を囲むように立った。

「何者かと訊ねている、答えよ!」

 太陽の光が男の短剣を光らせた。みすぼらしいマントに輝く短剣、男はじりじりと近づいてくる。これ以上近づけば、短剣がものを言うだろうという間合いになった。

「おやめなさい! 隣国フステイシアの王女リリアです。その短剣を降ろしなさい!!」

 業を煮やしたリリアが、叫び、前に出ると、マントのフードを降ろし、金色の髪を曝け出した。

「なんじゃと。フステイシアの姫? リリアか?」

 男は音もなく短剣をしまうと、数歩近づいて、頭を下げた。

「これは失礼をした。リリアであったか。大きくなったのお」

 男は鋭く光っていた双眸を懐かしげな柔らかいものに変えて、近づいた。

 セレクが足に力を入れた。この男、信用してよいものかどうか品定めをしている。

「わしは、諸国を旅する者じゃ。フステイシアにも行っておる。リリアはまだ小さな子供だったがのお。覚えてはおらぬか、旅の話を随分聞かせてやったがのお」

「バガール!」

「そうじゃ」

「なんて懐かしい。こんなところで出会うなんて!」

 リリアは、男に駆け寄って、抱きしめた。バガールはそんな姫を引き離すと、腰を折って、リリアの顔を覗き込んだ。

「リリア、そなた、こんなところで何をしておる?」

 バガールの問いにはセレクが事情を説明した。

「ぺカールだと! わしでも行くのを躊躇う場所ですぞ」

「でも行かねばなりません」

「このところ、砂漠の民に不穏な動きがあったのは確かだ。じゃがしかし、そなた達でどうにかなるものでもなかろうに」

 バガールは髭を撫でながら思案に暮れた。

「大丈夫よ、バガール。セレクは魔法使いだし、ルナは妖精のお姫様なの。二人とも凄い力を持っているわ。わたくしだって、旅には慣れていますのよ」

「逞しく育ちましたな、リリア。じゃが、フードは脱がんほうがよいぞ。姫様が名乗ったところでこの砂漠の民には通用せん。なにをされるかわかりませんぞ」

「ええ、わかっているわ」

 リリアは慌ててフードを被った。自分がとった行動がどれほど軽率なものかは、理解していた。それでもバガールに会えた嬉しさは変わらない。

「バガール、あなたはどこへ行くの?」

「わしは、これから西に向かわねばならん。そなたたちも連れて帰りたいところじゃがのお」

「いいえ、バガール。わたくし達は、ファルサリオ様を助けなければなりません。ここでお別れです。またどこかでお会いしましょう」

「くれぐれも気をつけてな、リリア」

「ええ、バガールも」

 バガールは、またラクダに乗ると、軽く右手をあげて去っていった。

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