no.8
アドニスは「三日で」と言ったが、一行は四日かけてエスフェラ山脈をやっと越えられた。日が西に傾きだすと、寒さで動けなくなる。朝陽が上がってからもしばらくしないと体が温まらず動けない状態だったのである。その寒さのせいで一日余分にかかってしまったのだった。アドニス侯爵が渡してくれたマントが役に立った。これがなかったら寒さを凌げなかっただろう。
ともあれ、山脈の反対側の麓町グラバに辿り着いた。町には、人影もなく閑散としている。砂埃が舞い、日差しが強く、ここでもアドニスが渡してくれたマントが役に立った。従者達が宿を探す。しかし無下に断られ三軒目の宿に入った。
「お前らのような奴らを泊める部屋なんぞ、ありゃしねえよ」
ここでもダメかと、従者が落胆した時だった。奥からでっぷりとした宿の女将さんが出てきた。
「お前さん、ちょっと待っとくれよ」
「なんだ、お前」
「いいから。その後ろにいるあんた達、フードを外してみな」
従者の後ろに隠れるようにしていたリリア達に黒髪を後ろで無造作に束ねただけの女将さんは声を掛けた。三人は素直にフードを降ろした。
「なんじゃ、女か」
宿の主人が仰天している横で、女将さんは両手を腰に当てている。
「女子供がこんなところになんの用だい。とにかく中に入りな」
「おい、お前」
「いいじゃないかい、あんた。ここじゃ、こんな女子供は危ないだけだよ」
太っ腹な女将さんに着いて、中に入ると、そこは粗末なテーブルがいくつか並んだ酒場のようだった。その一つのテーブルにリリアとセレクとルナが座り、従者たちは、また隣のテーブルに着いた。
「ありがとうございます。助かりました」
セレクが水を持ってきた女将さんに頭を下げた。
「なんだって、こんなところにいるんだい? どう見ても砂漠の民とは思えないね、あんたら」
女将さんは、従者の格好を見て言った。
「隣国ペンサミエント王国の王女リリアです」
「なんとまぁ、隣国のお姫様とは」
驚き呆れている女将さんだった。
「ぺカールにどうしても行かなくてはなりません。ラクダをここで用意したいと思って来たんですが、無理ですか?」
「ぺカールだって。あんなとこに行くなんて信じられないね。あそこは悪党の溜まり場だよ。ここだってあんたらが女子供だってわかりゃ、捕らわれて、売り物にされるのが当り前なくらいなのに」
厨房にいた主人に振り向きざまに
「この子らになにか作っておやりよ、あんた」
女将みさんは、また両手を腰に当てて、リリア達に向き直った。
「この砂漠地帯で不用意にそのフードを取ったりしなさんな。そっちの従者さんらは早速命を落とすよ。あんたらは、砂漠の民の慰み者にされるだけだよ」
さすがのリリアも震えあがった。
「砂漠はそんなところですの?」
「ああ、そうさね。知らずに来たんかい? それでなんでぺカールなんぞに行くなどと?」
「第二王子ファルサリオ様が捕らわれの身になっています。王子を救いに行きます」
ルナが答えると、女将さんは、大口を開けて笑った。
「ばっかじゃないかね、あんたらは。王子だかなんだか知らないが、あんたらだけで行ってどうなるってもんでもなさいね。あそこにいるのは極悪人どもだよ。それこそ見つかったらどんな目に合わされるかわかったもんじゃない」
「それでも行かなくてはならないのよ、ベルダ様のために」
リリアが柄にもなく真剣な顔をしている。セレクもルナもテーブルに視線を落としたまま、なにも言えない。
「本気かい、あんたら」
「行くしかありませんの……」
「まったく怖いものなしってのもまた怖いねぇ。まぁ、そんだけ言うんなら止めやしないけど、砂漠を甘く見たら命取りだからね」
「ほら、ちょっとしたものしか作れんが、これでも食えや」
宿の主人が大皿に炒め物を持ってきて、リリア達と従者達のそれぞれのテーブルに置いた。
「こんなもんでも食えるだけましだと思いな。ここから先には食いもんもないと思ったほうがいい」
四日ぶりに暖かい食事にありつけた一行は黙々と食べていた。
店の奥で主人と女将さんが何やら話している。どう見てもここでは主人より女将さんの方が上のようだった。三人が食事を終えて、一息ついているところに主人がやってきて、皿を片づけ、女将さんが出てくる。
「上が宿屋になってるから、今夜はここでお泊りよ。ラクダは明日までになんとか見繕ってきてやるから」
「本当ですか?」
絶望的な気分で食事をしていたセレクは顔をあげた。
「あんたらみたいな奴らも珍しいんでね。話のネタに助けてやるわ」
女将さんの計らいで、なんとか今夜の宿にあり付けた。部屋は二つ。相部屋で粗末なベッドが四つずつ置かれた部屋に入れられた。
「大丈夫かしら?」
ルナが心配顔でセレクに訊ねた。
「まさか取って食おうなんてことはないでしょう。あの女将さんなら信用できますよ」
「またルナの心配が出た。大丈夫よ。ラクダも手に入ると言うし、助かったじゃないの」
「でも、こんなに優しくされると心配になります」
ルナはもう既に暗雲の中にいるのだと感じていた。それでもやっとベッドに寝れるのだと喜ぶリリアにはそれは伝わらない。疲れが出たのか、リリアはすぐに寝入ってしまった。ルナはなかなか寝られずに窓から町の向こう、月に照らされて見える荒涼とした砂漠を見つめていた。
「ルナ、眠れないのですか?」
隣にセレクがやってきた。
「あれが砂漠ですね」
「はい、そのようですね」
セレクは言葉を失っていた。なんだろう、この不安は……。ルナの気持ちに感化されたのだろうか? いや、違う。何かが不安にさせる。
「セレク、どうしたの?」
「わかりませんが、なぜでしょう。砂漠を見ていたら、とてつもなく不安になりました」
「セレクも?」
「ルナもですか?」
「はい。不安は大きくなるばかりなの」
「ここからは今までのようにはいきませんね、きっと」
「はい。そう思います」
しばらく二人は無言で砂漠を見つめていた。
「とにかく今夜は休みましょう。砂漠に入る前にしっかりと休息を取っておかなくては」
「はい……」
二人とも、ベッドに潜り込んで、不安を抱えながらも眠りについた。
翌日、昼頃には、宿の主人が三頭のラクダを連れて戻ってきた。
「やったわね。これで歩かなくてすむわ」
「何言ってんだい、あんたは。ラクダは荷物を運ぶのに必要なだけで、あんたらを乗せるもんじゃないよ。ここはそんな悠長に旅する場所でもないんだ」
女将さんが憮然として言った。
「じゃあ、結局歩くんですの?」
「当り前じゃないか。途中の町エチセリアまでだって、あんたらの足じゃ十日はかかる。それだけの水と食料をラクダに乗せたらそれで一杯だね」
「次の町まで十日もかかりますか?」
「ああ。砂漠の民でさえ一週間はかかるんだ。あんたらの足じゃ、そのくらいはかかるだろうさ」
「リリア、これ以上は無理なのではない?」
ルナが弱気になっていた。
「ルナったら、どうしたのよ。砂漠くらいなんてことないわ。今までだって、色んなところを旅したじゃない」
「そうだけど、今までとは違うわ」
「覚悟はできていてよ。わたくし、ここまで来て引けませんわ」
リリアは、まっすぐ通りの向こうの砂漠へと視線をやった。
「ルナ、無駄ですよ。今のリリアに何を言っても」
ルナは黙り込んでしまった。
「あんたらが行こうとしてるのは、命との駆け引きの場所だ。そんな目立つ格好じゃ、命取りだ」
そう言って、服を持ってきた。
「あんたらは今から男だ。そう思ってお行き」
粗末な男の服をそれぞれが着てみる。リリアは、
「こんな恰好、嫌ですわ」
「それじゃ、姫様は命を落としてもいいんですか?」
「冗談じゃありませんことよ。これでいいわ」
リリア姫も諦めたらしい。
「とにかく十日分の水と食料は用意してやるから、今夜もここで泊まってお行き」
女将さんは、あちこちの宿屋から、食糧などを調達して来てくれた。
出立の準備は整った。
「いいかい。エチセリアは油田で潤っているとはいえ、荒くれ者の集まる場所だ。絶対マントに隠れて女だとは気付かれないようにしな。それとまっすぐ十番宿屋にお行き。宿の主人に三番宿屋の女将からのツテだというんだ。そこなら安全だ。だが人前で絶対マントを抜くんじゃないよ。主人の前でもだ。わかったね」
「女将さん、なにからなにまでありがとうございます」
セレクが頭を下げた。
「なぁに、大したことじゃないよ。あんたらが無事に帰ってきたら、これは話のネタにするからね、いいね」
「無事に帰ってきますわよ。話のネタに沢山の人にお話ししてくださいませね」
呑気に答えるリリアだった。
翌日朝早く、一行は、宿屋の主人と女将さん、珍しい者見たさの町の数人の者に見送られて、砂漠へと入っていったのだった。




